87.疫病
コロナウィルスが国際的に問題となっている今、投稿する内容として不適切なのかもしれませんが、意図してのタイミングではないため、そのまま投稿させて頂きました。
内容をご不快に感じる方がいらっしゃいましたら、話の差し替えも考えたいと思います。
1553年 閏1月(天文二十二年 閏月)
寒くなり、京洛では病が蔓延していた。
はじめは軽いと思われていた症状が、日を追うごとに悪化し幾日も高熱にうなされる。同じ病にかかる者が徐々に増え始めたかと思えば、瞬く間に京洛全域にまで広がり、恐ろしいまでの猛威を振るっていた。
症状を聞いて思い浮かんだのはインフルエンザだ。兼良が残した『増鏡』の注釈書にも風邪や風疫などと記述され、それらしき疫病が古くから知られていたという。
どうやら町にいくつかある療養所でも患者が溢れるほど押し寄せているらしい。そこで気がかりなのは、曲直瀬道三へ師事している一条家の者らだ。
こちらから頼み医術を学んでもらっている手前、ここで捨て置くのは偲びない。すぐさま曲直瀬の屋敷へと足を運べば、年明けに挨拶を受けた覚えのある者を見つけた。
牛車を降りると、療養所のそこかしこで咳く声が絶えず聞こえてくる。菌が蔓延している場へと赴くのはさすがに嫌な気分だ。
しかし、最低限の準備はしてきた。
二重に折った布の四隅に縫い付けた紐を、頭と首の後ろで結び止める手作りの予防マスクを着けている。紐とはいえど平打ちの組紐であり、単なるマスクとは思えないほど高価なものになっているのだが。
さらに二重となっている布の間へ、水で湿らせた布を挟むことで湿度を保つこともできる。
「どうやら、大変なことになっておるようだの」
「こ、これは、御所様。かようなところにまでお越しになられるとは、何ぞございましたか?」
誰なのか気づき、慌てた様子で頭を下げた。
「いやなに、流行り病を患う者が多いと聞き及んだゆえな。これを持って参った」
「それなるものは…… 」
「麿も着けておる口当てじゃ。これがあらば、少しは病にもかかりにくかろう」
「さほどまでのお計らい、まことにありがとう存じまする」
「礼には及ばぬ。君たる者、家臣の身を案ずるは至極当然」
口当ても恩も、せいぜい沢山着てほしい。
見たところ何やら整理も管理も間に合ってないようだ。
「ここでは何だ、屋敷の中でも見せてもらおうか」
「な、なりませぬ! 御所さまのお体に万一のことあらば…… 」
「よい。これでも医術は学んでおるゆえ、ものの役には立とう。外から見てこれでは手が足りておらぬのではないかえ?」
「…… おおせの通りにござりますが」
「なればこそ、我らが手を貸してやろうと言うておるのだ。何も、ただで手伝うてやるのではない。曲直瀬がどれほどの医術を持っておるか、この目で見極めたいのだ」
どれほどの医術か確かめたいのは、半分本当のことだ。
「臣とは君を思えばこそ、その行いが御身の危ぶまれるものならば、お諌めするものにござります」
「ふむ、確かそちは塩塚家の者だったかの?」
「はっ」
塩塚のほか、米津、蜷川、蕨岡、水蓼川の五人が道三の下で医術を学んでいる。
「そちの言は、まこと良き臣であるといえよう。されど、民の命が危ぶまれるのであらば、それこそを大事として重んじるべきである」
「…… 」
「病にかかる民が多いこと、帝も案じておられる。ゆえに、今のありさまを確かめるために麿が参ったのよ。分こうてくれるか?」
「はっ、差し出がましいことを申しました。何卒、お許し下さりませ」
「気にしてはおらぬ。お主が良き臣である証ぞ、その忠義は覚えておこう。では、すまぬが案内をしてたもれ」
すると、ようやく供の者らの顔も確かめつつ、おずおずと先導し始めた。勝手に帝の御名を語っているが、匂わせただけで、はっきりとお指図と言ったわけではないし、まぁ大丈夫だろう。
屋敷へ入ってすぐに気がついたのが、治療や看病をしている者らも口当てを着けていないことだ。付けていたとしても、鼻と口の前に布を一枚垂らしている簡素なものだった。
もちろん、それだけでは菌に対しての予防になっていないのだが、菌という概念そのものがないため仕方がない。付けている者は口から穢れを吸いこまないようにとの考えであり、予防というよりもまじないに近いだろう。
