第十八話
好きな人いる?
スキナヒトイル?
たった七文字の爆弾は私の脳を破壊しつくし、全ての機能を停止させた。
どう答えればいいんだろう。
なんでそんなことを聞くんだろう。
二つの疑問が頭の中を巡り巡って、一秒ごとに混乱していく。
何一つ考えがまとまらず、『はい』とも『いいえ』とも言えないまま秒針の音だけが響き、
「います」
はい!?
自分の口から出た言葉に、自分で驚いた。
何も言うつもりはなかったっていうか何も言えなかったはずなのに、私の気持ちなんかガン無視して勝手に唇が動きやがった。
好きな人いるの、私? 誰?
あぁいや、これは多分アレだ。アルフォンスのことか。確かに私は今でもアルが好きだ。その好きが男女の恋愛的なものかと言われると断言できないが、かなり近い感情であるのは間違いない。
混乱して理性が吹っ飛んだ結果、その気持ちのままに言葉がでたのだ。そうか。
原因が判明して、ほっと胸を撫でおろす。
「やっぱりね」
訳知り顔で微笑を浮かべ、護堂さんはそう言った。
やっぱりって、私もさっき分かったようなことを前から分かっていたとでも言うのだろうか。エスパーじゃあるまいし。
イケメンが笑うとちょっと憎たらしい感じになるのは何故だろう。その何もかもお見通しみたいな表情が少し腹立つわ。
「最近会った人だよね。去年はそんなことなかったし」
……エスパー?
いやまぁ、正確にはずっと前に会ってた人なんだけど。今世においてはその通りでビックリする。
護堂さんは小さく息を吐き、目を細めて薄く笑った。
「付き合ってるの?」
二個目の爆弾が炸裂し、今度こそ何も言えなくなった。
付き合ってるのって、付き合ってるのかってあーた!! 何をそんな大それたことを仰って!? まだ手だって繋いでないんですけど!!??
……過去の人なんで、手を繋ぐも何もできませんけどね!? あ、いや、それ以前に別世界の人だった。
いかん、混乱している。深呼吸、深呼吸して落ち着こう。
ようやく目の焦点があってきて、護堂さんが顔を俯かせて肩を震わせているのが見えた。
こンの爆弾魔、笑ってやがる。
「良かった、まだ片思いみたいだね」
目元の涙を拭いながら嬉しそうに言う。
何が良かっただ、何一つ良くないわ。なんであんたに笑われなきゃいけないのか。
非難の気持ちを視線に込めて睨むと、
「じゃ、俺にもチャンスはあるわけだ」
さらりと言ってのけられ、うまく意味が理解できなかった。
にこにこと笑う護堂さんを前に、ゆっくりと言葉を嚙み砕き、飲み込む。
ようやく言葉の意味を脳みそが解析し終えると同時に、
「な、なんでそうなるんですか!?」
思わず叫んでしまっていた。
防音室じゃなかったら、確実にご近所様に聞かれていたに違いない。真希を巻き込んで良かった、とか考えてる場合じゃないんですけど!
「だって、付き合うまではフリーでしょ?」
「そ、う、なりますけど」
「なら、デートに誘ったりしてもいいよね?」
ぐっと言葉に詰まる。
悪くはない、悪くはないけど悪い!
「私、ファンから刺されたくはありません」
「バレなきゃ問題ないよ。知ってる? 『E.Cube』の橘 里桜ちゃんと――」
「――アイドルのゴシップに興味はないので」
ペラペラ喋る口を遮って、話題を強制終了させる。
あちこちで隠れて付き合ってることぐらい知ってますよ! くっついたり別れたりなんて日常茶飯事だってことも! 何せウチの社長がそっちの耳も早くてたまに話してきますからね!
……護堂さんの言いたいことは分かるけど、そういう問題じゃない。
じゃあどういう問題かって言われると困るけど。
「正直、この前のは俺も早まったなって思ってるんだ」
「はい?」
唐突に何を言い出すのかこの人は。
胡乱な目で見やると、彫りの深い端正な顔に苦笑を浮かべて肩を竦められた。
「深刻な顔してたからさ。何か力になれないかって……そう思ったらうっかり告ってた」
「……はぁ」
うっかりって。
うっかりで告白されたのか、私は。
なんともいい加減な真実に少しイラっとくるが、そういえば私もさっきうっかり口が滑っていた。
……うん、自分でも分かんないうちに言うことってあるよね!
