「悪女達のランチタイム」 ~渚のカフェにて~
これは、僕が実際に行き付けだった茅ヶ崎の素敵なレストランでのランチタイムの出来事を想定しています。飽くまでも脚色があることはお許し下さい。
尚、登場人物名は、架空の名称です。
湘南の海を見渡せるこのイタリアンレストランは、実に居心地の良い店である。スタッフの教育も良く行き届いているようで人柄も接客も申し分ない。店のインテリアも家具調度品だけでなく、トイレの備品に至るまで極めてセンスが光っている。店の立地がR134から一段海側に下がっている為に、道路からは死角となっているので、海岸通りを走り抜ける車からはこの店は見つけられないが、店の正面入口が海沿いの遊歩道に面している為に店内からは海側に視界を遮る物が無く浜辺も相模湾の海も一望出来る。逆に砂浜で陽気に遊ぶ者達や、遊歩道を行き交う近隣住民のランナーや犬の散歩で歩く人々からは自然に目に付き、料理の評判の声も高く、結構流行っている。夜は潮騒の音とジャズの音楽が流れ、カウンターバー奥のブルーライトとテーブル席のキャンドルの灯が空間を彩る。気候が温暖で天候の穏やかな日には、店頭のテラス席のドアはフルオープンされて格好のデートスポットにもなっている。
そんな店に平日のランチタイムとなると、ラフに着飾った近所の婦人達が犬の散歩にかこつけてこぞって集まり溢れかえる。テラス席は、ペット同伴がOKなのだ。集まってくる犬たちは、手入れの行き届いたアフガンハウンド・イングリッシュコッカスパニエルといったブランド犬達ばかりで差し詰め犬の品評会の様相だ。集まって来た気取り有る「湘南夫人」達は、それぞれ同伴した愛犬で見栄の張り合いを始める。毎日のように繰り広げられるその「社交場」では男は勿論のこと、若いカップルでさえ近付き難いオーラを辺りに醸し出す。夫人達は千円を優に超えるプレートランチセットや、生パスタのセットを注文し、テラスのテーブル席の殆どを1時間以上占拠するのだ。そして着席して注文を終えると、堰を切った様にその気取った容姿とは裏腹の下品な会話を始める。それは食事を終え席を立つまでの間、執拗に途切れることもなく続き、僕の愉しいはずだった食事の一時を台無しにするので有る。
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「この間さあ、以前駅前に文房具屋が有った所覚えてる?。そこに新しくビルが建ってさあ、その1階に洋食屋が出来たんだけれどみんな知ってる?」
「うん、知ってる知ってる。最近昼時に外までお客並んでいる所でしょう?」
「そうそう、その店。この間さ、そこに偵察がてらランチしに行ってきたのよ。そしたらさ、まだ開店して間もないって事も有って、とりあえず店の中は小綺麗にはしてあるし、インテリアにもそこそこ拘り持って気を遣っているというか安物を上手く使って飾ってある感じ?。メニューもランチは千円弱、夜は2,3千円てとこかしら。まあ、私は無難なとこで日替わりランチを頼んだのね。それで、出てきた食事はボリューミーで味もまあまあなんだけれど、それはいいのよ。でもね、ランチで忙しいのかもしれないけどさ、盛り付けが雑だし平凡過ぎるのよね。何て言うか、『目新しさ』とか、『驚き』が全くないって感じ?。ありふれていて、スープは無難すぎて特徴が無いし、サラダもとりわけ取り柄も無いし、ドレッシングも安っぽくていまいちね。それと後から出て来るアイスコーヒーが、いかにも出来合いって味だし、グラスがダサい。それよりも気になったのはトイレね。奥に2つ並んでるんだけれど、男女兼用なのよ。それにウォシュレットのノズルが何となく薄汚れていてさ、とても便座に腰を降ろせる気分じゃ無かったわ。消臭剤もドラッグストアで売ってる量販品だし、それに出てきたときの洗面台が、水が周りにビシャビシャ撥ねたままなのよ。あれじゃあ食べる気分無くすわね。私は2度と行く気分にはならなかったわ。」
「へえ、そうなの。私、友達誘って来週辺り行ってやろうと思っていたんだけれども、今の話し聞いて辞めておくわ。ありがとう。恥をかくところだったわ」
