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第十九話

――エッジと初めて逢ったのは、14の冬だった。


 翌年にデビュタントを控え、詰め込み教育も山場を迎えて自由時間など五分もない生活が続いていた。

 貴族の子女にもかかわらず、囚人のような暮らしだったのを覚えている。睡眠以外は勉強とダンスとマナーレッスンで染め上げられた。

 同じ屋敷に暮らしているのに、弟に半年近く会っていない。食事の時間は一緒だが、同時にマナーレッスンの時間でもあったので気にする余裕さえなかった。


 そんな状態だったからか、私は酷く愛想のない子供になってしまった。必要なら媚びた笑みを浮かべることはできるが、普段は全くの無表情。そのせいか、使用人や屋敷の護衛騎士達からは恐れられていた。

 当時は、心を殺さなければやっていけなかったのだ。王妃教育かよと突っ込みたくなるような授業を受けさせられ、抜き打ちで行われるテストに合格しなければ鞭で叩かれた。


「将来、貴女は王妃にも匹敵する存在になるのですよ」


 ……母や家庭教師から何度も囁かれた呪いの言葉。

 野心だけは超一流で、あちこちに根を張って国を支配しようとしていた両親。その道具として十分に効果を発揮するよう磨かれる娘。


 でも、それが私にとっては当然だった。

 その当然の中で、心の癒しとしてリリィは常に一緒にいた。


 父も母も歓迎してはくれなかったが、一度リリィを引き離そうとされた時に食事も睡眠も断って断固として抵抗した甲斐あって、リリィに関してだけは折れてくれた。

 ……単純に、何も食べられないし眠れなかっただけなんだけど。

 両親の間ではそういうことになっていたので、私も訂正せずにおいた。


 そんな偏屈(?)な私の護衛騎士選びは、それはそれは難航したらしい。なにせ、白蛇を連れていても驚かないというのが第一条件だ。

 その上で、リリィにアレコレ言う奴は私が嫌だったし、煩い奴も嫌だ。護衛騎士としてほぼ四六時中一緒にいるんだから、ピーチクパーチク鳴かれるのはたまったもんじゃない。


 12の頃に最初の護衛騎士を突っ返した時点で、そういう私の気持ちを両親は分かってくれた。

 そして次に決まったのが、エッジだったというわけだ。


 彼は、私が護衛騎士に求める要件を全て満たしていた。

 それなりの見た目と剣の腕、寡黙さ、何よりもリリィに対して無反応。素晴らしい。


 最初の挨拶も、

「エッジ・ゴーティエと申します。子爵の家系で騎士位を頂いております」

 これだけ。素晴らしい。


 簡潔にして必要な情報は提供されている挨拶に、一発で気に入った。

 その日から、エッジは私の護衛騎士となった。


 彼は実に優秀だった。無駄口は叩かないし、たまに現れる不届き者を瞬く間に制圧する。いつの間にか私も彼を信頼し、リリィと同じくらいエッジが傍にいるのは当たり前になった。

 どこへ出かけるのも一緒だった。敵地のお茶会に参加する時も、避暑地に涼みに行く時も、夜の庭園で花の匂いを嗅ぐ時も。

 年を経るごとに不届き者の数は増えていき、両親の権勢も増していく。不穏な気配を感じないこともなかったが、それでもエッジがいれば心配することはないと思っていた。


 そうして、16になった年。

 私はジェラルドと正式に婚約することとなった。

 カーマイン家との縁組が決まった時、珍しくエッジが喋ったのを覚えている。


「お嬢様は、よろしいのですか?」

 普段、必要な連絡事項以外何も言わない男が喋ったものだから、酷く驚いた。

 いつもの私なら無視していたであろうその質問に、その時は何故かマトモに答えていた。多分、驚いたせいだと思う。


「私の人生に、私の意思は必要ないわ」

 思ったより抑揚のない声が出た。


 エッジは少しだけ目を見開き、何も言わずに頭を下げた。謝罪の意、だったのだろうと思う。

 それが、彼が私にした最後の質問だった。

 それからも、彼は私に良く仕えてくれた。ジェラルドが城下町に度々下りているという噂の真偽を確かめる時も一緒についてきたし、その後の城下町デートの時も常に邪魔にならぬよう一定の距離を置いてついてきてくれた。


