第二十五話
――デビュタントを終えてからの私は、あちこちのパーティーに顔を出していた。
別に好きで出かけていたわけじゃない。両親の権力闘争の片棒を担がされていただけだ。
あちこちのパーティーで顔を売り、コネを作り、情報を交換する。侯爵家の娘として派閥に貢献し、対立派を牽制する。そういう政治家みたいなことをやっていた。
パーティーとは仕事場で、楽しむものなんかじゃない。それでも優雅に遊んでいるように見せなければならないというのだから、貴族とは厄介なものだ。
ヒルダの私は、そこに疑問を持つこともなかったけれど。
その仕事をこなしていれば、リリィと一緒にいられる。その報酬の為に、お面みたいに表情を付け替えて腹の探り合いをしていた。
その日もいつも通り護衛騎士のエッジを連れてパーティーに向かった。
主催しているのは対立派閥の侯爵家。位が同じなだけあってウチとは牽制しあう仲で、招待状が届くなんて驚くべきことだった。
不審に思った両親は情報を集め、その確認の為に私を送り込んだのだ。
今更どうとも思わない。今回のパーティーで得た情報次第で両親はその侯爵家に対する攻勢を強めるだろう。結果、不幸になる人も出てくる。
その全てが、私にはどうでもいいことだった。
権力闘争は世の常で、それに敗れた側がどうなるかも自然の理。ぎゃあぎゃあとわめくくらいなら、ハナから争わなければいいのだ。
馬車の窓に目を向けていても、そこから見える景色など少しも映っていない。まるで興味が湧かない。平民がうろちょろしていて、アリみたいだと思う。
会場に到着し、エッジと別れて中に入る。護衛騎士は専用の待機場所で待つのが習わしだ。
会場内にまで連れて行くのは、敵意があると示すことに他ならない。分かりやすい隙を作るのは避ける必要がある。
対立派閥のパーティーなんて四面楚歌もいいところだ。そんなこと、シャミーニ侯爵家の人間が斟酌するはずもないが。
待機していた騎士達により、重くて分厚い両開きの扉が開く。
中はシャンデリアの光がキラキラと反射し、あちこちに並べられたテーブルに果物や軽食が盛られている。その周りでは、招待された貴族達が談笑していた。
軽く見回したところ、シャミーニ侯爵家と同じ派閥の貴族はいない。どころか、全て主催と同じ派閥の貴族だ。
リリィと同じ真っ白な羽根で作った扇で口元を隠し、足音高く入場する。
周囲の視線が集まるのを感じる。値踏みするような目、訝しむ目、あからさまに敵意のこもった目。
全てどうでもいいことだ。
主催がいるであろう奥まった所へ向かっていると、私と同じ年頃の主催侯爵家の娘が近づいてきた。
「ようこそおいでくださいました、『白蛇姫』……失礼、シャミーニ令嬢」
わざとらしく私の蔑称を口にし、赤い扇で口元を隠す。
周囲から浴びせられる侮蔑の視線と声をひそめた嘲笑。それを咎める者は誰もおらず、されるがまま受け止める。
それ以外の選択肢はなかった。
「北の方では中々目にすることがないであろう果物も沢山用意してございます。どうぞ思う存分楽しまれてください。申しつけ下されば、お土産にもさせて頂きますわ。蛇ちゃんにもおひとついかが?」
瞳を三日月形に歪ませ、見下していることを隠そうともしない。
完全に優位を確信している人間の振る舞い。自分が負けるとは微塵も思っていない。
我がシャミーニ侯爵家の領地は、この国の北部にある。広さはかなりのものがあるが、北部故に寒冷な気候で特定の作物しか育たない。
その為、食に関しては他の地域に大きく劣る。食を娯楽とするにも種類を増やすには輸入するしかなく、北のコックは他の地には馴染めないとよく言われる。
