番外編その2「SHUFFLE!」
我が名はユーリ・シャミーニ。由緒ある魔界貴族“シャミーニ侯爵家”の次期当主だ。
氷の異能を持ち魔界“第九階層”を統べる高貴なる血筋であるオレがどうして地上などという穢れた場所にいるのか。
それについては長くなるので割愛するが、オレと姉は記憶を奪われ追いやられた。
我が姉ヒルダ・シャミーニ。“シャミーニ侯爵家”の長女であり、魔界で最も美しい姫。オレと共に記憶を奪われ地上に堕とされた人。
三年前に一時的に記憶を取り戻すも、再び失ってしまった。オレは姉の目覚めにより記憶が刺激され、中学二年になると同時に全てを思い出したのだ。
……いや、これは語弊があるな。オレもまだ全てを思い出してはいない。が、おそらく姉は三年前に確かに全ての記憶を取り戻したはずなのだ。
一時期、姉はまるで別人のような振る舞いを見せた。
それまでもプライドが高く責任感の強い性格だったが、一応は普通の範疇に収まっていたはずだ。それが、まるで小説か漫画に出てくる貴族の如き振る舞いを見せるようになった。
口調が時々妙に堅苦しくなり、当然のように人を見下す視線をすることも増えた。当時のオレはそれが何だったのか分からなかったが……あれは記憶を取り戻したのだ。
だって、姉ちゃんは部屋にこもって呟いていたんだ。
『私は誰? ヒルダ・シャミーニ? ……白峰昼子?』って。
そしてオレに言った。
『ユーリ、勉強はちゃんと進んでる? 家庭教師は厳しい?』って。
しまった、という感じで口を塞いでいたのを覚えている。
あの時は、姉ちゃんが見知らぬ誰かになったみたいで怖かった。でも、なんだか見覚えのある人にも見えたんだ。
そんな自分が怖かった。頭がおかしくなったんじゃないかって。
でも、もし。
オレがユーリ・シャミーニで、姉ちゃんがヒルダ・シャミーニだとしたら。
そんな名前の似てる別の誰かだとしたら、全部に説明がつくような気がした。
中学二年になって、そう閃いたんだ。
だからオレはユーリ・シャミーニだし、姉ちゃんはヒルダ・シャミーニなのだ。
他の誰に頭がおかしいと思われても、オレと姉ちゃんだけは知っている。姉弟だけの秘密ってやつだ。
姉弟の絆は永遠だ。父さんも母さんも変な目でオレを見るけれど、姉ちゃんだけは前と変わらず微笑みかけてくれる。
それで良かった。
適当に話をして、たまに一緒にテレビを見たりゲームをしたり。試験前には勉強を見てもらって、小町さんちが本当にヤバい時は一緒に手伝いに行く。
そんな日々がずっと続くと思っていた。
高校に入ってモデルになったのは、まぁ仕方ない。姉ちゃんは美人だし、いつも一緒にいる小町さんは可愛いし。スカウトした奴は目が利く。
少しずつ一緒にいる時間がなくなっていったけど、その分ギターを練習し始めた。上手くなって聞かせてやれば、『姉ちゃんの知らないオレ』に驚いて感激するだろう。
その時の姉ちゃんの反応が楽しみで、音楽の先生に習いながら腕を磨いている。今年の文化祭あたりで演奏してみせるのもいいかな。
幸せな時間は崩れない。Happily ever afterの魔法は消え去らない。
そう、思っていた。
最近の姉ちゃんを見るまでは。
なんだかおかしい。
休みの日に用事で出かけることが増えた。モデルの仕事もないのに。
妙に機嫌のいい日があったり、逆に落ち込んでる日があったり。いつもの姉ちゃんらしくない。おかしい。