「本当はね、もっとゆっくり距離を縮めるつもりだった。もう少し俺のことを知ってもらって、親しくなって。それから告白しようって思ってたんだけど……俺もまだまだガキだね」
そう言って静かに微笑む護堂さんは、なんだかすごく大人で。
私の目には、どこもガキには見えなかった。
ガキだというなら、私の方だろう。人気もあって次の企画もあって忙しいのに、こうしてフる為に呼びつけて。一方的にお断りをつきつけて、しかも好きな人がいるって半分嘘までついて。
なのに、ちゃんと落ち着いて話をしてくれている。私だったら多分、発狂寸前でキレ散らかしていただろうな……前科あるもん。
「ま、結果的には良かったかな。前々からの昼子ちゃんの誤解も解けたことだし」
「……誤解?」
何の事か分からず首を傾げると、
「俺が花梨ちゃん狙いってこと。ハリネズミみたいに警戒されてたからね、親しくなるどころじゃなかったし」
揶揄交じりの答えに、めちゃくちゃ恥ずかしくなった。
いやだってしょーがないじゃん!? ふつーは私狙いだなんて思わないって!! 花梨なんて宇宙一の美少女がいるんだからさぁ!
じっとり睨むと、護堂さんは楽しそうに笑う。その笑みのなんともイヤラシイこと!
この野郎、一発くらい反撃してやらないと気が済まない。
「そうですね、私も良かったです。護堂さんの意外な一面を知れましたから」
「へぇ、どんな?」
頬の緩み方がもうイヤらしい。端正な顔立ちもそんな表情をすれば台無しだ。
きっぱりと言ってやった。
「悪戯する小学生みたいに笑うところ。ガキっぽくて意外でした」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、彼は目をぱちくりと瞬かせる。
数秒、お互い何も言わない静寂が訪れて。
盛大に吹き出し、護堂さんがお腹を抱えて笑い出した。
「う、うん、そうだね、確かに! 良かった、一歩前進だ!」
笑い声の隙間から本当に嬉しそうにそう言う。
……良かった、防音室で。じゃないと、この笑い声もぜっっっっっったいご近所迷惑になっていたから。
「うん、あー、やっぱり好きだな。諦めるのは勿体なさすぎる」
爆笑の尻尾が残った状態で独り言のように呟かれる。
主語をつけなさい、主語を。
冷たく睨みつけていると、護堂さんは椅子から立ち上がって隣に座ってきた。二人分の重みで、ベッドのスプリングが音を立てる。
なに近づいてるんですか座っていいなんて言ってないですけどぉ!?
文句を言ったつもりで、パニくって口に出せていなかった。
真面目な顔の護堂さんが隣にいる。めっちゃ近い。イケメンだけあってふざけるのをやめたらすごく格好いい。
指先が触れ合いそうなくらいの距離にある。心臓の音が煩くて、耳元で鳴ってるみたいに大きく聞こえる。
こんなの、前世でも経験したことない。
考えてみたら、男の人と二人っきりとかなったことないし、恋愛経験なんて皆無だった。アルフォンスは子供の頃だし、ジェラルドは親経由の婚約だし。
「昼子ちゃん」
男の人にしては少し高めの、甘い声。
至近距離で聞いてしまい、ひときわ大きく鼓動する。
誰にも聞かれたくないからって二人きりになるのは間違いだったかもしれない。今みたいな雰囲気になったらどうしようなんて、考えもしなかった。
ヤバい、なんかもうさっきから感情の落差についていけない。良いように振り回されてる気がする。そんなつもりは相手にはないかもしれないけど。
「こっち見て」
これで見なかったら、意識してますって宣言になるのかな。
良く分からない衝動に釣られるように、つい護堂さんと目を合わせてしまった。
とても優しくて、真摯な輝き。今見つめてる人が大事なんだろうっていうのが良く分かる。その瞳に、私が映っている。
知らず、口が動いていた。
「なんで、私なんですか?」
告白された夜からずっと聞いてみたかったこと。
でも、聞いたらいけないと思っていたこと。
聞いてしまったら、多分もう、すっぱり関係を切れなくなってしまうから。
自分を大切に思ってくれる人と別れるのは、どうしようもなく辛い。カーテンの向こうで泣き崩れたあの日から、その痛みに怯え続けている。
前世の記憶が教えてくれたのは、人を切り捨て、人に切り捨てられる苦しみだ。
だから、理由なんて聞いてしまったら。
私は、その気持ちを切り捨てられなくなりそうで怖かった。
「最初はね、紫藤さんがスカウトした子ってどんなだろうって興味だった」
私から視線を逸らし、天井を見上げて話し出す。
高鳴ったままの心臓を落ち着けるように胸に手を置き、護堂さんの声に耳を傾けた。
「俺、親父が業界関係者でさ。紫藤さんの話は聞いてたんだ。超大手事務所の辣腕プロデューサー。売る為なら汚い手でも平然と使う。まさに業界人の鑑みたいだったのに、ある一人のアイドルと出会って正反対の道に進んだ人」