 もし、兄と言うものがいたのなら。

 こんな感じなのだろうか、とらしくもないことを思ったりもした。


 その頃にはエッジもそれなりに有名になっていて、『白蛇姫の失語騎士』などと不名誉なあだ名をつけられていた。

 問題のある姫に、問題のある騎士に、問題のある婚約者。酷い取り合わせではあったが、個人的には気に入っていた。


 だから、彼に頼んだのだ。

「身を守る術を教えて欲しい」

 と。


 最初、彼は難色を示した。それは自分の役目だから、と言葉少なに拒否されたが、私は諦めなかった。

 その頃には、我が家の権力と悪名は国中に広がっていたのだ。木っ端の襲撃は減ったものの、本格的な暗殺が試みられてもおかしくはない。


 特に、城下町を出歩いてるときなどは危険すぎる。

 ジェラルドが私の諫言を聞き入れるわけもないし、そもそもあいつは武術の腕だってかなりのものだ。ついていくには、私も強くなるしかなかった。


 別に騎士になろうっていうんじゃない。

 最低限、我が身を守れる力が欲しかっただけだ。

 エッジが助けにきてくれるまでの間、攫われず殺されない力が。


 そう言って、ひと月かけてようやく口説き落とした。エッジが頷いた時、なんとも言えない達成感が胸を満たしたのを覚えている。

 稽古をつけてもらうようになり、エッジとの会話も増えた。相変わらず個人的な話は一切なかったが、褒められるようにもなった。


 エッジが冗談に対応できないのを知ったのもこの時だ。貴族同士の会話というものがとことんできない人だと分かった。そりゃ騎士になるわけだ。

 三年経って初めて知る護衛騎士の新たな側面は、私の好奇心を刺激するのに十分だった。


 彼との稽古は、新しい息抜きとなった。

 もちろんこんなもの、父母に知られれば即辞めさせられる。絶対に言わないよう『命令』し、エッジは騎士の名に懸けて誓ってくれた。


 嬉しかった。

 信頼していた。

 その全てが、キャスリンの登場で消え去ってしまった。


 彼女を排斥しようと思ったのは、何も嫉妬に身を焦がしたからだけではない。両親は王の覚えめでたいマーチル家が邪魔だったらしく、キャスリンの排除をそれとなく促してきた。