「そう言えばさ、うちのマンションの同じフロアに住んでいる三川さんて夫婦知ってる?」
「知っているわよ~。良く派手に夫婦げんかしているっていう家でしょう?あの辺りじゃ有名じゃない」
「私も知っているわよ。確か、旦那は県庁に勤めているK大出のエリートって話しよね。それに奥さんの方は性格きつくて、ネイルサロンやってる筈よ。収入も旦那より有るから何かにつけて旦那に命令口調で奥さんに頭が上がらないって話しでしょう」
「そうそう、その家よ。そこがさあこの間の日曜日の夕方にね派手にやり合っていてさ、何か旦那に最近若い女が出来たらしく、それが奥さんにばれたらしくてさ、大声でヒステリックに咎めてたんだけれどね。」
「ウワッ、只でさえ口うるさいのに、想像つくわ、目をつり上げて。こう言っちゃ悪いけどさ、奥さんて、目も細いし大して綺麗でもないじゃない、本人は美人気取っているけどさ。それに、近所じゃ奥さんの方が良く若い男とデートしているって噂もあるみたいじゃない。」
「噂は本当よ。私も見たことあるもの。ほら、工科大学の前にウッド造りのカフェがあるじゃない。そこでよ。」
「何でも、取引先の化粧品会社の若い営業マンらしいわよ。」
「でも、最近店の売り上げが‘芳しく’無くて振られたって話しよね。その営業マンが枕営業でもしてたんじゃ無いの。『金の切れ目が縁の切れ目』って言うしね。営業担当も変えられて、ストレスでも溜まってんじゃ無いのかしらん」
「そうかあ、それであんなに声が‘甲走って’いたのかしらねって駄洒落はさておいて、兎に角自分のことは棚に上げておいてよ、あのキンキン声で機関銃の様に怒鳴り散らすものだから、旦那の方はもうタジタジでさ、取り付く島もなくて可哀想な位よ。」
「ちょっとお!あなた随分詳しく知ってるわね」
「それはね、あの奥さん普段から、大声で耳障りな位じゃない。それを更に声を張り上げるんだから、窓閉めててもウチまで丸聞こえなのよね」
「まあ、恥ずかしくないのかしらね。でも、あの旦那さんてさ背も高くてちょっと目イイ男じゃない?流石にK大出ただけ有ってさ、いかにも持てそうだし。黙ってても女の方から寄ってきそうで仕方ないんじゃないのかしら?それに自分のしでかしている事考えたら、男の浮気の1つや2つ位多目に見てあげれば良いのにね」
「それが出来る女だったら周りも苦労しないわよ。あんなにヒステリックに言われたら大抵の男は参るわよ。でもさあ、旦那も旦那で言い訳めいた返しが情けないのよ。それが余計に彼女の神経を逆なでしてそれで更に彼女は発狂するわけ、『男らしく無いわね!』ってね」
「そりゃあ確かに旦那は威厳もないし男らしく無いとも思うわよ、私もね。でも、私に言わせりゃその前にあんたは女らしいのかって言ってやりたい」
「そうそう、男に向かって『男らしく無い』って言う女に限って大抵は女らしく無いものよね」
「同感!人を悪く言う前に自分をよく見ろって感じよね」
「でも、そんな大声でしょっちゅうケンカされてたらいい近所迷惑なんじゃないの?」
「それがさ、慣れって怖いもので、最近じゃ近所の人達の風物詩みたいになってて、みんなで面白がって聞いているのよ。あーまたやってるってね。それに、隣の木村さんなんかさ、いつか旦那の方が嫌になってそのうち家を出て行くわよ。何なら賭ける?とか言っちゃってさ。そうやってみんな愉しんじゃってるのよ最近はね」
「そうよね。『他人の不幸は蜜の味』って世間では言うじゃない。それで興味持ってるみたい」
「本当よね。ドラマ観るよりそのリアルさが返ってねえ…この先さてどうなってゆくのか、続きは来週のお楽しみって」
「私が男だったらあんな奧さんとっくに捨ててるわ。捨てられたときの彼女が見物だわね」
「本当、この先楽しみだわ」
そう言いながらテーブルに座る女達は、一斉に高笑いした。
食事も終わり、コーヒーを啜りながら
「うーん、やっぱりここのブレンドは美味しいわ。香りも良くて、それに、スタッフもみんな若くてイケメンだしね。居心地最高!」