さっきの嫌味はつまり、『貧乏くさい食べ物しか知らない貴女達に恵んであげるわ』ということだ。
くだらなさすぎてあくびが出る。
「ご厚意、感謝致します。確かにあまり見ない果物がございますわね」
テーブルに近づいて、切り分けられている赤い色の果物を取って口に運ぶ。
ドギツい原色に加えて刺激的な味だ。水分が多いのはいいが、おかげで食感もやや悪い。ぐしゃりと口の中でつぶれる感じ。
「これは、南方のガデリア国で採れるというパピーノですね。内陸に多く自生するにも関わらず水分を多く含むので、あちらの国では好まれているとお聞きします」
「……流石、シャミーニ令嬢。よくご存じで」
苦虫をかみつぶしたような顔で令嬢が答える。
ということは、やっぱり両親の集めてきた情報は正しいらしい。少しは顔色を隠す訓練でもした方が良いと思う。
「近年パピーノを流通させようという動きがありましたが、結局見た目や味が敬遠されて我が国では上手くいかなかったそうですね。主導した家は大変なことでしょう」
「……えぇ」
パピーノのように赤い扇で口元を隠し、令嬢が目を逸らす。
周囲の視線も戸惑いを含んだものに変わっていき、私よりも令嬢の方に向けられるようになっていく。
「ガデリアとの取引も太くなることはなく、現状維持。それを取り返そうと新しい作物を植えたそうですが、それも上手く育たず全滅。おかげで既存の作物の収穫量も減っているとか」
とうとう令嬢は何も言わなくなった。
武器のない状態で戦場に出るからだ。
周囲は味方ばかりだと油断したのだろう。残念だが、こちらは周り全部敵なんて状況には慣れている。
おかげで、楽ができた。
「我がシャミーニ侯爵領では作物はあまり育ちませんが、代わりに鉱山が多くあります。様々な鉱石が採れるので幸いにしてそれなりに資金に余裕がございます。お困りのことがございましたら、是非仰って下さいませ」
能面の顔に笑みを張り付けると、令嬢はひっと喉をひきつらせた。
……うまく笑えてないのかしら。まぁどうでもいいけど。
「それと、近々両親がパーティーを開くとのことです。先日陛下にご好評頂き、宮廷にレシピを献上したスープもお出し致します。ご迷惑でなければ、招待状をお送りしてもよろしいでしょうか?」
「……こ、光栄ですわ……」
それだけを絞り出し、『それではごきげんよう』と令嬢が背を向ける。
その背中に向けて、トドメの一撃を放った。
「私の蛇――リリィは美食家なもので、パピーノはお気に召しません。折角のご厚意ですが、お断りさせていただきます」
足を止めた令嬢が、私を射殺さんばかりの視線で睨んでくる。
リリィを馬鹿にしておいて、タダで帰れると思ったのかバカめ。
私の肩口からリリィが顔を出し、牙をむき出しにして威嚇する。びくりと肩を震わせて令嬢は怯み、慌てて目を逸らした。
そのまま何事もなかったように彼女は主催席に戻り、私もそのまま主催の当主達に挨拶してパーティーに紛れ込む。
くだらないやり取りだった。私を招待した意味は、派閥の面々の前で侯爵家の力が衰えていないことを見せつける為の生け贄だったのだ。
残念ながら、思い通りにはならなかったけれど。
もうここにいる意味はないのだが、やりあってすぐに帰ったのでは外聞が悪い。適当に時間を潰してから主催に挨拶して会場から抜け出した。
待機していた騎士がエッジを呼んでくるまでの間、何もすることがなく壁に背を預けていると、
「あ、あの!」
突然声をかけられ、反射的にそちらに振り向く。