 かくして私と両親の利害は一致し、シャミーニ侯爵家一丸となって攻撃した。


 ……あぁいや、弟だけは抵抗していたっけ。社交界デビューしてからは何度か顔を合わせることもあったけど、会話らしい会話は殆どしていない。

 既に私は変な異名が轟いていたし、弟まで家の犠牲になることはあるまいと距離を置いていたのもある。


 だから、私にとって身近な男の家族はエッジだった。

 そのエッジは、私がキャスリンをイジメるのが大層気に食わない様子だった。何度となく忠言され、無視していると珍しく眉をひそめたりしていた。


 あの頃の私は、それが本当に嫌だった。お前までキャスリンが大事なのかと、裏切られた気分だった。

 だから、稽古も辞めたし連れ歩くのも止めた。リリィだけいればそれでいい、そんな状態に逆戻りした。


 そうして誰も彼もが遠ざかり、ゆっくりと追い詰められて。

 財産的に侍女を雇えないマーチル家につけられた仮の侍女を買収し脅迫し、王宮の舞踏会で階段から突き落とす作戦を立てた。


 本当はもっともみ消せる場所がよかったけど、直近の舞踏会がそこしかなかったのだ。

 それに、王宮で転げ落ちて恥をかいたとなれば、令嬢にとって一生ものの傷だ。

 絶対に立ち直れないくらい潰してやる、そう息巻いていた。



 私が血反吐を吐いて手に入れた全てを、横から搔っ攫うなんて。

 絶対に許さない。

 お前の人生も、苦しみに満ち溢れたものになるがいい。



 ……今思えば、無益な話だ。

 別にキャスリンが奪ったわけじゃないし、他人を苦しめても自分が助かるわけじゃない。まして、そんなことさえしなければ何も問題なく当初の予定通りことは進んだわけで。

 リリィも入れて問題児三人と一匹で楽しく暮らせたかもしれないのだ。

 その全てを棒に振って、計画は実行された。


 突き落とすところまでは成功した。だが、すぐ下にはジェラルドがいて、キャスリンを受け止めてしまった。

 そうして抱き合う二人の後ろに、エッジがいた。

 彼が私を見つめる瞳は、悲しみと怒りに満ちていたように思う。


 その後のことは、説明するまでもないだろう。

 私は断罪され、証拠は貴族会議に提出され、一家もろともギロチン送りだ。


 エッジが面会にきたのは一度きり。

 私に別れを告げに来たアレだけだ。


 ……実は、今でも一つだけ不思議に思っていることがある。

 エッジは、どうして私に聞かなかったのだろうか。

「どうしてそんなことをするんですか?」と。


 私がキャスリンをイジメる理由を、彼は最後まで聞かなかった。

 聞かれたところで、当時の私が説明できたかは怪しい……というか無理だが。

 あれだけ気にしていたのなら、聞いてもおかしくなかったのに。


 護堂さんに告白されたあの日から、そのことが少し気になるようになった。

 理由なんてどうでもよかったのか、それとも。


 彼には分かっていたのだろうか。

 私が、大事なものを失うことに怯えていたことを――



 雨の音で目が覚めた。

 カーテンをめくれば、空は真っ暗でざぁざぁと降り注ぐ音に耳が塞がれる。

 そういえば梅雨真っただ中だっけ。昨日は晴れてたから忘れてた。

 ため息をついてベッドから降りる。


 湿度が高いとメイクのノリも悪くなる気がする。まぁいいや、女子高生らしくナチュラルメイクでごまかしていこう。

 顔を洗って歯を磨いて軽くメイクする。朝ごはんを食べて部屋に戻れば、スマホがちかちか光って通知があると教えてきた。


 こんな朝っぱらから誰かと思えば、護堂さんだった。他愛もない朝の挨拶と『月曜で雨だけど一日頑張ってね』という謎の励まし。

 昨日教えたばかりなのに、マメなことだ。こーゆーの、女子ウケするんだろうな。


 かくいう私も、別に嫌いではない。が、何事も時と場合と相手による。

 昨日のこともあんまり思い出したくないし、花梨達に連絡しあってることをバレたくもないのだ。できるだけこっそりしてほしい。私の我儘だけど。

 適当に『護堂さんも頑張ってください』とだけ返して、財布と一緒に鞄に詰め込む。ぶるぶる振動して返事がきたことを教えてくれるが、無視することにした。


 構ってちゃんかよ! こっちは色々忙しいの!

