第十五話
ウチの事務所の社長は、一言で言うと変人だ。
社長室にいることは殆どなく、いつもどこかをフラフラしている。『原石を見つける為』と言い張っては街を遊び歩き、クレープを食べゲーセンに通う。そんなダメ大人である。
たまに人の話にニョッキと首を挟んできては、とんでもない知識を披露することもある。この前はイエローエンジェルの社長がヅラだとかいう話をしてきてめっちゃ笑った。なんでそんなこと知ってるんだろ。
いつもヘラヘラ笑ってるし、怒ったところなんて見たことない。セクハラはしないけど「昼子ちゃん、グラビアやろうよ! それか水着写真集!」なんて半ば同じことを言うし、表情から内心が読めなくて苦手だ。
もちろん断っている。人前であんなに肌を晒すなんて、海水浴で限界だ。……こういう感覚は、前世の記憶が残っているせいかもしれないと思う。
極めつけの変人っぷりは、私と花梨をスカウトしたことだ。ブラブラと街を歩いていた私達に声をかけたのは、他でもない社長だった。
当時の私達はそんなこと露とも知らず、詐欺か何かだと思いっきり疑ってかかったのだが。そんな私達の態度にもめげず、社長は必死に口説き落としてきた。
花梨が徐々にノセられつつあって、放課後特にやることもなかったので頷くことにした。なんだか必死すぎて可哀想だったし。
その後、猛烈に後悔したのは言うまでもない。人が足りてないわけでも規模が小さいわけでもないのに社長が街を遊び歩いてスカウトする事務所だなんて、花梨を預けるのに不安でしょうがないでしょうが!!
社長は悪人じゃない。それは分かってる。どちらかと言えば優しいし、所属してる先輩方からの評判も上々だ。
でも、たまにこうして奇行をかましてくるから全く油断できないの!
峯野さんなんか毎度社長の後始末に駆り出されていて、よく辞めないものだと感心する。今もこうして撮影があるのに、社長のせいで別の場所に向かうハメになってるし。
ちらりと横目で見た峯野さんの顔は、サングラスに覆われて何を考えているのかよくわからない。
ため息を吐く。
私もできれば、知らぬ存ぜぬで後を全て峯野さん達に任せて逃げ出したい。けど、巻き込まれているのが見知った後輩じゃそうもいかない。
こういう奇行さえなければ社長もいい人なんだけどなぁ。
『バカじゃないラルフ』みたいなあり得ない妄想をしていると、車が停止した。
「着きました」
峯野さんの言葉に窓の向こうを見れば、見慣れたラーメン屋兼居酒屋『てっちゃん』の看板。昼はラーメン屋、夜は居酒屋という奇妙なお店が入っている雑居ビルの二階が、我らが『410プロダクション』の第一事務所だ。
規模が小さいやないかい、なんて言わないで。
今はもう第二事務所が本事務所だし、そっちは都心に堂々と聳え立つ高層ビルなのだ。そう、一部屋とかじゃなくビル丸ごと410プロダクションのもの。凄いでしょ?
こっちは410プロ立ち上げ当時の事務所で、今は『一応』使っている程度のもの。社長とその腹心の方々、そして社長の許可を得た人達しか入れない場所なのだ。
「ありがとうございます。早めに片づけます」
「お願いします」
峯野さんに頭を下げられ車を降りる。すぐ傍の月極駐車場を見ると、どでかいバンが一台停まっていた。もう間違いはない。ここしかないとは思っていたけどね!
