85.天下
1553年 閏1月(天文二十二年 閏月)
「王政でありやるか」
王政復古とだけ聞けば訝しんで当然で、これまで同じように目論んだ者も少なからず居たはずだ。しかし、今日まで復権に至っていないのは、その道が如何に困難であるかを物語っている。
「なにゆえ、虎将さんはさようなことをお考えなんや?」
「されば、そが一条家の宿願ゆえにござります」
「宿願とな?」
「はい。ことの起こりは長きにわたる応仁の大乱にありまする」
一条兼良と教房が戦禍にさらされ、興福寺へ逃れたことに端を発する。争いが下火になり始めた頃、兼良が足利義尚の招きに応じ源氏物語や帝王学を教えると共に、政や儀の大切さも説いた。それゆえか、長きに渡った乱もついに終わりを迎えた。
そこまでは、まだ良かったのかもしれない。乱は収束したが、義教が将軍の座に就いてから急速に失われた幕府の権力は戻ることがなかったのだ。義持や義尚らの代では、幕府と朝廷は良好な関係を保っており、その間に教房は土佐へと下向し一条家としての力を蓄えた。
兼良が一計を案じたのはその頃だ。
幕府の支配体制や統治機構は、律令制を創り変えたものだ。武家政権にて不要と判断したものを削っていく過程で、民がないがしろとなって多くの河原者が生まれるきっかけになった。
つまり、その時代に合わせ変化しているが根本となる制度は律令を大きく超えるものではない。
当時の公家は贅を尽くし武家の反発を招いたが、一方で新たなる技術や知識を世にひろめ貧民の受け皿となる施設を作るなど還元していた。
今一度、太平を保つためには、かつての公家政権やこれまでの幕府と同じ過ちを繰り返させぬようにしなければならない。そして、それを行うには……
その熟考した一念を伝え、最後に和歌を詠った。
『我君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで』
「これこそ、我が一条家の想いにありましゃれば」
「ふむ、されば今になって何故」
「八十余年、十年の間は動じぬだけの銭を蓄えるに八十余年ものときを掛け、ようやっと献上に至ったのでござります」
「…… 」
「高祖兼良をはじめ、お祖父さまやお父さまも、さぞやお喜びであらしゃることにござりましょう」
お祖父さまやお父さまのことを思い起こしてか、お祖母さまが袖で涙をぬぐっている。ご老体の目も涙をたたえていた。
「さような思いがあること、存ぜぬとはいえ悪いことを聞きやったな」
「さようにお気になさることはありませぬ。我らは、先代よりの思いを受け継いだまでのこと」
「とうに枯れたと思うておったに、まだこの老いた身体にも残っておったんやなぁ」
目は赤くなり、深いしわが刻まれた目尻に涙がにじんでいる。手で顔を覆い目を抑えると、何かをこらえるように大きく息を吐き出した。
「おぬしが歩もうとしておるんは、あまりに険しい道ぞ。そなただけでは無事とはすむまい。多くの者の助けが要るであろうよ」
「宿願を果たすがため、どれほどの難事があろうとも、こればかりは成さねばならぬと思うておりまする」
「肝の太いことよ」
兼良が布石を打ち『天下百年の計』を後世に託した。それによれば、三家の大国と三家の上国にて太平を保つというもの。それが近国と中国の範囲内にあれば望ましく、理想の配置も示されている。
では、現状はどうか。
畿内に覇を唱えつつある三好。
北陸の雄、長尾。
九州の大大名、大友。
それに加えて、大内と一条が軌を一にすることが叶えば、二十年ほどで天下の争乱を鎮められるかもしれない。
ただ、それぞれの大名家が欲を出さなければという条件付きだが。もし、計が成らないその時は次なる手立てを講じることも考えねばならない。
「さまざまと問いただすことがありやるものの、かような話は主上さんと面会して聴くことになりましょうなぁ。気の毒ことやが」
「…… はい」
「譲位のあと太上さんにならはったら、話しの相手にでもと思うておりやったんやが…… そうもいかぬかもしれぬのぅ」
伏し目に、畳の縁を見つめながらおっしゃられた後、前を向かれた。何かを、もしくは誰かを想ってだろうか、それは、悲しいほどの笑い顔だった。
これ以上のことは申し上げられなかったが、目指す先はあまりに遠く果てしない。
「いま話したこと、誰にも言うてはならぬ。言えば、そなたのためには決してならぬでな」
「はい、太き肝に銘じまする」
「ふっ、それで良い」
そう言うと、満足そうに頷いた。
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京御所の書物には足利尊氏が残した等持院殿御遺書の写しがある。そこでは、孟子や老子の影響を受け、天下について言及していた。
『天有りて君は有り、地有りて臣がある。天無くば地は無く、君無くば臣も無し。一天下を治むる者は、天下は天下の天下たる事を能く知り得えて則れば、天下は己に歸し、若し吾獨が天下の主たりとせば、天下は夫れ他人の天下なり』
天下とは何か?
天に御座す神々が御自らの血脈を継ぐ者へ治めさせた地とされている。
天下を治むる資格があるのは?
誰かと問われれば、神々より選ばれ賜うた帝の他はなし。天の下にある地は、天の御意志の下、治める天下であるということだ。
ゆえに、尊氏は自身が帝の臣下であるとして『道よく天下を治むる』と記している。天下を平らげた者にしか見えないものがあったのかもしれない。でなければ、呂氏春秋と同じように自らを正当化するために引用しているかだが、まぁ、それは無いか。
どちらにせよ、天下を治めるには正当な理由が要るのだ。そうでなくば、単なる私利私欲のためと言われ早晩に滅亡となるは必定。だから、乱世には終わりがない。
慈悲深く清廉潔白であろうとする帝。この戦国の世でこれほど多くの民を憂いている御方はいないだろう。
もし、帝がもとへ諸将が集えばあるいは…… この先にある幕末の大乱をも避けることが出来るやも。




