第二十話
結局、夕太が帰ってきたのは晩御飯の直前だった。
一応ゲームに誘ってはみたものの、『疲れてる』とすげなく断られてお風呂に入られてしまう。
なんだよーもー、久しぶりに姉弟の仲を深めようと思ったのにさぁ。
そのまま不貞腐れて眠り、ちょっぴり悲しい気分で朝を迎えた。
私の心が表れたように、天気は小ぶりの雨。
しとしとぴっちゃん、て感じなのがほんとにそれっぽい。
弟に避けられたことなんて今まで一度もなかったからなー……そういう時期だと分かってるけどちょっと辛い。
いや、一度もなかったってのは嘘だな。三年前――ていうか、記憶が戻った時はそんな感じだった。
いきなり姉が変な人になったって思ったろうな。それまで仲良く過ごしていたのに、遠巻きにされたのを覚えている。
あれがそれなりにショックで、早くなんとかしようと思ったんだっけ。
記憶が混濁して、『昼子』と『ヒルダ』が変な具合で混ざり合ってて。『ヒルダ』の記憶に引っ張られて気づけば前世みたいな振る舞いをしていたり。
二つの心がある感覚っていうのは本当に気持ち悪い。漫画とかではたまに見るけど、あれで平然としてられるのは人間じゃないって。
ただ、好物が同じだったり、弟可愛さは同じだったりで少しずつ慣れていった。どっちも私だからね、ちょっと記憶が増えただけだもん。ほんの18年分。
……うん、強がりました。ま、もう過去の事だし!
あの頃以来かな、避けられたのは。
一体何があったんだろう。
分からないと言えば、あの子が中二病になったのもわかんないんだよね。それまでは少しぶっきらぼうなところはあっても普通のいい子だったのに。
やっぱり中学二年ってそういう年なんだろうか。
わかんないことを考えてても仕方ない。朝の身支度を済ませて部屋を出る。
夕太がいた。
「おはよう」
「……あぁ」
そのまま通り過ぎようとする弟の首根っこを掴む。
「こら、ちゃんとしなさい」
「……おはよう」
よろしい、と手を離す。
夕太は顔をしかめて再び歩き出す。
「昨日はどこに行ってたの?」
「どこでもいいだろ」
弟の背中に話しかけてみるも、なしのつぶて。
むぅ。これは深く突っ込んでみるべきか、自主性を尊重すべきか……悩ましい。
そう考え込む間に夕太は消えてしまっていた。
「あんまり遅くなっちゃダメよー!」
返事は返ってこなかった。
無視か、聞こえなかったか。どっちにしても、少々腹立たしい。
おのれ、弟だからと優しくしてやればつけあがりおって。こうなったらゲームでボコボコに……されるのはいつも私だけど。
こういうすれ違いって、なんだか気になる。
前世でも弟とはすれ違ってばっかりだった気がする。今世では上手くやれてたと思ったのに。
やっぱりしばらく構ってあげられなかったからかな? 私からもっとグイグイ行くべきなんだろうか。
うーん、分からん。少し前まで私も中学生だったのに。
あの頃の私は……前世の記憶のせいで混乱してたな……って参考にならねぇ!?
どうしよう、どうすべき?
自分を参考にするならそっとしておくべきなんだけど、あんな特殊な例を参考にするのはどうかと思う!
役に立たない人生経験に肩を落とし、ダイニングに向かう。
家族揃っての食事……はいいんだけど、弟との会話はない。次の期末試験に関しての話を両親とちょろっとするくらいで、夕太は一言も口を利かなかった。
ちらりと顔を窺ってみると、目が合う。分かりやすくそっぽを向かれた。
ゆ、夕太ぁー! お姉ちゃんちょっと傷つくよー!
その後もどう声をかけていいか分からず、流しに食器を置いて部屋に戻る。
ま、まぁ、一緒に暮らしてるわけだし……仲直りするチャンスはいくらでもある、うん。
そもそも仲違いした覚えはないんだけど、そこは置いておく。
鞄の中身を確認して財布とスマホを掴めば、通知が来ていた。
護堂さんからだ。他愛ない挨拶だけど、これ毎日来るんじゃないよね?