ため息をついて、鉄筋の階段を上る。
二か月ぶりくらいの残響音に懐かしさを覚え、少しメンタルが回復する。社長は苦手だけど、この事務所の雰囲気は好きだ。
登り切った先には、黒いスーツで巨体を覆ったサングラス姿の男が二人、ドアを守っていた。
「お疲れ様です」
軽く会釈をしてドアノブを捻る。
大男二人は慌てた素振りをするが、私に触れようとはせず制止できていない。そのまま無視してドアを開けた。
サングラス越しにも困惑している様子が伝わるが、止まるわけにはいかない。ごめんなさい、一ノ瀬さん、二ノ宮さん。
この二人はいつも社長の奇行に付き合わされる可哀想な人達だ。うちの事務所の人間ではなく、まぁ、その、『あまり公には開陳できない組織』所属である。
よく見るとあちこちに傷痕があり、普通は怖くて近づけないタイプだろう。だが、その実態は心優しくあの変人に付き合わされる苦労性の大人である。所属以外は峯野さんの同類と言っていい。
あと二人、いつも通りなら付き合わされてる人がいるのだが。ここにいないということは、おそらく社長室だ。
第一事務所は、雑居ビルの二階だけあってあまり広くはない。ドアを開けてすぐに事務机は見えるし、部屋の区切りは適当なパネルとカーテンで間に合わせている。一応キッチンはあるものの、麦茶とカップ麺以外が作られてるのは見たことない。それより大活躍しているのが、去年私が買ってきたコーヒーミルというのは少し泣ける。
ドア近くには休憩室と番組確認用のテレビ、正面ボードには予定表とメモの貼り付け。事務机とパソコンが並ぶ主要スペースにはあちこちに衣装ラックが突っ込まれ、その隣では来客用のソファとテーブルがパネルで仕切られている。
さらにその奥、左手側には他の設備に比べ立派な黒扉がある。扉に張り付けられたプレートには『社長室』の文字。犯行現場だ。
ドアノブを回す。鍵がかけられていた。
……そうだろうね、そうだろうと思ったよ。
怒りがふつふつと湧き上がってくる。朝から変な質問はされるわ、春史くんは目を合わせてくれないわ、迷惑娘に襲撃されるわ。挙句の果てが社長による女子高生拉致事件ときた。悩みたいことは山ほどあるのに、やらなきゃいけないこともやるのに、なんでどうして地位も名誉もあるオッサンの尻拭いをうら若き女子高生がやらねばならないのか。
これが前世の贖罪ってやつ? っざっけんなもう散々やってるだろぉ!?
こう思うことが悪いのは分かってる、分かってるけど性根が悪役令嬢の私にそんな高潔な精神を望まれても困るんだってば!!
どこにもぶつけられない感情エネルギーを右足に乗せ、思いっきり黒扉を蹴り飛ばした。
ガンッ、ガリッ!
耳障りな音を立てて、扉が開く。見た目は立派でも、所詮はオンボロ雑居ビルの扉。建付けが悪く、力いっぱい押し開ければ鍵が外れるようになっているのだ。
やったのは初めてだけど。
足音高く中に入れば、真っ暗な室内が出迎えてくれた。
窓に暗幕を張り、電気も消しているのでほぼ完全な暗闇が出来上がっている。社長室にしては狭い室内には大きめのオフィスデスクと革張りのソファとガラスのテーブル。事務所の中では一応一番体裁は保っている。
そのデスクには蝋燭が立ち、部屋唯一の光源となっている。揺らめく炎の向こうにある社長の顔は、相変わらず楽しそうな笑顔だった。
「早かったねぇ、昼子ちゃん」
ニコニコと話しかけてくる社長を睨みつければ、後ろにいる三ノ倉さんと四ノ森さんが驚きと困惑であたふたしているのが見えた。
相変わらずの社長から視線を切り、ソファに座らされている真希に近づく。
「無事みたいね、真希……鳥居さん」
「ふんごぉん!」
手足を縛られ、猿轡をかまされるという立派な拉致スタイル。ちょっと眩暈がしてきた。一応怪我はないみたいなのが救いだ。
猿轡を外し縄を解くと、真希は歓喜の笑みで抱き着いてくる。
「センパイ!! マジすげっす!! かっこよさエグちっす!!」
「あーはいはい」
興奮する真希の背中を軽く叩き、何かまくし立てるのを無視して社長に目を向ける。
三ノ倉さんと四ノ森さんがてきぱきと暗幕を外していた。
「社長、あなたバカですか」
率直な思いを吐き出す。
「久しぶりに会ったのに酷い言いぐさだなぁ」
ショックを受けた顔で悲し気に項垂れる55歳バツイチ男。
騙されることなかれ、この人はこの程度でダメージを負ったりしない。慌てて慰めようものならコロッと笑顔になって丸め込んでくるのだ。
もう何度も経験がある。
「それ以外に何かありますか。芸能プロの社長が女子高生を拉致監禁なんて、マスコミのいいネタですよ。ゴシップ誌を自分の話題で埋め尽くしたい願望でも?」
「誤解だよ! ぼくはただ、彼女とお話がしたかっただけなんだ」
慌てて手を振り、バツイチ社長はにっこりと微笑む。