 心の中だけで悪態をついて、靴を履いて傘を掴む。


「おい、『白蛇姫』」


 振り向けば、不機嫌そうな夕太がそっぽを向いていた。

 視線を合わせたくないのであろうその仕草が、今日は妙に可愛く見える。前世でも今世でも弟っていうのはそうないよね。あんまり前世で遊んだ記憶とかないけど。


「今日はちゃんと帰ってくるんだろうな」

「んー、事務所寄るから少し遅くなるかも」

「ふん、“議会(エビデンス)”の連中に何の話があるんだ?」

「ちょっとね」


 男友達の家に遊びに行く為にスケジュール空けてもらいます、とは弟には言いづらい。苦笑いでごまかすと、ふんと鼻を鳴らされた。


「またそれか」

「帰ってきたら久しぶりに遊ぼうか。モンハンやる? 新しいの買った?」


 ご機嫌を取ろうと夕太の好きなゲームをやろうと持ち掛ける。が、私の予想に反して弟の表情は暗いまま、背を向けられてしまった。


「ちょっと、どこ行くの。一緒に出よ?」

「いい、先に行け。どうせ小町さん迎えに行くんだろ」


 片手で犬猫のように追い払われる。

 いやそりゃ行くけども……なんだろうこの反抗期感。そんなに嫌われることしたっけな?


 覚えは特にない。構ってやれなかったのがそんなに悪かったのかと思うが、どうも違うような気もする。

 ま、夕太だって年頃の男の子だ。姉である私には分からないこともあるだろう。


 特に深く考えず、そのまま家を出て花梨を迎えに行く。

 雨が強いからと合羽を着て出てきた花梨に申し訳ないけど大爆笑し、夕太の不機嫌さなどすっかり忘れてしまった。

 ちなみに、合羽花梨はめちゃくちゃ可愛かった。




 教室でいつもの挨拶をかわし、榎本さんに軽く手を振って席に座る。

 横目で春史くんの方を見やれば、何か参考書を開いて勉強しているみたいだった。


 春史くんは、最近よく勉強してるところを見る。いや、前から予習復習しっかりする人だったけど、最近はなんだかそういうところを見かけることが増えた気がする。

 何をそんなに頑張ってるんだろう。入りたい大学でもあるのかな。

 聞いてみたくはあるけれど、嫌味にならないかとか気になって結局できていない。今度、家に遊びに行くときに聞けたらいいなぁ。


 そうだ、そのことをチャットしなくては。

 スマホを取り出して、打ち込む。先週の約束は大丈夫だよね、とかなんとか適当に。土曜日がダメになってたらヤだし。

 返事はすぐに返ってきて、『大丈夫ですよ』とだけ。


 ……いやいいんだけどさ。護堂さんほどじゃないにしても、こう、一言二言何かないんかな……


 ヒルダの頃だったら思わなかったようなことを胸の内で呟いて、顔を上げる。

 こちらを見ていた春史くんと目が合った。

 口にしてない呟きを聞かれた気がして、恥ずかしくなって目を逸らす。


 そんなことは絶対ありえないんだけど、なんかヤバい。妙に恥ずかしい。

 違うんです、別に護堂さんと春史くんを比較したわけじゃなくて、どっちがいいとかそういうことでもなく、ただ女の子の扱いに慣れてるか慣れてないかってあるなぁと思ったって言うかただの感想です!


 誰も聞いてないし求めてない言い訳を並べて、一時間目の準備をする。

 あーくそー! 違うんですよー!! 私が好きなのはアルフォンスであってそれ以外の人じゃあり得ないんですー!!


 頭を掻きむしりたい衝動を抑え、読む気もないのに教科書を開いた。

 その日は、春史くんの顔を見られなかった。

 目を合わせないよう必死に顔を背ける私は、不自然だったと思う。




「話ってなんだろ~ね~?」

「さぁ、ろくでもないことだと思うけど」


 隣の花梨の疑問に、呆れ交じりの素っ気ない答えを返す。

 これは別に花梨に呆れているわけでなく、『話がある』といって呼び出した社長に対しての呆れだ。


 放課後、私と花梨は峯野さんの車に乗って移動していた。

 昨晩、社長からチャットが送られてきたからだ。『大発表があるから明日の放課後、花梨ちゃんと一緒に第一事務所に来るように』と。


 大発表。しかも私と花梨を呼びつけて。

 もーこの時点で最高に嫌な予感しかしない。どうせまた適当な思い付きでもしたか、夏が近いから水着写真集でも撮りたいと言うか。何にしても面倒事の臭いしかしない。

 ブッチを決めたいところではあったが、一応はお世話になっている事務所の社長で、護堂さんの話によると真希の件で手を尽くしてくれた人だ。無下にするのもどうかと思ってしまった。


