81.献上
1552年 12月下旬(天文二十一年 師走)
「其は、伊勢の御所白粉かえ?」
「否、土佐にて作られし物でありましゃる」
「さようか…… 後宮におりやる女子は、皆が伊勢物を使うておるゆえ、その他は好まれぬぞえ」
確かに、伊勢物は質が良いと言われている。水や油に溶けば、ぺっとりとして目や口元の皺が容易に隠せるほど粘りがあって伸びもいい。肌への付きも良く、乾いてもひび割れず、汗や油にも強いと、化粧の崩れが起きにくいため好まれている。
安価の物ではそうはいかない。
乾燥すればひび割れてしまうし、汗をかけば流れ落ちる。だからと言って、油を多くして厚く塗れば、べたついて衣服を汚してしまう。
それらの欠点を補いつつ品質を高めるためには、黄烏瓜の塊根から採取した粉末と白雲母、化粧水、油を練って調合することで、表面の滑らかさや化粧の伸びに加えて艶感を併せ持ったものができた。
それでも、伊勢の白粉にはあと一歩及ばない。そこで、下地油を使うことにした。調合で今以上に伊勢物へ近づけるのは限界があるため、ひと手間かけ下地を作ることで肌へのつきがよく・崩れにくく・着物を汚しにくいと、伊勢の白粉よりも優れていると言えるだろう。そこまでしても使ってもらえなければ良さが伝わらない。
伊勢の白粉は水銀を用いて軽粉が作られているが、丹生で水銀が採れる量が少なくなった今、堺を介して明から仕入れた物を使っているらしい。近ごろは、同じく明から入ってくる鉛を使った鉛白も普及し始めている。
どちらも毒性があることと、仕入れることで銀と金が国外へ流出する点も気にかかる。土佐で作る白粉がそれらに代わる物として流通してくれるよう願うばかりだ。
蜜柑の果汁で作った化粧水、ハンドクリームやリップ、顔パックに洗顔料と説明をするが、やはりというべきか白粉は人気がない。
室町時代の中頃から地肌の色が残る程度の薄化粧と頬紅を施す化粧法が主流となっているようで、紅花から採取した紅を混ぜて淡い赤みを帯びたものや、緑礬を混ぜて緑がかった陰影をつけるためのものなど用途に合わせた種類は豊富なのだが、なかなか厳しい。
使えば良さを実感してもらえると思いつつも、手間がかかることと伊勢物に対する信用が伸ばす手を鈍らせているのだろう。
対して、緑礬を使ったお歯黒は評判がいい。従来の物と比べて、不慣れな者は眉をしかめるほどの悪臭がないことが特筆すべき点であり、歯への付きもいい。欠点があるとすれば高価なことくらいか。
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女子衆が賑々しく、それらを手に取って確かめている。わいわいと活気に満ちた様子を見ながら、典侍の国子様が呟くように話される。
「いまの世をいかが思うておりやる?」
「世…… にありましゃるか?」
「うむ、主上は世の乱れをお嘆きであらしゃいます」
「さようで。今や荒れてゆくばかりで何とも」
これより日本中が沸き立つように戦が絶えず行われ、今よりもっと荒れていくだろう。
「戦の無き世がおじやると思うかえ?」
「いつの日にか。されど、世から戦を無くすは容易きこと」
「ほう、そは如何にするか教えて給れ」
「皆が、戦場へ赴かねば良いのです」
「ふっ、人が居らずば戦にならぬとな。ではありやるがのぅ」
栄華を極めた公家は武家に敗れ幾星霜を経ているが、今や幕府の権威なく大名らは己が欲の赴くまま行動している。まるで、公家政権の崩壊そのままに、盛者必衰の理をあらわしている。
『新年春来れば 門に松こそ立てりけれ 松は祝ひのものなれば 君が命ぞ長からん』
いつの間にやら、女房たちが楽を奏でて今様を歌い始めていた。
「しからば、朝廷は如何にすべきかのぅ?」
「幕府に頼らぬことです」
「そは、言うほどに容易ではあるまい」
「然り。先ずは、主上さんの徳を世に知ろしめすことが肝要かと」
それによって帝が軽んじられることが無いよう、気をつけるべきではある。
「ひとつ尋ねましゃるが、越後の国に居りやる長尾を存じおるかえ?」
「はい、口伝えには聞いておりましゃる。何でも当代は神仏への信仰厚き御仁であらしゃるとか」
「さよう、そなたさんは如何に見るか聞かせて給れ」
「いかにとは?」
「主上さんのお力になってくれはるお人かどうかということや」
歴史上、義を重んじたとされている者であり、後に謙信と名乗るであろう男。果たして、彼の軍神が力添えしてくれるかどうかは判然とし難い。
「…… 信仰厚きお人いうことは信を置くに値するかと。もし、主上さんとお目見えが叶うたとあれば、その喜びはいかばかりか。是非もなくお力になってくれはると思います」
「さようか」
「はい」
「…… そなたさんのお考え、主上さんにしかとお伝えあそばしますゆえ、のちのち御沙汰がありましゃりますやろ」
えっ、この話って帝へ伝えるの?
待って待って。いやいやいや、初めから言ってくれればもっと違うこと言えたから。もし謁見を許して何かあれば、今の話をした俺が悪いということになるやも…… 今の話は無かったことに。
あぁぁ、待って行かないで。
『瑠璃の浄土は潔し 月の光はさやかにて 像法転ずる末の世に 遍く照らせば底もなし』
悲しくも儚い今様の旋律が終わろうとしていた。
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兼頼から話を聞いて、急に宿直を務めることとなった理由が分かった。
献上には二通りある。
ひとつは朝廷への寄進であり、もうひとつが帝への捧げ物だ。帝へ奉じられる品は銭や物に関わらず内侍司の検閲を受けてから差配される。
つまり、帝へ捧げられた品を分配するのは後宮であり、今もって尚…… いや、公家衆の収入が式微である今だからこそ、絶大なる権威があると言えるだろう。
すなわち後宮こそが公家、引いては朝廷への搦手となる。それを証明するかのように、御湯殿から出された書き付けは、帝からの勅命に等しい権威を有するという。
なるほど、どうりで宿直番には目鼻の整った顔立ちの者が多いわけだ。気に入られれば帝への陳情も通りやすくなることも考えられるのか。
房通が宿直役へと俺をねじ込んだのも、ここで顔つなぎをしておけということだろう。お土産を持って来て良かった。
いや、逆に浅ましいと思われたかも…… きっとそう思う者は少なからず居たはず。お土産は失敗だったか。
後日、大内家からとして二千貫を献上したことで、大内義隆と生駒殿の子である亀寿丸に官職を賜り、土佐一条家には、疾病終息を発願して自ら書かれたという『般若心経』と『(後奈良)天皇御撰名曾』の写しを賜ることとなった。
白粉の作り方は59話をご参照願います。




