第三話 王都と騎士団
「メル!」
馬を引きながら南の大門を抜け、郊外から王都エレスに帰ってきたばかりのところで、一人の男に呼び止められた。
声に反応してメリッサが振り向くとそこにいたのは、同じ騎士団に所属するクロードだった。彼は少し先から小走りで近づいてきて挨拶もなしに話し始めた。
「聞いたぞ。昨日は戻って来なかったんだって? みんな心配していたが、野宿でもしたのか?」
昨日。という言葉にメリッサの心臓が一瞬跳ねた。
「あ……あぁ。サムと国境近くの屯所に様子を見に行ったのですが、私の馬の調子が悪くなって、ひとり旧街道に逸れたんですよ。そこで暗くなる前に宿を見つけられたので良大丈夫でした。すみません、ご心配をおかけして」
メリッサがゴトー達と会う少し前に市街地から半日ほど移動したところにある国境沿いの駐屯地に物資補給隊に付き添って、メリッサと同僚のサマンサ二人の騎士が兵士に同行していた。
帰りは荷馬車がないので早々に帰ることができると思ったが、メリッサの馬が失速し、サマンサに報告を任せて山道から街道にひとり逸れたのだ。
「宿を見つけた割には疲れていないか。顔色が優れないぞ」
自分でも気づいてはいたが、目の下のクマがひどい。
幸い今日から二日間休暇を取っているので、騎士団長のところに報告に行った後はゆっくりすることができる。
ただ一番難しいのは、その報告をどのようにするかだ。
考えただけで頭が痛くなった。
「宿屋が寒くてあまり眠れなかったので、まだ疲れが取れていないんです」
「確かに郊外の安宿は建物が古いからな。まぁ、メルが無事で何よりだよ」
クロードはメリッサの無事を一目確認するために声を掛けてきたようで、「団長のところへ急ぐので」と彼女が言うと、クロードは「じゃあな」と言って、その場を後にした。
メリッサは馬を厩舎に預け、ひとり城内の門をくぐった。
騎士団の建物は、広大な城の敷地内の一角にあり、城門を抜けて最初に見る建物だ。
屯所に近づくにつれて頭痛に加えて胃がキリキリとひきつるような感じがする。明らかに報告をすることに対してストレスを感じている。
行かねばならぬとわかっていても、次第に歩みが遅くなり、代わりに何度もため息が出た。
屯所に入ると団長室のある二階最奥の部屋まではゆっくり歩いていたにも関わらず、一瞬で着いてしまった。
ここまで来てしまっては腹をくくって話さねばならないので、声と態度を整えようと自身で喝を入れた。
「騎士団長、騎士団員が一人、メリッサであります。国境東の物資補給部隊の護衛の任より、ただいま戻りました。報告のために入室の許可を」
お腹の底から声を出したが、それだけで力尽きそうだ。
そんなメリッサの元気な声に応えるように、中から入室を許可する声が返ってきた。
装飾がされた重い扉を開ける。質のいい蝶番を使っているのだろう、扉がきしむ音はしない。
入室してすぐに目線を部屋の奥に向けると、そこには執務机に座る騎士団長のウィリアムの姿があった。
ペンを紙に滑らせて書き物をしているが、メリッサが入室したところでその手は休まらない。一瞬だけ彼女の方に目配せをして、報告をするように促した。
メリッサは先ほどクロードに話した通り、帰還が遅くなった理由を述べて物資補給の任務は滞りなく終わったことを報告した。
「護衛任務の報告は以上です」
「やり切ったと」と思っていたメリッサだったが、いつもなら報告後に「結構」と退室するように指示されるはずだった。しかしその声がなかなかかからない。
勝手に退室するわけにもいかず、互いに無言のまま部屋に沈黙が広がった。
だが、沈黙が破れるまではそう長くはかからなかった。最初に口を開いたのはウィリアムだった。
「それだけか?」
気が付けばペンはペン立てに戻され、ウィリアムはメリッサをじっと見ている。
予想外の言葉に一瞬戸惑う。
歯の奥がカチカチっと音が鳴ったような気がしたのは気のせいではなかったはずだ
鋭い眼光に逃げ道を探すかのように、メリッサはもう一度口を開いた。
「それと……護衛任務の報告ではないのですが、もう一点だけ。都市アッカザへ抜ける旧街道の報告ですが、新街道より距離が長い上、道路が舗装されていないため、新街道を使った場合に比べて移動に半日近く余計に時間がかかるそうです。その割に関所の料金は新街道より1銀貨安いだけだと嘆く声が上がっていました。あの辺りの村は商人や旅人からの収入に頼れないとなると、農作物が不作の年には生活が厳しいそうです」
ウィリアムは新しい用紙を引き出しから取り出して、メリッサの報告のメモを取った。
「報告ご苦労。明日の会議にこの議題を加えよう」
メモを取り終わると、団長のウィリアムはメリッサを解放した。
ロッジを出るが、家に着くまでが任務と言い聞かせて気を張ったまま何とか家まで無事に帰ることができた。気を抜くと道端に座り込んでしまいそうだ。
なんとか家に着くと疲れが一気に出たが、ベッドに倒れこみたいのを抑えて身に着けていた鎧を脱ぎすてた。
