第十七話
PM8:12。
枕元のデジタル時計をちらりと見て、深呼吸を一回。
もぞもぞと座りなおせば、ベッドのスプリングが軽く軋んだ。
自室のベッドの上。スマホと裏返した名刺を前に、一世一代の戦いに挑む武将の心境を味わう。
遠い昔に暗唱させられた自国の将軍の名前がぽろぽろと出てきて、首を振って追い出す。
これがあれかな、試験勉強前に掃除をしたくなるやつ。前世で勉強慣れしてたせいか、今までそういう気分になったことないけど。
いかん、また考えが横道に逸れてる。早く片付けないと、もうそろそろ電話をかけるのを躊躇すべき時間になってしまう。
えいやっ! とスマホを掴み取り、無心で番号を入力する。
勢いで耳に押し当て、目を瞑ってコール音を聞いた。
一回、二回、三回、早く出てと念じながらスマホを握りしめる。
四回、五回、六回、このまま留守電になってくれたら助かるかなと思う。
七回、
『はい、もしもし! 昼子ちゃん?』
護堂さんの声。思わず緊張して肩に力が入ってしまう。
若干慌てた様子で、息も少し切れている。
「はい……あの、ごめんなさい、忙しかったですか?」
『あぁいや、気にしないで。シャワー浴びてただけだから』
……え? じゃあ今、バスタオル一枚だったりするんですか?
姿を想像しそうになり、頭を振って消し去った。
「す、すみません! かけなおします!」
『いいよ、大丈夫。それより、どうしたの? 足が必要?』
からかいまじりの問いかけにどう返答しようか一瞬迷う。
やっぱりかけなおしますって言って切ろうかな。でも、もう一度連絡する気力が残っているかは分からないし、大丈夫って言われたし。
とりあえず乗っかることにした。
「違います。お話したいことがあって」
『蓮花さんのことなら気にしない方が良いよ。あの人、いつもあんな感じだから』
機先を制するように言われ、少し鼻白んでしまう。ていうか、蓮花って誰?
聞き覚えのない名前に、ついうっかりそのまま口から洩れてしまった。
「誰ですか?」
『……へ?』
間の抜けた声がして、妙な沈黙が下りる。
何を言えばいいのか分からないでいると、急に護堂さんが吹き出した。
『あっははは!! ご、ごめん、昼子ちゃん! 余計なこと言ったね!』
「……バカにしてます?」
何の事かは分からないけど、自分が笑われてるのは分かる。
憮然とした声になるのを止められなかった。
『いいや、全然。流石だなって惚れ直してたとこ』
「……そういうこと、気軽に言うのはどうかと思いますよ」
一瞬ドキッとしたりはしていない。これは緊張が和らいだことによる反射的な反応であり、私の意思では一切ない。
タラシ野郎に棘を突き刺したが、どうにも効いていないようだ。
『気軽じゃないんだけどね……まぁいいや、それで話したいことって?』
どうにも主導権を握られているような気がして落ち着かないが、相手の方が年上だし止むを得ないだろう。
……そうだよ、向こうの方が年上なんだよ! 何歳かは知らないけど多分20代でしょ? それが16の小娘に告白したりからかったりととんでもないよね!? だから私が少しくらい酷いことをしてもお互い様だ!
気合を入れて罪悪感を吹き飛ばし、用件を話す。
「今週の日曜、空いてますか?」
空いてないって言われても強引に時間を作らせてやる。
確固たる決意をもって、護堂さんの返事を待った。
二つ返事で受け入れられ、しかも「デートなんて久しぶりだよ、楽しみにしてる」なんて言われた日には言葉を失うのも止む無しだろう。
えぇ、まぁ、はい、と曖昧な返事で濁して通話を切るしかなかったのは私のせいじゃない、絶対に。
思わずため息を吐けば、隣の花梨が心配そうに覗き込んできた。
「ひーちゃん、だいじょうぶ~?」
「えぇ」
頑張って笑顔を浮かべ、卵焼きを箸で掴んで口に放り込む。
今は昼休みで、久しぶりに中庭でお弁当を広げているところだ。勿論、ラルフも春史くんもいる。
そんなところでこれ以上ため息をついては日曜日のことがバレかねない。春史くんは当然として、しっかり約束しない限り口が軽いラルフにも気づかれてはならない。
このバカはいらんところで察しが良いので、注意が必要なのだ。
口をしっかり引き結び、軽くラルフを睨んでからお弁当をつつく。
「なんか悩みか? 最近元気ねぇよな」
軽く目が合ってしまい、ラルフが片眉を上げて何気なく言う。
睨むんじゃなかった……! 分かってたのに、無反応が正解だって! 頼むから全面的に鈍感でいてよ!!