それが確信に変わったのは、あの大雨の日だ。
梅雨らしい雨の合唱が響くあの日、姉ちゃんはひどく遅く帰ってきた。母さんが電話をしようか迷っていたくらいには。
雨粒を滴らせた姉ちゃんは家に帰るなり部屋に駆け込んでいった。気になって後をつけてみれば、部屋の中から尻もちをつくような音とベッドに倒れこむ音。
ぜっっっっっっっっっったいに何かあった。間違いない。
それからオレは独自に調査を開始した。
しかし、ろくな情報は集まらない。校舎を外から見るだけでは何も分からないし、知り合いも小町さん以外いない……どうしようもなかった。
そうして鬱屈していると、ギターの弦が切れた。雑に弾きすぎたかもしれない。
売ってる店を聞こうとして音楽室を訪れれば、吹奏楽部の連中に絡まれてあれよあれよと流され日曜日に買いに行くことになった。
これが、俺の今後を決定づけた。
日曜日。先生の車で街に行き、御用達だという楽器屋で弦を見繕って交換の仕方をちゃんと教えてもらう。
他の連中が話しながらなんかの楽器を見てる中、絡まれたら面倒だと思って外に出た。
梅雨の真っただ中だというのに晴れた空を見上げ、
姉ちゃんがいた。
向かいのファストフード店の二階。
窓際の席に座る姉ちゃんと、誰だか知らない年上の男。
他人に向けるには気安い表情の姉ちゃんと、明らかに姉に下心がありそうな顔の男。
心臓が跳ねた。
――あの男は誰だ!?
オレの視線に気づいたのか、姉ちゃんがこちらに顔を向ける。
慌てて楽器屋に引き戻り、ばくばくと脈打つ心臓を抑えつけた。
「ユータくん、どうしたの?」
「……なんでもない」
話しかけてくるバカを無視し、呼吸を整える。
なんで逃げたのか分からない。普通に乗り込んでいけばいいだけだったはずだ。
でも、姉ちゃんの表情が、男の顔が、デートをしているんじゃないかという疑念を払いきることができずに逃げてしまった。
絶対に許さない。
どこの誰ともしらねぇ奴が、オレの許可もなく姉ちゃんとデートなんて。
“永遠の炎”に焼かれて地獄の苦しみを味わうといい!!
腹の中の怒りを力に変え、これからの計画を練る。
こうなっては姉ちゃんもまた共犯だ。オレに何も言わずにこんなところでデートしているんだから。
まずは調査だ。あの男は何なのか、最近の姉ちゃんの不審な動きと関係があるのか。それと、他にも姉ちゃんを狙う不届き者がいないか。
これまでみたいにチンケなやり方じゃ何もわからない。もっと踏み込む必要がある。
「ユータくん、汗凄いよ? 今日そんな暑かった?」
ノーテンキに話しかけてくるバカがウザくて軽く手を振る。
「いい、近寄るな。オレは今それどころじゃ――」
その瞬間、閃くものがあった。
今話しかけてきているバカは、オレのクラスメイトで隣の席の女だ。何かと話しかけてくるウザったい奴だが、確か前こんなことを言っていた。
『ユータくんのお姉さんと同じ高校に通う兄がいる』と。
脳髄に電流が走る。
僥倖、兆候、奇跡の一手。その足掛かりとなる一打。
勝利に至る為の道筋が今――見えた。
「――おい、美岬」
「ひゃぁいっ!?」
美岬の手を握り、真っ直ぐ目を見つめる。確か、人にものを頼むときはこうするといいとどこかで聞いた。
なんか変な声をあげられたが無視する。
「頼みがあるんだ、聞いてくれ。お前にしかできないことなんだ」
「は、はいっ!? なにかなっ!? なんでも言って!!」