と、一人の女が話しをすると、他の女が思い出したように話しを始めた。
「イケメンといえば、今度、駅の反対側にあるスポーツクラブに、新しく入ったインストラクターってみんな知っている?」
「知ってる、知ってる!あの若くてモデルみたいな高田君の事でしょう?」
「そうそう、その彼。顔も品があって清潔感溢れていて今評判よね」
「勿論、私も知ってる。最近では一部の会員から王子様って呼ばれているわよ」
「それにあんな格好いいのに、気取って無くて誰にでも優しいのよね。女性だけで無くて、おじさんたちにも同じように。それに、側によると何とも言えない良い香りがしてるのよ」
「その彼の事をさ、あのクラブに来ている橋本って医者の奧さんて判る?」
「ああ、いつも2・3人の取り巻き引き連れている女王様気分の人でしょう。何かむかつくのよね、あのババア見てると」
「その橋本がさ、彼に熱あげちゃっててさ、もう周りから見てても、ベタ惚れ感丸出しでさ、プライベートレッスン受けてる時なんか自分だけの世界に入っちゃっててもうべったり。見てられないわよこっちは。それに噂では内緒で大分高価なプレゼントとかしているらしいのよ。でも、彼はホストじゃないんだし、仕事に真っ直ぐの人じゃない。度が過ぎるのを困ってチーフに相談したらしいのね。どう対応していいか判らないって。そしたらさチーフから『特定の会員に親切が度が過ぎると、本人からも他の会員からも勘違いされたりやっかまれるから、馴れ合ったり深入りしたりしない様に。なるべく会員には、皆同じように接するように』って言われたらしいの。」
「高田君もいい被害者よね。可哀想」
「そしたら高田君、性格不器用だから、貰った物返したりして橋本さんとは距離おくようにして、急に余所余所しくしたものだから、他の会員、会員って言ったって男性よ、その人達に優しくしているのを見て嫉妬してさ、彼は何にも悪いことなんかしてないのに、勝手に1人で怒り出しちゃってさ彼をセンターホールのベンチに呼び出してさ、周りに人居るのに何て言ったと思う?」
「何て?」 「何て?」 「何て?」 「何て?」
「『あなたはそうやってワザと他のメンバーに優しく振る舞って見せつけて私に意地悪しているんでしょう。随分残酷な性格してるのね』って大声で言ったのよ。他の会員にも聞こえが良しによ」
「ウワッ、やだ。最低!」
「私も思わず口が開いたまま塞がらなかったわよ。自分は何様のつもりなのかしらって思って。一瞬、周りもシーンとしちゃったわよ。高田君も凍りついちゃって顔青ざめてるし、本当可哀想で。そしたらさ、その話側で聞いていたいつもランニングマシンで歩いてる上品な白髪のおばちゃん判る?あの人がさ彼女に向かってこう言ったのよ。」
「何て?」 「何て?」 「何て?」 「何て?」 …
「『事情は良く解らないけれど、大勢人が見ている前で男の人捕まえてそんな酷い事を平気で言えるあなたの方がよっぽど残酷な性格しているわね』ってそう言ったのよ」
「凄ーい、そのおばちゃん」
「そしたらね、その橋本が立ち竦んだまま、顔ひきつけて全身ワナワナ震えさせてさ、その後、逃げるようにロッカーに走り込んで消えちゃった。あんな事、人前で言われたことなんか無かったんじゃない?普段周りからチヤホヤされてきたから。私はいい気味だわって思ったわよ。彼女にも薬になったんじゃない。何かスッキリしたわよ」
「どうりで最近彼女のこと見かけなくなったんだ」
「そうなの。その日以来、クラブにはずっと来ていないらしいわよ」
「当然よね。よっぽど図々しく無かったらもう来れないわよ」
「本当、私も良い薬になったんだとおもうわ、彼女にはね」
「本当」
「そうよ、きっとそう」
「そうよね」……
そう言って、女達は高笑いをした後、一斉に椅子から立ち上がり、僕の方をチラリと見た。僕が呆然としていると女達は舐め回すように視線を回してから踵を返し、急に上品そうな表情を繕いながら、しゃなりしゃなりとレジカウンターの方へと歩いて消えていった。