悩みはあれど言うわけにはいかず。それに、週明けには全て終わっているはずなのだ。未来の私に期待して、目を逸らす。
「別に」
「そういや、最近一年の鳥居ってのとつるんでるらしいな?」
会話を終わらせようとする私に構わず、ラルフが次の話題を提供してくる。
さっきの察しの良さはどうした!? 私の気持ちを汲めよバカ!
「まきちゃんね~、放課後よくうちのクラスにくるって聞いたよ~?」
花梨もそう言い添えて、心配半分好奇心半分で二人一緒に見つめてくる。
気持ちは分からないでもない。真希は私が好んで付き合う人種ではない。二人ともそれが分かっているから、気になるのだろう。
前世の轍を踏まぬよう、ああいう派手でグループの中心にいるようなのとはあえて距離を置いてきたのだ。それが急に親しくなったのでは何かあったと普通は思う。
しかし、前世の縁は勿論としてそれ以外の理由も話すわけにはいかない。
ちらりと春史くんを見やる。
いつもの穏やかな笑顔でパンを食べている。
……こっちを気にしているかどうか、その表情からは上手く読み取れない。いや、話を聞いてはいるんだろうけど、こう、心の耳を傾けているかどうかが……!
いや、まぁ、バレたらなんだって話ではある。春史くんはお姉さんの為にお家に招待してくれたわけで。私と春史くんの間にはクラスメイトという関係性が横たわるばかりで、それ以上の枝葉など何も生えてきていない。
その状態で護堂さんと週末会おうが何しようが、彼にとっては全く関係のない話であって……隠す理由がどこにも、
いやいや、護堂さんの方にはある! そう、ただでさえ私と噂になってしまったのだ、これ以上被害が広がらないようにするのは業界人の務め! お互いの今後の為にも、パパラッチにストーキングされない為にも、不要な誤解を招くのはご法度!
それでも呼び出してしまったのは私の我儘なんだから、誰にも気づかれないようにするのは当然の配慮だ。
気を取り直して、適当な言い訳を考える。
「この前、物騒なことがあったでしょう。それで気にしてるだけ。問題ないと判断できたら元に戻るわ」
よし、即興にしては中々いい出来。
二人はこくこくと頷いて、そっかぁ、と納得してくれた。
「そういや、拉致られた? とか聞いたな」
「大変だったみたいだね~」
花梨、ぽややんと頷いてるけど、それやったのうちの社長だから。
心の中でツッコミを入れて、お弁当に箸をつける。
社長と花梨は意外と仲が良い。二人ともマイペースだからか、話が合ってるのか合ってないのか良く分からない会話を度々繰り広げてくれる。
おかげで話を聞いてるふりをしながら意識を飛ばすのが少し得意になってしまった。
拉致事件に関しては詳細は話していない。この三人になら話してもいいけれど、わざわざ身内の恥を晒すこともないと黙っている。
私が原因で、しかもあの夜に繋がっている、というのも理由ではあるが。
「まぁ、でも良かったぜ。お前が鳥居使って一年シメようとしてるってのは嘘だったんだな」
「……誰から聞いたの?」
我ながら底冷えのする声がした。
春史くんがぴくりと反応するが、ラルフは何も気にせずあっけらかんとしていた。
「うちのクラスの矢作。結構噂になってるらしいぞ」
「そう」
顔も出てこない奴が話してるってことは、それなりに広まってるな。全く、人を噂の種にしないと気が済まないのか。
……この噂も真希に消させようか。いや、真希じゃ逆効果か。
ため息をついて、ぱちくりと目を瞬かせる花梨に視線を移す。
「花梨、早く食べないとお昼が終わるよ」
「わ~っ! 食べる~!」
気を散らすべく急かせば、花梨はやや早いペース(当社比)でお弁当の残りをたいらげていく。
ラルフも話は終わったと判断したのか、春史くんに話しかけている。……春史くん、少し顔が引きつってますわよ。
その様子をジュース片手に眺めながら、今後の計画を頭に浮かべる。