私に縋り付いていた真希は、社長の視線を受けて難しい顔をして黙り込んだ。
あー……見覚えのある表情。前世のこの子にキャスリン殺害計画に加担しろって言った時にした顔に似てる。いや、まぁ、直接的に殺すつもりはなかったけど、侍女買収してクソ高い階段から突き落とすなんて殺害計画以外何でもないわ。私が保証する。
別に前世の彼女はマシンガン娘ではなかったけど、なにか厳しい話をされたんだろうことは想像に難くない。
腹が立ってきた。
女子高生脅すのか、この55歳芸能プロ社長は。
それじゃ、まんまゴシップ誌の悪徳社長じゃんか。
「社長」
「なんだい?」
厳しめに睨みつけた視線をさらりと流し、いつもの微笑みを浮かべられた。
「この子がやったことは、そんなにマズいことなんですか?」
詰問する私に、社長が苦笑する。
「この子は動画投稿者でね。撮影をしてたら、たまたま君達が映ったんだって。確認したけど、昼子ちゃんは普段見慣れてる人なら分かるかなってぐらいだけど、護堂君の方は殆ど見えてないから誰かわからないんじゃないかな」
「だったら、」
「でも、密会現場を押さえられたのには違いないからね! パパラッチは大変なんだってことを知ってもらわないと、ぼくらの立つ瀬がないだろう? 大人として指導しないとねぇ!」
ニンマリと微笑んで、真希に視線を送る。
小さく「ひっ」と声を漏らし、私にしがみつく手に力がこもった。
……こんな変人に怯えることはないと思うんだけど、実際に拉致されたらそりゃビビるか。考えると、なんだかイラッとした。
大の大人が子供を苛めて遊ぶんじゃない!
「この子は連れていきます」
「あっ、待って、話がまだ、」
「連・れ・て・い・き・ま・す!」
全力で睨みつけると、流石に社長も気まずそうに引いてくれた。
良かった、これで引かなかったら手が出るところだった。足かもしれないけど。
それと、ちゃんと釘を刺しておかなくちゃ。
「今後、こういうことは辞めてください」
「こういうことって?」
惚けた振りで首を傾げる55歳がいていいと思ってんのかこの人は。
もうダメだ、はっきり言ってやらねば。
「この子に手を出したら、事務所辞めます。もちろん花梨も」
「えぇっ!? 待って、それだけは勘弁して!!」
焦って立ち上がり、机の上の蝋燭が左右にぶらぶらと揺れる。
慌てて燭台を掴む社長が普段より間抜けで、少し溜飲が下がった。
「いいですね? 警告しましたからね?」
「昼子ちゃん、ぼくらは話し合う必要が――」
「――ないです。では、失礼しました」
何か言う社長を無視し、真希の腰に手を回して部屋から出てドアを閉める。
バタン、と音が鳴ったところで深くため息を吐いてしまった。
「白峰センパイ……」
潤んだ瞳で真希が見上げてくる。このパターン、今日二回目だなぁ、なんて考えていると真希の瞳がキラキラと輝きを増した。
「パイセン、って呼んでいっすか!?」
夢見る乙女のような瞳でそんなことを言われ、
「はぁ?」
と返すしかなかった私をどうか分かって欲しい。
「あーし、今日からパイセンガチ勢っす! マジかっこいくてキレーでパイセン最高っす!!」
いいって言ってないのに呼んでるし。てかパイセンって何よ、先輩の逆読み? 意味が全く分からないけど、この子にとっては何か大事なことなのだろうか。
聞いてみようかと思ったけど、深入りするのもヤなので放置することにした。
「そう。帰るわよ」
「りょっす! あ、パイセン、動画って消したがいっすか?」
純度100%のただ聞いただけという顔をする真希に、説教する気も失せていく。
一応、社長から叱られたみたいだからそれでいいとしよう。
「そうね、消して。噂が広がると迷惑だから」
「りょっす! あーしに任せてほしいっす!」
そもそもあんたのせいだろうが、と喉元まで出かかってなんとか止めた。
眩しい笑顔でふんすと意気込む彼女に水を差すのもどうかと思う。
入口ドアに向かって歩き出せば、真希も後をついてくる。ちらりと横目で見れば、私の視線に気づいてにひひと笑いかけてきた。
「これに懲りて、もう危ない真似は止めなさい」
「りょっす! あーでも、面白いことを探すのはあーしの性っていうか……」
悪びれず頬を掻く姿は、近所の悪ガキか手のかかる妹か何かのようだ。
こっちにも釘を刺すべきだと判断し、ジロリと睨む。
「次も助けられるとは限らないわよ」
「……助けて、くれるんすか?」
キョトンとした顔で真希が見つめてくる。
こいつは何を言ってるんだろうか? やるな、と私は言ってるんだけれど。助けるも何も、最初からそんな真似しなければいいだけだ。
大体、今回はうちの社長だから良かったけど、他所の事務所となればそう簡単にはいかない。私はただの読モで何の権限も力もないのだ。そこのところ、分かっているんだろうか?
