88.秘薬
1553年 閏1月(天文二十二年 閏月)
病にかかって命を落とす者の半数は、体力減少による免疫低下、そして合併症へと至る。そもそも体力がないか、もしくは栄養が偏っているのが原因だ。
治療は病の症状を軽減しつつ、栄養バランスのとれた食事から始まる。
口にする水はすべて煮沸したものを使うように指示した。どこまで効果があるかは分からないが、やって損はない。
やはりと言うか、手伝いに来ていた女衆にもすでに被害は広がっている。ほかにも、ここに居る者の全員が感染していると思った方がよさそうだ。
その中には、より多くの患者と接触している曲直瀬も含まれていた。体の痛みと高熱を圧して治療にあたっていたらしく、薬の調合中にとつぜん倒れた。
患者を隔離する部屋を用意していたため、一時的に診断待ちの列が途絶え、緊張の糸が切れてしまったらしい。
どうりで、隔離で部屋を騒がしくしていたときにも顔を出さないわけだ。体調が悪くてそれどころではなかったのだろうな。医者が病気になっては元も子もないというのに。
すると蜷川が曲直瀬から言伝があると皆を集めた。
「我らが薬を与えよとの仰せだ」
「我らでだけでか?」
「それだけのことは教えていると」
「しかし…… 」
もう、師事してから丸五年。
知識も深まっているだろうし、曲直瀬がそう言うのなら大丈夫ではなかろうか?
「やれぬか?」
「御所さま…… いえ、やれぬことはないかと」
「ならば、二人ずつ事に当たればよい。互いに同じ考えであればよし。でなければ、曲直瀬か諸兄に確かめればよいではないか?」
「それは良い考えにございます」
一条家の五人を含めた曲直瀬へ師事している者、総勢十名が診療に当たることとなった。
かぜであれば、麻黄湯や柴胡桂枝湯のほか『葛根湯、麦門冬湯、麻杏甘石湯、苓桂朮甘湯』など、症状や体力の度合いによって処方が変わる。
御所にある医学書には、疫病に対する特効薬として『牛羊金銀散』の調合法が載っていた。
書によると、牛蒡子、羚羊角、金銀花、連翹 、荊芥、淡豆豉、淡竹葉を煎じて飲むことで、症状は和らぎ治りも早いらしい。羚羊角だけは高価なため、土佐で飼っている羊の角で代用する。
そう、これは世俗で知られていない秘薬と言えるものだ。
一説には、丑年と未年に服用することで疫病にかかることなく十干十二支をひと回りできるとされ、別名『じゅうにしごえ』とも呼ぶらしい。
だが、他の薬と併用する場合は同じ生薬を調合していないか注意が必要らしいけど。
まずは、何を優先して治すべき症状であるかを見極めるのも難しい。当然のこと、経験を多く積んでいる者でなければならない。
皆が診察している間、こちらは牛羊金銀散を調合しておこう。
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一口に医術と言っても漢方や鍼灸、あるいは祈祷といったものまで色々ある。
外傷を処置する金瘡医は医学に通じた者や、医者以外にも僧や武将なども似たことをする。ここ最近では西国の一部で、南蛮流の医術が宣教師によって伝わり始めた。
だからこそ治療にはそれぞれの医術を施すのだが、高貴な家では祈祷師が始めから付いていることが多い。そうでなければ手の施しようがない場合に行う。
祈祷は実効果があるかと問われれば無いのかもしれないが、すべてを否定することはできない。病は気からという言葉も単なる迷信ではない。
心が弱れば、体も弱る。
生きる気力がなければ傷病の回復にも時間がかかるからこそ、気持ちも大事なのだ。
いくら化学が進歩しようとも、人の力ではどうにもならないことがある。そんなとき、人は神や仏へ祈らずにはいられない。
お祖母さまが病で弱っていくのを目の当たりにして、それが理解できた。祈ったことがない者はこれまでが幸せに過ごせてきた証であり、祈る者はそこで初めて神仏の大きさに気が付くということもある。
それは、口で説明されても実際に経験しなければわからない。人とは己で見聞きし感じなければ、なかなか信じられるものではないのだから。
なにも当人のためだけではない。
周りの者もここまでやったのだからという期待と同時に、心のどこかで最悪の事態を受け入れる準備をし始める。
祈祷とは、残される者に悔いを残させないためでもあるのだ。
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ひとつ思い出した。
山には杉の木がさほど多くないから、花粉症にならないかも。もしくは、自然豊かな環境で過ごすことで花粉に対して異常な免疫反応を起こさないとか。
三月にもなると夏が来るまでの間、目はかゆいし、鼻水は止まらず、酷いものだった。今のところ、花粉症を患っている者は見たことがない。あれがないだけでも随分とありがたい。
その代わり、ハウスダストはありそうだ。
ありそうどころじゃないか。
ダニやノミに噛まれることも少なくない。
湧いて出てきてるのかと思うくらい、どこにでも、いくらでもいる。
うぅ、想像したら全身がかゆくなってきた。
よく知らない者の屋敷へ行くときは、特に気をつけねば。
現代でも処方されている漢方薬の一部は、戦国時代でもすでに処方されていました。




