5.塩田 【地図あり】
1547年 9月 (天文十六年 長月)
「なんや、今年はお塩が少ししか作れんらしいわ」
「そうなのですか?」
「せやから、御膳でもお塩を控える言うててな。お味が無くなってしまわへんか心配やわ」
今でも、うす味の料理が多い。
この時代でも醤油は存在しているが、貴重な品だ。その上、塩加減もうすくなったら本当に味がしないかもしれない。
ああ、俺の大好きなお祖母様が心配されている。何とかしなければ……
市正に、康政を呼んでもらった。
「若様、お呼びと聞きまかり越しました」
「うむ。聞き及んだところ、なんぞ塩が足りぬとか?」
「はっ、村で作られた塩が少なかったとか。年貢の不足分は銭で納めさせておりまする」
他の農作物では無く銭で賄ったのか。
「さようか。なにゆえ、少のうなったのか聞いておるか?」
「そこまでは聞き及んでおりませぬが、何ぞありまするか?」
「いや、お祖母様が心配されていてな。確かめたかったのよ」
「さであらば、早急に調べるよう遣いを向かわせまする」
おい。
お祖母様の名前を出したらすぐ調べますって。
さては、おぬしお祖母様に惚れているな?
まぁ、あの美貌だ。
無理もない。
「待ちやれ。麿は村の者に会うて話を聞きたいと思うておる」
「されど…… 若様が行かれるほどのことはござりますまい。何ぞ確かめることあらば、遣いを出せば宜しかろうかと思いまするが?」
「直に会うて話を聞きたい。村の者をこちらまで呼んで参らせよ」
「呼びつけるのであれば、御所様に確認せねばなりませぬが?」
「では、麿からお父様に願い出よう」
「はっ、承知つかまつりました」
その夜、父にお願いしたら案外すんなりと許可が降りた。
◾️◾️◾️
五日後、海岸沿いにある平野村と伊屋村から代表者が二名ずつ中村御所の中までやって来た。来てくれたはいいが、平民が政所や御殿に上がることは許されず御殿の庭先で話を聞くこととなった。
ゴザを敷いてあるので、完全に南町奉行所スタイルだ。
「今日は確かめたきことがあるゆえ、呼び立てた。急なことですまぬな」
「へ、へい。構わんがです」
康政と村の代表の者が話している。
俺はといえば、まだ奥で控えていた。
長袴を履いていないので、迫力が足りないかもしれない。
「うむ。その確かめたきことというのはな、一条家の嫡子であらせられる万千代丸様が、直々にその方らの話を聞きたいと申されておる。すぐにこの場に来られるゆえ、粗相のなきように」
(おまんらの村ぁ、なんかしたがか?)(わしんくはなんもせんよ。 おまんらこそ何したがぜ?)(悪ぃこたぁようせんちや!ぎっちりやることばぁやりよったが)(けんど…… )(怒られるがやない?)
「今一度、言うておく。粗相なきよう、良いな?」
「「「「へ、へい」」」」
俺が出て行くと、村人は平伏していた。
廊下には床几が置かれており、そこへ腰掛ける。悪い越後屋がいないのが悔やまれるな。
「皆、面を上げよ」
皆が顔を上げてこちらを見た。
口を開けたまま見てるだけで、誰も喋らない。
俺が子供すぎるからか?
この時代に長袴さえあれば威厳も出たというのに。ここは声をかけてやるしかあるまい。
「で「これに御座すお方こそ、万千代様にあらせられる」」
話し出そうとしたら、かぶってしまった…… 恥ずかしい。そういえば、直接話さない様に言われていたんだった。
「ははっ。どういたことか、何ぞお話があるっちゅうきに、平野村の五平と宗吉が、まかり越してごぜえます」
「わしんらは、伊屋村の五助と康次郎にごぜえます」
五平と言う初老の男は、方言混じりではあるが何とか話してみせた。
「うむ。聞きたき儀あるゆえ、呼び立てた。さきころ、納められた塩が少のうなっておるとか」
「そ、そん通りちや。おらんくの平野村じゃあ、漁にでた者が四人も傷を負っちょり、一人が死ーでおりゃーす。塩を作るんにも人手が足りゃーせんき、年貢としてお納めする事が出きんがです。もうには銭も無いき、もっと寄越せっちゅうたら、わしら死にゆうが…… 何とか許しておーせ」
人手不足か。
それだけは対策のしようが無い。
「さようか。咎めておるのではない。ただ確かめておるだけよ。伊屋村の方は何故か?」
「へ、へい。おらんく村も漁に出ちょった六人ばあの内、四人も海に飲まれてしもうて、平野村と同じゅう人手が足りんきに塩を作られんとが。足りん分は銭でお納めとりゃーす」
「そうであるか。今回は人手不足が原因いう事か?」
「へい。それもないがやないがですが、その、何とゆうがか… 」
五助が言い淀んでいると康政が厳しい声をあげる。
「はっきりと申せ」
「へ、へい。お納めする銭を集めっちゅうき、薪代を払えんかったがです」
おいおいおい。
年貢を納める為に薪を買えないって。
それが原因で一揆とか起きたりしないだろうな?
「伊屋村も同じか?」
「へい」
そうだったんだ。何かこっちが後ろめたい気すらするな。
何か対策があればいいんだが。
康政に塩の作り方を聞くように耳打ちする。
「つかぬ事を聞くが、塩をどの様に作っておるか教えてくれぬか?」
「へい」
村人同士で顔を見合わせて、平野村の代表が説明しだした。説明された内容と知識としてある塩田の仕方に異なる点があった。
「鉄釜を使ってはおらぬのか?」
「鉄釜を作るんはこじゃんと銭がいるき……」
そうなるか。まずは労力を減らす事を考えねばな。
うーん。
海水を濃度が高い塩水にして釜で火にかける。火にかけるのは熱効率の高い鉄釜を使用するしかないが、濃い塩水を作るために海水を撒いて天日干しする作業はどげんかせんといかん。
何とかならないものか……
おっ、家庭用の淡水化装置は使えるんじゃないだろうか。あれも太陽光を利用して、コストがかからない。その上、海水を入れたあとは手間もかからない。
淡水化装置と鉄釜で、かなりいけそうな気がする。茹でた時にできるにがりを買い取れば薪代も節約になる。
しばらく考えていたからか、康政からの無言の圧が。
万千代は床几と思っていますが、源氏物語にも登場するように、この時代では胡床と呼ばれています。床几と呼ぶようになるのは江戸時代以降からです。