91.二百
1553年 3月(天文二十二年 弥生)
時は春。
通された部屋からは庭が見えた。
白木蓮のつぼみは花ひらき、風に吹かれて池に波紋が立つ。水の揺らぎに耀い、光がさんざめいている。
長閑なり。
目の前に居並ぶのは、後宮の女房衆にも負けず劣らず美しい尼御前たち。落飾して尚、これほどの美貌を保っているとは恐ろしい。
見れば、みな落ち着いた色の香衣にもかかわらず、艶やかに映る。喪服や尼衣にそそられるというのも分からないでもない。
野に咲く花は散りけれど、生くる女性は枯れぬ花。命尽きるまで咲き続ける一輪草。
はんなり。
あぁ、この体がまだ性に目覚めていないのは幸いだった。目覚めていたら、こんなに堂々としていられないだろう。
手遅れかもしれないが、これ以上の邪念は失礼にあたるから控えねば。
それにしても、あたたかな陽気とは裏腹にときおり吹く風の肌寒さが心地よい。うたた寝してしまいそうだ。
そして、起きた時に気が付く。
自分が鳶なのか、それとも虫なのか。
はたまた虫が鳶の夢を見ていたのか、またはその逆か。
まるで胡蝶の夢のように。
いや、今は鷹であらねばならないのだった。
…… よし。
ふっ、この鷹に何か用がおありかな?
「鷹に何か?」
あっ、しまった。
聞き間違えたとでも思ったのか、香衣を着た尼御前は困惑した色を浮かべている。このままでは鳶だということが露見する日もそう遠くない。
「…… 麿に何か?」
「いやなに、月卿さんがおわっしゃるのは久しくなかったゆえ」
「さようで。我ら土佐とは長らく疎遠になっておわしゃりましたが、これを機に親しくさせてもらえたらと思うておりまする」
「ほう、それは何とも嬉しきこと。しかしながら、ここに来られたは付き添ってのことにござりましょう。こたびのことが無くば、ここに寄られることもなかったのではないかえ?」
うっ、そうかもしれない。
しかし、やけにあたりがきついな。
「さようなことはありませぬ」
「………… 」
「春らしい日で、おうつうつしてしまいますなぁ」
「は、はぁ、まことに」
当たりがきついのは、凛々しく端正な顔立ちの美しさが際立つ麗人。比べて、脈絡もなく陽気の話をしたのが、優雅でありながらも柔らかい雰囲気を持つ、歳若いおっとりとした美人だ。他にいる五人も、それぞれが違った美しさを放っている。
話も途切れ、居心地が悪い。
「ちと、よそよそへまいらしまする」
「ならば、麿も」
「ここで待ちやって、せいぜい皆々を笑わせてあげなされ」
わぁぁ、嘘でしょ。
お祖母さまに置いてかれた。
…………
くぅ、この沈黙に耐えられそうにない。
あ、そうだ。
「これなるは土佐より持ってきやった物にござります。宜しければお納め下さりませ」
「これは、これは、ありがたく」
おいおい、お土産を渡しただけで話が終わっちゃったよ。開けるなりしてくれれば場も和むのに。誰もが身動ぎひとつせず、池に落ち込む小川のせせらぎだけが絶えず耳朶をかすめている。
「何ぞ、和歌でも詠って給れ」
「麿にござりまするか?」
「他には、居るまい」
唐突に、おっとり美人が無茶を言ってきた。
急すぎて、何も思いつかない。
小川の傍らに杜若の葉が見えた。
ここは、名人の和歌でいいか。
ひとつ咳払いをしてから詠みあげる。
「唐衣 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」
「おもなし」
きっつぅぅぅ。
凛々しい麗人は、厳しすぎる。
「それで仕舞いかや?」
「さようなことは…… 」
「ならば早うしやれ」
まだ要求すんのか。
とことん厳しいな。
変に自尊心を保とうとして、とっさにまだあるみたいに言っちゃったよ。
