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90.媚薬

 


1553年 3月(天文二十二年 弥生)



 甲高い鳴き声が響く。

 空を見上げれば、(とんび)が円を描き伸びやかに飛んでいた。


 大きく息を吸い込むと、満開に咲き誇る紅梅から漂ってくる(ほの)かな香り。


 心地よい春の風に菜の花が揺れ、そよぐ若草。

 ひらひらと紋白蝶が舞えば、うぐいすは春を慶び歌っている。


 皆、春の訪れを待ちわびていたらしい。



 しかし、今日このときを誰よりも喜んでいるのは、この俺だろう。


 この目に映すのはひとりの女性(にょしょう)

 この方以外に、これほど春が似合うお人は居るのだろうか?


 今、目の前に広がる光景を記録として残せないのが悔やまれる。なんともったいないことか。



「虎将さん、いかがされました?」



 耳に届く声の、なんと美しいことか。

 あぁ、もったいない。



「あぁ、もったいない」

「何ぞ?」

「あ、いえ…… 申し訳ないと。えっと、お供をさせて頂いたことが」

「よいよい。こなたが共に参るに、いささかの気遣いも入り申さぬ」



 危ない。

 思ったことが声に出ていた。



 今日は、お祖母さまが尼寺へ行くと言うのでご一緒させて頂いた。随分と前に、落飾したことを知らせてはいたものの、改めて結縁灌頂(けちえんかんじょう)などを行うためだ。


 ここは、お祖母さまの孫として、公卿として、恥ずかしくない振る舞いをしなければ。居ずまいを正し、鳶ではなく鷹に見えるよう気を配る。


 鷹だ!

 鷹だ!

 お前は鷹になるのだ!



「お祖母さま、少しお待ち下さりませ」

「なんです?」



 お祖母さまの染衣に、一匹の天道虫がくっついていた。手を近づけると、指を伝って登り始めた。



「天道虫にござります」

「これは、いとぼい(かわいい)虫さんやこと」



 お祖母さまが天道虫を見るために、俺の肩にそっと手を置きのぞき込む。


 指の先まで登りつめた天道虫は(はね)を広げ、太陽へ向かって飛び立っていった。



「行ってもうたなぁ」

「はい」



 そう言って離れたあとに残されたのは、得も言われぬ甘美な香り。嗅いだ者を捕らえて離さないこの匂いは、もはや媚薬の一種に違いあるまい。



 俺は虫か。

 お祖母さまという大輪の花に吸い寄せられる一匹の虫なのか。


 前前世、もしくは前前前世が虫だったのかもしれない。


 得心がいった。

 それならば、仕方ない。

 お祖母さまに惹かれるのも道理というもの。



「行こか」

「はい」



 あぁ、いつまで経っても、お祖母さまから離れることができそうにない。


 きっと来世でも、お祖母さまに吸い寄せられていることだろう。


 虫だ!

 虫だ!

 お前は虫になるのだ!