昨日よりは少し長めの返信をする。正直、ちょっと嬉しかった。
落ち込んでるときに優しくされると効くなー……マメな連絡って、そういう隙を狙っているんだろうか。
春史くんには絶対できなそうな芸当だ。でもまぁ、不器用なのは誠実ってことだよね。
……違うかな、違うかも。
ため息をついてバカな考えを追い出す。今は夕太のことで頭をいっぱいにしよう。
とりあえずちゃんと話し合って、何がそんなに気に食わないのか聞かないと。
前世では何一つ構ってあげられず、迷惑をかけ通しだった弟。
今世では、姉としてしっかり面倒を見てあげたい。
仲の良い姉弟でありたいのだ。
帰ったら話すぞ、と決めて学校に向かう。
悪役令嬢だって、弟は可愛いのだ。
死ぬまで気づかなかったのは、どうかと思うけど。
今世では、前世でできなかったことをすると三年前に決めたから。
雨が傘に当たって音を鳴らす。
しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん。
梅雨にありがちな小雨は、一日中続くと天気予報のお姉さんが言っていた。
「しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん♪」
楽しそうに花梨が長靴を振り上げる。
まるで小学生みたいで、めちゃめちゃ可愛らしい。私がやったら犯罪だけど。
「楽しそうね?」
「うん! だって梅雨が終わったら夏がくるもん~」
だから今のうちに雨を楽しむんだよ~、と言う花梨。
夏が来たからって雨が降らなくなるわけじゃないんだけど、突っ込むのは野暮だからやめておく。
でも確かに梅雨には梅雨の風情があって、それがなくなると思えば今の内に感じ入るべきかもしれない。
「今年の夏はどうするの?」
「おじいちゃん家に行く以外は決まってないよ~。おかーさんとおとーさんのお仕事もあるから~」
あぁ、と一人頷く。
夏と言えば合併号だし特集だし増刊号だ。おじ様の方は今のところ雑誌掲載はなかったはずだが、出版社でフェアなりなんなりやるに違いない。
娯楽産業にとって、夏はかき入れ時だろう。確かおじ様原作の映画も公開されるから、舞台発表とかも行かなきゃいけないのかも。
おば様の作品もアニメ化とかドラマ化とかするって聞いたような。そのせいで打ち合わせやらサイン会やら諸々あるらしい。売れっ子は大変だ、ほんとに。
「手伝いに行く?」
聞いてみると、花梨は微笑んで、
「お願いするかも~。その時は連絡するね~!」
遠慮なく言ってくれた。結構嬉しい。
弟から避けられてる身としては、なんだか染み入るものがある。
漫画家の修羅場っていうのは肉体的にも精神的にもキッツいものがあって、毎回『もう行くもんか!』って思ったりするんだけど。
それでも、頼られるのは嬉しい。
……あれ? これ、私が夕太に構ってもらえなくて寂しがってるのか?
いやいや、逆のはずだ。私が構わなかったから弟が拗ねてるわけで。
決して私が構って欲しいとかではない、うん。
それ以上の思考に蓋をして、花梨とゆっくり歩く。
長靴が水を跳ね飛ばし、ぱしゃん、と音がする。
夕太も、昔は長靴を履いて歩くのが好きだった。かっぽかっぽと音がするのがカッコイイ、とか訳の分からないことを言って。
私が隣にいるのに水たまりに飛び込んだりして。水がかかったって怒ったら不満そうに唇を尖らせていたっけ。
あの頃はほんとに可愛かった。ほっぺたもぷくぷくして柔らかかったし。
今も可愛いんだけど、年を経るごとに距離を置かれている気がしている。隠し事も増えて、今のあの子がどんな学校生活を送っているのか全然知らない。
昨日なんか遅く帰ってきて、一体何をやってるのやら。危ないこととか、悪いこととかしてなければいいんだけど。
基本良い子だから心配いらないとは思う。でも、不良に無理やり連れ込まれたりしたら分からない。あの子、ちゃんと拒否できるのかしら。
前世を思い返してもほとんど顔を合わせなかったら良く分からない。真面目で優秀な子だ、っていうのが社交界で噂になっていたくらい。前世の記憶、役に立たねぇ!
