第八話 頼り
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先ほどメリッサがドアから入ってきたときに安堵の息が漏れた。その矢先、もう一人入ってくる姿にミレーは肝を冷やした。
思わず被っていた外套のフードをより一層深くかぶり直して、ちらりとメリッサが連れていた女性を見上げた。
「お久しぶりです。……えと、ミレーさん」
「メリッサさま、私も主人も心よりお戻りをお待ちしておりました。よろしければ二階のお部屋にどうぞ」
ミレーが踵を返して、ふたりに背を向けた。エマは掌にひどく汗が滲んでいるのを感じて、それをスカートで軽く拭い去った。そして小さな案内人とメリッサに続いた。
二階廊下の突き当りの部屋の扉を開けて中に入るように促された。
「何だ。俺への暴言を誤りに来たのか」
中にひとりの男が立っていた。
エマはその人物を見るなり心臓が大きく跳ねて、顔から血の気が引いたのを感じた。
「ヒトなのか?」という疑問で頭の中がいっぱいになって、その姿をまじまじと目詰める。
頭に鋭い角が突き刺さっていて、尻尾のようなものが生えている様子から、間違いなくこれこそがメリッサが言っていた魔獣なのだろうと一目でわかった。
エマの掌はより一層汗ばむ手でスカートをきつく握りしめた。これはメリッサが初めてふたりにあった時と同じ反応だ。
ミレーは部屋に客人を通したあと一階に下りて行った。そしてティーポットとティーカップを4客持って部屋に戻ってきた。
それを待っている間メリッサがエマにこの館の主を紹介した。
ミレーが紅茶をそれぞれのカップに注いでから、自分も彼の主人が掛けている長椅子に落ち着いた。
「砂糖はないのか?」
同じく長椅子にゆったり腰をかけているミレーの主人が砂糖を所望してきた。
「そんなもの紅茶になんか入れられません。もう金がねぇって言ってんだろ」
この世界では砂糖が高い。購入する時期によって少々変動はするが、1キロ購入するのに銀貨5枚はなかなか手が出ない。そんな代物をこの状況で紅茶に入れたいと言ってくる辺りがどういう神経なのか疑問だ。
「……」
ふたりを訝しんで見るエマを同じくゴトーもじろりと見つめる。
「こいつはお前の使用人なのか?」
「……「こいつ」ではなく、エマです。彼女は私の使用人で、私が最も信頼できる者のひとりです」
メリッサが返した言葉に続いてエマも発言した。
「あなたもお嬢様のことを「お前」などと呼ばないでくださいませ。こちらはルカノルム領領主の一族であるメリッサ・ルカノルム様ですよ」
「ルカノルム領? なんか国の一番端っこにそんな名前の場所があったな。お前の領地は国境沿いなのか」
ゴトーは椅子から立ち上がると、国の地図が描かれた紙を本棚から抜き取り、それを手元に持って来た。
「それよりもゴトーさん、前回お会いしたときに私と街道の関所料金に関してお話をしましたよね。あの後中央騎士団に議題として取り扱っていただいて関所料金の引き下げが決定されたのです。春からこちらの旧街道の料金が大幅値下げになりますね」
「そうなのですね。ではこちらの街道を利用する方が増えて村に流れてくる人が増えますね。この土地に人が流れてくるようになれば、村の方たちの生活も少々は楽になるかと思います」
ミレーがメリッサの報告に安堵していると横からエマが話を挟んだ。
「わたくしはそうとは思えません。こちらの旧街道の料金が値下げになったとしてもアッカザに向かうためにはここは新街道よりも半日も長く移動に費やされます。半日も余計となると旧街道を抜けるために不要な宿泊費や休憩所など無駄な出費がかかるため、ほとんどの商人はあちらの道を中心に移動しますね」
エマの発言をミレーは黙って聞いていたが、ゴトーは微かに口端を上げて納得している表情をしていた。
「確かにエマの言う通りもっとこちらの道を使うメリットがないと、ほとんどの人はあちらの道を移動するでしょうね」
メリッサもエマの意見に同意しているようだ。ちらりとゴトーの顔を見ると同じく難しい顔をしている。
「急ぐ奴は新街道、そうでない奴はこちらに流れてくる。同じ商人でも目的ごとに住み分けが上手くできるんじゃないか?」
「あなた、話を聞いていましたか? メリッサさまはこちらの道を通るメリットがないと仰っていますが」
地図を指しながらエマがゴトーに意見した。
新街道を抜けるのに関所価格が11銀貨で旧道が10銀貨で抜けられる。しかし宿泊費がかさめば旧道ではそこにプラスで経費がかかる。