くっそ。
そんなに早く思いつくわけがない。
「早うしや」
「では…… 尼衣 また尼衣 尼衣 かへすがへすも 尼衣なる」
投げやりだが、これで刻を稼げた。
すぐに次の和歌を考えないと。
しかし、何か様子がおかしい。
皆が下を向いており、呆れられたかのやもと思った。
が、麗人に至っては顔を背け肩が震えている。
これって、笑いをこらえてるんじゃ。
「くふっふあははは」
おっとりした美人がたまらず吹き出すと、他の尼御前もこらえていた空気を吐き出し笑い声を上げた。
「ひぃ、お、おみなかが痛うて」
「しおしおえが」
「おかしくてたまらぬ、くふふふ」
しばらくして、皆の笑いが落ち着いた頃、いつしか戻られたお祖母さまも加わり、なんだかんだと和やかのうちに話を終えることができた。
■■■
訪れた大和にある法華寺の住持には、皇族や摂関家の者が持ち回りで就いている。後から聞いた話では、お会いした尼御前はそうそうたる方々だったようだ。
主に話した二人は皇族の血筋で、他に居られたのも親王家の姫や摂関家の娘であり、どこかの寺で住持をしている方ばかりらしい。
そこで求められたのが景愛寺の再興の話だった。尼五山の中でも高い寺格を有するのが景愛寺だ。
寺院は五十年ほど前に焼失しており、その住持職だけが継承され続けている。これから先、尼となる者らのことを考えるに、寺院の再建を願わぬ日はなかったという。
もちろん、一条家だけでということじゃないが、帝ともよく話し合ってほしいと切願された。
事情を知ってか知らでか、帝と直に言葉を交わしたことは拝謁のときだけだ。よく話し合うも何も、そのことを陳情することさえ俺には許されていない。
一応、及ばずながら努力はしてみると伝えたが、期待はしないでほしい。だが、代わりと言っては何だが、興福寺へ取り次ぐ文をしたためてもらうことができた。
なぜ、この尼寺なのか。
その昔、一条兼良の子である尋尊は奈良の興福寺へ、そして妹の尊秀が法華寺の長老職に就いており、そこから両寺院のあいだでは長らく交流が続けられてきたゆえである。
興福寺は、延暦寺と同じく公卿として避けられない大寺院のひとつだ。
文には酒造りを教えてやってほしいと一筆入れられている。これがあれば、噂に聞く『多聞院日記』に記されている秘伝の酒造技術を教えてもらうことが叶うかもしれない。
そこに『南都諸白』と呼ばれる澄み酒の造り方が載っているかと思うと、これは是が非でも御技を学びたいところ。
もちろん、ここで断られても別の手はあった。
現在、二条尹房の子である尋憲が興福寺別当になっており、そちらへ直に頼むこともできる。
しかし、九条家に話を通すことになるため、少し面倒ではあるものの無理ではないだろう。ただ、尋憲へ頭を下げ願い出るだけというのは、いささか心許ないことであり、尼寺の願い文を手に入れられたのは、やはり幸いと言える。
あと、二百あまりの東雲が明けゆけば、大嘗祭となる。
忙しい日々を思うと気掛かりな問題ばかりだ。その憂いを煽るかのように、ひときわ強い風が庭を駆け抜けていった。
月卿 = 公卿の別名。殿上人は雲客。総じて、月卿雲客と使うこともある。
『唐衣 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ』は在原業平が詠んだ有名な和歌です。句の頭を繋げて読むと「か・き・つ・ば・た」になる折句です。
尼衣の和歌は源氏物語の『唐衣 また唐衣 唐衣 かへすがへすも 唐衣なる』のパロディです。皆が源氏物語を知っており、はじめに在原業平の和歌にある唐衣の印象を植え付けられてから、韻を踏んだ尼衣の和歌を歌ったがために笑いとなりました。