私も聞いたことくらいはある。
ただ、社長は自分のことを話したがらないから、私も無理に聞くことはなかった。
「そのアイドルと一緒に独立して410プロを立ち上げ、元の事務所の嫌がらせとか同業者たちの妨害とかを全部やり返して、確固たる地位を築いた。二人の間のスローガンは『それでも、綺麗事が通じる場所を』……初めて聞いた時、何の冗談かと思ったよ」
黙ったまま頷く。
私も最初聞いた時、同じことを思ったものだ。
「まるでマンガかアニメの話だ。滅茶苦茶すぎて絶対作り話だと思った。よくあるじゃん、ステマや評判を上げる為にそれっぽい話を仕立てることなんて」
頷く。
そういうのがまかり通る業界だし、普通はそう思うだろう。
「でも、違った。調べれば調べるだけ、本当だと分かっていった。そんときにはもう、410プロに入りたいって本気で思ってた」
ちらりと横顔を盗み見る。
護堂さんは昔を懐かしむように、遠くを見つめていた。
「親父の関係とか、紫藤さんのお眼鏡に適わなかったこともあってダメだったけど。一応納得してたつもりなんだけど、不満があったみたいでね。昼子ちゃん達のことを知って、気になって仕方がなかった」
護堂さんが自嘲の笑みを漏らす。
「俺でさえ選ばれなかったのに、あの人から声をかけられたのってどんな凄い子達なんだろうってね。まさかその辺の素人じゃあるまいなって……凄くなきゃ許せなかったんだな」
……その気持ちは、なんだか少し分かる。
尊敬と思慕の違いはあっても、私がキャスリンに抱いたものと似ているんだろう。
だったら、よく私達を許せたなって思う。正直、素人同然だし。
「そうして初めて君達を見て……感動した」
え?
ふざけているのかと思って思わず体ごと振り向くと、護堂さんは笑っていた。
「凄かった。やっぱり紫藤さんの目は確かなんだって思った。花梨ちゃんの存在感と言ったらなかったし、彼女が微笑むだけで花畑にいるような錯覚を起こした。オーラがあるってこういうことを言うんだなって思ったよ。どんなライトを当てられても、彼女はそれ以上に輝いていた」
あぁ、花梨のことか。
それなら納得だ。あの子は前世でもそうだった。
社交界なんて何も知らない平民だったのに、ドレスと宝石で着飾ればどんな令嬢よりも輝いて見えた。シャンデリアの光でさえ遠く及ばないくらいに。
内面の良さが表にも反映されるのは間違いない。
一人で納得し心の中で頷いていると、
「でも、それより俺の目を引いたのは昼子ちゃんの方だった」
息が詰まる。
護堂さんの瞳は真剣そのもので、嘘やおべっかを言っているようには決して見えなかった。
「凛として、まっすぐ前を見て。どんなライトを当てられても怯まずに、堂々と衣装が映えるポーズをとる。まるで最初から、その服がどんな意図で作られたか分かってるみたいに。ついこの前までただの一般人だった子だなんて信じられなかった」
陶然と話す彼から視線を逸らし、手元を見つめる。
そんな風に思われていただなんて知らなかった。
だってそれ全部前世の杵柄で、今世の私が培ったものじゃない。なんだかズルを褒められたような気分で、居たたまれない。
けれど、それと同じくらい、ちゃんと見ていてくれたことが嬉しかった。
あぁ、と納得する。
なんで切り捨てられなくなるのに彼の気持ちを聞いてしまったのか、その理由が分かった。
聞いてしまったあの時点で、もう私は彼を切り捨てられなくなっていたのだ。
スカートを握りしめる。
バカじゃないのか。関係を終わらせようと決めた日に、そんなことになるなんて。
彼の気持ちに応えられるかなんて分からないのに。
自分が誰より不誠実な気がして、胸が痛くなる。
「この子と一緒に仕事できたら、どんなに楽しいだろうと思った。それからかな、君のことがそういう意味で気になりだしたのは」
軽くウィンクしてみせる護堂さんに返す言葉がない。
勝手に自己嫌悪発動中で、何を言ってもいけない気がする。
「話せば話すほど面白くて、撮影の時とのギャップもいいなと思った。それに、クールで身内以外どうでもいいって顔してるけど、押しに弱くて人情に脆いとことかも好きだな」
「……私、そんなんじゃないです」
押しに弱くも人情に脆いつもりもない。
勘違いで好かれているなら、訂正すればその気もなくすだろうか。
そう思って言ってみたけれど、護堂さんはどこ吹く風でニコニコしている。
ほんとーに違います! ちょっと前世の記憶のせいで行動に一貫性がないだけです! ……いやそれもダメか。頭痛い。
「そうかもしれないね。俺の知らない君だって沢山いると思う。だから、さ」
手を差し出され、思わず身構えてしまう。
また告白されたりしたら、私はどうすれば――
「友達になってください」
――へぁ?