使用人のエマがどこかから玄関にすぐに駆け付け、心配していたとメリッサの帰宅を喜んだ。
秋が深まってきているが、日中は日あたりがいい場所ではまだ暖炉を使う必要はない。
メリッサは裏庭に面したデッキの椅子に座って、エマが用意したサンドイッチと紅茶を口にしながら、昨日のゴトー達とのやり取りを振り返った。
◆
「ゴトーさま、完膚なきまでの論破をした後にどや顔をするのはあまり上品な態度ではないかと思います。仮にも「愛でろ」などと初対面の女性に対して失礼すぎる第一声の後にそれですか。貴方はどこまでコミュ障なんですか? 現代社会に生み出されたミスター・情緒不安定かよ」
ものすごい文字量でミレーがゴトーを罵倒した。
「うるさい。俺は「真実の愛」 というどこに定義があるかもわからないものを盾にこんな不便な体に変えられてしまったんだ。少々見目のいいやつを連れてきたかと思ったら、とんだ阿保だったな」
「それを言うならわたくしも「真に主に尽くす心」 といういくらでも解釈のしようがあるものと引き換えに、重い角と小さな体になったんです。お前だけが不便だと思うなよ」
「なら俺に仕えろ。忠義の限りを尽くすんだな。さすれば道は開かれん」
「このような輩に尽くさねばならぬとは、屈辱です! あなたに私の苦労がわからないでしょうね!」
メリッサを取り残して広げられる目の前のコメディを見ていると、おかしくなってきて恐怖はさっきに比べて薄くなった。
しかし油断は禁物と言い聞かせ、もう一度二人に向き直り質問を続けた。
「あなた方が元は私たちと同じ姿をした人間だということと、何らかの理由で魔女によってここに連れてこられたと仰いましたが、どのような経緯でここに来られたのですか?」
その質問にミレーは黙ってしまい、元気よくゴトーと言い合いしていた姿から一転して、何も話そうとはしなかった。
それを見たゴトーは「俺たちは何かしらの理由で魔女の不快を買ったからここに送られた」 とだけ言った。
彼自身なぜ送られたのかという理由ははっきりしていないような口ぶりに思えたが、一方のミレーはなぜ自分がここにいるのかよく理解しているのだろう。
何か深い事情があるのだろうと感じ取ったメリッサは話題を切り替えるために、質問を変えた。
「では、今後どのようにして元の世界に帰るのですか?」
今度はミレーが口を開いた。
「メリッサさま。わたくしたちには魔女を追うだけの手立てがないのです。特に元の世界に帰るために重要な手掛かりとなるであろう魔法に関しての知識や、この世界で不利な私たちが少しでも有利に立ち居ふるまうための有力者とのつながりが圧倒的に不足しているのです」
ゴトーとミレーがメリッサに近づいたのは高価なプレートアーマーを身に着けていたからにほかなかった。
この界隈にくる冒険者は全員くたびれた甲冑や、粗末な革の鎧が一般的だったので比較するのは容易かった。
「俺はいわゆるハイスぺな男なのだ。金のにおいをかぎ分けるのには優れているからな」
どこから湧き出たか知れない自信を振りかざして、ゴトーはふんぞり返った。
この男は金のにおいをかぎ分けるのに優れていると自負しているが、普通に誰もが一般冒険者と貴族である騎士の装備品の違いは認識できる。それをさも自分の特殊スキルだと言われても反応に困る。
「どうやらあなたはあなたで、阿呆のようですね」
ため息交じりにメリッサがゴトーを小馬鹿にしたように見た。そして彼女のポロリと本音がこぼれたのを、ミレーは聞き漏らさなかった。
「そうなのです! 私の主人はとんでもなく阿保なのです。ご理解いただけて感謝いたします!」
ミレーの必死な様子に、メリッサは思わずふっと笑みがこぼれた。今の今まで強張らせていた頬の筋肉の緊張がやっと解けた。
「あなた方は魔法やこの国、果てはこの世界の知識をお知りになりたいと仰っていましたね。つまりこれらの情報や、騎士である貴族という私の立場に価値を見出すと。でしたらそれ相応のものを支払っていただけるなら、考えてあげなくもないです」
「つまり金か。がめつい女だな」
「私は高い女なのですよ」
メリッサは不敵に笑い、取引を成功させた。
というよりも、実のところ彼女はまだゴトー達のことを信用できていないため、何とか命を狙われないようにと、自分の利用価値を必死で説いたといった方が近かったのかもしれない。
もちろん本音の部分もあったのだけれど。
ゴトーはまた「ふん」と鼻を鳴らして、口角を上げて不敵に微笑んだ。メリッサはこの笑いが、そんな自分の心理が透けて見られているものとして受け取った。
「交渉成立だ」 と言って、握手のためにゴトーが彼の左腕を差し出した。その左手は鱗で覆われた右腕とは異なってメリッサと同じ人間の手をしていた。
「左手で握手とは失礼な方ですね」
「右腕は握力の調整が難しいんだ。お前が手を痛めてもいいなら右手でも構わないんだが……」
メリッサはその言葉に差し出しかけた手を一瞬躊躇ってゴトーの手を取った。
「私の手よりも温かいですね」
そういって少しばかり強く握り直した。