そんな噂になってるとは思わなかったが、もうどうすることもできない。計画を中止するわけにはいかないのだ。
とりあえず、しなきゃいけないのは真希の家の下見だ。真希の都合もあるから、土曜日に一旦家に帰ってから日曜のルート含めて実地確認する。
それ以外は、今のとこ問題ないはず。日曜に何か持ち込まれても困るので、土曜で真希の動画の後始末も全部終える手筈だ。なんだかんだと手伝うハメになったのは誤算だったが、ただ協力させるのも悪い気がしたので丁度いい。
それに、動画編集とかちょっと楽しかったし。現代ならではって感じがして。
……そんな風に一緒にコソコソしてたから、そういう噂も立ったんだろう。まぁ、特に害のある噂というわけではない。気にしなくていいだろう。
……一応、後で真希に聞いておこう。
ストローで中身を吸いきって、弁当箱と一緒に片付ける。
今週を越えさえすれば、しばらくは安寧の日々が訪れるはず。
頑張れ、私。
心の中で自分を励まし、昼休み終了のチャイムを待った。
日曜日。決戦の日がやってきた。
昨日までに準備は全て済ませている。待ち合わせの場所と時刻も知らせた。戦化粧の気構えで、いつもよりしっかりとメイクする。
昨日のうちに決めておいたシンプルめのブラウスとロングスカートに着替え、こっちもシンプルなネックレスをつける。イヤリングはどうしようか迷ったけど、あまりつけるのもどうかと思って今回は却下。
財布とスマホをバッグに入れて、鏡の前で最終確認。よし、戦闘準備完了。
普段は藍とか紫なんかの暗色が好きなんだけど、今回は白系統の明色で揃えてみた。万が一にでも街で誰かに会ったら嫌だし、私だと気づかれたくないからね。
スカートよりパンツの方が好きだけど、こっちも同様の理由で却下。かといって仕事で着まくってるマーメイドスカートなんか穿くわけにいかないのでロンゲットだ。
こんな気合入れた格好だと夕太に見つかったら煩いのだが、今日はその心配はない。なんでも、お友達と一緒に朝から買い物に行くらしいのだ。
色んな意味でほっとした。ちゃんとあの子にも友達がいたんだ。
何を買いに行くのかとかは教えてもらえなかったが、あの年頃にしては十分話してくれた方だと思う。とっくに家を出たはずだ。
私も早く行かないと。
スマホを取り出して真希に連絡し、母のところに顔を出して玄関に向かう。
ミュールを履いて、「行ってきます」と同時に玄関を開ける。
梅雨の最中のお天気日。天も私の戦いを見守ってくれているようだ。
ヒールが廊下を叩く音を連れて、エレベーターに乗り込んだ。
繁華街、通称『街』までの経路は二つある。
自転車や車を使うか、公共交通機関を使うか、だ。
徒歩で行こうと思ってはいけない。犬の散歩より歩かされるハメになる。
そんなわけで、今日はバスを使って街まで移動している。自転車という案は早期に没にした。パンツならまだしも、スカートで漕いでる姿を見られたくない。
ちらちらと視線を感じるが、いつものことなので無視する。花梨と連れ立っているとこの倍くらいは見られるから、まだ大人しい方だ。
他者の視線に鈍感になるのはいいことなのか悪いことなのか。前世ではそれこそ過敏になるよう教育されたものだが。
無事到着したバスから降り、待ち合わせ場所としてよく使われる広場に向かう。
広場というには狭いスペースに、幾つかのベンチと狐の銅像。何かの逸話があって狐の銅像になったと聞いてはいるけど、詳しくは知らない。
そこに、如何にもギャルっぽい服の真希がいた。
ショート丈トップスにショートパンツ。結い上げた金髪にはリボンが巻かれ、ピアスにネックレスに指輪と装飾品多め。嫌味にならないくらいに抑えてあるのが一応理性が働いたんだろうと窺えるところか。
「パイセーン! はよっす!」
ぶんぶんと手を振る真希に軽く手を振り返す。
親しくなってから、「ちょりっす」以外の挨拶も増えてきた。
ていうか、この子なんか少し古くない?