そこにいたのは、私と変わらない年頃の少女だった。
「しゃ、シャミーニ令嬢、ですよね?」
それ以外の何に見えるというのだろう。
まさに恐る恐ると言った感じで声をかけてきた少女は、小動物のように震えていた。
「そうだけど」
「さ、さっきの! 凄かったです!」
両拳を握りしめて勢い込んでくる仕草に、少し気圧される。
私の周囲にはこういうタイプはいなかった。どうにも調子が狂う。
可愛らしい少女だ。ただ、メイクも控えめで目立つところがなく、パーティー会場にいれば埋没してしまうだろう。
気もさほど強いほうではないのが見て取れる。なんとも扱いに困る普通の子だ。
「あんな大勢の前で、はっきり言えて! しかも、やっつけちゃうし! あの、私、サブリナって言います! ベリス伯爵の娘です!」
ベリス伯爵――確か、西の方の田舎貴族だったはず。
領地はそれなりに広く、経営も順調。相応の発言力を持てるはずだが、中央の政治や権力に興味がなく自領を安定的に栄えさせることに力を注いでいるのだったか。
主催と同じ派閥ではなかったはずだが、苦し紛れに引き入れようとして招待状を送ったのだろう。
「あの、えと、シャミーニ令嬢!」
「……なに?」
立場的に愛想を良くすべきか悪くすべきか。
どっちか分からずにどっちともつかない態度を取ってしまう。
その隙にこの娘はとんでもないことを言ってきた。
「憧れても、いいですか!?」
そんなこと、生まれて初めて言われた。
「……は?」
キラキラした瞳で見つめられ、言葉に詰まってしまう。
なんだろう、どういえばいいんだろう。めちゃくちゃ困る。こんな時どうすればいいかなんて誰も教えてはくれなかった。
両親から叩きこまれた令嬢教育に、こんな事態は想定されていない。
固まる私の肩口から再びリリィが顔を出し、音を立ててサブリナを威嚇した。
「ひゃぁぁっ!? ご、ごめんなさいぃっ!」
脱兎の如く彼女は逃げ出し、私はその場に取り残されてしまった。
リリィは一仕事終わったと言わんばかりに引っ込んでしまう。助かった……の、だろうか?
とりあえずリリィを撫でていると、エッジがやってきた。
「……何か?」
普段と違うことに気づいたのだろう、確認するように声をかけてくる。
護衛としては能力が高くて結構だ。
「……何も。帰るわよ」
「はっ」
それ以上無駄口を叩かず、エッジは私について歩く。
それからは何事もなく馬車に乗って実家に帰った。
リリィが何故サブリナを威嚇したのか、死ぬまで私は分からなかった。
私が困っていたように見えたのだろうか。それとも、攻撃されているように思えたのだろうか。
この頃から、リリィの事が良く分からなくなっていった気がする。
ずっと一緒で、何でも知っていると思っていたけれど。
私の言うことを聞かないことも多くて、それが対等な関係に思えて心地よかったのだけれど。
リリィは、私の事をどう思っていたのだろうか。
そのことが、生まれ変わった今でも良く分からないでいる――
あまりよく眠れなかった。
目覚まし時計が鳴る前に目が覚めてしまい、鳴ってもいないアラームを止める。
昨日はずっといつから名前で呼んでたっけと考え込んで、一生懸命記憶をひっくり返しているうちにうとうとして気が付いたら眠っていた。
おかげで眠りが浅かったらしく、まだ頭がぼんやりしている。
開ききらない瞼を抱えたままカレンダーを見やり、今日は何日だっけと視線をさ迷わせ、
「ひぃっ!?」
一気に覚醒した。
そうだ、今日は春史くん家に行く日だった!!!
カレンダーになんか二重丸してあるし!! なんで忘れてたの私ぃ!?