 いいじゃん後ろ足で砂かけちゃえよ、という気持ちもないではないのだが。

 話をしてみたら、花梨が「楽しそうだね~」と笑うので私に選択肢はなくなった。


「えぇ~、でも大発表だよぉ?」

「あの人がそんな話をして無事に済んだことがある?」


 私の返しに、花梨はこてんと首を傾げた。

 ああぁぁぁぁぁもぉぉぉぉぉぉぉ!! 可愛いからってなんでも許されると思うなよ!!! 許す!!!


 社長の大発表は今までにも二回ほどあって、一回目は『FanFan』の表紙と巻頭を私達が継続的に担当すること。二回目は私達が410プロに仮所属することだった。

 どっちも大変だったなぁ……ていうか、今後大変なのが予想される発表だったというべきか。

 三回目である今回もどうせそうなんだろう、ともう諦めの境地だ。涙も枯れ果てた。


 でも、花梨はどっちも楽しそうに笑っていた。一回目は「凄いねぇ、ひーちゃんの写真いっぱい見れるね!」だったし、二回目は「ひーちゃんと一緒の部活みたいだね!」だった。

 いや、部活て。一応仕事だよ花梨。

 そう思ったけど口にはしなかった。花梨特有の比喩表現というやつだし、なんにでも真剣な花梨はスタッフウケも良かった。部活だからとナメるようなことはしていない。


 社長もそんな花梨をおだててノセるもんだからもう……いやここまでにしとこう。とにかく、社長の大発表はろくなもんじゃない。

 峯野さんに視線を向けると、露骨に逸らされた。

 これもう絶対なんかあるやつじゃん。


 腹立ちまぎれにじろりとミラー越しに睨むと、

「今日は、第一に梢さんがいらっしゃってます」


 マジでっ!?


 それまで考えていた何もかもが吹き飛んだ。

 梢さんがいるのかぁ、やったぁ。会うの久々だなぁ。


「良かったね~、ひーちゃん。梢さんに会うの久しぶりだね~」

「そうね」


 にこにこと祝福してくれる花梨に頷き返し、会えたら何を話そうかと考える。

 花村(はなむら) (こずえ)さん。花村と言うのは母の旧姓で、戸籍上の名前は紫藤 梢さんだ。

 つまり、社長の娘である。

 だというのに、社長とは似ても似つかないクールでパーフェクトなお姉さまなのだ!


 主に所属タレントとの折衝や他プロダクションとの渉外を務めていて、やや特殊な立場である私達とはあまり接点がない。

 でも、すっっっっっっっっごくかっこいい。

 この業界で多いセクハラにも欠片も動じないし、あまりに酷い人はマスコミを使って追い落としたりする。それを平然とした顔でやってのけるのだからもう超クール。


 それでも、私達のことも気にかけてくれて、何かあればすぐ連絡してほしいと自分への直通番号を教えてくれている。

 それと、これは秘密なんだけど、彼女は歌がめっっっっちゃ上手い。

 甘いハスキーボイスから繰り出される歌声は聞き惚れるしかなく、花梨とタメを張れる唯一の人だと思っている。


 ここまで言えば分かると思うけど、私は彼女に憧れている。

 あんなふうに何事にも動じないクールな女性になれたらなと思う。


 タイプが全然違う花梨にも優しくて、あの子もよくなついている。

 まさに理想のお姉さまなのだ!