こくこくと頷く美岬にニヤリと口元が歪んでしまう。
これで目的に一歩近づいた。後は目論見通りに事が運ぶか確認するだけだ。
「ありがとう……お前だけだ、オレを助けられるのは」
「ひぃぃわぁぁぁっ!?」
耳まで真っ赤になった美岬がかくんかくんと首を揺らす。
変な芸を覚えてんな。かくし芸大会の練習か何かか? 今それをやる意味が分からないが、まぁどうでもいいか。
とにかく納得して協力してくれることになった、それが大事だ。
こっそりとほくそ笑みながら、ファストフード店の二階を睨む。
覚悟してろよ、姉ちゃん、誰か知らない男。
オレを舐めてると痛い目見ることを教えてやるぜ。
拳を握りしめようとして、美岬の手を握りしめてしまった。
奇声を上げて気絶した美岬を抱えて先生の車に放り込むのは、意外と重労働だった。
翌日、月曜日。
今日も姉はおかしい。
朝飯を食う時は何もなかったはずだが、妙に肩を落としながら靴を履いていた。
思わずその背中に声をかける。
「今日はちゃんと帰ってくるんだろうな」
「んー、事務所寄るから少し遅くなるかも」
「ふん、“議会”の連中に何の話があるんだ?」
「ちょっとね」
ちょっとってなんだ、ちょっとって。
「またそれか」
「帰ってきたら久しぶりに遊ぼうか。モンハンやる? 新しいの買った?」
小学生でもあるまいし、それで機嫌が直るものか。てか、別にへそを曲げてるわけでもないし。
やっぱりおかしい。作戦は決行に移すしかない。
適当に姉を追い払い、部屋に戻る。
スマホを取り出してチャットを確認し、美岬に電話する。
「おぅ、例のブツはあるか?」
『うん、大丈夫。ちゃんと借りたよ』
「ならいい。迎えに行く」
『いいいぃぃっ!? い、いいよ! ユータくんちからウチって別に通学路でもなんでもないじゃん!』
「バカかお前。どこかに失くしたり落としたり奪われたらどうする。オレが(ブツを)守らなくてどーすんだ」
引きつるような甲高い悲鳴が聞こえる。
足の小指でも打ったのか?
『う、奪われるってのは、ないんじゃないかな……?』
「お前見てると不安になんだよ。いい、分かった、じゃ合流地点を指示しろ。なるべく近く」
『じゃ、じゃあ、三丁目の角のコンビニ……』
「デカい十字路の? 高校に行く道と被るとこ?」
『うん、そう、そこ』
「分かった。お前んちってそこから近いの?」
『近い、ってほどじゃないけど。ユータくんちからと同じくらいかな』
「なら今すぐ出ろ。俺もすぐ出る」
『えええぇぇぇっ!? すぐぅ!?』
「すぐだ。じゃあな」
『ま、待っ――』
電話を切って、鞄を掴んで肩にかけ、部屋を出る。
適当に行ってきますと言って靴をつっかけて玄関から出る。
姉ちゃんはもう行ってしまったみたいだ。これから先のことを知られない為には実に好都合。出発を遅らせた甲斐があった。
エレベーターのボタンを押すのも面倒で、階段を駆け下りる。
雨の音がする。
口元が歪む。
氷の侯爵家次期当主の出陣には、実に良い日和だ。
ざあざあと耳を圧する音の向こうには、無音の空間が広がっている。
全てを飲み込む雨が全てを押し流し、オレの作戦を手助けしてくれるだろう。
雨にけぶる視界に映るのは、きっと存在しない亡霊だ。
マンションの玄関から出て、傘を差す。
目的のコンビニは、通学路の途中を折れ曲がって進めばすぐだ。
そういえば、とふと思う。
あいつ、オレんちの場所って知ってたっけ?
