第二話 ミレーの苦悩
「あなたは一体何を言っているのですか?」
ドアの前に立っている子どもが言った。確かに間抜けな声を出してしまったが、その言葉が指し示す先は私ではない。私を通り越した先の魔獣に向かって話しかけたのだと、一拍置いて理解した。
ランプの明かりが私の背後にいる魔獣の足元を照らしている。そして少し書記机にゆっくり歩みを寄せると、その全容が徐々に映し出された。
話に聞いた通り、鋭いヤギの角と蛇のような尻尾を持って、私をつかんでいた右手は鱗で覆われたドラゴンの手だった。私の剣が裂いた服の切れ目からその腕が見え隠れする。
「そのままの意味だ、ミレー。この女が私を愛でて、傅くことを許可してやると言っているのだ」
あまりにも唐突に傲慢な発言をする男に私の理解は追いつかない。
唯一安心できることは、男の上半身は人間の容貌だったので、その点ではほんの少し警戒心が薄れた。
「おい、女。名前は?」
安心できたのは束の間、今度はどすが利いた低い声で唸るような声を出した。その声に私の体が再び警戒する。
「メ……、メリッサ」
何かを思い出したように、私の名前を質問してきた魔人からの質問にメリッサはおそるおそる返事をした。
「私はゴトーだ」
「え……? あ、はい」
「……」
なんだ?
名前を聞いて、名乗って何がしたいのだ?
いきなり変な質問で面食らったが、それだけではメリッサの警戒心はまだ解けない。訝しんだ表情を見せる彼女に、ゴトーはミレーと呼ばれた子どもに向かって悪態をつき始めた。
「ミレー。こいつはダメだ。まるで私に使える気がない。もっと気の利いた者を誂えと何度も言っているだろう」
するとミレーはずかずかと部屋に入ってきて、メリッサとゴトーの間に割って入ると、ゴトーを指さした。
「だからあなたはダメなのです!」
その行動からミレーと呼ばれる少年の態度はメリッサをかばっているように見て取れた。
状況はよくわからないが、メリッサは今すぐに命を取られる心配はなさそうだと思った。
困惑する彼女の前で、ゴトーとミレーのやり取りは続けられてた。
「ここに来てからもう三か月なんです。なのにあなたは真実の愛どころか、人との距離の測り方を根本的に理解していないのです。はっきり言ってゴトーさま、あなたは詰んでいます。そのことを自覚して、もっと真摯に人に向き合うのです! そうでなければあなたはいつまでたってもただのクズですよ、クズ‼」
目の前で展開されるコメディに理解が全く及ばないが、話の流れで分かったことは、「ここに来て三か月」というからに、先ほどの冒険者が言っていた奇怪な魔獣が出没する件についてはこいつで間違いないようだ。
そこで、今メリッサがしなくてはならないのは、こいつらが人々に危害を加える可能性があるかどうかの確認だ。
事によっては処分をしなくてはならないが、ひとりでは歯が立たないことは証明済みだ。
そうなれば先ほどの冒険者には気の毒だが、騎士団に出動要請をすることになる。
状況を見極めるためにもう少し様子を眺めていると、今度はミレーがメリッサに向き直り、低姿勢で話しかけてきた。
「メリッサさま。わが主、ゴトーはご覧の通りこのようなクソ野郎ですが、これでも私の主人なのです。何とかご慈悲を頂けませんか」
ここまで主人をクズ呼ばわりする従者は非常に珍しい。
ただ、ゴトーはそう呼ばれるのには慣れているようで、ふん。と、鼻で息をひとつ吐いて書記机に備え付けられている椅子に腰を掛けて、腕を組んだ。
更には脚を組みどこまでも偉そうな態度を崩さない。彼が腰かけているのはただの椅子に過ぎないが、なぜが王座を連想させる。
「あなた達は何者なのですか?」
怒涛の勢いで頭を駆け巡る質問の中で、まず相手の種族を明らかにするものを選んだ。このような外見の生き物は見たことがないのだ。
「見てわからいのか。人間だろう」
――いやいやいやいや!