「まだつかないんですか?」

「もうすぐです」


 せっつく私に苦笑で返して、峯野さんがアクセルを踏み込む。

 憂鬱な気分は雨音に流され、私の心は雨粒と一緒に音楽を奏でていた。


 梅雨はまだ続く。

 雨も楽しまなきゃ、損ってものだ。

 水たまりを弾き飛ばしながら、車が加速した。




 古いビルのボロい階段を上り、第一事務所のドアを開く。

 いつも通りのごちゃごちゃした内装の向こうに、パソコン机に座る梢さんがいた。


「梢さ~ん、お久しぶりです~♪」

 てこてこと小走りで近づいた花梨が抱き着く。

「久しぶり、元気だった? 白峰さんも」

 机から半身離して花梨を受け止めた梢さんが、私に向かって薄く微笑んでくれた。


 ショートの髪とシャープな輪郭が相性抜群で、泣き黒子と眼鏡が大人の色気をぐっと醸し出している。薄い唇はどんな口紅でも映えるし、伸びた背筋が実際以上の身長に見せてくる。

 細くて折れそうな腰とすらりと伸びた手足はトップモデルでも通じると思う。


 美貌の事務員、梢さん。今日もクールでカッコイイ。

 いやほんと、なんで事務員なんだ。どうして所属モデルとかじゃないんだ。世の中絶対間違ってると思う。


「はい、おかげさまで。社長は?」

「あっち。……大変だと思うけど、頑張って」


 社長室を指で示され、そっと頭を撫でられる。

 こういう子ども扱いをしてくるのは梢さんくらいだ。それがなんだか、くすぐったくて恥ずかしい。でも嬉しい。


 見た目と態度のせいで誤解されるけど、私まだ16なんですよ。大人扱いは前世から慣れてるからいーんですけどね。

 でも、大変って何がだろ?


 疑問符を抱えながら、花梨を連れて社長室に入る。

 ドアノックとか、面倒なので省略だ。


「やぁやぁ、よく来たね二人とも!」


 社長が嬉しそうに両手を広げて出迎えてくれる。

 ……ほんとーーーーにこの人が梢さんの父親なんだろうか。実は違ったりしない?

 満面の笑みを浮かべつつ、社長はこほんと一つ咳ばらいをした。


「君達を呼んだのは他でもない、頼みたいことがあったからなんだ」

「頼みたいこと~?」


 真面目ぶって言う社長に、花梨が首を傾げる。

 50も過ぎたオッサンが大仰に頷き、

「これは今後の事務所の命運を左右するかもしれない、大きな転換点だ。君達にしか頼めない大事なことなんだよ」

 もう嫌な予感が膨れ上がって仕方がない。


 何も聞かなかったことにして回れ右しようと思ったところで、

「それってなんですか~?」

 花梨がついに地獄の窯の蓋を開けてしまった。


 社長は意味ありげに、ふっふっふ、と笑い、

「では紹介しよう! これから君達の後輩となる動画投稿者だ!」

 両手を大きく空に広げ、誰かが机の下から飛び出してきた。


「ちょりーっす! センパイ方、よろしくっすー!」

 ばしっとポーズを決め、鳥居 真希15歳(高一)がウィンクする。


 ……も、帰っていい?

 余りの疲労感にへたり込みそうになる足を叱咤し、我ながら冷たすぎる目を二人にぶつける。

 凍死しろ。


「わぁ~、まきちゃんだぁ~!」

「そう! 彼女こそ『まき☆ちゃんねる』の投稿者、まきちゃんだ!」


 ぱちぱちぱちと拍手する花梨に、ふんぞり返る社長。

 頭痛がしてきた……バファリンが欲しい。


「で?」

 自分の口から出たと思えないひっくい声が50代アホ男を貫く。

 オッサンは焦った笑みを浮かべながら必死に弁解してきた。


「いやいや、これは真面目な話だよ昼子ちゃん。今の時代ネットを軽視して業界はやっていけないからね。今後はそちらも視野に入れた活動を考えなくちゃいけない。動画投稿者もタレントだし、そこから新たな分野や客層を切り開いていけたらと思ってるんだよ!」