教えたような覚えはないが、どこかで言ってたかもしれない。まぁいいや、そんなことは重要なことじゃない。
ぴちゃりぴちゃりと雨を弾く音を響かせ、靴で地面を蹴った。
コンビニに先に着いたのはオレの方だった。
特に中に入る用事もなく、適当に突っ立って待っていると美岬がきた。
「ご、ごめんなさい! けっこー待たせちゃった!?」
慌てて走ってきたのか、スカートの端が濡れている。
相変わらずアホだ。オレはすぐ出ろとは言ったが、走ってこいとは言ってない。
「別に。それよりブツは?」
「あぁうん、これ」
どーでもいいことは置いといて、重要なことを確認する。
鞄から取り出したのは、間違いなく姉ちゃんの高校の制服だった。しかも男物。
くっくっく、これで計画が実行できる。
念の為周囲を確認し、こちらを気にしている奴がいないか探る。問題はない。
サイズを確認すれば、多少大きいが着れないこともない。順調だ。
「良くやった。じゃ、後は予定通りに」
「うん。誰かに見られたら兄さんのって言えばいいんだよね」
「あぁ、それなら怪しまれない。高校は近くにコンビニあったよな?」
「うん、あるよ」
「なら問題ない。計画通りに行く」
「はいっ」
真面目な顔で頷く美岬の顔を改めてじっくり見る。
美岬――出雲 美岬。同じクラスで隣の席。綺麗に編み込んだ一本三つ編みに、やや丸っこい顔つきにタレ目の犬みたいな女。クラス替え直後に名前のことでからかわれていたのを助けて以来、妙に懐いている。
まぁ、好みはあるだろうが可愛い方だと思う。体つきも貧相じゃないし発育は悪くない方だろう。
しかし、姉ちゃんに比べるとあらゆる全てが劣る。
いや、姉ちゃんと比べること自体が酷なのは分かってる。分かっているが、生まれた時からずっと一緒なのだ。どうしても頭には姉ちゃんのイメージが付きまとう。
オレが女を見る基準は、姉ちゃんと比べてどうか、だ。
小町さんは流石にその基準から見ても可愛いと思うが、美岬は遠く及ばない。
美岬はいい奴だ。都合が良くて動かしやすい。
だが、それ以上に見るのは難しい。
せっかく計画の一端を担っているのだ、少し見直してみようと思ったが。
出来そうもないことは、しないほうがいいと悟った。
「? なに?」
首を傾げる美岬に、軽く首を振る。
「いや、なんでも。行こうぜ」
「うん!」
一歩踏み出すと、嬉しそうに隣に並んできた。
犬に懐かれるっていうのはこういう気分なんだろうか。少しウザったいがそこまで悪い気もしない。
それより、これで姉ちゃんの調査が進む。
すっとろい美岬に歩幅を合わせながら、放課後のことをひたすら考えていた。
それが周囲にどう見られていたのかを知ったのは、教室に入ってからだった。
「よぉ白峰! お熱い登校だったじゃねぇの?」
席に着くなりニヤニヤしながら話しかけてきたのは……誰だっけ?
以前美岬の名前をからかっていたヤローだ。
『美』に『岬』だから『ミミサキ』とか『ミミちゃん』とか言ってたバカ。
バカっぷりを指摘したら喧嘩売ってきたんで返り討ちにしてやった。それからというのも、事あるごとにちょっかいかけてきて最高にウザい奴だ。
美岬の100万倍ウザい。
「は?」
「二人並んで登校たぁ、これもう付き合ってんじゃねぇの~?」
手下を引き連れ、バカがニヤニヤと嘲笑してくる。
面倒くせぇ。
なんでバカっつーのはくそくだらねぇことで勝てねぇ喧嘩売るんかな。
「脳みそも“役立たず”になったか、“愚者”」
「ブタじゃねぇ! バカにしてんのか!?」
ちょっと煽っただけで顔を真っ赤にして怒鳴りつけてくる。
大体、ブタはブタでも“役無し”の方のブタだ。動物の豚は頭いいんだぞ。