どちらにしても、完全に口と鼻を覆うものでなければ意味がなく、だからこそ口当ての布を作ってきたのだ。
口当ての着用、石鹸での手洗い、アルコール消毒、換気、温度湿度の管理など、これらを徹底して行うことで二次感染を防ぎつつ、治療にあたることができる…… はず。
聞きかじった知識であろうとも、この時代なら少しくらいは役に立つ。
一条家から資金を援助したおかげか、なかなか広い屋敷だ。まずは感染者の症状別に部屋を区分けして隔離する。
日本の家屋が優れている点は、常に外気が取り込まれているということだ。と、同時に室温維持が難しく、欠点にもなってしまいがちだが。
すぐに部屋の欄間をふさぎ、襖以外にも四方へ幕を下げて簡易の間仕切りとした。
暖をとり、湯を沸かすことで暖かく湿度を保つ。病を癒すには安静にして、睡眠と水を十分に取る必要がある。汗を吸った衣服は体を冷やしやすいため、こまめに着替えはさせなければやらないが、替えの衣服は数に限りがある。
病を患っている者にも口当てを着けさせ、のどの湿度を保つと同時に菌をまき散らさないようにした。もし高熱であれば、首とわきの下、大腿部を冷やし、微熱ならばそのまま様子をみる。
病とは、薬で症状の軽減や多少の滋養をつけさせることはできても、結局のところ自然治癒を待つしかない。
必然、体力がない幼子や年寄りから亡くなる度合いは高くなる。特に年寄りは合併症を起こしやすく、肺炎や衰弱によって命を落とす者が多い。
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ひと段落してから話を聞くと、道三は医術もさることながら人格も素晴らしく、すでに名医と呼ばれ始めているらしい。
「なかなか腕が良いとみえるが?」
「はっ、師ほどの薬師は天下に二人とおりますまい」
師と仰ぐ程度には尊敬しているのか。
「さほどに違うか?」
「いかなる病か見極める目と漢方の調合に長じておりまする」
「ほう」
常であれば調合する薬草の量は、さじで何杯分と決められている。漢方薬は自然の薬草から作られているため、多少の誤差なら副作用が出にくい。子供であれば大人用に調合されたものを半分に減らして服用したりするものだ。
だが、道三の場合は患者の症状と体格、性別などによって、ひとりひとり配合を変えているらしい。
それを示すかのように、他所の医者からもらった薬では気分が悪くなっていた者が、道三が煎じた同じ薬を服用した途端に吐き気は消え直ぐに完治したとの話もある。
漢方は副作用が出にくくあるが、全くないわけではない。中には、体質に合わないことや、物によってはアレルギーを引き起こすものが無いとも言えない。稲アレルギーがあるくらいだし。
俗に、やぶ医者と呼ばれる者の薬は、うろ覚えの比率での調合や量を確かめずに行ったり、悪いものになると混ぜ物でごまかしている。副作用が強い割に効果が弱いことがあり、あそこの薬なら飲まない方が治りは早いとまで言われるものはそういう類だ。
調合とは存外に難しいものである。
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古来より、よき友には三つありと言う。
ひとつ、物くるる友。
ふたつ、医師。
みっつ、知恵ある友。
それとは逆に、友とするに悪き者は七つありと言う。
ひとつ、高くやんごとなき人。
ふたつ、若き人。
みっつ、病なく身強き人。
よっつ、酒を好む人。
いつつ、たけく勇める兵。
むっつ、虚言する人。
ななつ、欲深き人。
やっべ。
悪き友で四つ目と五つ目の他は該当している。
だからか、俺には友と呼べる者がいないのは。
…… 良き友であろうとも、悪き友であろうとも、どちらも友には違いはなく、共に等しいお付き合いを願いたいものである。
明日も見てくれるかな?
読み方が難しい名前ばかりですが、戦国時代の土佐にある地名から引用しております。歴史書には残っていませんが、その土地を治めていた者の名前として使われていたのではないでしょうか。




