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84.入道親王

 


1553年 閏1月(天文二十二年 閏月)



「苦労でありゃる」



 堯尊(ぎょうそん)法親王(ほっしんのう)より預かった文を渡したあと発した邦輔(くにすけ)親王の言葉だ。ひどく権高(けんだか)い言い草で、もはや用済みとばかりに「下がりやれ」と言うだけであった。


 言伝があると口を開きかけたが、それを遮るように扇をはたはたと振り、まるで家人のごとくあしらわれた。



 てっきり、伏見宮家は一条家に好意的だと思っていたのに。


 よくよく思い返してみれば、宣旨は邦輔親王の名で発給されていたが感謝の文はなく、貞敦(さだあつ)親王より届いたもののみであった。そのことで、一条家は伏見宮家の当代に快く思われて居らぬやもと、お祖母さまが危惧されていたのは杞憂ではなかったということか。


 礼節を尽くし挨拶もしたが、眉はしかめて片頬(かたほお)を吊り上げ、まるで(けが)れたものでも見るかのような、そんな目つきだった。よもや、さほどに嫌われているとは思いもよらず、何も言えずにすごすごと引き下がった。



 上洛してより、何かにつけ敵視されることが多いような気がする。それも派閥の関係性を如実に表しているということかもしれない。


 腹違いとはいえ貞敦親王とお祖母さまは兄妹であり、土佐一条家へ嫁いだ後も互いに文を送り合うくらいには良好な間柄を保ってきた。貞敦親王は親一条派と言えるだろう。対して、子である邦輔親王は近衛家と近しい西園寺家の娘を正室に迎えている親近衛派である。


 つまり、四国の西園寺と戦を繰り返してきたことが、この事態へと繋がっているのではなかろうか。親王ともあろう御人が、嫌悪の情を隠そうとしないのは単にそれだけが理由とも思えないのだが、今のところ他には思い当たらない。



 西園寺家というのは、一条家の家礼でありながら近衛家と親密な関係にある。


 これは飛鳥井家の立場と似て非なるものだ。

 逆に、一条派閥で知り得た情報を近衛家へ嬉々として流し、敵対派閥に取り入っているのだ。



 ざっくりした派閥の割合は、幕府派や近衛に賛同する家が公家の中で半数近くに登る。残りの三割ほどが朝廷派で、一割が中立、残りの一割は途絶えているか、何らかの事情によりお家を保てないかのどちらかだ。


 近衛家は五摂家のうち九条家と並んで最も古い門閥であり、いまや押すに押されぬ最大派閥の家柄となっている。



 敵が多く、味方が少ないのも道理であろう。




 ■■■




 伏見宮家の家人に案内された先は質素と言えるほど必要最低限の調度品のみ置かれた部屋だった。


 それでも、目に付くのは白地に黒糸で菊花の紋様を織り込めた大紋高麗縁(だいもんこうらいべり)の畳だ。邦輔親王と謁見した場にも同じ畳があったはずなのに、あまりの態度にそれどころではなかった。


 さすがは親王家なのだと感嘆していると、すっきりとした部屋は慎み深く見え、高貴な御人にふさわしいように見えてくるから不思議なものだ。


 部屋の中には、お祖母様と一緒にしわばんだ老人が座していた。



「えらい(はよ)う来やること。どうにも話が弾まんかったんやなぁ」



 おだやかな木漏れ日を思わせるその口ぶりは、どことなくお祖母さまに似たものを感じる。



「はい。なんや、嫌われておりますようで」

「さようか」



 そう一言のみ言うと、くつくつと笑っていた。

 目の前で笑っているこの御人こそ、出家され入道親王となられた貞敦親王である。


 親王の呼び名は出家の時期によって異なる。親王宣下より前に出家していれば『法親王』となり、後であれば『入道親王』となる。昨日お会いした堯尊(ぎょうそん)法親王(ほっしんのう)は出家が先であったのだろう。



「お祖母さま、入道宮(にゅうどうのみや)(さん)と話すのも幾年(いくとし)ぶりや言うておましゃったのに、押し止めてしもうて、ほんに申し訳なきこと」



 畳の縁を踏んでしまわぬよう、いつにもまして気を付けつつ腰を下ろした。



「よいよい、そなたさんの話をしておったところでありましてなぁ」

「さようであらしゃいましたか。悪うないことであれば良いのですが」

「ふふ、どこぞに虎将さんの御内儀(みうちさま)とならしゃる姫さんはおらぬものかと思うてのぅ。入道宮さんにお伺いしておりましたんえ」



 そんな話とは露ほども思っていなかった。嫌なわけではないが、まだ十を過ぎたばかりで、別段に急ぐ話でもなかろうかと。



「麿には、いささか早すぎるように思いまするが」

「さようなことはない。器量の良い姫さんは、なかなかにおじやるものではありませぬゆえ、遅すぎることはあろうとも早過ぎることなどあり申さぬ。おかげさんで、良き姫さんと結ばれるであろうよ、(かたじけ)なや」



 そういうものなのか。

 というか、結ばれるであろうって本人が知らないところで話が進み過ぎてやしないだろうか。何か胸の内にもやがかかったようで、すっきりとはしないが先ずは貞敦入道親王への挨拶を済ませる。


 それから細々(こまごま)とした雑談の後、思い立ったように貞敦入道親王がばらと扇を開かれた。



「そうや、権典侍(ごんすけ)さんから聞きやったが、主上さんのお姿を越後におる長尾に見せた方がええ言うたらしいな?」



 話から察するに権典侍とは庚申待で言葉を交わした国子さまのことだろうか。あの時に話した内容が、親王の耳に届くまで大ごとになっている…… ?


 もしそうであれば『記憶にございません』は通用するはずもないな。せめても、あいまいに答えておこう。



「…… そないなことも、言うた気ぃが致します」

「ひとつ問うが、何ぞ企らみでもありやるんか?」



 無いこともない。

 あの時はさしたるものがあったわけではなかったが、今はある考えに行き着いている。その思いを伝えるべきかもしれない。



「…… 王政の復古、でござります」



 それを聞くや否や、貞敦入道親王の様子ががらりと変わった。あぁ。もしかしたら、帝の権威を貶めると勘違いさせるような物言いだったのかもしれない。


 帝と拝謁したのはただの一度きり。それも、遠国から来た十五に満たない子供が言うのだ。それも無理からぬことか。


 少し顔をしかめてから、こちらをぎょろりと見据えた。



「待ちやれ」



 そう言うと、耳をそばだてた。

 部屋の外に人の気配が無いことを確かめてから声をひそめる。



「近う寄りやれ」



 と、とんとんと扇で指し示す。

 さほど間を開けず、ずいと前へ進み出た。



「もそっと近う」



 さらに、入道親王の香が匂えるところまで近づいたが「もそっと」と、またも促される。


 言われるがままに繰り返すうち、とうとう身動ぎすればひざとひざがぶつかる間合いにまで、にじり寄っていた。



 

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