これがバカじゃなくて何だと言うのか。
「してるんじゃなくてバカなんだよ。分かったら失せろ、鬱陶しい」
「なんだその態度! せっかく人がシスコンが治ったのを祝ってやろうとしたのによぉ!」
瞬間、バカの頬を掴んで口を閉じさせた。
力を込めると瞳が怯えで揺れる。
「今日は機嫌がいいから見逃してやる。勝てない喧嘩を売るな、面倒なんだよバカが」
離してやると、手下と一緒に這う這うの体で逃げて行った。
ったく、どうしてバカってのは彼我の戦力すらも見極められねぇのか。
ボコボコにしてやったはずだが、手心を加えすぎたかもしれない。
「機嫌、いいの?」
美岬が小声で聞いてくる。
当たり前だ。今日から本格的に姉ちゃんのことが調査できるんだ。
喜ばしきハレの日と言っていい。なので頷いた。
「ああ」
「そっか、そうなんだ」
何故か嬉しそうに笑って、美岬が席についた。
時々こいつは良く分からないことで嬉しがる。意味不明だ。まぁ、いつものことなので気にもならないが。
鞄を机の横にひっかけて教科書を取り出す暇もあればこそ、すぐに次の連中が顔を出してきた。
「ねぇねぇ、白峰くん」
クラスメイトの……誰か忘れた。女だ。
それが数人で徒党を組んで囲んできた。
「何?」
「今朝さぁ、出雲と一緒だったのってどうしたの?」
こいつらもその件か。鬱陶しい。
まぁ、バカと違ってちゃんと聞いてきたので答えてやろう。
姉ちゃんもむやみに喧嘩するなって言ってたし。
「別に。用事があって一緒に来ただけ」
「用事ってなに?」
「話す必要あんの?」
じろっと睨むと、分かりやすく怯んで口をつぐむ。
ったく、ビビるくらいなら話しかけんなっての。それくらいならどう扱っても懲りずに来る美岬の方がまだマシだ。
だが、今日ばかりは少し違ったらしい。
囲んできた女の一人が、覚悟を決めたように聞いてきた。
「じゃあ、あの、あいつらが言ってたみたいに、付き合ってるとか……?」
「それはない」
即答した。
オレの基準において美岬は女扱いするのが難しいから。
周囲の女たちは急に胸を撫でおろし、やたらと明るくなる。
「そっかー、そっか、そうだよねー!」
「うんうん、私もそうじゃないかって思ってた!」
「大体、釣り合わないよね! 白峰くんと出雲じゃさ!」
ピーチクパーチクとわめきだす。小鳥が囀るくらいなら可愛げがあるが、ここまで数がそろうと鶏の鳴き声だ。
あーうるせー。早くどっかいかねーかなこいつら。
「あ、ね、じゃあさ! あたしもユータくんって呼んで――」
「――あ?」
めちゃくちゃ低い声が出た。
思わず漏れたんで別に意図してはいなかったが、よっぽど腹に据えかねていたらしい。
なんでてめーらに美岬と同じ呼び方を許してやらなきゃいけねーんだよ。
一体いつお前らがオレに都合の良いことをした? オレの役に立った?
便利でもねぇ、姉ちゃんにも遠く及ばねぇ。そんな奴らになんでそんな馴れ馴れしい呼ばれ方をされなきゃいけねぇんだ。
クソみたいにウザってぇ。失せろ。
「ご、ごめん……」
「あたしら、その、別にそんなつもりは……」
そんな、ってどんなつもりだよ。
「HR始まんぞ。席に戻れ」
「はいっ!」
全員こくこくと頷いて、ぱっと蜘蛛の子を散らすように去って行った。
ようやくうるさいのが消えた。
遅ればせながら一時間目の準備を、
「ユータくん」
呼ばれて振り向けば、美岬がじっと見つめていた。
次はお前か。本当に鬱陶しい。
「計画、上手くいくといいね」
「あぁ」
適当に頷いて準備を済ませる。
「そしたら、いつものユータくんに戻ってね」
「あ?」
別に、オレは普段通りのはずだが?