お父さんもお母さんも夕太に関してはそっとしておく方針みたいだし、やっぱり私がしっかりしなきゃ。
今夜の姉弟の会話では、まず学校の事から聞いてみよう。問題はないのか、友達はいるのか、気になる子はいないのか。
大体このくらい抑えておけばいいはずだ。
計画を立て終わったくらいで、校門が見えてきた。
ここまでくるとそれなりの数の我が校の生徒がいる。色とりどりの傘は、きっと上空から見たら花のように見えるだろう。
梅雨にだけ現れる花畑だ。
こっそり笑うと、隣から視線を感じる。
顔を向ければ、花梨と目が合った。傘のせいで普段より距離があって、それが少し新鮮に感じる。
なんとなく笑いあって校門をくぐり、
「パイセーン! はよっす!!」
脇腹に激突された。
たたらを踏んで何とかとどまった私を褒めてあげたい。
こんなことしてくる上に私をパイセンと呼ぶのは一人しかいない。
「真希、危ないでしょ」
「さーせんっす! 勢い余っちゃって!」
何をどう勢いあまるんだ。普通にしろ、普通に。
見下ろせば、腰のあたりに抱き着いた後輩がにこにこと笑っている。
この手の輩はどんだけ怒っても何一つ堪えないのだ。社長で学んでいるのでそれ以上何か言うのは止めた。
「離れなさい。歩きにくい」
「えー、靴箱まであとちょっとじゃないすかー!」
ぶー垂れる真希をざっと見ると、傘を持っていない。
そのくせ濡れてないなと思ったら、傘を差した友達に手を振っていた。
……なるほど、彼女の傘に相乗りしてたのか。
「自分の傘は?」
「あーし、傘って苦手なんすよねー」
苦手ってなんだ苦手って。
じとりと睨むと、
「一応折りたたみ持ってるっすよ!」
悪びれずに答える。
じゃあそれ開いて離れろ……って言っても無駄か。
仕方なく真希をくっつけたまま昇降口に入る。歩きにくいことこの上ないが、距離が短いのが救いだった。
「そろそろ離れなさい。一年は向こうでしょ」
そう言って靴箱を指し示すと、うぃー、と案外素直に離れた。
一体なんなんだ。そんなになつかれることをした覚えはないんだけど。
あれか、昨日面倒見ろって言われたからか?
「じゃ、お疲れっす!」
ぴしっと敬礼なのかなんなのか分からないポーズをとってくるりと背中を向け、
「あ、そうだ!」
肩越しに振り向かれた。
「パイセン、兄弟いるっすか?」
聞いてくる内容が唐突すぎて、反応が遅れる。
「いないっすか?」
「……いるけど」
肯定すると、んー、と何か悩むようなそぶりをして、
「どういう子っすか?」
やけに詳しく聞いてくるな?
どういう、と言われても。頭を捻って夕太をどう表現すべきか考える。
「普通に良い子よ。少し変なところがあるけれど」
「んー、パイセンと同じ感じなんすねー」
どこが!? 私は変なところなんてないぞ!!
ツッコミを入れたかったが、珍しく思案気な顔をする真希に言葉を飲み込む。
なんのつもりかさっぱりわからない。もしかして弟も動画のネタにするつもりじゃあるまいな?
流石にないと思いたい。
「弟がどうかした?」
「んー、ちょっとどんな子かなって。悪い子じゃないならいっす、あざっした!」
疑惑の目を向ける前に、真希は手を振って去って行った。
相変わらず嵐みたいな子だ。頼られるのは嫌いじゃないが、ああいうのはちょっと疲れるので勘弁してほしい。
傘立てに濡れた傘を突っ込んで上靴に履き替えると、花梨が抱き着いてきた。
「花梨?」
「まきちゃんばっかりずるい」
頬をぷくっと膨らませて拗ねる我が幼馴染。
クッッッッッッソ可愛くてつい頬が緩んでしまう。
「歩きにくいでしょ」
「だいじょーぶ、教室までだもん」
抗弁する花梨にうっかり笑みが漏れる。
軽く頭を撫でて、少しでも歩きやすくなるように背中に手を置いた。
周囲の視線が刺さるが、今更気にするものでもない。何か言ってくる奴もいないし。
階段を上るのは少し大変だったが、問題なく教室まで着く。
教室に入る前に花梨は離れた。腰回りが少し寂しくなったが、いつまでもくっつくわけにはいかないし仕方ない。
それにしても、と思いながら席につく。
さっきから何か引っかかる。何か気になるんだけど、それが何かわからない。
思い出せないってことは大したことじゃないんだろうとも思うけど、少し気持ち悪い。
悩みながら授業の準備をしていると、
「そういえば、さっきのまきちゃん変だったね~」
「そうね」
ふと花梨から話しかけられ、首肯する。
なんで急に弟のことを聞いてきたんだろう。興味を引く何かがあったかな?