焦りに焦ってベッドから転げ落ち、痛みに少しうずくまる。
なんとか回復して洗面台に駆け込み、洗顔とお手入れを軽く済ませて部屋に取って返してスマホのロックを解除する。
春史くんの家に向かう時間を確認する。十時半。地図も確認する。大丈夫。
前回行った時は道を覚える暇もなかった。今回も春史くんに連れて行ってもらおうと思ったけど、それだとまた覚えなさそうなので地図をもらうことにしたのだ。
前世と違って実に便利な世の中だ。あの頃は御者が居なかったらどこにも行けなかったもんなぁ。
しみじみするのは置いといて、準備を済ませないと。
何を持っていくか選んでいる内に朝食の時間になり、珍しく起きていた夕太を含めた家族全員で食べる。
幸いにして両親は夕太の不審な行動には気づいておらず、私も何も言わなかった。
おかずを口に運びながら、隣の夕太を盗み見る。
昨日帰ってきてから、なんだか妙に静かだ。いや、元からそんなに騒がしい子ではなかったんだけど、なんか落ち着いたというか。
まぁでも、この様子ならまた学校に忍び込むこともなさそうだ。ほっと胸を撫でおろす。
食べ終えた食器を流しに置いて、部屋に引っ込んで着ていく服を選ぶ。
今日は曇りだけど気温は高いらしいから、ノースリーブでいいかな。下は一応ロングのフレアスカートで。短いのはちょっと、まだ早いかなって。
色は淡色系で揃えた方がいいだろう。派手な色はリリィの好みじゃなかったし。私としても、そっちの方が着ていて落ち着く。
暗めの色は重たくなるから冬場はいいんだけど夏はね……赤とか黄色の原色系も似合うってスタイリストさんに言われることもあるけど、プライベートではあんまり着たくない。前世で飽きたってのもあるし。
軽くシャワーを浴びて下着も着替えようと思ってお風呂場に行くと、洗面台で歯を磨いていた夕太と鉢合わせしてしまった。
「姉さん……何してんの?」
「ちょっと、シャワー浴びようと思って」
うちの脱衣所は洗面所と兼任で、洗濯機とかも置いてある。まぁ普通の間取りだ。
なので、朝にこうして出くわすことも珍しくはない……のだが。
「シャワー? なんで?」
夕太が訝し気に尋ねてきた。
どうしよう。ここは本当のことを言った方がいいのだろうか。
また調査だとかいって暴れられても困るし。うん……言っちゃいけない理由って何かあったっけ?
良く分からなくなって、口から言葉が出るに任せた。
「今日、出かけるから」
「どこに?」
「春史くんの家」
がたんっ! と大きな音がして夕太が膝を抑えて軽くうずくまる。
足でもぶつけたのかな、と思っていたら、
「オレも行く!」
「えっ?」
膝を抑えたまま顔を上げて、なんだか怒ったような表情をする夕太。
行く、って言われても困るんだけど……。
「オレも行く! すぐ準備するから!」
「ちょ、夕太、どうしたの?」
さっとうがいを済ませ、夕太が脱衣所から出ていく。
あまりの早業に止める暇もなく、とりあえず当初の目的通りシャワーを浴びることにした。
夕太が一緒に行くのって……アリなのかな?
呼ばれたのは私だけだし、お姉さんと夕太は全く面識ないけど。
でも、夕太が来てくれるのは実はすごく助かる。昨日の今日でマトモに春史くんの顔を見れる自信がないのだ。
また喧嘩を売ったりしないか心配だけど、昨日の様子なら大丈夫だろう。なんだか最後の方は二人して目で通じ合ってやがったし。
一人で行くと固まりそうだけど、夕太が一緒ならそこまで緊張しない気もする。
軽く汗を流して体を拭いて、髪と肌のお手入れをする。ついでに春史くんに夕太を連れて行くというチャットも。
その間にとっくに夕太は準備を済ませていたようで、部屋から出ると待ち構えられていた。
「遅いっ!」
「女の子は準備に時間がかかるの」
「別にそんな気合入れる必要ないだろ!」
何が気に食わないのか、きゃんきゃんと吠え猛る我が弟。
今朝の静かな様子がまるで嘘みたいだ。
「気合なんか入ってないわよ」
「……朝からシャワー浴びといて何言ってんだ」
いやそれはエチケットっていうかなんていうかで、別に普通よフツー?