首を傾げて見やれば、美岬が変な微笑みを浮かべていた。
「ピリピリしてないユータくんの方が、私は好きだな」
「……だから?」
ピリピリしてる? オレが? ……そうだろうか。
そうだとして、美岬が好きか嫌いかがどう関係するのかが分からない。てか、どーでもいい。
そう返したら、美岬は微笑んだ。
「上手くいくといいねって、それだけ」
……こいつはたまに良く分からなくなる。
早く放課後にならねーかな。そしたら、きっとすっきりする。
授業中、早く終われとずっと念じ続けた。
ようやくやってきた放課後。
美岬と目配せして教室を出て、二人で姉ちゃんの高校に向かう。
途中のコンビニに寄って、高校の制服に着替えた。コンビニのトイレは簡易着替え台があるから非常に助かっている。
施設を借りておいてただ出ていくのもなんだからチロルチョコを買い、美岬にやった。
「い、いいの!?」
「おぅ、こいつの礼だ」
ただのチロルチョコなのにやたら嬉しそうに笑う。うーん、なんて安い奴だ。
そういうところも犬っぽい。
「で、どうする? お前は帰ってもいいぞ」
「ううん、どうだったか知りたいし、待ってる。そこの公園にいるから、何かあったら知らせてね?」
スマホを見せて、心配げに見上げてくる。
……うぅん、いや、雨の公園に一人放置ってのもどうなのか……かといって連れていくわけにもいかない。
近くにカフェか何かあればそこで待たせるんだが、そういう場所もない。
どうしようか数秒だけ考えて、
「いや、やっぱ帰れ。何があったかはちゃんと知らせるから」
「……うん、わかった」
渋々納得しました、という顔に、
「鞄、持って行ってくれ。帰りに取りに行く」
鞄を無理やり渡した。
中学の鞄を持ってうろつくのは避けたいところだし、ちょうどいい。
「うん!」
美岬が嬉しそうに頷く。
仕事を任されると喜ぶか……犬だな、本物の。
「じゃ、鞄頼んだぞ」
「はいっ! 頑張ってね!」
美岬に手を振って別れ、高校の敷地に潜入する。
ここから先は堂々としていなければならない。変にきょろきょろしたり引け腰になったりしたらすぐバレる。
ここの生徒ですよと何食わぬ顔をして散策するのだ。
覚悟を決めて踏み出せば、意外とバレなかった。
誰もこちらを気にしていない。雨と傘のおかげで、顔が判別できないのもあるだろう。
傘を閉じて、校舎の中に入る。ここからが勝負だ。
借りておいた上靴を出し、自分の靴をビニール袋に包んで懐に隠す。
……しまった、鞄持ってくるんだった。明日はそうしよう。てか、そういやオレあいつの家知らないんだけど……帰りに電話すりゃいいか。
一瞬の動揺を覆い隠し、なるべく堂々と歩き回る。
怪しまれている様子はなかった。
よし、問題ない。なら、調査を始めよう。
適当にその辺の人を捕まえて、姉ちゃんのことを聞く。
するとまぁ、出るわ出るわ。流石姉ちゃん、高校でも有名人らしい。
「白峰さんのこと? そういえば、この前の『まきちゃん』の動画のアレって、ただ送ってもらっただけなんですって」
「そうだったんですか」
「こっそりすごい騒ぎになってたんだけどね。まー、やっぱり出来すぎよねー、護堂さんとなんてさ」
「そうですね」
「ま、本人には言わないでね。けっこー気にしてるみたいだから」
「はい、教えてもらってありがとうございます」
「いえいえー、どういたしましてー……こんな美形な子、いたっけ……?」
上級生のお姉さんと手を振って別れる。
大体の事情は分かってきた。小町さんにクソバカラルフは知ってたけど、護堂さんとかいうモデルと暮石ってやつは知らない。
ここ最近の姉ちゃんの不調は、間違いなくこいつら二人が絡んでる。聞いた話からしてもそのはずだ。
だが、それ以上のことは噂話からじゃわからない。
踏み込む必要がある。でも、どうする?