「おはよう、今日はよろしく」
「りょっす! 任せてほしいっす!」
胸を張る真希を横目にスマホを開く。予定時刻まであと12分。
気息を整えて覚悟を決めるには十分な時間だ。
「パイセン、今日は可愛い系っすね?」
遠慮のない真希のコーデチェックが飛び出す。
全体としては落ち着いてるから可愛い系なのかとは思うが。
「普段あんまり着ないものにしたの。誰かに見られるかもしれないし」
「あーだから色も明るめなんすね」
「そう。暗色系が好みだから」
「イメージぴったりっす! でも、こっちも悪くないっすよ。似合ってるのにギャップある感っす!」
両手を広げて褒めてくれる真希に、「ありがとう」と返す。
ん? いや? 褒められてるのか? ギャップとか言われてるけど……普段は全然可愛くないってことか?
……深く考えるのは止めておこう。良いことなんか一つもなさそうだ。
「真希はイメージ通りね。似合ってる」
「あざっす!!」
ニコニコ笑顔でポーズなんか取って見せる後輩が可愛くて、少し頬が緩む。
「最近レトロブームなんっすよ! あーし的に今風とレトロ混ぜてみた感じなんすけど、パイセンもどうっすか!?」
「……遠慮しとく」
そういや最近そういうの聞くなぁ。やっぱり流行は巡るってやつなんだろうか。
モデルとしては問題だけど、あんまり流行を意識したことはない。昔取った杵柄で、何をどう着たらどう見られるか、ってのを考えてるだけだ。
本格的にモデルやるなら勉強しなきゃいけないだろうなと思う。やるつもりは今のところあんまりないけど。
そうして一息ついたところで、
「ごめん、待った?」
今時少女漫画や乙女ゲームでも聞かない台詞。
そんな古臭いのを爽やかに言ってのけられ、思わず視線が向いてしまった。
「護堂さん」
「早めに来たつもりなんだけどね……そっちの子は?」
ラフな私服姿の護堂さんが軽く片眉を上げて真希を見やる。
シャツにジーンズ、薄手のジャケット。ほんとにラフなのに、雑誌にも載せられるくらいサマになっているのは流石一流イケメンモデルだ。
真希はにっこり笑って会釈し、私はスマホをバッグに戻す。
「この子は後輩の鳥居 真希です」
「真希……あぁ、もしかして『まき☆ちゃんねる』の?」
「そっす! 初めまして、『まき☆ちゃんねる』のまきちゃんっすよ!」
イケメンモデルを前にしても真希は全く物怖じしていない。
その人、あんたが迷惑かけた筆頭だよ……と突っ込みたくなるが、置いておく。話は早くてこじれない方が良い。
「僕は護堂 衛士。昼子ちゃんの――友人だよ。よろしくね」
意味深にこちらを見るのは止めて頂きたい。
よろしくっす、と握手するのを見届けて、早速本題に入る。
「今日お呼びしたのは……先日の、お話をするためです。この子の部屋を借りるので連れてきました。それに、二人っきりだと誤解を招く恐れがあるので」
「成程ね。できれば二人でデートしたかったけど仕方ないか」
少々残念そうに言う護堂さん。
相変わらず口が減らない……じゃなくて、ふざけるのが好きな人だ。タラシ野郎、撲滅すべし。慈悲はない。
「じゃ、早速行くっすよ~! パイセン、いいっすよね?」
「そうね。行きましょう、護堂さん」
「あぁ、うん」
真希を先頭に、ぞろぞろと歩き出す。
少し考え込むような仕草をしていた護堂さんがそっと距離を詰めて、
「今日の服、可愛いね。いつもより柔らかく見えて、ドキッとした」
囁くように褒めてきた。
芸歴が長いだけあって、お世辞もお手の物らしい。
「ありがとうございます」
無難にお礼を返し、社交辞令として褒め返せば良かったと思った。
違う、別にトキメいていたりはしない。嬉しかったりもしない。
褒め返せなかったのは、単に忘れていたからだ。決して動揺して思い浮かばなかったとか、そんなことじゃない。
少しだけ息が乱れているのに気づいて、今日は結構暑かったっけ、と空を見上げる。
カンカン照りというには威力が足りない太陽が、雲の隙間から顔を覗かせていた。
かつては『血の通わない冷たさ』とか『氷血令嬢』とか呼ばれていたというのに。一体いつから、こんなに腑抜けてしまったのか。
さりげなく隣を歩く護堂さんをチラ見する。
平然とした顔で真希についていく姿からは、動揺や高揚など一切見られない。女性の扱いはお手の物ということか。
まぁいいや、これで真希の存在を黙っていたことはチャラだ。だーれがこんな危険人物と二人っきりになんかなるもんか。
今日、必ず、個人的な関係は終わりにしてやる。今後は仕事場で会ってたまに一緒に撮影するだけの、同僚でもない他人に戻るのだ。
そう思うとなんだか元気が出てきた。
背筋を伸ばして真希の後をついて歩くと、気が付いたらファストフード店にいた。
「パイセンはモスとマックとどっち派っすか!? あーしとしてはロッテも捨てがたいんすけど、ファッキンもいっすよね! あ、あーしチキタツのセットで!」
きゃいきゃいと騒いだ挙句勝手に注文し、「お二人もどぞっす!」なんてノーテンキな顔でのたまいやがった後輩をどうしてくれよう。
素早く距離を詰めてほっぺたを引っ張り、護堂さんに聞かれないよう声をひそめる。
「ちょっと真希! すぐ家に行くんじゃなかったの!?」
「そーっすけど、ちょっとお腹減っちゃって……パイセンも減ってないすか?」
減ってはいる。朝は殆ど何も食べなかったし、時間はもうお昼に近い。
だが、こっちは緊張状態で空腹なんて感じてる場合じゃないんだよ!
