95.薫風
兵部少輔 = 入江 兵部少輔 左近 (従五位下、公家)
久左衛門 = 安並 久左衛門 (兼定の側近、直敏の嫡子)
1553年 4月(天文二十二年 卯月)
春も闌け、このところ雨つづきだった。
晴れ間がのぞいた隙に吉野へとやってきたが、この様子だと山奥までは行けそうにない。
今日はいつにも増してよく降っている。
この篠突く雨で、大半の桜は散ってしまうのだろう。
「よう降るのぅ」
「さようにござりますなぁ」
「御所さま、物見が戻りましてございまする」
左近と話している横から久左衛門が声をかけてきた。この雨で川や山道がどうなっているか分からず、様子を見させるため送り出して二日経っている。もし行けるようであればと寺への言付けを頼んだが、首尾よく行ったかどうか。
「おぉ、さようか。すぐに通せ」
「はっ」
一見して下人と思しき者が、こちらへ急ぎ足でやってきた。油が塗り込められた編み笠を手にし、くたびれた様子のない蓑を着けている。しかし、足元へ目をやるとなにも履いていなかった。藁で編まれた草鞋を泥濘で汚してしまうのを嫌ったのかもしれない。もしくは、早く走るために途中で脱いだとか。
目の前へ来るかと思ったが、少し離れた場で平伏した。こちらは屋根の下で濡れないが、向こうは雨に晒され両ひざを突いている。これで何も思わない者がいるとしたら、もとより優しさを持ち合わせていないか、もしくは驕れる愚か者であろう。
「今し方、戻りましてございます」
「おぅおぅ、雨の中で苦労をかけたな。早う軒の下まで参れ」
「畏れ多いことにございますれば」
「よいよい。こちへ来やれ」
「なれど…… 」
「この雨ぞ。そこもとの声が届いて来ぬ。苦しゅうない近うよれ」
少しためらっていたが、久左衛門の顔色を窺い頷くのを見てから、ようやくひざを上げた。おずおずと近くまで寄ってまた平伏した。地べたでは冷たかろうに。
「着いて早々、体を休める間もなかったであろうが、子細を聞かせて給れ」
「はっ。金峯山寺におられたる住持様にお会いし、布施と奉加をお納めしたき儀ありと言付けて参りましたらば、いつでもお待ち申し上げているとの由にござりました」
「さようか、うむうむ。ようやってくれた。大儀ぞ」
「はっ、もったいなきお言葉」
よく見れば全身がずぶ濡れだ。
かなり急いできたのだろう。
この大雨の中、大変であったろうに二日で行って戻ってくるとはたいした者だ。
「誰れぞある」
「はい」
呼ぶとすぐに侍女が来た。
「この者を火に当たらせ、新しき着物を見繕うてやりやれ。体を拭う布もな」
「はい、御所さま」
「お、お待ちくださりませ。軒先をお借りできますれば、笠と蓑も干してからお返しいたしますけぇ」
「よいよい。この雨の中、さぞ冷えたであろう。火のそばで手足を温めよ。それにな、その方が使うたものは褒美に取っておきやれ」
困った様子でこちらを見たので二度頷いて見せた。
「…… あ、いゃ、あの、ありがとう存じます」
「うむ。苦労であったの」
「ははっ」
そう言うと侍女が下人を先導して連れていった。もしかすると、遠慮というよりもありがた迷惑だったのかもしれない。まぁ、いいか。
「あとは頼むぞよ、兵部少輔」
「はい、お任せくださりませ」
当初は、金峯山寺までいき直に話をするつもりであったが、雨が長引いたことでここからは二手に分かれて寺院を巡って布施と奉加を納めていく。左近には吉野山や高野山にある寺院と熊野三山へ足を運んでもらう心積りだ。
「久左衛門。この雨が上がったらば、市まで何ぞ買い求めに参ろうかのぅ」
「はっ」
空を見上げてから久左衛門へ目を向けると、その吉報に面を輝かせていた。
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またどこか遠くで雷が鳴っている。
気がつけば、朝方よりもどんよりとした厚い雲が空を覆っていた。まだ昼過ぎだというのに辺りは日が沈んだかのように薄暗い。
と、その時。
一瞬、目に焼き付くほどの凄まじい稲光で辺りが真っ白く照らしだされ、それから一呼吸もしない内に天を切り裂くような霹靂が耳をつんざいた。
大地をも揺るがす咆哮に皆が震え上がり、侍女にいたっては涙を流す者までいる始末。
「くわばら、くわばら」
その場にいた誰しもが、一心に雷除けのまじないを唱えている…… 念のため、俺も唱えておくか。