「夕太くんのこと、知ってるみたい~」
言われてはっとした。
兄弟はいるかと聞かれて、弟前提の答え方をしたけど驚いてる様子はなかった。他に兄弟がいるか、とも言われてない。
夕太のことをまるで知ってるみたいな反応。それが引っかかってたんだ。
どこかで私言ったっけ? 別に隠してないけど、その辺で話すような真似もした覚えはない。
ってことは――
「――社長が教えたのかもね」
あの人しか考えられない。
どうせ真希の前で適当に口を滑らせたんだろう。いや、あの人のことだからわざとかもしれないけど。
弟もスカウトしたいのだろうか。もしそうならもっとストレートにやってくる気もするけど、何考えるか分からない人だからなぁ。
夕太次第ではあるけど、お姉ちゃんとしては青春をあのおっさんに浪費させられるのはよろしくないと思う。もっと恋に部活に勉強にと励むのが学生のあるべき姿だろう。
後で釘刺しとこ。勝手に人ん家の家族構成バラしたのは、特に隠してるわけでもないからまぁ許そう。
あんまり険悪になっても、花梨に気を遣わせそうだし。
「夕太くんは最近どぉ~?」
「前と変わらないわよ。少し生意気になってきたくらい」
そっかぁ、と頷く花梨から視線を逸らす。
嘘は言ってない、嘘は。姉に冷たいのも遅く帰ってきたのも、生意気という言葉でまとめられるはずだ。
そういや、花梨って最後に夕太に会ったのいつだっけ。確か春休みの時にうちにきたから、三か月前くらいか。
「背も高くなってたよね~。今はひーちゃんくらい?」
「大体そのくらい。あともう少し伸びそうかな」
「いいなぁ~! わたしに分けてくれないかな~?」
「無理なこと言わない」
分けられるもんなら私が分けるって!
モデルとしてはいいかもしれないけど、身長が高いのは若干コンプレックスを感じる。前世ではそこまで高くなかったはずなんだけどなぁ。
男子の半分より高いせいで、中学では巨女扱いだったし。なので、分けられるなら花梨に分けたい。可愛くなりたい。
背が高くなった花梨、というのもちょっと想像しづらいけど。
「今度、また遊びにいくね!」
にこっと笑う花梨に、複雑な表情を返してしまう。
遊びに来る分には歓迎なんだけど、夕太が中二病炸裂させないかが……春休みの時はほぼ顔合わせたくらいだったし。
まぁ、でも、花梨に隠し事はしたくない。夕太の事がバレたって特に問題もないし。むしろ、相談できるようになっていいかもしれない。
「うん、待ってる」
いつ来てもいいよ、という意味を込めて言う。
花梨ならうちの家族は誰も文句言わない。それこそいつ来ても歓迎するだろう。
「も~、おかーさんの手伝いがなかったら今日行くのにな~」
花梨が唇を尖らせる。
「そんなに忙しいの?」
何気なく尋ねると、がっつり首を縦に振られた。
「カラー原稿とか、特典とかあって、夏に向けての企画もあるんだって~。ベテランのアシさんがデビュー決まって抜けたのもおっきいかも~」
「え、そうなの? 工藤さん?」
工藤さん、とは私が小学生の頃からおば様のアシスタントをしている女性だ。
「うん、それと白井さんも」
「へー、おめでとうって言っておいて」
白井さんは中学からだったかな。こっちは男性。二人ともベテランで、おば様とは阿吽の呼吸で動ける実力者だ。
新しい人を雇うにしろ、あの二人みたいには行かないだろう。夏前なのに修羅場がくるの早いなと思ってたら、そういうことだったとは。
「うん! それで、だから忙しくって遊びに行けないの~……」
「仕方ないわ。何かあったら言ってね、手伝うから」
「ありがと~! さっそくお願いすることになりそ~」
苦笑して頷き、鞄からノートを取り出す。
手伝うとしたら、夕太も連れて行ってみようか。あの子と一緒に手伝いに行ったのは、去年の年末だったはず。年末年始も娯楽産業のかき入れ時だ。
そうすると、もう半年くらい言ってない計算になる。もうそんなになるのか……季節が過ぎるのって早いなぁ。
ここ最近が頭の痛いイベント尽くしだったので、特にそう思う。春史くんが転校してきてからもうすぐ二か月、心休まる暇はあんまりない。
もうそろそろ落ち着きたくはある。いまいちふわふわして足元がおぼつかないのは、私が割り切れてないせいなのは分かってる。
春史くんとアルフォンスは、同じなのか違うのか。
いや違うんだよ、別人なんだよそれは分かってる。
でもこう、アルフォンスと同じ笑顔をされると私の中でどこに置けばいいのかわからなくなる。
いい加減、なんとかしなくちゃ。
夕太を怒らせたのも、元を辿ればそこが原因だし。
