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79.庚申待

 


1552年 12月下旬(天文二十一年 師走)



 万物の根源である太極は両儀を生む。

 それは陰と陽、月と太陽、地と天であり、また裏と表でもある。


 組織とて例外では無い。

 始まりは一つであったものが、時を経て相反する思想を持つ派閥へと分かれてしまう。組織が大きくなればなるほどに互いの関係は逼迫し、軋轢が生まれ、やがては争いへと発展する。


 朝廷然り、幕府然り。

 これは最早、自然の摂理とも言うべきもので人の力では如何ともし難きことなのかもしれない。




 今は昔、組織として纏まりを見せていたであろう律令制時代に、御所では表と裏ふたつの権力争いが行われていた。


 ひとつは官位官職を巡る男の争いが、もうひとつは皇太子の母となるべく皇后の座を巡って後宮を舞台にした女の争いである。


 ふたつの争いは互いに影響し合う。

 まさに表裏一体であった。


 皇太子を生んだ家の者が表で大出世を果たすこともざらであり、その逆もまた然り。ゆえに、後宮の序列は官位官職に相当し権力さえも有していた。それは、官位を得た公家であっても配慮を必要とするほどであったようだ。


 女性が官位を賜ることは無い。しかし、それに代わる格付けとして准位(じゅんい)が設けられていた。これは男性官人の位階に相当し、待遇や権威も同等である。



 古い書を調べるに、仏教が伝来し始めてより女性は軽んじられる傾向が強くなっている。大陸より伝わった仏の教えに道教の思想が混ざったがためであろうか。そんな時世であるにも関わらず、男と同位の権力を持つ准位に連なることは、あらゆる意味で特別なことだったのだ。


 かつては、帝が後宮で業務を行うに当たり補佐する役目を担うための機関、後宮十二司が存在した。時が過ぎると共に統合されて行き、内侍司(ないしのつかさ)だけが今に残る。それに伴い、准位を与えられる者もごく僅かとなっている。



 そんな後宮への昇殿が許されているのは公卿の他、侍従や蔵人(くろうど)など政務にあたる有職の者か、昇殿宣旨(しょうでんのせんじ)を受けた堂上家出身の子弟という限られた者だけだ。諸大夫のほとんどは殿上人として小番(こばん)制の宿直を務めている。


 御所内の政務や警護をするには京で居を構えていなければ職務をまともに行えないからこそ、選任されるのは下向せず京に留まるだけの自力がある家という証にもなっている。




 ■■■




 烏羽玉(うばたま)の闇が辺りを包み始める頃、火を灯された(かがり)から立ち昇る(ほむら)は揺らめき、四方(よも)を赤々と照らしている。ばちりと悲鳴を上げて薪が弾ける度に、火の粉が空へと舞い踊る。


 その様を見やるに、火事になりやしないかと不安になる。自分が宿直をしているときには何事もなく終えたいと、例え小火騒ぎであろうとも起きてくれるなと願わずにはいられない。


 この、ささやかな願いを知ってか知らずか、諸大夫たちが不足なことは無いかと松明(たいまつ)を持つ手をしきりに振り動かしては見廻りの準備をしている。その手が右に左に動かされるありさまに不満が募ってしまう。



 天干の庚と地支の申は、陽の金が重なる比和であり、天地(あめつち)に金の気が満ちるこの日、心が冷酷へと傾きやすい。ここは、確固たる意志の力が試される。苛立つ心を落ち着けねば。



 それにしても、炎によって出来る影のなんと不気味なことか。人は火を使い始めたと同時に、それまで以上に闇を恐れるようになったのではなかろうか。


 特に、炎の揺らめきで蠢く影と月明かりにより薄ぼんやりと見えるだけの暗がりが、悪い妄想を掻き立てて胸を騒つかせる。


 目に見えぬものが多くなる夜は、いと恐ろし。

 それが、草木も眠る深夜ともなれば尚のこと。



 暗がりから枝木の折れる音が聞こえたかと思えば、風に吹かれた枯れ葉がかさこそと音を立てる。姿が見えぬ鳥の鳴き声が響き、ばさばさと飛び立つ羽音。


 もはや、それすらも恐ろしく邪なる者の仕業ではなかろうかと、気が付けば凍えるほどの寒さにも関わらず、弓をぎゅっと握り締めた手のひらはじっとり汗ばんでいた。



 皆も同じ思いであったのだろうか、邪気を払うため誰とはなしに弓を鳴らし始める。


 庚申待が行われる今日は、夜が明けるまで休む事なく警護を行うため、眠気との戦いでもある。あぁ、どちらにしても心が折れてしまいそうだ。




 ■■■




 庚申(かのえさる)の日が巡ってくる度に行われる『庚申待(こうしんまち)』という行事は、年に六度も行われている。


 これは、人が眠っている間に体へ巣食う虫である『 三尸(さんし)』が宿主の悪事を閻魔大王へ報せると言われてきたもので、それによって寿命が短くなったり死後に地獄へと落とされてしまうらしい。ゆえに、眠らずに過ごすことで禍を避けることが風習となっている。


 うっかりと寝てしまわぬように、皆で集い和歌をうたい音楽を奏で、碁や双六・貝合わせなどを楽しみつつ夜を過ごす。それでも眠ってしまう者も少なくはないのだが、陰陽師が張った結界内では例え居眠りをしてしまうことがあっても三尸をその場に封じることが出来る。


 更には水に溶かして飲み込むことで体内へと留める呪符もあるほどだ。それでも行事がなくならないのは、ある種の娯楽として他者と親睦を深める場にもなっているからだろう。



 面白いことに三尸は医療にも関係していた。


 この世の中には微生物が溢れている。

 目に見えなくとも、彼らは確かに存在するのだ。


 キノコの胞子やカビは目に見える菌として分かりやすい。しかし、菌という概念すらない戦国の世であるにも関わらず『虫』が病を引き起こすと語る者らがいた。


 それが『腑に巣食う虫』を提唱する医師だ。

 人の体が不調をきたすのは虫が原因であるとして皆へ広く教えていた。中には、本当に病の原因が菌だと思い当たる症状もあったりする。



 彼らは長らく不遇を強いられてきたが「虫の知らせ」や「腹の虫が鳴った」などの言葉があるように、今では三尸と同じく目に見えない菌たちは虫として、民衆へ広く受け入れていた。




  

『枕草子』や『吾妻鏡』など多くの書に庚申待を行っていた記述が残されています。

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