この分では、今日も宿借りしている寺院からは出ることができなさそうだ。ろうそくに火を灯し、書物を読む他ない。夜が更ければ早々に寝てしまうのがいい。
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『よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく見』
かつて、国見という儀式があった。
よく見ることで、その地にある御霊を鎮めて繁栄を願うのだ。よく見るということはよく知るということであり、これ即ちよく学ぶということである。
まことにもって、千載の昔を偲ばしむることよ。
古来より自然を神と崇め、畏敬の念から生まれた山岳信仰が盛んに行われている。その対象は、山や木、岩など様々で、神奈備、神籬、磐座などと呼ばれ、神が鎮座する聖域としていた。
それらは常世と現世の境界として注連縄でもって隔てられている。禁足地であれば結界として囲まれることもある。
いくら科学が進歩しようとも注連縄で仕切られた場へ踏み入ったり、それ自体を引きちぎるなどの罰当たりな行いが躊躇われるように、どこか恐ろしさと神聖さを併せ持っていることを感じる。その思いは戦国の世ではことさらに強い。
修験道の開祖たる役行者は伝承や説話によって善行と悪行の何たるかが語られ、強い法力でもって鬼を使役していたとも言い伝えられてきた。吉野で盛んとなっているのは、役行者が修験道を感得した地であり『日本国現報善悪霊異記』を始めとした『両峰問答秘鈔・修験指南鈔・役行者本記』といった書に逸話が残されているためだ。
いざなぎ流がある土佐一条家では、当然それらの伝承や逸話に関する書物も読む。
なぜ桜の木を植えたのか。
山から降りてきた神の依り代とされたものがさくらであり、神の座たるその木を植えることで一種の結界としているようだ。
たかが信仰と侮ることなかれ。
人の思いは力となり、実となって現れる。
古く天竺より伝授された方術と神道を併せた『いざなぎ流』という信仰が土佐にある。仏教を根幹とするこの信仰は、時を経るに従って修験道、さらには陰陽道を取り入れていった。今のいざなぎ流は陰陽道に近しい性格を持つ独自の信仰と言える。
陰陽師や修験者を土佐へ招くのも、日々積み重なる知識や御業を習得せんとの狙いもあってのことだ。いくさへ出陣する前に九字を切るのも単なる見せしめではない。歴とした『いざなぎ流』であり、御魂を込めた護符も正統なるもの。戦国時代の軍配者に必要な資質として信仰における御業があるのも、信仰が兵を導く力となり得ているからだ。
その土佐独自の信仰には、神道による禊ぎや祓い、修験道による九字法、密教や陰陽道による護法や呪詛などあらゆる技が伝授されている。そういう意味では、あらゆる宗教の集大成とも言えるかもしれない。
中でも重宝しそうなのが、対座した者が善なる人か、それとも害を及ぼす危うき者かを探知する法だ。まぁ、今のところ悪く感じた人間がいないというか実際に効き目があるとしたらという条件付きになるのが、この術の信憑性が低い所以でもある。
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翌朝には、昨日の荒れた空が嘘のように雨がすっかり止んでいた。もしかしたら、試しに行った修験道の御業である止雨法が効いてくれたのかも。
外に立って見上げた先には、紺碧の空にゆったりと流れる白い雲。新緑が鮮やかな草葉は、白露の玉を身にまとい楽しげに揺れている。
心地よい風と麗らかなる日差し。
すでに初夏の薫りが漂っていた。
「春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天の香具山」
古くから、土佐でいざなぎ流という民間信仰が伝えられてきました。
『よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく見』は天武天皇が詠まれたとされる和歌で『春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天の香具山』は天武天皇の皇后である持統天皇が詠まれた万葉集でも一二を争うほど有名な和歌です。足しげく通っていた吉野山へ行く途中の香具山を見ながら詠まれたのかもしれません。




