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失楽園の美女と魔獣  作者: 織田 智
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第一話 美女と魔獣

 「女、私を愛でろ」


 不躾にもほどがある。この不遜な態度の男に、一瞬言葉を失った。


 私は手に剣を携えたまま、その異形の者に対峙して返す言葉を探していた。



 「黄昏館」という看板が掲げられているのを見て、重く分厚い木で作られた扉を開けた。ほんのりと焚火のいい匂いが鼻をくすぐり、甲冑を取った顔の部分に温かい空気が触れた。

 今はまだ太陽が照ってはいるが、今夜は相当冷え込みそうだ。そんな寒空の下、凍傷の恐れがあるプレートアーマーなど着ていられない。


 「いらっしゃいませ。黄昏館へようこそ。おひとり様でしょうか?」


 目線を下の方へ移すと、自分の腰ほどの高さのところに声の主の顔があった。

 年の頃は十歳前後といったところだろうか。平民が泊まるような小さな宿屋では、親の手伝いをしながら生活をしているのだろう。


 「あぁ、私ひとりだ。一人部屋を取りましょう。食事もお願いします」


 少年はフロントデスクの引き出しに入れられているルームキーを取り出すと、部屋を案内すると言い、私を二階の一室に招いた。

 案内をしている小さな背中を追いかけて歩いていると、ふと気になった疑問を口にした。


 「君。なぜ室内で外套を着ているのです?フードまで被って……」


 子どもは一瞬後ろを歩いている私の顔を見ようとしたのか、少し首をこちらに向けたようだった。しかし、その顔はフードで完全に隠れていて、私の位置からは表情が読めなかった。もくもくと歩くばかりで、なにも答えようとしない様子に私は少し訝しんだ。


 「こちらがお部屋でございます。何かご入用でしたらお部屋のベルを鳴らして、お呼びくださいませ。お食事は下の階のレストランにてご用意致しますので、何時でもお越しくださいませ」


 淡々とサービスをして必要以上のことは何も話はしなかった。結局小さな使用人からは、最後まで外套に対する答えは返ってこなかった。

 しかしそんなことは大した問題ではない。私にとっての問題は城に向けて朝一番に出立する準備を整えることに集中しなければならない。



 身に着けていた鋼の甲冑を脱いで、身軽になった体に私は思わず安堵のため息を漏らした。普段から身に着けているものでも、その重量はかなり辛いものがある。

 身軽になったとは言え、騎士である以上簡易の胸当てと、腰に差す剣だけは手放すことはできない。

 特に騎士の紋章が入った剣は私の身分を証明するものでもある以上、肌身離さず持っているべきだ。……いや、持っていなくてはならないのだ。


 エントランスホールは装飾品こそ豪華にしてあったが、誰もおらず、もの寂しい場所だった。

 しかしレストランホールに入ると、地元の農民が酒を求めて寄る場所になっているようだ。私も席についてカップ入りのワインと軽食を摂った。

 先ほど注文をしようと辺りを見回すと、あの子どもも大人の給仕に紛れてレストランで忙しく走り回っているのが視界の端に映った。

 

「お姉さん、王都の騎士かい?」


 私の腰に差さった剣を見て、ひとりの男が食事中の私に声をかけてきた。男も剣を携えて、簡易の甲冑を身に着けているところを見るに、街の冒険者か個人的に雇われている傭兵だろうか。

 私は少し警戒しつつも、男にそうだと返事をした。


 「おれも王都から来た冒険者なんだけど、この辺りでの妙な依頼が最近増えてるんだよ」


 その話に私はぴくっと反応した。

 冒険者のギルドに出されている依頼は騎士の耳には届きにくい。

 事が大きくなるまでは、下町の問題は下町の者たちで対応が求められるし、彼らの収入源を守る意味でも縦の連絡が入ってきにくいのが現状だ。

 下町で手に負えなくなったような大きな依頼や、国をまたいでの問題などが騎士団の管轄となっているのが通常である。騎士団が動くことによって、下手をすれば誰かが受注中の依頼でも問答無用で取り上げられる場合もあった。


 一度騎士団が動き出すと、報奨金がすべて騎士団の主である王族に納金されるので、そうなってしまえば下町の者はそれまでにいくら時間と金を投資していようが、指をくわえて見ているしかないのだ。


 この男も、私から近々騎士団に取り上げられそうな依頼があるのか探りに来たのだろう。


「どのような依頼が増えているのですか」

「ただの護衛ですよ。このあたりで奇怪な魔獣を見たっていうのが事の発端でさぁ。それが大体三か月前の話だよ」


 話を聞くに、一見人間の姿をしているが、頭にヤギの角を持ち、足はドラゴンの様だという。さらにトカゲの尻尾を持ち、その姿はまるで本で見る悪魔の姿をしていたという。

 数人の目撃者がいるが、目撃されているということを聞くに、殺されたりはしていないわけだ。


 「まぁ、噂だけかも知れないけどな。俺たち街の冒険者からしたらいい収入源になってるから、もう騎士が関与するようになったのかと思って声を掛けたんだよ」

 「いや、そのような話はまだ聞いてはいないですね」


 その言葉に男は満足したようで、話を切り上げると金貨を1枚私の机に置いた。

 これは上に話しを通さないでほしいという意味と、騎士団内で情報のやり取りがあったか確認が取れた報酬としての意味だ。

 ギルド側と騎士との間で小さい情報のやり取りをする時によく使われているサインで、この金を受け取らなければ、「私は上に報告するつもりだ」という意思表示になる。


 騎士の情報は安くはない。金貨1枚なら一般的な冒険者クラスで、3か月の給金以上の額だ。


 私は「これを受け取るに値する判断がまだできない」と言い、受け取りを拒否した。それにこの手の賄賂はあまり好かない。


「被害がないようでしたら、上には私からの自主的な報告はしないでおきます。あなた方にも生活があるのでしょうし」


 合意されないことに腑に落ちない点はありそうだが、私からの情報をタダで聞き出せたことに男は満足したようで、ギルド仲間であろう人たちのいるテーブルへ戻っていった。

 