とはいえ、今の夕太にそれを言っても分かってもらえそうにないので、黙殺して家を出た。
「いってきまーす」
「いってきます」
お母さんとお父さんの声が返ってくるのを聞いてから玄関を閉め、地図を開く。
「で、暮石の家知ってんの?」
「地図もらったから大丈夫」
「貸せ、オレが見る」
横からスマホを掻っ攫われ、少しムっとくる。
だがまぁ、ここは可愛い弟の顔に免じて許してやることにした。年頃の男の子なのだ、地図が読めると偉ぶりたい時もあるのだろう。私だって読めるけど。
案内を夕太に任せ、私は周囲の景色を覚えようとのんびり歩く。
前みたいにいっぱいいっぱいじゃないから、風景を楽しむ余裕もある。私の家の周辺は住宅地だらけだけど、春史くんの家の方向は公園とかもちらほらあるみたい。
30分も歩くと一軒家だらけになり、合間に畑や小さなカフェや本屋なんかの個人経営っぽいお店が入ってきたりする。
自分の住んでる街なのに、知らない場所があるものだなと耽ってしまう。
この辺りも一応来たことはあるはずなのに、こんな悠長に見回したりはしなかったせいかもしれない。
まぁ、街を隅々まで知ってる人の方が少ないとは思うんだけど。こういう違う側面が見えてくると、少しワクワクしてくるのはなんでだろうか。
大きめの公園を通り過ぎ、1キロ先に小学校があることを示す標識を越えると、うっすらと見覚えのある景色になってきた。
「もうちょい先だって」
夕太の言葉通り、少し先の曲がり角を折れていくらも歩かない内に忘れようもない暮石家の門が見えた。
「……でけぇ……」
門の前で立ち止まり、夕太がぽつりとこぼす。
うんうん、分かる分かる。古式ゆかしい和風な外見と合わさって、なんだか威圧感を受けるんだよね。選ばれし者しか入っちゃいけない、みたいな。
春史くんってお金持ちのイメージないから、余計に驚くんだよね。
「なんだよ! あいつも金持ちかよ! ふざけんな!」
拳を振り上げて怒る夕太の横顔に、まぎれもなく血のつながりを見てしまった。
そういうところは似なくていいのよ、弟よ。
「すごいお家でしょ?」
「すげーけど別にあいつがすげーわけじゃねぇじゃん」
不貞腐れて言う弟が可愛くて、つい頬が緩んでしまう。
まぁそうだね、ご両親が凄いってことなんだけどさ。とことん春史くんがお気に召さないらしい。
そういえば、ラルフの家に行った時はどうだったっけ。完全に圧倒して声も出せていなかった気がする。
そう考えると、弟も成長したということなんだろうか。お姉ちゃんは嬉しいよ。
「行くよ、夕太」
「お、おぅ」
門を開けて中に入ると、流石に夕太も少し緊張した様子だった。
玄関までの距離を歩くだけで、普通の家よりもお金がかかっていることが分かる。流石の夕太も借りてきた猫のように大人しくなっていた。
前世がどうあれ、今はただの一般人だもんね。ラルフも花梨もいるとはいえ、やっぱ明らかに空気が違う場所では緊張してしまうものだ。
私だって、未だに花梨のマンションに行くときは緊張するし。
摺りガラスのはめ込まれた玄関前にたどり着き、チャイムを鳴らす。
その瞬間。
ガラス戸が音を立てて開いた。
びっくりしたまま固まる私と夕太の前に現れたのは、リリィ――春史くんのお姉さんだった。
相変わらず化粧っ気のない美人で、雪のような白さと対照的な瞳の紅さが際立つ。
細く長い手足は華奢で、無表情を通り越し氷の彫像みたいにさえ見える顔は鼻筋も通っていて美しい。
鋭利な三白眼は感情が読めない分神秘的ですらあり、妖精か何かと言われても信じそうなぐらいだった。
真っ白なワンピースが似合いすぎていて、溶けてなくなりそうな雰囲気をかもしている。
その彼女が、じっとこちらを見つめたまま何も言わないし動かない。
隣の夕太はあまりにも驚きすぎて言葉を失っているし、ここは私が頑張らないといけない場面っぽい!
「……こ、こんにちは」
何とかひねり出した言葉は、前回と変わらずどもってしまっていた。
だって! いつもいきなりすぎるんだもんこの人! 少しは心の準備をさせて!!