分かってるんだけど、じゃあどうするんだよという問いに答えが出せない。
頬杖をついて窓の外を眺める。
とりあえず、おば様の手伝いに行くか聞こう。思考を放棄して、姉弟の会話に予定を追加した。
真希の時もそうだったし、なるようになるさ。
実に他人任せなことを考えながら、HRを待った。
春史くんを入れたお昼もすっかり日常と化して、何事もなく放課後が訪れる。
私は未だに少し気にしてしまうんだけど、ラルフも花梨もすっかり受け入れちゃって自然体で接している。すごい。
あの二人は元からぎこちなさとかないタイプと言われたら何も言えないけど。
春史くんもすっかり馴染んでしまって、適応力高いなぁと思う。
私だったら、こんなにすぐ新しい学校に馴染めるだろうか。自信がない。
傘に当たる雨音を聞きながら、そんなことを考える。
今日は何もないので、寄り道せず真っ直ぐ帰宅だ。姉弟の時間を作らねばならない。
ほんと、モデルの仕事がない日はただの帰宅部だ。花梨はおば様の手伝い、ラルフは部活、春史くんは多分図書室、とそれぞれやることがあるというのに。
……私も何か、やること作ろうかなぁ。
いやいや、そんな暇があったら弟と遊んであげないと。家族の時間を大切に!
家に戻ると、鍵がかかっていた。
てことは、まだ夕太は帰ってきていない。
誰もいない家は久しぶりだ。なんだかんだとお母さんがパートから帰ってくる方が早かったから。
玄関を閉めると、耳が痛くなるような静けさ。
靴を脱いで部屋に入る。家の中に人の気配がしないのが、少し怖い。
鞄を机において、適当な部屋着に着替える。ゲーム機をもってリビングに行けば、足元から冷たい空気が上がってくるような気がした。
誰もいない。空気が冷えている。
今日はそんなに寒かったっけ。外にいたときはそうでもなかったんだけど。
電気をつけてソファに座る。明かりがあるとほっとした。
ゲーム機の電源を付ける。夕太と遊ぶ前に少しやってカンを取り戻しておかないと、また情けないことになりそうだと思って持ってきたのだ。
一人ぼっちのリビングにゲームの音だけが響く。
一区切りついたところでソファに体をうずめて休憩する。
ヤバイ、すごい寂しい。
こんな風に一人ゲームで時間を潰すなんてどのくらいぶりだ? 高校に入ってからは一回もなかったような気がする。
家に帰ると、いつも夕太がいた。
玄関先まで出迎えてくれることがほとんどで、それを当たり前のように受け取っていた。
それはあの子が中二病になってからも変わらなかったし、これからずっとそうなのだと思っていた。
でも、考えてみればそんなのおかしい。
夕太も中学二年になったのだ。色々とやりたいこともあるだろうし、どの高校を受験するかとか自分の事で手一杯になってくる。
前みたいにいつもいてくれるとは限らないのだ。
唐突にそう理解して、寂しくなった。
「夕太ぁ……おねーちゃん寂しいよぉ……」
呟いてみても、誰もいないリビングに虚しく響くばかり。
もしかして、と思う。
もしかして、前世の夕太――ユーリも、寂しかったのかな。
あの広い侯爵家で、父も母も姉も自分に関心を示さず、一人ぼっちの気分を味わっていたのだろうか。
あぁ、本当に悪いことをした。挙句の果てには、家族の罪を背負わされて。
せめて彼だけでも連座を免れてくれていたら、と思うが難しいだろう。
なんてことをしたんだろう。改めてそう思う。
過去は変えられない。ならせめて、これからをなんとかしなくちゃ。
夕太も、寂しかっただろうか。
だって、あの子が帰ってくるときはいつもこんなふうに誰もいなかっただろうから。
お母さんも毎日パートいってるわけじゃないから、きっとそうじゃないと自分に言い聞かせる。
でも、週の半分でもこんな状態だとしたら寂しすぎる。
だから、いつも出迎えてくれていたのだろうか。
それなのに、最近の私はおざなりすぎたんじゃなかろうか。
考えるとなんだか辛くなってきて、ソファに横になる。
もっと話を聞いてあげるべきだったな。余裕のない時もあるけど、それでも少し話をするくらいできると思う。
前世でした後悔を、今世ではしないようにするって決めたのに。
前世と同じような後悔を、またやっちゃってる。
ほんと、私って成長しないなぁ。こんなんじゃ、またアルフォンスがどっか行っちゃうかもしれない。
あの時みたいに、笑っていなくなられたら、今度こそ――
「――ちゃん、姉ちゃん!」
体を揺すられる感覚で目を覚ます。
「……ふぇ?」
「晩飯だよ。そろそろ起きろって」
寝ぼけ眼で体を起こせば、呆れ顔の夕太が映った。
あれ? 私、いつの間に眠ってたの……?