 理屈だけなら、実にそれっぽい。

 一理あると思えるところもあるし、それ自体は問題じゃない。


 が、どうにも胡散臭くて仕方がない。

 じーっと半眼で睨んでいると、二度三度と咳ばらいをしてきた。


「ん、んー、そうだね、今回の件を穏便に収める為の措置でもある。ただ、ネットへの進出を考えてるのも本当だよ。それに、ほら、彼女は君達の後輩だろ? 学校と同じように面倒を見てもらえたらなーって」

「……それだけですか?」


 私の一言に、社長の肩がぴくりと動く。

「いやー、まきちゃん可愛いからね! モデルとは言わないけど、何か他の仕事もしてもらえたらなーとは思ってるよ!」


 じろりと睨む私に、社長はやや後ずさり、

「それに、今年の夏は美少女三人の水着写真集とかいいんじゃないかなーって……昼子ちゃんも一人だと嫌かもしれないけど、後輩や花梨ちゃんと一緒なら、」

「ぜっっっっっっっっったいに嫌です! 花梨を巻き込まないで下さい!!」

 きっぱりと言い切った。


「そんなぁ~」

 社長は半泣きだが、あんなの演技だ。あの人はそういう妙にこっすいところがあるのだ。

 花梨は事情が良く分かってないのかぽやぽやと笑っている。


「ひーちゃんと一緒ならいいよ~?」

「やめときなさい。ラルフが暴走するよ」


 私のツッコミに、そうかな~と花梨がとりあえず引き下がる。

 全く、このクソ社長は油断も隙も無い。後輩も巻き込めば私がオッケーだすだろうとか下手な考えしてるんじゃないわよ。


「あーし的には水着くらいならオッケーっすけど」

「私が良くない」


 真希を黙らせる。

 前世の価値観がやや残ってる私にグラビアまがいのことをさせようとか無茶言うな。


「あーしはパイセンと一緒の仕事したくて入ったんで!」

「……仕事は選びなさい」


 私の忠告にもめげず、真希はけらけらと笑っている。

 ったく、これ以上面倒事はこりごりだっていうのに。


「ま、まぁ、ともかく、動画の方をやっていこうってのは本当だから。君達、特に昼子ちゃん。この子の面倒見てね。他のタレントと会うことも出てくるから、その時はよろしく」


 気を取り直し、にこっと笑顔で社長がめちゃくちゃを言う。

 はぁ!? 他のタレントとの繋ぎを私にやれって!? 無茶言うな!!


「……私ですか?」

「そうそう、本来は梢にお願いしたいんだけどね。やっぱりスケジュール的に都合が合わない時もあるからさ」


 にこにことお願いされ、反対の言葉が喉で突っかかる。

 梢さんの仕事を減らせるのか……それは、まぁ、悪くない。

 あの人は頑張りすぎだから、その助けになるのはやぶさかでない。


「……分かりました」

「昼子ちゃんならそう言ってくれると思ってたよ!」

「パイセン、あざーっす!! これからもっとよろしくっす!!」


 社長と真希が手を取り合って喜ぶ。

 個人的には勘弁してほしいんだけど……仕方がない。どうせ学校でも真希から逃げられないだろうし、毒を食らわば皿まで。

 面倒みてやろうじゃないの。


 清水の舞台を飛び降りるつもりで、絶望的な覚悟を決めた。

 隣で花梨が少し寂しそうに笑っていることに、その時の私は気づかなかった。




 月曜から疲れ果て、這う這うの体で家に帰りつく。

 それでも一応約束だからと夕太の部屋に遊びに行けば、まだ弟は帰ってきていなかった。


 お母さんに聞いても、知らないとの返事。

 どうしたんだろうかと首をひねるも、疲れすぎた頭ではろくに思考もまとまらず。

 まぁいっかとベッドに倒れこんだ。


 夕太が何をしていたのか、私が知るのはもっとずっと後の事で。

 もっと気にしておけば良かったと思ったのも、後になってからだった。

次回は白峰 夕太視点のお話となります。

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