リリィ――お姉さんの瞳が、私をがっちり捉えて離さない。
蛇に睨まれた蛙ってこんな気分なんだろうか。逃げたいのに、逃げられない。視線に掴まれて身動きが取れない。
ただわかるのは、この瞳に敵意がないということ。
私の事を調べるように、懐かしむように。じっくりと眺められている。
まるで昔のリリィみたいに。
「あ、あの……」
なんとか束縛から逃れ、声をかけることができた。前世で慣れててよかった!
瞳の力が弱まり、一歩だけお姉さんが身を引いた。
「ようこそ、中へ入って」
ものすごく端的な表現で招かれる。
うん、やっぱり春史くんの言う通り社交的な人ではなさそうだ。
「お招きありがとうございます、白峰 昼子です。こっちは弟の夕太です」
軽く頭を下げ、弟を紹介する。
お姉さんとは初対面だし、あんまり悪い印象を持ってほしくはないんだけど……どうかな?
お姉さんはちらりと夕太を見て、興味なさそうに視線を外した。
呆気にとられたままその様子を見ていた夕太が、少しムッとした顔をする。
うーん、これはお互い微妙な感じ……仲良くなるのは難しいかもしれない。
「ようこそ、白峰さん、夕太くん。姉さん、そこにいると二人が中に入れないよ」
お姉さんの後ろから現れた春史くんが場を動かしてくれた。
言われてお姉さんがサンダルを脱いで中に上がる。後に続いて小さめのブーツの紐を解く。
これから春史くんの家の中に足を踏み入れるのだと思うとかなりドキドキする。彼のプライベートな空間にお邪魔するのだ。
そう思うと、最初の一歩がなんだかすごく特別な気がして、
「それにしても、バカみてぇに無駄にでかい家だな」
さっさと上がった夕太が無遠慮に見回して雑に言ってのけた。
夕太ぁ!! なんでそんなまた喧嘩を売るようなこと言うのぉ!?
昨日で懲りたと思っていたのに、残念ながら考えが甘かったようだ。ほんっと、なんでそんなに春史くんが気に入らないのあんたは!
「そうなんだよねぇ。両親が大きい方がいいって言うからさ」
「はっ、成金の考えそうなこった」
鼻を鳴らしてあからさまに見下した表情を浮かべる。
それは前世において来なさい、このバカ弟!!
「夕太! 失礼なこと言わない!」
久しぶりに本気めに怒ると、夕太はバツの悪そうな顔をする。
フォローするように春史くんが苦笑して言った。
「んー、犬猫飼ってるからね。両親もそこを考えてくれたんだと思う」
「はっ、人間に飼われるとは“野生”を失った獣なぞ哀れなものだ」
つまらなそうに吐き捨てる夕太に目が吊り上がる。
せっかく春史くんがフォローしてくれたのに、どうしてそんな台無しにするようなこと言うの!?
「夕太!」
強めに怒ると、夕太は唇を尖らせてそっぽを向いた。
なんで怒られると分かっていてそういうことを言うのかね、この子は。
「うーん、確かにうちの子は野生っぽさはないかもね。レオぐらいかな、それっぽいのは」
「レオ? 猫か?」
「そうだよ」
「名前負けしてるな」
確かに同じ猫科でもライオンと猫じゃ大きく違うけれども!