「さっさと行くわよ。昼前に片付ければいいでしょ」
「でも、もう注文しちゃったっすよ~……パイセン、食べてきません?」
キラキラと期待を込めた瞳で見つめられ、うっと息が詰まる。
まぁ、この子を付き合わせちゃってるわけだし……後輩だからってあんまり強く出るのはなんか前世の悪徳を思い出させるし。
ちょっと早めのお昼を食べるくらい……ってダメダメ! 私は花梨以外には甘くない女、白峰昼子! 目的第一!
「ゴドーさんもお腹減らないっすか? デートだと思ってたんならこっちで食べるつもりだったっすよね?」
真希に急に話を振られ、護堂さんが苦笑する。
「そうだね、朝もあんまり食べてないし……少し減ってるかな」
二人に挟まれ、逃げ場をなくした私は観念するしかなかった。
でもさぁ、デートだと思ってたのは護堂さんの勘違いだよね!? 私、はっきり頷いたりはしなかったよ!?
「……分かりました。食べたらすぐ出ますよ」
私が頷くと、二人とも手を上げて喜ぶ。
……護堂さんも、真希に付き合わなくていいのに。そういうノリがいいと、色々巻き込まれて大変な目にあいますよ。
胸の内で呪いの言葉をぼやいて、レタスバーガーのセットを頼んで三人で二階に上がる。護堂さんはなんかすごいパテが三段くらいのを頼んでいた。男の人だなぁ。
上手いこと空いていなくて、窓際のボックス席に座る。
「久しぶりだなぁ、こういうの食べるの」
ぽろっと呟く護堂さんに、少し興味が引かれる。
「あんまり食べないんですか?」
「一応ね。体型維持や体調管理も仕事の内だから。最近はダンスの為の筋肉もつけてて、そのせいで中々ね」
そういえば、グループデビューするとか言ってたな。
護堂さんがアイドルになるのか……なんか不思議な気がする。似合うような、似合わないような。
「昼子ちゃんも普段食べないでしょ?」
「まぁ、そうですね。通学路から脇にそれないとないですし」
頷いて、健康に悪そうなポテトを食べる。ん~、このジャンクな味がたまらない。現代に転生して良かったと思うことの一つだ。
「マジっすか!? あーしなんか結構食べるっすよ!」
驚きながらもバーガーにかぶりつく真希。
あんた、その細さで食生活偏ってるんかい……いや、偏ってると細くなるって言うな? でも、こんな油まみれの食っといてよく太らないもんだ。
「若いうちはいいけど、年取ると気を付けないとね」
苦笑する護堂さん。あんたも若いでしょ。
「っても、ゴドーさんも20ちょっとっしょ?」
「24だね。大学卒業して二年。院に入らなかったから」
「若いじゃないですか」
私が突っ込むと、
「んーまぁ、そうだけど。やっぱ10代とは違うからねぇ」
曖昧に苦笑されてしまった。
「じゃ、あーしが一番詳しいっすね! パイセン達にあちこち紹介できるっすよ!」
嬉しそうに言ってジュースに口をつける。
おい真希、それはまたこうして私と護堂さんが会うってこと? そういうのを終わらせるために今日という日があるんだけど?
