第六話 煙のような存在
廊下をずかずかと歩き、目当ての部屋に向かって一目散に進んでいく。
「ゴトーさま……あまり大きな声を出さないでくださいね。下の階の人たちが不振がって見に来られたら、見つかっちゃいますよ」
ふん。 と鼻で息を吐き捨てて、ゴトーが旅人の部屋のドアノブに手を伸ばす。ミレーもそんな主人の姿を固唾を飲んで見守った。
もし部屋の中にいるのが本当にあの時の魔女なら、自分が元の世界へ帰る手掛かりがあるかもしれない。
いや、手がかりだけでなく、ひょっとしたら帰ることができるかもしれない。
ミレーは期待と緊張で胸をいっぱいにしながら、ノブを回す姿を見守った。
その時。
「うわぁ!」
扉に触れた瞬間、ゴトーの体が吹き飛ばされて壁に激突した。一瞬閃光がドアに走ったのが見えたかと思ったら、彼は自分の後ろの壁まで吹き飛ばされていた。
「え⁉ ゴトーさま!」
「ってぇ……」
壁に激突して頭を打ったのか、後頭部を抑えて痛みに耐えている。あと少し角度が悪かったら頭に付いた不便で長い角が、壁に穴をあけていただろう。そうなれば修理が面倒だが、幸い壁に大事はなかった。
はっ。 として壁の次に主人を気遣った。大丈夫かとゴトーの手を引いて起き上がらせようとするミレーに「ミレーはひっこんでろ」 と一蹴して、再びドアの前に立った。
また吹き飛ばされるのではないかとハラハラしながら見守ったが、ゴトーは二度も吹き飛ばされるようなへまはしなかった。
「お前、魔女だろう?」
部屋の中にいるであろう旅人に声を掛ける。しかし扉の中の人物は答えない。
「くそっ、開けろ!」
ゴトーが今度は扉を蹴ろうとして膝を上げると、扉の施錠が外れる音がした。それに気づいたようで、彼は脚を地面に降ろしてドアが開かれるのを待った。
扉のドアノブが回され、部屋の中と外を隔てていたドアが少しずつ開かれていく。
部屋の中を見渡せるぐらいに開かれると、ゴトーは魔女の姿を探しているようだった。
ドアの隙間からミレーが目にしたのは魔女ではなく旅人の姿をした男で、彼は部屋の一番奥で暖炉に薪をくべているところだった。
「相変わらず粗野で、自分の事しか考えていない傲慢な男ですね」
薪を入れ終わり、旅人はゴトーの方にゆっくりと顔を向けた。相手の口ぶりから顔見知りなのかと思わせるが、こちらはまるで初めて見るその顔を認識できない。
「ですが初めて会った時と違って、無一文の私を宿に泊めてくれたのは成長しましたね」
ミレーは確信した。こいつは自分たちをこの世界に送った張本人だ。
「……お前本当にあの時の魔女なんだな」
部屋の中の男は口端を上げて「そうだ」 と表情で返事をした。
「姿かたちを変えるのは簡単なのですよ。あなたも実感しているかと思います」
そう言って、ゴトーやミレーと初めて会ったときの魔女の姿に変身して見せた。
あぁ、そうだこの顔だ。鋭い目つきに人を小ばかにするような口元。この女の顔を見ると、ミレーは自分が元の世界を離れるきっかけとなったことを思い出した。
顔を凝視したまま視線を逸らせず、ミレーは記憶を遡っていた。そして身に着けている外套の裾を強く握ると、服に細かい皺がたくさんできていた。
魔女はそんなふたりを横目に、話を続けた。
「姿かたちを変えるのは簡単なのですが、中身を変えるのはとても難しいのです。 でも決して不可能ではありません。私はあなた方に魔法の力を打ち破るぐらい大きな心の変化を見せてほしいのです」
ふと見上げるとゴトーの表情はわなわなと、怒りに満ちた顔をしているように見える。黙って聞くには我慢がならなかったのか、彼は口を開いた。
「お前の目的は何なんだ?」
「……魔法を使えない人間でも、この大魔法使いの魔法を打ち破れるのか……単なる好奇心です」
「なぜ俺たちがここに連れて来られたんだ?」
「ちょうどいい素材が、偶然あなた方だっただけの話です。特別な意味などありません」
隣で話されるふたりの会話を聞いて、掴んでいた外套の皺がより一層深く刻まれる。そしてついに口を開いた。
