93.関白 一条兼冬
遅くなりました。
推敲が甘いかも知れません。
すみません。
1553年 4月(天文二十二年 卯月)
「おぅ、良き頃合いに来やったの」
そこには、お声をかけられた入道親王さまと帝のお二人が居られた。ただ、いつもと違うてもう一人、虎将が居るということが妙ではあった。
「そちの存念、あい分こうた。ときが来たらば申し伝える故、今日のところは下がって良い」
「はい」
「分こうていようが、ここでの話を他言は無用ぞ」
「はい」
帝と入道親王さまそれぞれへ言承け、虎将は下がった。それと変わりざまに部屋へと入る。
御前であるゆえ、虎将とは互いに肯くだけにとどめ、言の葉を交わすことはなかった。
「いずれ、帰らねばならぬときが訪れましょう」
「あまりに惜しいことよ…… 」
いつか虎将は土佐へと帰るため、都を発つ日が来る。それを惜しまれていらしゃるのか。
譲位、改元と為すべきことが多くある中で、いつの間にやら、あやつが居らんようになることを心細く思うていたが。それは、このお二方とも同じであることに、わずかながら安堵した。
いかぬ。危うく、己の為すべきことを忘るるところであった。これより、院司へ置く者を定めねばな。
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今や、虎将の名を聞かぬ日はない。
都へ来やってより、六月と経たぬというに。
されど、公卿としての力は日増しに強まっている。
帝、後宮の女房衆、入道親王さまを始め、公家衆は言うに及ばず、さらには都に住まう民からも慕う声が聞こえて来やる。
これが、容易ならざることと気が付いておる者は朝廷でも僅かであろう。あやつの後ろ楯となっておられるのは、ことごとく高位にあらしゃる御方。
なによりも驚くべきは、五つある尼御所のお方々を以ってして「面白い」と言わしめたことであろう。
摂家を稚い者のごとく扱い、親王家にも慮ることなく、例え後宮の意であろうとも容易には聞き入れぬ。帝でさえも持て余すほどである尼御前が、お気に召されたのだ。
これが如何に然許りなことか。
今日おわしゃるお歴々は、ことの外、格式高いお血筋であらせられる。
そは、皇家、親王家、摂家の姫が揃い踏み、皆が尼となられているため並みの公家では言葉を交わすこともままならぬほど。
さほどの尼御前がお気に召された者など、公武に渡って未だかつて有らざることであった。
だからこそ、帝は院司へ虎将を据え置くことを決められた。つまりは、あやつの権威は左少将などに留まらぬ。その気になれば、堂上家のひとつやふたつ潰すことが出来るまでに大きゅうなっておりやる。
公卿とて軽々に機嫌を損ねることなど出来ようはずもない…… ひとつ気掛かりなるは、未だに久我と中院のことを根に持っておる様子。己の為した所業といえども、今の虎将に睨まれるは、いっそ憫れとさえ思わぬでもない。
一年足らずで、そこまでの後ろ楯を築くなど誰が想像できよう。否、出来るはずもなし。
かの者は齢十一を過ぎたばかり。
幼子と侮るは致し方なきこと。
よもや、手痛い目に遭おうなど考えるだに莫迦らしい。
されど、現に力を付けている。
だが、それをひけらかすこともなく、鼻にかけるでもなく、利するでもない。
そも、あの者は朝廷ばかりかあまたいる公家を助けるだけのお宝を献上したのだ。いまさら、少ない富を得ようと誰ぞを利するなどするまいよ。
その歳つき、容姿、そして下心無きその胸の内。それらに対して為したことの大きさに並いる高家の方々をして「面白い」と言わしめる。
果たして、今の堂上家に虎将に並ぶ者はいかほどか。もはや、あの者へ害を為そうとすることはあるまいが、幕府に近しき公達には用心せねばなるまい。
虎将は分こうておるだろうか。
これより先、良くも悪くも、欲という欲が、はかりごとというはかりごとが渦巻き、ありとあらゆることが己へ関わってゆくであろうことを。
あぁ、公卿としての心得とまつりごとの如何を伝え、身を守る術を教えてやらねばならぬのぅ。
だが、忘れてならぬのは、かの者が兵を持ちやるということよ。己の意のままに兵を動かせるいうことは、やはり公卿にあって公卿にあらじ。
そは公武が一体となった新たなる存在が顕現したというべきであろう。
あれほどの才を持ち合わせておるのだ。
もしかしたらば、公家に留まることなく武家の世でも覇を争うのではなかろうか。
であるならば、公家の世でも武家の世でもない、新たな世を担う者に為り得るやもしれぬ。
今や公家の品位は下がりつつある。
富を欲するがゆえに恥をも忍び、そればかりに傾いて力を尽くす。故旧の縁さえも絶つことを厭わず、義に背いて利を求むる。
帝が嘆かれるのも無理はない。かつての誇り高き公家の姿はもはや数えるばかり。
─── かの者、何を欲すか。
富か。
力か。
権力か。
官職か。
それとも名か。
富であらば見限られよう。
力であらば滅びよう。
権力であらば溺れよう。
官職であらば操られよう。
名であらば何人も救うこと能わず。
年若の身で、いずれかを欲すのであらば小人よ。しかれども、突如として現れたる虎将は、いずれも望まなぬことで見事に示した。ゆえに、皆の心の内へするりと入りこめたのであろう。
歳を重ねるごとに望むものは増える。
富があれば、力があれば、官職があればと。
年嵩となるは腹の内が黒うなるということよ。
あの者がうらやましい。
皆が失ったものを持ち合わせておる。
『上善は水の如し』
あやつは水か。
水を覗かば、そは水鏡となりて浄玻璃の鏡のごとく、あるがままに見た者の心根を映すであろう。その姿がどれほど醜くかろうとも。酷なことよ、それゆえに恐ろしい。
あぁ、清く澄んだまま大きゅうなりやる、あやつのことを考えるに胸が温こうなる。
何人といえども手折ること能わぬ一条の光となって皆を明るく照らしてくれやるような、そんな気さえしてしまう。
公卿として熟すまでは麿が矢面に立ち、あの者らを守うてやらねばのぅ。




