83.人相
間違えて投稿してしまいました。
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1553年 閏1月(天文二十二年 閏月)
白皚々たる山々が、群青の空に聳え立っている。山肌へ暁光がさしていくと、降り積もった雪が眩いほどにきらめいた。
池は水面へ薄氷を張り、軒下には玻璃のような霜柱が幾重にも連なっている。
生き物の声はなく、土の香りもない。
前日から降り始めた雪が、音も、匂いも、色も、地に在りしそれら全てを閉じ込めてしまい、ただ見渡す限りの白銀の世界が広がっていた。
「こんな日は出掛けないに限るのだが…… 」
口から吐き出された息が、すぐさま白くなっては虚空へと消えていく。
凍りつくような寒さの中、独りごつを聞きたる山茶花が返事でもするかのごとく、大きな軋みを上げ枝葉に積もった雪をどさりと落とした。
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年が明け、家格に関わらず一条家の門流や親しい公家の家へこちらから出向き挨拶まわりをした。さすがに地下家までは及ばないが出来得るかぎりは回ったつもりだ。
公卿ともなれば、相手から赴いて来るのを待つのが通例らしいが、若輩であるし何よりも印象を良くしたいと考えてのことだ。房通からは一条家が軽んじられると咎められはしたが、齢十五を過ぎてもいない今だからこそ過ちがあろうとも許されるのではないかと思う。
それに、出向くのは相手の公家ではなくその妻子や親兄弟への印象を良くする為であり、それで侮られようとも構わない。後宮で噂の、線香とろうそくのちょっとした詰合せを送ることで喜んでもらえるのならば、それで十分だ。
公家衆の次は摂家に所縁のある寺院を回るつもりであった。まず、何を置いても足を運ぶべきは比叡山延暦寺の天台座主がところであろう。
比叡山は京を囲む山の中でも一際高く、艮の鬼門に位置し古くから王城鎮護の山とされてきた。その有名な寺院で当代の天台座主に就く堯尊法親王は三賢人のひとりに数えられている。
世に神通力を持つと噂される者ありけり。とある仏僧は如意宝珠により他者の心を知ることができる他心通を、熊野権現の修験者はあらゆる音を聞くことができる天耳通を、そして比叡山の天台座主は一切の事物が見通せる天眼通を持つと言われている。
延暦寺 ──
天台宗の総本山たるこの寺には十二年籠山行というものがあり、例え病気になろうとも、家族に何かあろうとも、山を下りることなく一日も休まず修行し続ける。これを成し遂げた者には必ず霊験が現れると言われており、堯尊法親王もそのお一人であられ、結果として神通力を得たらしい。
普段は下京にある妙法院で日々を過ごされている。この寺院は青蓮院と三千院とともに天台三門跡と並び称され、古くから宮門跡として脈々と受け継がれてきた。
その名だたる門跡寺院まで今日は会いに来たのだ。妙法院に着き、若い僧の案内がもと歩いていけば僧房の前には、壮年の男性がひとり立っていた。着ている衣の違いもあってか他の僧とは趣を異にしており、齢二十五から三十といったところであろうか。
「おぅおぅ、雪が積もったゆえ、日を改めるとばかり思うとったが、足元がお悪い中でよう来やったなぁ」
延期しても良かったのか。事前に伺う日取りを伝えていたので、どのような事があろうとも行くものだと思っていたが。
ゆったりと落ち着いた話し方と、どこか心地が良い低く渋みのある声をされており、この声で読経をしたらば、女子はもちろん例え男であろうとも皆が聞き惚れることは容易に想像できる。
建屋へ入り腰を下ろしてから、改めて挨拶をした。
「かかる身なれど、御顔を拝し奉り、恐悦でありましゃる。土佐一条家の兼定がまかり越してございまする」
「さように畏まらずとも良い。ときにそなたは、天台宗の行を知りおるかえ?」
「土佐では摩訶止観による四種三昧を僅かながら」
「ほう、それはそれは」
房通から事前に聞いていた通り、仏の教えをどの程度まで理解しているのか、話す価値があるのか、早くも探りを入れてきた。
もちろん、その前から足の運び方、座り方、手の置き方、呼吸の仕方、目の動き、それら一つ一つの動作にて修行の度合いを見定めており、指先まで意識せねばと、気が張っている…… しかし、そのことを悟られてしまうようではならない。背中に嫌な汗がにじむ。
実を言えば、修行はやり通せてない。いや、やり通せていないなど痴がましい。九十日ある内の一日として行えていないのだ。さらに言えば、半日足らずの修行であったのだが『僅かながら』というのが、よもやそれほど短いとは思ってもいないことだろう。何だか、だましてるみたいで申し訳ない。
「人が三界を流転し輪廻するに十二の因果がある。無明・行は前世の二因を、識・名色・六処 ・触・受と愛・取・有は現世の五果と三因を、それから生・老死の二果は来世の二因であるからして、この世におけるすべての事象は、因が生ずる時すでに果も内包しておる。これぞ業の理であろう」
難解すぎて、何を言ってるのか分からん。
せめて書の字面を見ながら教えてくれればついていけるかもしれないけど、口頭では限界がある。簡単に言えば、輪廻にはそれだけ多くの因果があるということ…… か?