「夕太……?」
「寝ぼけてないで顔洗って来いよ。それとも飯食べずに寝るか?」
雑な口調だけど、中二台詞じゃない。
少し前の夕太そのものの態度に、こみあげてくるものがあった。
「夕太!」
「うぉっ!?」
がばっと抱き着く。
慌てる弟に構わず、ぎゅっと抱きしめた。
「な、なんだよ姉ちゃん!?」
抗議するような声色に、腕の力を強くして応える。
「ごめんね」
この気持ちがどうか伝わりますように。
そう願って、言葉を探した。
「ごめんね、寂しかったね。お姉ちゃん、自分の事でいっぱいいっぱいでごめんね」
「は? え? なんのこと?」
首を傾げる夕太の姿に、涙が込みあがってくる。
男の子だもんね、平気なんだよね。
「ごめんね、これからもっとちゃんと夕太の話聞くからね」
「まず今オレの話を聞いてくれ!」
夕太に力づくで引っぺがされ、ソファに押し付けられる。
しまった、急だったかもしれない。そうだよね、こういうのはもっと落ち着いてやるべきだよね。
ごめんね、お姉ちゃんちょっと感極まっちゃって。
「何言ってるかわけわかんねぇけど、別に寂しくねぇから。頭湧いたこと言ってないで顔洗って目を覚ましてこい、OK?」
有無を言わせぬ様子にこくこく頷くと、手を引っ張って脱衣所まで連れていかれた。
「寝ぼけんのも大概にしろよ。ったく、姉ちゃんは変なとこ危なっかしいんだよ」
ぶつぶつ文句を言いながら去る弟の背中を見届けてから、顔を洗った。
さっぱりすると同時にどんどん頭がはっきりしてきて、さっきまでの醜態を記憶から消したくて仕方がなくなる。
やっちまった!! くそう、寝る前に変なこと考えてたからだ!!
仕方ないのよ、ヒルダはあれが半分トラウマになってるんだから! くぁーっ!
寝ぼけてたってことで許してくれるかな。許してくれそうだよね、あの様子だと。
でも、やったことは消えないわけで。
あぁー、違うんだー! あぁいうこと言おうとは思ってたけど、タイミングとかやり方とか全然違うんだよー!!
ひとしきり悶え苦しんでから、頬を一発叩いて気を取り直す。
よし、何もなかった! ことにしよう!
顔をタオルで拭いて、ダイニングに向かう。
夕太は既に箸を伸ばしていて、私に気づくと目を逸らした。
うん、わかる。わかるけどあんたももうちょい取り繕いなさい。
何でもない顔をして席につき、食事をとる。
もちろん、その後も姉弟の会話などできるわけもなく。
私の目論見は全てぶち壊れ、泣きながら眠りにつくしかなかった。
翌日、いつも通りに朝の支度を済ませ、花梨を迎えに行く。
『いつもの朝の支度』に護堂さんへの返信が入ってきたのは如何ともしがたいところだが、まぁやむを得ない。
今日は真希の襲撃もなく、無事に教室につき、
「でさー、それがほんとに美形のイケメンなんだって!」
がらり、と扉を開けた瞬間に注目が集まった。
さっきまで何か話してた子達も口をつぐんでこちらを見ている。
あぁ、また何か起こったんだな、と何も言われずとも理解した。
榎本さんが近づいてくるのを横目に、今度はなんだろうと遠い目をしてしまう。
「あのー、白峰さん」
苦笑いを浮かべる榎本さんに視線を移し、続きを促す。
「えっと、ちょっと聞きたいことがありまして……」
申し訳なさそうな笑顔コンテストを開いたら、多分榎本さんが一位を取ると思う。
「まきちゃんに彼氏ができたの、知ってる?」
その時の何とも言えない気分に最も近いのは、お母さんからお父さんが昔はモテたんだと聞いた時のアレだと思う。
知らんわ、と声を大にして言いたかった。