人間にはそんな生活しにくそうな角も生えていなければ、服を着るのにも困りそうな爪や、堅い鱗はついてはいない。
ゴトーはまず標準的な人間を見たことがないのか。
「一般的に人間とは、私のような姿をしたものを指します。残念なことに心はどうあれ、この国ではあなたのような風貌の者は『魔獣』や『化け物』と類別されるかと思います」
とは言ったものの、『魔獣』も見たことはない。とメリッサは自分の心の中で言及した。
ゴトーはまたふん。と息をひとつ吐いて、何やら考えるように窓の外を見た。しばらくして考えがまとまったのか、メリッサの方をもう一度見て口を開いた。
「この世界には魔法があると聞いたが、それを得てしてもこのような姿は異端なのか?」
「この世界には」という単語が発せられたところからすると、ここではないどこかから来たのか。
仮にそうだとしたら、このような恐ろしい魔獣がはびこる世界からの侵入を許すわけにはいかない。大群が押し寄せれば、たちまちこの国はおろか、この世界の存亡に関わる。
「あなたはどこか別の世界から来たのですか? にわかには信じられないが、もしそうだとすればどこから来たのです? 目的は何なのですか?」
勢いあまってたくさんの質問を投げかけたメリッサの前にミレーが立ちふさがって、「僭越ながら、私めがお答えしましょう」と頭を下げた。
メリッサはごくりと固唾を飲み、目を見開いてミレーを見下ろした。
「少し寒いですね」と、ミレーが両腕をさすりながら唐突に暖炉の方に目を向けて、そこに火を入れると、部屋が次第に明るくなって、ふたりの姿がより鮮明に映しだされた。
ゴトーは不気味な魔獣の姿こそしてはいるが、顔は整っている。
世間では美男子と呼ばれる類になるのだろうか。
「メリッサさま、立っていては疲れますので、こちらのベッドにおかけになってくださいませ。お話はそれからに致しましょう」
無駄な抵抗をしても相手は私よりも力が上だ。
メリッサは促されるままにベッドに腰を下ろした。
ゴトーも椅子をベッドの方に向けなおして、改めてそこに座りなおした。
「さて、私たちは三か月前にこの地に放り出されてしまい、右も左もわからぬままここに住み着いて生活をしています」
ミレーは話し始めて、身に着けていた外套のフードをパサリと頭から取り払った。
そこにはゴトーとは違うが、こちらも生活がしにくそうな羊のようなくるりと巻いた角が生えていた。
なんとも彼の小さな頭にそぐわない大きな角だ。
「か、かわいい……」
思わずメリッサはポロリと本音がこぼれてしまった。
「何だと!おい、女。お前俺にはそのような好意的な言葉を向けなかったじゃないか。なぜこいつを受け入れて、俺は跳ねのけるようなぞんざいな扱いをするんだ」
くわっと見開かれた目を見て、メリッサは一瞬びくりと跳ね上がる。ゴトーはどう見てもかわいいとは言い難い。でも、その言葉を望んでいるなら聞かせてやろう。
「ゴトーさんも、か……かわいいですね」
あ。声がひきつった。
「悪くないな」
上出来とは言えないメリッサのお世辞だったが、ゴトーは満足そうに口角をくっと上げて、不敵な笑みを見せている。恐らく煽てられるのが好きなのだろう。
「ゴトーさま、話の腰を折って、邪魔だてをするような輩は部屋に戻ってろよ」
ミレーのゴトーに対してのやたら辛辣な様子を冷ややかに見つめながら固まっていると、「ゲストの前で取り乱してしまい失礼しました」とミレーが詫びをひとつ入れてまた話を始めた。
「さて、わたくしたち二人もこの世界で知り合ったばかりの赤の他人なのです。あの忌々しい魔女がわたくしたちをこの場所に送り込んだのです」
話を聞くに、ミレーとゴトーはここに来るまで全く別の世界で済んでいたような口ぶりだった。
それが、ある日魔女が現れて、気づけば奇怪な姿に変えられて、この場所に来たのだそうだ。