間の抜けた声は実際には出なかったと思う。心の中だけで済んだはず。
茫然と見上げた護堂さんの表情は、まさに悪戯が成功した小学生みたいだった。
「だって、もっと良く知らなきゃ判断できないでしょ? 君が俺のことを好きかどうか」
ちょちょちょ、何言ってんですかあんたー!?
ツッコミを入れたくなった手をぎゅっと握りしめて押しとどめる。
なんだ、一体何なんだこの人!? 私をからかって楽しいのか!? 楽しそうだなちくしょー!
「まずは友達から、ね? そうして少しずつお互いを知っていこう」
24の業界人の恋愛がお友達からでいいのか!? ねぇ!? 中学生じゃあるまいし!
……とは思うけど、業界人らしいことされたら私が困るわけで。
友達、友達かぁ。よく考えてみると、悪くないかもしんない。
今更突き放すことも上手くできそうにないし、かといって付き合う気にもなれないし。友達って関係は、ちょうどいいかも。
ラルフみたいに、その距離が一番ってなるかもしれない。
断ろうか、とも思ったけど、断ってどうする、とも思う。護堂さんを傷つける理由が、今の私に果たしてあるんだろうか。
好きな人がいるって言っちゃったけど、アルフォンスはもう前世の人だ。今世の私が護堂さんと付き合っても何の問題もない。
それなのに、友達ですらダメって言っていいものだろうか。
……ダメだな、こうやって悩む時点で答えなんか見えてる。無駄な抵抗だ。
「分かりました」
護堂さんの手を握る。
指が細くて長いのに、しっかりした感触の大きな手。
男の人の手だ。
「うん、よろしく。まきちゃんの件がほとぼり冷めたらまた遊びに行こう」
握り返された手は力強くて、少しどぎまぎした。
ってそういえばそうだよ、真希の件。あれのせいで一番迷惑被ったのこの人じゃん。一応謝っておかないと。
「後輩が失礼しました」
小さく頭を下げる。
いやこれ、ほんとはもっと早めにやらなきゃいけなかったんじゃ……いやいや、街中でやるのは目立つから今がちょうどいいタイミングだよ。うん、そう! そう決まった。
「大丈夫、紫藤さんが早速火消しに動いてるし、うちの事務所もやってるから。でも凄いよね、紫藤さん。あの人が真っ先に動かなかったら、どこかの誰かがまきちゃんに手を出しててもおかしくなかったよ」
護堂さんはからりと笑ってみせてるけど、それって結構危なかったんじゃ……下手すると真希の人生に傷がついたかもしれない。
そう考えるとゾッとする。改めてあの子には注意しておこう。
でも、そうか。社長があんな雑な拉致事件を起こしたのは、真希を守る為だったのかもしれない。
後で感謝のメールでも入れておこうかと思っていると、
「じゃ、昼子ちゃん。友達記念にアドレス交換しよっか?」
スマホを取り出した護堂さんがにっこりと笑う。
抵抗することもできず、私のスマホに護堂さんのデータが入ってしまった。
「確認送るね」
通知音と共に護堂さんからチャットが送られる。
あぁ、もうこれで絶対誰にもスマホを見せられない。
花梨にさえ言えない秘密が一つできてしまい、心の中でがっくりと項垂れた。
言えばいいじゃん、と思うかもしれないが、一体どう説明しろというのか。私にもなんでこうなったのかよくわからないんだから無理だって。
とにかく、絶対にバレないようにしなくては。
断固たる決意を胸に、スマホを握りしめた。
どうなったのかとしつこく聞きたがる真希をかわし、改めて危ない真似はしないようにと厳重注意をして別れる。
護堂さんは先に真希の家を出て、街方面のバスに乗っているはずだ。私は別方向のバスに乗って直接家に帰る。
バス停で次はいつ来るかと時刻表を調べていると、
「パイセーン!」
簡素な部屋着の真希が息を切らせて走ってきた。
何か忘れ物でもしたのだろうかと思ってバッグを除くが、不備はない。
「どうしたの?」
「あの、ゴドーさんとの話っすけど!」
またその話か。
嘆息して目を細める。
「秘密にしたくて部屋を借りたのに、喋ったら意味ないでしょう」
「それはそーっすけど! そーじゃなくて、あーしのせいで大変なことになってたりしないっすか!?」
この子は何が言いたいの?