「ゆ・う・た!」
人様の家でやるまいと思っていたけれど、もう我慢がならない。
アイアンクローをかまそうと夕太に近づき、それに気づいた夕太が怯えた様子で後ずさり、
犬の鳴き声が聞こえた。
しかもかなり煩い。合間に猫の鳴き声も聞こえてきた。
「うぉっ!? なんだ!?」
夕太が驚いて辺りを見回す。
お姉さんがいつの間にか小さな犬と猫を抱え、その二匹を地面に下ろしていた。
犬の方は覚えがある。あのふわふわでもこもこのタロウだ。
「タロウ、アストラ、遊んでおいで」
お姉さんの腕から解き放たれた二匹は、一目散に夕太に向かっていった。
「ま、待て、落ち着け! うぉぉっ!?」
タロウに飛び掛かられバランスを崩したところに、アストラと呼ばれた猫が斜めに体をよじ登っていく。
まるでアスレチックワールドと化した夕太を使って、二匹は思う存分遊び倒していた。
「夕太くんは動物にも好かれるんだねぇ」
あんまり見ないニコニコとした笑顔で春史くんが呟く。
うん……これ、好かれてるの? なんていうか、遊ばれているっていうか、玩具にされているっていうか……。
いやまぁ、動物に吠えられて嫌われる人もいるんだから、それに比べれば好かれているのか?
それにしても、タロウはほんとに人を恐れない。今も嬉しそうに尻尾を振ってぴょんぴょんと夕太の体の上を飛び回っている。
アストラと呼ばれた猫も、こけた夕太に飛び乗ってすりすりと体をこすりつけていた。
「……ほんと、人懐っこいのね」
これは野生を失っていると言われても仕方ないかもしれない。
指や耳に噛みついているが、ここから見ても甘噛みだと分かる。要は構って欲しくて甘えているのだ。
なんというか、それでいいのかあんた達は……いやいいのか。野生に帰る予定もないだろうし。
「おいこら暮石! なんとかしろ!!」
「んー、二匹ともすごくはしゃいでるから、落ち着かせるのは難しいね」
あっさりと言ってのける春史くん。
なんか、男同士だと結構さっぱりしてる? ラルフと話してるときも似たような感じだし。
……男女差別はんたーい。
「なんではしゃぐんだ!?」
「夕太くんが構ってくれそうだって思ったんだろうね」
「オレを勝手に決めつけんな!!」
夕太は怒ったふりをしているが、あれは戸惑っているだけだ。
あぁ見えてなつかれるのが嫌いな子じゃない。
懐に入れた相手には結構情の深い弟なのだ。
姉弟だけど、そういうところは少し私と違う。私よりよっぽど優しい子だ。
「オレは今日姉ちゃんを守る為にきてんだ! お前らに構ってる暇はねぇ!!」
ようやく首根っこを捕まえた二匹を前に歯をむき出しにして威嚇する夕太。
……それはその子達と同レベルということになるんだけど、いいのか弟よ。
まぁ、夕太が子犬や子猫と同じ分類というのは納得してもいい。可愛さも似たようなものだし。
ただ、聞き捨てならない台詞があったのでそこは突っ込んでおく。
「……何から守るのよ」
「暮石から!」
即答された。
思わずため息がこぼれる。なんで私を春史くんから守るのよ。
ちょっと弟の頭の中身が心配になってしまう。どこをどう見たらその必要があるのか。
やっぱり夕太は子犬や子猫と同じ分類でヨシ!
「お茶、飲む?」
現在の状況を何一つ斟酌せず唐突に言うお姉さん。
考えるのも面倒になって頷き、なんかやってきた別の猫とパンチの応酬をする弟を連れてお姉さんの後を追う。
案内された居間は台所とつながっていて、それまでの板張りの床からフローリングに変わった。
キッチンが今風なので、そこだけは揃えたのだろうか。古風な家の中にあっては違和感が凄いが、見慣れた風景で少し落ち着く。
冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、お姉さんが人数分注いでくれた。
ちらりと覗き見たが、冷蔵庫の中には食材と思しきものが入っている様子はなかった。
やっぱり、と思う。
お姉さんも春史くんも料理ができないのだろう。そうじゃなければ、毎日パンにはならない。
少し前から考えていた計画が実行に移せそうだ。
お茶を飲みながら、何食わぬ顔をして今後の計画を確認する。
お姉さん次第ではあるが、もし、仮に、いけそうだとしたら、
今日のお昼は私が作ると言ってみよう。
前世の分の感謝も含めて、腕によりをかけるつもりだ。
次第に火照ってくる体を鎮めようと、コップのお茶をぐっとあおった。