 とはいえ、私は奇怪な生き物について考えながら、机の酒に手を伸ばそうと視線をカップに移した。すると、先ほどから給仕の男の子が少し離れた場所からこちらを凝視していることに気づいた。

 私の心臓は、その眼光に一瞬跳ね上がった。フードにすっぽり覆われた男の子の頭を見て、同時に冒険者の男が言っていた「頭にヤギの角を持つ」という単語が頭の中でこだました。


 別の国にはエルフやドラゴンの血を引いた者が確かにいるが、どれも人間の姿とほとんど相違ない。

 さっきの話に聞くほどわかりやすい身体的特徴を持った人物がいるということは聞いたことがない。


 かくいうこの国も強力な魔法使いが数多く存在した土地だが、それは千年以上前の話で、今は徐々にその魔法も廃れつつある。失われてしまった魔法も多いらしいが、いったいどれだけの魔法が消えたのか、それすらも今は分からないようだ。



 腹が満たされた私はレストランを後にして、明日の朝一番に王都に向かわなければならないことを考えながら部屋に戻った。


 エントランスホールの暖炉の熱が伝わっていた廊下とは違って、締め切られていた部屋は身震いするほど寒かった。

 書記机にランプが置かれていたのを思い出し、そこに火を入れた。机にはマッチ箱も置いてあったが「イ・ナ」と唱えると、人差し指に小さな種火が灯った。それをランプの蝋燭に移し、指先の日を吹き消した。

 と、その時、視界が明るくなったおかげで、部屋の隅にいる大きなものが、私の視界の端に飛び込んできた。


 頭の中でさっき話していた魔獣の話が思い出されるのと、剣をそいつに向けて抜いたのはほぼ同時だった。

 

「誰だ‼」


 警戒心をたっぷりと言葉に含んで、怪物らしきものをにらんだ。

 しかし明かりが弱すぎて、姿がよく見えない。

 だが、その生き物がこちらに向かって動いたのははっきりと分かった。思わず私は一歩下がり、相手がまた一歩進めると、私もまた一歩下がった。

 相手が三歩目を歩みだしたとき、私は覚悟を決めるとともに、大きく息を吸って切りかかった。


 寸止めにするつもりだったが、数センチ見誤り、キィィン――……と鋼が響く音がして、弾かれてしまったのがすぐに感じられた。

 おそらく盾ないし、剣で弾かれたのだろう。

 相手も武器を持っていると察するに、切かかった体の体制をすぐに立て直して、今度は相手の姿を見極めることにした。


 相手が歩みを進めて、ランプの明かりでその姿が次第に顕わになっていく。

 私はその恐ろしい姿を固唾を飲んで見つめる。

 それはまさに先ほどの冒険者が言っていた、トカゲのしっぽを携えた男が、そこには立っていた。

 先ほど自分の剣を弾いたのは同じような武器かと思ったが、どうやらそれは持っていないようだ。私の一撃が当たったであろう腕には、服が切れた跡があった。どうやら服の下に鋼鉄のように固い何かを隠し持っているようだ。

 ――しかしこのいで立ちだ、まさか腕自体が盾のように固いのか……?

 となると、ここでいくら剣をふるっても、それを完全に防がれては一切対抗しうるものがない。


 ここは逃げるが勝ちだと思い部屋のドアまで後退したが、それを待ち伏せしていたかのように、そこに使用人のフードを被った少年が立っていた。


 「どこへ行かれるのですか?」


 私を問い詰める目は冷ややかで、この私がこんな小さな子供に気圧されてしまうとは屈辱だ。だがそんなプライドにかまってはいられない。

 ここから無事に帰ることが最優先だ。


 そう思っていた矢先そんな私の願いもむなしく、鋭い爪の付いた魔獣の手が私の肩をつかんだ。爪が私の肩に食い込み、その痛みに顔をゆがめる。


 「くそ、化け物が。離せ‼」


 私がその手から逃れようともう一度剣魔獣に向かって振るったが、今度は私の肩をつかんでいた手を放して、その手で剣を受け止められてしまった。

 素手で剣を受け止められてしまった事実に絶望を覚えた私は、ここまでかと覚悟をしてぎゅっと目を閉じた。


 「おい、女」


 一瞬耳を疑った。魔獣は私を殺すでもなく、話しかけてきた。

 私は顔を上げてそれを見上げた。

 そして私は拍子抜けして「へ?」と間抜けな声を出してしまった。


 「「へ?」じゃなくて、女。私を愛でろ」



 恐怖と混乱が同時にこれほどまで強く感じられたのは、私の人生において後にも先にもないだろう。

 少しの沈黙の後に「は?」ともう一度間抜けな声を出してしまったのだ。

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