……姉ちゃんに近い人間には近寄れない。バレるリスクが跳ね上がるからだ。
だとすれば、誰がいる? 姉ちゃんの事情を知っていそうで、そこまで近くない奴。できれば二年じゃなくて一年か三年がいい。
選択肢は限られている。とすると――
「やっぱり、あいつしかいないか」
呟いて、“そいつ”がいる教室に向かう。
さっきからずっと名前が出ている奴。最近増えた姉ちゃんの知り合いの一人。
そしておそらく、いろんな情報を握っている奴。
目的の教室のドアを開け、手近な人に聞く。
「ごめん、『まきちゃん』っている?」
「いや、今日はいないよ」
「そうですか……」
礼を言って、顎に手を当てて思案する。
当てが外れてしまった。いないんじゃ話の聞きようがない。
いっそ二年の階に行ってこっそり情報を集めるか……いや、それはリスクが高すぎる。万が一姉ちゃんと会ったら一発でアウトだ。
眉を寄せて考え込んでいると、
「あんた、まきちゃんに何の用?」
かけられた声に振り向く。
そこにいたのは、ポニーテールの勝気そうな女だった。ピンの色からして一年。
不審げな目つきを隠そうともせずに睨みつけている。
「……君は?」
「聞いてるのはあたしなんだけど?」
怯むことも動じることもなく、真っ直ぐ言い返してくる。
それがなんだか面白くて、つい口元が緩んでしまった。まるで小さい姉ちゃんみたいだ。
「ちょっと! なに笑ってんの!?」
「あぁいや、別に。気にしないで」
「別にってなによ!? あんた、どこのクラスなの!?」
今にも噛みつきそうな表情で距離を詰めてくる。
うーん、訂正。姉ちゃんはもっとクールだ。この子は落ち着きが足りない。
「あー、えと、まきちゃんの友達?」
目を見つめて尋ねる。
人にものを聞くときは目を合わせるのが礼儀だと聞いた。あと、こうすると嘘をついてるかどうかわかりやすくて便利。
「そう! ……です、けど……」
急に語尾が弱くなる。
突然の変化に首を傾げていると、
「……なにこいつ、顔面偏差値たっか……」
小さく呟く声が聞こえた。
更に訂正、姉ちゃんには全然似てない。
うちの姉はイケメンとかそういうのには一切関心を示さない。こんな風に秒でほだされたりしない。
まぁ、分かりやすくていい。
にっこりと笑いかけて、本題に入る。
「よければ、ちょっと話さない? 聞きたいことがあるんだ」
「へっ!? あっ、あたしにっ!?」
「うん、そう。まきちゃんの友達でしょ?」
こくこくと頷くポニーテール娘に営業全開のスマイルを浴びせ、ゆっくりと歩き出す。
「ここじゃなんだし、静かなところ行こっか」
「う、うん……じゃなくて!! あんた、まきに何の用なのよ!!」
「あぁ、うん、それも話そうか。ついてきて」
「はい……いや、勝手に決めないで!」
きゃんきゃん怒鳴る声を無視して歩き出すと、小走りに後ろをついてくる。
扱いやすいのは悪くない。煩いのが玉に瑕だけど。
あーだこーだとこちらを探ろうとするのをかわして、必要な情報を引っ張り出す。余りの扱いやすさに少し不安になった。
こいつ、本当に年上か?
ある意味、美岬より心配になる奴だ。
でもおかげで、十分な情報を手に入れた。
明日『まきちゃん』に会わせる約束をとりつけることもできたし、首尾は上々だ。
少しだけ耳鳴りがするのは、代償と思っておこう。
さて、明日が楽しみだ。
『まきちゃん』がオレの期待通りの人間であることを祈りながら、美岬に電話をかけた。
これが、今後長きにわたるオレと真希の『白峰昼子情報交換会』の最初の一歩であった。
次回からはまた昼子視点に戻ります