「下手に首を突っ込むな、と言ってるの。私じゃどうにもできないことが多いんだから」
キツめの口調で言うと、何故か真希はにんまりと嬉しそうに笑った。
……こいつ、本当に分かってるんだろうな?
「約束できる? できないなら、今すぐ社長室に戻すから」
「りょっす! 『下手に』首を突っ込んだりしないっすよ!! パイセンとの約束っす!」
跳ねるように抱き着かれ、いまいちちゃんとわかってるようには見えない。
後であのポニテの一年生にも注意しておかなくては。ちゃんと友人を見張っているように。
離れようとしない真希を引きずりながらドアを出て、一ノ瀬さんに後のことを頼む。真面目な人だから、きちんと彼女を学校に送って行ってくれるだろう。
私はそのまま駐車場に向かい、峯野さんの車に乗り込んだ。
「時間に間に合いそうにありません。向こうについたら、まずディレクターに謝罪して」
エンジンを入れながら段取りを説明する峯野さんの言葉を遮り、
「間に合いますよ」
有無を言わせず断言した。
峯野さんが驚いてこちらに視線を送り、
「いえ、ですが、」
「間に合います、峯野さんなら」
もう一度断言した。
これは、社長の暴走を止められなかった彼へのお仕置きなのだ。可哀想に思うが、これもあの人の尻拭いだと思って欲しい。
別に頭を下げるのが嫌なわけじゃなくて、責任を取って欲しいだけだ。
「……分かりました……」
諦めたように呟いて、峯野さんが深く息を吸う。
ネクタイを緩め、首元のボタンを外し、普段全く見ない崩した姿でハンドルとシフトレバーを握った。
「口、閉じてて下さい」
はっきりそう言って、車が発進する。
滑るように速度を上げ、紳士的な加速で幹線道路に突っ込み、どこかでクラクションが鳴らされた。
この調子なら、本当に間に合いそうだ。
恐怖を顔に出さないようにしながらシートベルトを握りしめて、事故りませんようにと祈り続けた。
撮影が終わり、スタジオのあるビルのロビーで峯野さんを待つ。
顔に似合わず峯野さんのドラテクはどこのレース漫画だよと言いたくなるほどで、無事間に合った時は流石に驚いた。二人して青い顔で見つめあうくらい。
警察に捕まらなくてよかった、と峯野さんは心底胸を撫でおろしていた。私はといえば、同じ過ちを二度と繰り返さないよう深く心に刻んだ。変に峯野さんにまで八つ当たりをするんじゃなかった。社長で満足すべきだった。
深呼吸を繰り返して顔色を戻しスタジオ入りすれば、撮影自体は滞りなくさくっと終了した。
護堂さんがいれば話せるかな、なんて思ったけれどそうは上手くいかないものだ。人生は漫画みたいにはいかない。
立派な円筒形の柱に寄りかかり、スマホを開く。通知欄は未読のチャットで埋め尽くされ、軽くタップすれば花梨とラルフが楽しそうに話していた。
花梨の母親――小町のおばさんはそろそろ修羅場に入るらしい。手伝うのが大変だと嘆く花梨と、慰めているのかなんなのか分からないラルフ。それでもまぁ、二人が満足そうなのでいいのだろう。
春史くんの書き込みを自然と探してしまう。
あった。二時間前、私が撮影中のとき。期末の話が出て、春史くんにも話が振られ、「勉強しています」「はい」の二言だけ。
彼は別に無口というわけじゃない。多分、二人の勢いに押されてそれだけ打ち込んだのだろう。私も二人で盛り上がっている時に話そうとは思わない。
最新は十分前。ここで私が何か言えば、春史くんは反応してくれるだろうか。それとも、また無視されるだろうか。
……いや、別に無視されたわけじゃないけど。気づかれなかっただけで。
チャットなら通知も行くし気づかれないこともない。だから、話しかけたら多分確実に反応してくれる。