最後に魔女がこう言い放ったのだという。
「お前の善行を互いに見届ける者をひとり付けよう、その者がお前を認めたとき醜い姿から解放される。そうすればお前も元の世界に返してやろう」
と。魔女は消えて、魔法陣の中にミレーとゴトーが取り残されていた。
「おそらくこの黄昏館はその魔女が元々暮らしていた古い屋敷のようなのです。わたくしたちはこの場所を利用して当面の生活の資金を稼ぐためにここで宿屋を始めました。必要なものも揃っていましたし、不用品(と思しきもの)を売った金で何とか食材なども買い込めたので良かったです」
ここは二つの町を繋ぐ旧街道だが、新しく整備された街道ができて以来さびれた場所になってしまった。
しかしながら新街道の関所の料金が少しばかり高いため、野宿ができる夏場は時間がかかってでも、僅かな金を浮かせたい者が利用しているのだろう。商売をするにはベストではないが、そこまで悪い場所ではなさそうだ。
そしてミレーの話に出てきた「魔女」について話しを続けた。
「確かにこの国には古い魔法が残っていて、数は多くないですが、それを使いこなす魔法使いたちが存在しています。しかし時空を超えてしまうような強力な魔法を使える魔女がいたなんて知りませんでした。それに……その魔女の目的は何なのでしょう。気になります」
つまり魔女は異世界からこのような異形の姿をしたものを呼び寄せる能力がある。
その者たちで軍を組まれ、攻め込まれたら大変なことになるかもしれない。
「では、あなたたちの目的は何なのですか。私たちのこの国に攻め入ったようには見えませんが」
メリッサは自分の手に汗が滲んでいるのに気付いた。下手な質問をすれば殺されるかもしれない状況に、心臓もうるさいぐらいに速く鼓動する。
「こんな国もらってもしょうがないだろ。俺は早く人間の姿に戻って、元の国に帰りたいんだ」
「人間の姿に戻ってということは、あなた方の姿は元々違う姿をしていたのですが?」
メリッサは思わずミレーの角に触れてみた。先の方は冷ややかだが、角の根元はほんのりと温かい。
「わたくしたち二人は、もとはあなた方と同じくただの人間の姿をしているのです。それを魔女によってこのような醜い姿に変えられてしまったのです。私など、22歳にもなるのにこのような低身長になってしまい、不便でならないのですよ!」
子どもかと思っていたが、メリッサは自分よりも年上だと聞かされて、かわいいものに向ける目に加えて若干哀れみの色で見た。
「話を戻しますが、あなた方は私たちの国に責めるつもりはないことは伺いました。しかしここに住まう人々を襲うようなこともないのですか?」
そのメリッサの質問に対して、明らかに不機嫌な表情になったゴトーは、「こいつはアホだな」 とミレーに共感を求めた。
阿保呼ばわりされて、メリッサはカッと赤面したのが自分でもわかる。ゴトーを見る目が自然と彼をにらみつけるものになっていた。
「メリッサと言ったな。お前は自分の容姿が別のものに変えられただけでそこに住まう人々を襲うのか?」
「そ、それは……」
「第一俺たちは元の姿に戻って元の国に帰ることが目的だと告げた。だったらここに住んでいる人を襲うよりも、そこから情報を得た方が明らかに得になるだろう。第一、下手に敵を作って襲ってくる輩から逃げ回るだけの生活になるような、リスキーな選択をするかよ。だったら最初からこんなところで資金稼ぎの宿屋なんか経営なんかしてないで、最初から金銭強奪してるだろう」
メリッサはゴトーの言葉に正論だと思いつつ、「でも、あなた方が嘘をついてるかもしれないでしょう」 と噛みついた。
「俺が嘘をついているなら、何と言ったところで、俺は襲うんだから最初からそんな質問に意味はない」
ゴトーの言葉にぐうの音も出ないほどに論破されてしまった。
そのやり取りを見ていたミレーは「はぁ」とため息をついて頭を横に振った。