良く意図が理解できず、首を傾げる。
「あーしがやらかしたのは分かってるっす。それで、パイセンに変なこと言ってきたりとか、何かしろって言われたりとかはなかったんすよね?」
真面目な目で真希が見つめてくる。
あぁ、とようやく合点がいった。
そういえば、なんで護堂さんを呼び出したのか話してなかった。いや、話すつもりもなかったんだけど、意味深な会話だけを横で聞いてて不安にでもなったのか。
私が不利な取引でも持ちかけられたのかと思って。
なんだかおかしくなって、くすりと笑みがこぼれる。
「もしそうだったとして、私が素直に聞くと思う?」
見つめ返してやると、真希は嬉しそうに顔全部で笑った。
「さーせんした! あーしが余計な事言ったっす!」
一つ頷き返して、
「部屋、貸してくれてありがとう。また学校で」
「りょっす!」
丁度いいタイミングでバスが来て、真希に手を振って乗り込む。
あの子も人に気を遣うことなんてあるのねぇ。前世でもあんまりそういうこと気にするタイプじゃなかったはずだけど。
なんだか少し気分がいい。
護堂さんとの関係は切れなかったけど、お友達ってことになって落ち着いたし。うん、考えてみれば今日の目的はちゃんと達成できたのではなかろうか。
これで枕を高くして眠れる。来週の春史くんの家だって気兼ねなく行けるというものだ。
上機嫌でバスの窓から見える景色を見つめる。
あとひと月もすれば期末試験があって、その後には夏休みだ。
みんなで海に行くのもいいなぁ、なんてぼんやりと考えたりしているうちに、バスは家の近くの停留所についていた。
家に帰ると、夕太が仁王立ちで待ち構えていた。
「『白蛇姫』、随分と優雅な“散歩”だったな?」
「ちょっとね。夕太も楽しかった?」
微笑みかけると、愛する弟は嫌そうに顔を歪めた。
そう言えば最近、まともに夕太に構ってやれていなかった。この子はそういうのが続くとたまにヘソを曲げてしまう。
まさに今がそんな感じで、構うと嫌そうにするのだ。
「必要な“道具”を調達しただけだ。そういう感情はない」
「友達と出かけるっていいものよ。高校になると離れる子も多いから、今のうちに楽しんでおきなさい」
頭を撫でようとすると、距離を取られた。
うーん、13歳という年頃は難しい。私も前世の記憶が蘇ったのってその頃だったし、色々情緒不安定なのよね。
「……何か、俺に言うことはないか?」
「別に何も?」
何かあったかなと思って考えてみるも、何も思いつかない。
何か頼まれた覚えもないし、特に夕太が関係することも何もなかった。
だというのに、夕太はひどく不機嫌そうな顔をして背を向けた。
「もういい。じゃあな」
足音高く部屋に入り、力いっぱいドアを閉める。
お母さんが乱暴にするなと怒る声を聞きながら、何がそんなに嫌だったんだろうと考える。
出かけた先で何かあったかな。友達と喧嘩したとか。
今度ちゃんと時間を作って話を聞いてあげた方がいいかなぁ……いやでも、そういうの嫌がるって聞くしなぁ。
どうすればいいのか悩みながら部屋に戻り、ベッドに寝転ぶ。
思ったより疲れていたのか、瞼が垂れ下がってきた。
心地良いまどろみに身をゆだねながら、明日のことを考える。
春史くんに土曜日でほんとにいいかチャットで確認して、帰り際に事務所寄って土曜日は絶対に空けておくよう言わないと。
家に帰ったら、夕太と少し話をしよう。警戒されないよう、適当な話を振って姉弟のコミュニケーションってやつを取らないと。
思い返せば心配してくれてた気もするし、もう大丈夫だよって言ってあげたい。そしたら、いつもみたいになついてくれるだろう。
やることあるなぁ、なんて思っているうちに眠ってしまっていた。
起きたら真っ暗で、お母さんがご飯に呼ぶ声に慌てて返事をして部屋を出る。
だから、ちかちかと通知を知らせるスマホに気づかなかったのだ。