「善は善を生み、悪は悪を生む。因果は巡りて己に帰す、これ即ち因果応報ぞ。そを、ゆめゆめ忘るることなかれ」
おぉ、因果応報。
これは分かりやすい。
「お言葉、ありがたく」
「うむ…… 拙僧が観るに、そちは大層に愉快な面構えをしておりやる。これより幾多の禍に身罷られようが、その禍が難事であればあるほど乗り越えた先には大いなる道が開かれようて。言うてみれば、そちは『前途 遼遠』の相を持っておると言えような」
愉快な面、幾多の禍…… 他人事だからそんな簡単に言えるのだろうけども、面と向かって言われると落ち込むなぁ。
いや、これは単なる見立てなのだから気にすることはない…… と、思えば思うほどに世に聞こえしお方の言葉を気にしてしまう自分がいる。禍が難事なほどって、全然良くないし挫折でもしようものなら、どうなってしまうのか。
「乗り越えること能わざれば、何としましょうや?」
「御仏は必ず、その者が乗り越えられるだけの試練をお与えになるゆえ、心配は無用ぞ」
本当だろうか。
信じていいのか…… いや、鰯の頭も信心からという諺があるのだから、そうであると信じるべきか。出来れば『順風満帆』とか『平穏無事』の相であって欲しかったが致し方なし。
「かくもありがたき教え…… 兼定、生涯忘れませぬ。必ずや乗り越えて見せましょうぞ」
その教えは、日本国現報善悪霊異記に記され、古より伝えられてきたものらしい。
この地に住まう人の根幹を成す教示であり、誰しもがそれと意識せずとも知り得て、実践している。身近なものだと、縁起を担ぐ行為がそれに当たるだろう。
言霊によって邪を招かぬよう、逆に好影響をもたらすよう語呂合わせをすることは多々ある。『四』の数字を避けたり『めで鯛』など、よくよく考えると縁起担ぎが日常の至るところに溢れていよう。
ひとつの出来事により、もうひとつの出来事が生じるのは因果性があると言える。二つの出来事が因と果で結ばれれば、そこには何らかの関連があり、更にそこからまた別の出来事へと派生していく。言うなれば、バタフライ効果に似通う点もある。
それこそが、十二因縁なのか。
しかし、混沌と相関が綯い交ぜになり、それを証明するとなればそれはまた難しい。各々の主観によるところが大きいということは、とどのつまり因果とは各自の心奥にこそあり、それを定めるのもまた己であるのだ。
ともあれかくもあれ、言い続けることで誠になることもあり得るか。
私は良き人間です。
私は善人です。
吉人天相! 吉人天相!
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その他、火事を未然に防ぐ法や世情のことなどを話し寺院で一晩を過ごした。翌朝、雪はまだ残っていたが、明くる日には親王と会う予定があり、どうしても帰らなければならない。
帰り際に、線香とろうそくを渡し去ろうとした時だった。
「ふぅむ、何やら気がかりなことが、まだありやるようだの…… しからば、そなたに天山阿闍梨が書き記した先天相法の書を授けて進ぜよう」
悩んでいたことが顔に出ていたのか、よくよく聞けば、頂けるものというのは最も古い人相見の相書のようだ。
人相とは、古来から占いのひとつとされている。容貌や骨格といった姿形から、その者がもつ性質・運命・吉凶などを見る。
源氏物語でも日本の観相法である大和相が記され、かの源義経が相伝された兵法口舌気の中にも観相の術があったと伝わるほどだ。
大般若波羅蜜多経にも、お釈迦様に見られる三十二相の記述があり、相というものが大事とされてきたことは確かであろう。
「それとな、ふもじ御所に会わっしゃるのなら、この文を渡して給れ」
「しかと」
「何ぞ問われることあらば『自らでなされよ』と申せば良いでな」
「はい」
言伝も承知し、寺院を後にする。いつか延暦寺へ行くときには仏閣や仏像を見て回りたい。そして、近江の途中を途中まで眺めつつ三千院に足を伸ばすのもいい。
ふもじ御所 = 伏見宮親王(ここでは邦輔親王)
人相の話は後々、ある人物ふたりに関わってきますので投稿いたしました。共通点は魏延です。
『虚空』と読むのは、現存する日本最古の書物である古事記にて『虚空→そら』との記載が見られ、そこから引用されているものと思われます。(もしかしたら木簡に記載があったりするかもしれませんが)