 あぁ、駄目だ。

 来世は虫でも、今は鷹にならねば。



 しかし、今はもう少しこの心地良い自然の摂理に身を任せていたい。


 そう開き直ってからの、この堂々たる様はどうだ。

 これぞ鷹の姿であろう。


 居並ぶ尼御前(あまごぜ)には、さぞや妙々たる鷹に見えるに違いない。


 根拠のない自信とともに、意気込み勇んで門をくぐり抜けた。




 ■■■




 京には大聖寺や宝鏡寺をはじめとする尼五山がある。


 しかし、古くから女性は軽視されてきた。

 それは仏教にも共通している。


 女性だけが落ちる血盆経の血の池地獄、不産女(うまずめ)地獄、両婦(ふため)地獄。もう、これだけで不当な扱いを受けているのが見て取れるほどだ。


 そもそも、女性は穢れを持つ存在で、仏法を受けるに値しないという女身垢穢(にょしんくえ)の思想があり、五障三従の身と言われている。




 それまで命と同じくらい大切にしてきた髪を切ることで仏門へ帰依する。しかし、それだけでは往生することはできず地獄へいく。


 どういうことか。

 女性は完全剃髪をして、初めて女性から男性へと変貌を遂げ、男性になって初めて極楽へも行けるのだと、俗に言う変成男子の教えである。



 単に女性というだけで極楽へ行けない。

 これこそ究極の軽視であろう。


 他にも、女性は月の血穢れがあるために霊山へ踏み入ることを許されないし、儀における神楽に参加することも叶わず、官職は賜れない…… など、数えだしたらきりがない。



 だが、聖徳太子が残した法華義疏では、衆生に一切の区別なく老若男女の誰しもが成仏できると記されている。それは天台密教でも同様だ。


 律令時代には、後宮十二司でも大弁司(だいべんのつかさ)に名を連ねていたのは尼だった。そもそも、天照大御神も女性の神であり、女性を軽んじる風潮はないはずだ。



 では、いつから仏教での女性軽視が始まったのか。道教や儒教の思想が混じり軽んじられてしまったのではないだろうか。


 それを受け、幕府が朝廷と近しい旧仏教や南都六宗に対抗するため広めた新仏教では、女性を救おうという動きが見られる。



 曹洞宗の道元は『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』で、只管打坐(しかんたざ)にて悟りを開くことに男女の差はないとしている。


 日蓮宗は変成男子をすることなく女性であっても題目を唱えればそのまま仏になれるとした。


 律宗でも五障に打ち克てると説き、時宗を開いた一遍上人は、浄や不浄を問うことなく男も女も受け入れた。



 しかし、どの宗教にも女身垢穢の思想が根底にあり、そもそもの平等とは意味が違っている。その中で、なにゆえに日蓮宗が広く民衆に受け入れられたか。


 それは、女性であっても皆が平等に救われるべきとの教えを掲げ、疲弊していた人々の心を救わんとしたからだろう。



 はっ。

 こんなにも素晴らしいお祖母さまも、どこぞの輩に軽んじられている…… ?


 あぁ、いとをしや。



 ならば、旧仏教が元来の教えにある女性の救済を説くことで民は救われ、お祖母さまも救われるのではなかろうか。それでこそ、帝の威光も増すというもの。


 もしかしたらば、宗教間で排斥しようとする動きはあるのかもしれないが。


 しかし、この状況を変え得るのは男女平等の未来を知る自分しかいないのではないかとさえ思えてくる。



 この世に陰と陽があるように、マイナスとプラスがあり、オフとオンがあり、生き物にはメスとオスの区別がある。


 メスがいなければ子は生まれず、その種は絶滅してしまうだろう。中には区別がない種やオスが生むような例外的な種も存在するけども。


 要するに、人が生まれ育つために女性は不可欠だということ。それを穢れているなどとは笑止千万、片腹痛いわ。


 全く、愚かしい。

 女性は素晴らしい。

 素晴らしいに決まってる。


 その姿も、その声も、その香りも、どれひとつとっても素晴らしすぎる。それだけで、ご飯三杯はいける。というか、いける。



 むしろ、物理的にも男の方が汚らわしいだろ。

 厠に行って手を洗わないやつとかいるし。

 絶対に手を洗う派としては許せないし。


 女性を神格化した古代邪馬台国の男たちを見習ったほうがいいだろう。女性に媚び諂う、それがどんなに気持ちいいことか味わって然るべきだ。それこそ俺が目指す鷹の姿ではなかろうか…… 違うか。


 ま、まぁ、尼寺にいるときに考えることではないな。



 あれやこれやと考えても詮方(せんかた)ない。どの宗教であっても、人の御霊を救わんとする考えは変わらぬのだ。


 慈しみをもって、相対す。

 それこそが、本来あるべき仏の教えなのだから。



 

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― 新着の感想 ―
[一言] まあ元々神道の神々と仏教はクソほどの関係もないんですがね。
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