「僕たちがお前の言う「真実の愛」や「真に主を敬う心」とやらを見つけることができたら、本当に元の場所へ帰れるんだな⁉」
相変わらず服の裾を掴みながらだったが、ミレーができる精一杯怖い顔をして、魔女を怒鳴りつける。
「約束しましょう、小さなミレー。お前は隣の男よりまじめな分いらぬ苦労をしそうだが……。約束は違えないと誓いましょう」
カコン――と暖炉の中に積み上げられた木が燃えて崩れるのと、魔女が消えるのが同時だった。
「わたくし、ゴトーさまが魔女に殴り掛かるかと思ってました」
「そんなことするか。あいつは俺たちを異世界に飛ばすような奴だぞ。殴り掛かって勝てる相手じゃない」
「そうですね。……わたくしは――早く帰りたいです」
「……とりあえずあいつの用意したゲームで遊んでやるしかない。何もしなければ一生このままかも知れないし、他に帰る方法なんて分からないからな」
ゴトーはこんな時でも焦ったり、不安になったりしないのだろうか。下から彼の顔を見上げるが、それはいつもと変わらない無関心な顔をしているように見えた。
「魔女のゲームをプレイしてやると豪語するぐらいなら、まずは人を思いやる心から身に着けてください。でなければ、人を愛することなんて夢のまた夢です。あなたはまだ魔女のゲームをする、スタートラインにすら立てていないことを自覚して、己がクズさを自覚しろ」
それを聞いたゴトーはミレーの2つの角を両手で持って、ミレーを自分の目線まで持ち上げた。
「痛たたたたた——―……何をするのですか! これはハンドルではない! ばか者!」
掴んでいるゴトーの手を掴み返して解放するように促すが、ミレーの懇願には応じない。
「魔女にあったが、結局は何のか帰結の糸口も噛めないことにさぞがっかりしているかかと思ったが……。そうでもないようだな」
無表情かと思ったが、一応ミレーの事は案じていたようだ。意外な主人からの気遣いに照れ隠しで「ツンデレかよ」とツッコんでしまう。
そうミレーが言うと、ゴトーはつかんでいた角を離して、床に小さな体を落とした。
この主の貴重な「思いやり」の第一歩をあっさりと受け流してしまったことを、後悔してももう後の祭りだ。
それに床に落とされたことが頭にきて、微々たる優しさなど一瞬で書き消えてしまった。
「しかしよく魔女がここに来るのを想定していましたね」
掴まれた角をさすりながら訪ねた。
「犯人は再び現場に現れるものだからな。それにあのメリッサという騎士も言ってただろ、「時空を超えるような強力な魔法は知らない」と。そんな超魔法を何の目的もなしに使ったとは思えない」
「でも魔女はわたくしたちをこの世界に送ったのは単なる興味だと言っていましたよ」
「こんなハイカロリーな魔法を興味だけで使わないとは思うが……。まぁ、こちらの常識があの魔女には当てはまるとは限らないが……。まぁ、まだまだ調べなければならないこともたくさんある。とことん周りを利用してあの煙のような魔女を捕まえるぞ」
「はい。わたくしも帰るためにはあなたに付き従わなければならないので、尽力します」
再び空になった客室を後にしてゴトーは自室に戻っていく。ミレーは一階の食堂に戻って、忘れかけていた主人の食事を運んだ。
「ゴトーさま、食事を持ってきました。食べたければどうぞ」
自分に対しての扱いがひどいとは言え、腐っても己が主人だ。飢えて死なれては後味が悪い。
「いや、俺はさっき腹が減ったと言っただろう。なぜパンが一切れと水だけなのだ。しかもパンは冷えてカチカチのぱさぱさになってるぞ! お前は俺が自分で食事を取りに行けないと知っていてわざとやってるだろ」
「わたくしの帳簿をゴミ扱いしたり、人を空中に投げ出したりするような輩にはこれぐらいの制裁が必要なのです。今日のわたくしへの行いを反省しながら、わずかな食糧で夜長をしのぐんだな!」
ミレーは心の中で高らかに笑った。今日の恨みを返せたことに満足したが、自分の心の狭さが主人に似てきたかな。と感じた。