そう分かってるのに、こっちを見て欲しいのに、指が動かない。
護堂さんにちゃんと返事もしてないで、何してるんだか。いやいや、別に付き合ってるわけでも好きなわけでもないから、護堂さんの告白と春史くんは何の関係もないけど。
だって、私が好きなのはアルフォンスで、それも過去形だもの。
……何を考えてんだろ。ばかばかしい。
チャットを切って画面を落とし、ポケットに入れる。もうすぐ峯野さんも来るはずだ。少し遅い気もするけど、社長と電話でもしてるのだろう。今回の事は彼からも是非お説教してもらいたい。
「ちょっと」
聞こえた声に顔を上げる。
そこにいたのは、何度かスタジオで見たことがある顔だった。確か、業界最大手の事務所・イエローエンジェル所属の人。名前は……忘れた。てか多分最初から知らない。
やや赤みがかったショートボブに、大きめの瞳。小顔だけど輪郭は丸っこくて、背は私と同じくらい。大人っぽいと子供っぽいのイイトコ取りをしたような人で、年齢は……私より上だと思う。大学生かそのちょい上くらい。
その顔を見たことがあるだけの人は、何故か大きめの瞳を釣り上げて私を睨んでいた。
「あんたね、衛士くんにコナかけてる読モって」
「違います」
覚えがなかったので即答した。冤罪で恨まれるのは勘弁したい。冤罪じゃなくてもこりごりだってのに。
「っあんたねぇ! あたしを馬鹿にしてんの!?」
「違います」
なんで正直に答えただけなのにそうなるのだろうか。
この人も思い込みが強いタイプだろうか。そういうのは真希だけで許してほしい。
「410プロの白峰! あんたのことでしょ!?」
「それは私ですが」
「やっぱりそうじゃない! 嘘ついて逃げようったって無駄よ。この業界、一度睨まれたらもうずっと狙われるんだから」
それは知ってる……というか、聞いてる。
けど、私は狙われるような心当たりなんて全くないんだけど。
「何か御用ですか?」
「はぁ!? あんた、ふざけてんの!?」
更に目を吊り上げ、髪を逆立てそうな勢いで怒鳴られる。
流石にマズいと思ったのか、黄天の人は周囲を見回して小さく舌打ちした。
ずいっと距離を縮められ、人差し指を胸に突き付けられる。
「いい? 衛士くんは優しいから言わないけど、あんたみたいなしょっぱい読モにうろちょろされるのは迷惑なの。分かったら立場を弁えるように」
あぁ、と納得した。
まぁ、なんだ、前世でよくあったアレだ。私がやったこともある。
こういう場合、「うろちょろしてるのは私じゃなくて護堂さんです」とか正しい情報を渡すと、相手が受け取る際に歪めてキレ散らかされるのが定番だ。
しかし、素直に頷くのもちょっと腹が立つ。
「分かりました。ところで、こちらにはお仕事で?」
尋ねると、嬉しそうに胸を張り、
「当然じゃない。次の『FanFan』の特集ページの撮影よ。あんたは?」
かかった。
その瞳には『どうせしょっぱい雑誌の巻末ページなんでしょうけど』とでも言いたげな揶揄が満ちている。
「その『FanFan』の表紙と巻頭ページの撮影です。もう終わりましたけど」
さらりと言ってのけると、彼女は一瞬呆気にとられた後、怒りに顔を歪めた。
予想通りの反応に心の中で舌を出し、彼女から視線を逸らした。
「あ、あ、あんたねぇ! 紫藤さんのゴリ押しで仕事取れてるくせに!」
「そうですね。学生だから学業が本分だと言ってるんですけど」
紫藤とは、社長のことだ。本名は紫藤 竜一。だから410プロ。誰の事務所か分かりやすくていいと思うけれど、センスはあんまりないかもしれない。
横目に見れば、彼女の顔が茹でダコのようになっていた。
短気そうだし、そろそろ一発殴られるかもしれない。まぁ仕方ないか、なんて思っていると、声がした。