「いいね、頼んでみたいかな」
面白そうに護堂さんが言い、
「……機会があればね」
もう二度とないけど、と気持ちを込めて私が言い添える。
「機会は作るもんっすよ!」
「おっ、いいこと言うねぇ」
真希の考えなしの発言に護堂さんがノッて、二人して笑いあう。
突っ込む気力もなく、頬杖をついて冷や水代わりに冷たい視線を浴びせてやった。
ふと、窓の向こうから強い視線を感じ首を巡らせる。
雑然と並ぶお店に、行きかう人で波を形成する雑踏。
特に変なところはない。気のせいだろうか。
それなりに可愛い真希とイケメン護堂さんと一緒にいるせいでちらちらと向けられる視線が増えているから、何か勘違いしたのだろう。
そう結論づけて、それ以上気にしないようにした。
「食べ終わったら行くわよ、二人とも」
能天気な返事が二人分返ってきて、嘆息する。
久しぶりに食べたバーガーの味は悪くなく、花梨だったら一口かじるのも大変だろうなと思った。
早めの昼食を終えて、バス停へ。
最寄りの停留所で降りて向かった真希の家は、それなりに大きなマンションだった。
一部屋あたりの面積はウチよりも小さいが、その分セキュリティがしっかりしてる。何より、ある程度の防音がされているというのがいい。
昔はもっと安いアパートに暮らしていたらしいが、真希の小学校卒業を機に転居したらしい。
真希が動画投稿者になったのには、「せっかく防音なんだし」という思いもあったらしい。が、やっぱり不足があったらしく、自室だけでも頑張って防音仕様にしたようだ。
下見に訪れたときに真希から聞いた話だ。
エントランスを抜けエレベーターを駆使し真希の家に向かう。
「さ、どうぞっす!」
「お邪魔します」
私と護堂さんは軽く会釈し、中に入る。
生活感に溢れた様子に護堂さんは軽く息を吞んでいた。私は最初に驚きまくったのでもう大丈夫。
埃被っている、ということはないが、フローリングの床にはところどころにゴミ袋が打ち捨てられている。キッチンは洗い物が未洗浄のままおいてあり、ダイニングのテーブルの上にはインスタントラーメンが横たわっていたり、どんぶりが放置されていたり。
さっき食べたファストフード店の袋もある。流石に中身は空っぽだったけど。
「散らかってるっすけど、気にしないで欲しいっす! あ、こっちがあーしの部屋っすよー!」
意気揚々と共用スペースを横断して自室へ向かう真希の後についていく。
護堂さんの歩き方がおっかなびっくりなのは、ペットボトルの蓋がたまに転がっていることに関係しているのだろう。さっき軽く踏んでて痛そうだった。
真希の私室はそれなりに綺麗で、女子らしい内装をしていた。ベッドに机にゲーム用パソコン、あとは動画配信用の器材やらなにやら。
……これも、昨日まではポテチの袋が転がっていたりしたのだ。今日の為に頑張って掃除した結果である。
「それじゃ、ごゆっくりどぞっす。飲み物でも取ってくるっすよ」
ひらひらと手を振って真希が部屋から出ていく。
……いいけどさ、座る場所くらい示してから行かんかい。いやもうそうなるだろうと思って下見したんだけどさ!
椅子を引っ張ってきてベッドの近くにセットし、護堂さんに勧める。
「どうぞ」
「ありがとう」
私はベッドに腰かけ、話すのにちょうどよい距離が生まれる。
こっそり深呼吸を一回、腹をくくった。
「護堂さん」
「なに?」
何も気にしていないような声と優しい笑顔。
でも、多分、私が何を話そうとしているか察しているはずだ。
それなのに、この動じなさはほんと凄いと思う。尊敬できる。
「この前の、返事をしたいんです」
「……うん」
真面目な顔で、茶化さず頷いてくれる。
こういう普段との違いが、なんか心にぐさっとくる。やっぱりこの人の前世はエッジなんだな。真剣な時の態度が良く似てる。
ちゃんと耳を傾けてくれるところ、信頼していた。
深く息を吸う。
「ごめんなさい。貴方の気持ちには応えられません」
胸の中の空気を全部押し出すように。
全部の力を込めて、そう言った。
「……そっか」
その声には、思ったよりも傷ついている様子はなかった。
「なんとなく、こうなるんじゃないかって思ってたんだ」
苦笑交じりに言われ、胸のドキドキが収まらない。
どうして、そう思ったのだろう。
「昼子ちゃん、好きな人いる?」
どがん、と。
胸の中で巨大な爆弾が爆発した音を聞いた。