現在の黄昏館の宿泊費は1銀貨なので、計11銀貨の出費だ。ここに移動時間が長いとなっては、誰もこの旧街道を利用しなかったのにも納得がいった。
「春からの新料金が8銀貨と設定されるようですが、これではまだ新街道も旧街道も料金が変わらないのですよ? 商人は時間という貴重なコストを無駄にしませんよ」
ミレーがそれを聞いて腕を組んで唸る。
「で、街の冒険ギルドでは護衛任務の依頼が増えているのか?」
唐突にゴトーが訪ねた。
「冒険者ギルドですか? 言われた通り、今朝王都エレスを発つ前に様子を見てきました。確かに護衛任務の依頼は10件前後ありましたね……ってまさか!」
それを聞くと、ゴトーの顔がより一層悪者のそれになった。
「最近引きニートだったあなたが頻繁に出かけるようになったかと思ったら、新街道の方まで出没しに行ってたのですか?」
全くの策なしだと思っていた主人が、あまりの金欠に危機を感じて行動をしてくれていたことには驚いた。
「なるほど。新街道の方で魔獣がでると噂になればみんな冒険者の護衛を依頼しますものね。冒険者の護衛任務は半日で1銀貨ほどの相場で貼られていましたから、3銀貨の差ができますね。それならどちらの街道を使うか悩む価値はありますね」
メリッサがなるほどと目を大きく開いてゴトーを見た。
「あれ、でも……最初に私がこの館に来た時に冒険者の方からは、この街道に魔獣が出るという噂が立っていると聞きましたが……」
食堂で夕飯を食べていたときに話しかけてきた冒険者の男のことを思い出した。
「あぁ……キースか。あいつは俺の足だ」
「足……ですか?」
そういわれてメリッサとエマはゴトーの足を見た。
「俺はここから出て人前に出られないから、あいつを雇ったのだ」
「雇っているとは、彼は何をしているのですか?」
「あいつが冒険者の多い場所で「街道に魔物が出る」と少しばかり吹聴したらあっという間にみんな疑心暗鬼だ」
ゴトーがふんぞり返って得意げに話す。その調子に乗った様に腹立たしさを覚えるが、なるほど納得した。
「食堂であえてメリッサさまに声を掛けさせたのです。身に着けていた防具が高価だったので、貴族か豪族の方だと思い、繋がりを作っておきたかったのです。でもお金で左右される人にわたくしたちの姿を見せるわけにはならなかったものですから――あなたを試しました」
なるほどと、前のめりに話を聞いていたメリッサだったが、今は体を背もたれに着けて話を聞く態勢変えた。
部屋に入ってきた時よりも緊張がほぐれたように見えるのは彼女だけではなく、彼女の使用人のエマもスカートを握りしめていた手をほどいて出された紅茶を啜っていた。
話の合間を縫ってゴトーが席を立ち自室の隣に設置されている書斎へと入っていった。ごそごそと聞こえる物音から何かを探しているのだとうかがえた。
ふたりの緊張が解けてきている様子を見て、ミレーはもう一石投じることにした。
「ここだけの話ですが、ゴトーさまはメリッサさまの顔を見たあと大変な美人だと騒いで大変だったのです。今はああして澄ましてお話をされていますが、心中穏やかではないはずですよ」
ふふん。と得意気な顔でそういったが、彼女の反応はミレーが思っていたのと全く違った。
「……え、ゴトーさんが? ―——そ……うですか。ありがとうございます」
あ。投じた一石が思わぬ方向に飛んで行った。大失敗だ。
しかもゴトーはそんなことを言っていない。メリッサについて彼から聞かされたのはただひたすらに文句だった。
メリッサはドン引きしているのか、下を向いてミレーとも書斎から戻ってきたゴトーとも目を合わさなくなった。
エマもエマで目が完全に座ってしまっている。
出会って間もない男から気に入られて喜ぶのは相手がイケメンだった時だけだ。
ミレーの辞書の『ただしイケメンに限る』を『ただしイケメンに限る(魔獣は除く)』と上書き保存した。
そうとは知らずゴトーはうつ向いたままのメリッサの顔を覗き込む。
「ん? 下を向いてどうした? 俺たちに試されたことでそんなに腹が立ったか?」
「いえ、腹が立ったとかではなく……」
「そうか、お前のことは信用に足るからな。今後とも仲良くやっていこう」
こちらの方が下の立場なのだからその言い方はおかしいとか、相変わらず貴族をお前呼ばわりするなとか、言いたいことは山ほどあった。
でも何よりもメリッサがドン引いて声が小さくなったことや、エマが不浄を見る目でゴトーを見ていたことがミレーは気がかりで仕方なかった。
「あぁ、うちの主人やっぱ詰んでるな……」
誰にも聞こえない声でミレーはつぶやいた。