「蓮花さん、どうかしましたか?」
聞き覚えのある響きに、思わずそちらを向く。
柔和な笑みを浮かべた護堂さんがいた。
「ううん、なんでも! ちょっとお話していたの!」
慌ててごまかす彼女を横目に見て、とりあえず何も言わないことにした。
面倒なことをこれ以上増やしたくない。
「お話し中にすみませんが、もうすぐ時間です。行きましょう」
「あ、ごめんなさい! すぐ行きます!」
言葉通り、彼女はそそくさと護堂さんの隣に立ちスタジオに向かっていく。
彼女をエスコートしながら、護堂さんはそっとこちらに振り向いて苦笑しつつ小さく頭を下げた。
頷き返し、柱に背を預けて軽く目を閉じる。
今まで、こういう形で因縁をつけられることは一度もなかった。
おそらく、410プロの名前が効いているんだろう。社長はああ見えて色んな話を知ってるみたいだし、コネも多いらしいし。
こうして突っかかられたのは、やっぱり真希のアレが原因だろう。前から目障りだった私に対し、とうとう我慢できなくなったのだ。
社長の話だと護堂さんと特定することはできないらしいが、前から一緒に仕事をする度に話しかけられていたし、それを見ているスタッフも同業者もいる。そこを繋げる人がいてもおかしくはない。
これからあんなのが増えると嫌だなぁ。ていうか、これじゃあ仕事の後にこっそり話をすることもできないんじゃ?
思いついた瞬間、顔から血の気が引く。改めて考えなおしても、確かにそうだ。今のまま護堂さんと二人で話したりなんかすれば、それこそいい標的だ。
どうしよう、どうしたらいい? てか、さっきの護堂さんの態度も人前でなるべく接触しないほうがいいってやつだよね、アレ。これからずっとってことはないだろうけど、一旦落ち着くまでは私もその方が良いと思う。冷静に考えるとそう。
でも、そうなるとどうやって護堂さんに返事すりゃいいの?
別にすぐ返事しなきゃいけないわけでも、護堂さんがそれを望んでるわけでもなさそうだけど。
でもそれじゃ、私の方が収まりつかないんじゃいっ!! 早くスッキリしたいのこっちは!!
そう頭を抱えていると、
「お疲れ様です」
峯野さんが戻ってきた。
家まで送ってもらう道すがら、黙っているわけにもいかず絡まれた話をする。
「これ、ほとぼりが冷めるまで護堂さんと話さない方がいいですよね」
言外に、なんか方法はありませんか、という意味合いを含めて聞いてみる。
業界の事に関しては、峯野さんの方が年季も気合も入っている。
「それがいいでしょう。幸い、今回の件はすぐに収まりそうです」
普通に肯定されてしまった。
収まるんならいいんだけど、ああいう変な絡みをされなくなるのはいいんだけどさ!
私の心のモヤモヤは一体どうしてくれるの!? 護堂さんの返事も先々に伸ばす? いやもう別にそれでもいいんだけどさぁ!
「早めに片づけて下さいね」
どうせ社長や峯野さんが手を回すのだろう。そう思って、苛立ち紛れにお願いした。
……語気が強めなのは許して。
「分かりました」
峯野さんが苦笑する気配を感じながら、窓の外に目を向けた。
後ろへ流れていく景色は、昨夜護堂さんの車から見たものと同じだった。たった一日しか経ってないのに、何故か遠い昔のことのように思える。
早くなんとかしたいのに。
気ばかりが急いてしまうのはよくない。そう思うけれど、制御できるんならこれほど楽なこともないだろう。
春史くんは今頃何をしてるかな、とふと思った。
翌朝、いつも通りに起きて花梨と合流して登校する。
教室に入ると同時に春史くんの席を盗み見る。
一切こちらを振り向かずに、参考書を開く彼の姿があった。
一刻も早くなんとかしなければ、と強く思った。




