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76.未熟

 


1552年 12月下旬(天文二十一年 師走)



 帝が右手を軽く挙げれば、皆がぴたりと笑うのを止めた。


 …… 露骨すぎ。

 これじゃ、故意に笑っていたというのが丸わかりだ。



 だが、帝の雰囲気が先程とは打って変わり、その声には威厳が満ち溢れている。なるほど帝とはこういう御仁なのかと納得させるに足るものがあった。



「戯言はこれまでにして、皆に命じ置く。禅譲は余の宿願なり。余はこの身の徳が尽きるとも、帝位を強いられ、災いあるたび甚だ心が痛む思いやった」



 目を閉じて、天を仰ぐように少しだけ顔を上げられたかと思えば、すぐさま目を開け皆を見澄まされた。



「民の安寧を望まんと想うが故、また争いを危ぶむ思いは尽きまじ。余が退きし後は方仁(みちひと)が元、政を司るべし。これに備え、下向せし者らを呼びやれ」

「「「ははぁっ」」」



 常御所(つねのごしょ)へ帝と東宮が戻られると、近しい者や隣の者とで各々話しだす。俺も兼冬へ挨拶するため草墪(そうとん)から立ち上がったが、壮年の二人が近寄ってきて、まだ話し足りないといった様子で声をかけてきた。


「先の問いは主上(しゅしょう)さんもお喜びでありましゃったなぁ」

「はい、そのようで」

「ときに、虎将さんは庖丁(ほうちょう)は嗜まれておられるんか?」

「はい。僅かにござりますが」



 交互に話しかけられると、少したじろぐ。

 今更、名前を聞くわけにもいかないし何て呼べばいいものか……



「明くる年にでも、その庖丁の仕儀を見てみたいと思うておるがいかがかの?」

「はい。拙きもので良ろしければ、いつでも」



  俺の答えに、ふたりは満面の笑みを浮かべてうんうんと頷いている。



「さようか。早ようこの目を喜ばせてやりたいものよな」

「うむ、ほんにのう」

「お二人さんにあらしゃいましては、よしなにお願い致しまする」

「「はっははははは」」



 二人は笑い声を上げ、他愛もないことを二言三言だけ話すと「ご機嫌、麗しゅうに」と言って去っていった。


 早くも好印象を与えることが出来たようで嬉しく心ひそかに喜んでいれば、齢二十にも満たないお方が目の前へやって来た。背は俺よりも拳ひとつ分ほど高く、少し見上げるようにして目を合わせ微笑んでみせる。



「ふんっ。桜会に連なる者として、恥ずべきことが無きように。(たちばな)の者共からいいようにされておるのを見やるに手遅れやもしれんがの」

「…… 申し訳なきことにござります」



 さくらかい?

 桜会?

 連なった覚えがない…… しかし、戒められているのは確かなのでとりあえず謝っておけば、もう一度「ふんっ」と、さげすむように鼻で笑い踵を返して行ってしまわれた。何か気に触るようなことをしたのだろうか。


 いまだに名前を覚えることが出来ていない方が大半だ。今のお方もそうだが、初めて会うというのに自己紹介とかしないんだな。あぁ、もしかしたら歳も位階も一番下であろう俺から挨拶すべきだったのかもしれない。


 そうであれば、気を悪くしたのも得心がいく。

 次からは気を付けよう。



「今のが、徳大寺の左中将よ」



 呆けていると、いつの間にか房通が横にいた。

 へぇ、徳大寺家の人間か。



「謁見のおりに話をした年かさの二人は、どなたさんであらしゃいましょうや?」

「あれらは、権中納言の中院(なかのいん)と権大納言の久我(こが)よ。知ってはおろうが、近衛に近しい者らゆえ、気をつけねばならんぞえ」 

「もしや…… 」

「うむ、先の事もお主を辱めるのが狙いであろうよ」



 近衛側の人間だったんかい!

 よくよく思い返してみれば、戒めてきた徳大寺も中立か、どちらかと言えば近衛寄りの人間じゃない!?



「何ぞ、言われたんか?」

「庖丁を見たいと…… 」

「無論、断るべきであろうの」

「…… 受けてしもうて」

「なっ!…… 何たることを!?」



 始めは小声で話していたが、房通の顔が険しくなり声も少し大きくなった。やってしまったと悔いていると、そこへ兼冬がやってきた。



「虎将さん、かように主上さんがお喜び遊ばされたんは初めてのことや。上々であろうよ」

「「………… 」」

「どうかしやったんか?」

「ほぞを噛んだが、手遅れじゃ」



 様子がおかしいことに気が付いた兼冬が聞くと房通が短く答えた。



「そは如何なることかの?」

「…… こやつが権大納言らに庖丁を見せやると言うてしもうた。どうなさるおつもりであらっしゃるのやら!」



 うっ。

 先ほどまでは房通を責めてやろうと思っていたが、立場が完全に逆転してしまった。



「かかる仕儀となり、申し訳なき事と思うておりまする」

「おぅおぅ、さように謝らずともよい。初めての昇殿じゃ、そは致し方なきこと。かくなる上は、庖丁を振舞うてやるしかあるまいよ。しっかと手習いはしておじやろう?」

「はい、四条流の庖丁式(ほうちょうしき)をば」

「であらば、あとは心して臨むほかなかろう。そないなこと気にせんでもよい」

「はい」


 あまりに沈んだ顔をしていたためか、兼冬が助け舟を出してくれた。あぁ、何とお優しいことか。


 おれ、あなたに一生ついて行きます。


 二人はまだ、宮中の仕事があるようで話もそこそこに分かれ屋敷へ戻った。詳しいことは夜にまた話すらしい。




 ■■■




 一条家の家令である四条家は、庖丁を家職のひとつとしている。四条流庖丁道の起源は古く、平安時代まで遡る。ときの帝が己を戒めるために自炊を行い、料理の作法を定めて儀式化し宮中行事として組み込んだのが始まりだ。


 その四条流には『四条流庖丁(がき)』という書があり、様々な調理法や作法、素材の切り方から並べ方までもが載っている。



 手習いに庖丁が含まれているのは、料理や味付けの良し悪しを覚えること以外に『庖丁式』の調理作法を学ぶところにもある。儀式として調理があるからこそ、手習いでも学ぶ必要があるのだ。例えそれが、今日では行われていないような行事であろうとも、例え廃れていようとも、伝統は絶やすことなく受け継いでいくべきだ。武家の者らには分からないだろうが。


 調理をするということは頂く命に感謝しつつ殺生を行うということであり、かならず(みそぎ)の儀式を要する。これから禅譲の準備で忙しくなるというのに、余計な手間を増やすこととなるそれは、地味ではあっても嫌がらせとしての効果は大きいと言える。今となっては軽はずみな言動であったことは否めない。



 公家という生き物はおそろしいな。

 表では好ましく振舞っていても、裏では何を考えているかわからない。慣れていないというのもあるのだろうが、これからはより一層のこと相手の術中に陥らないよう気をつけねばならない。


 きっと、知らず知らずのうちに思い上がっていたんだ。調子に乗るなと仏より戒められたと思うことにしよう。



 今頃は、さぞや笑っているんだろうな。

 ふん。

 未熟者と笑わば笑え。


 こちらとて、心で泣いても顔では笑うていてやるぞ。はっはははは、はっはははは、はっはははは、はっははは、はは、は。



 初めてですよ……

 ここまで麿を虚仮(こけ)にしたお馬鹿さん達は。


 …… 前言撤回す。

 久我(こが)中院(なかのいん)は許すまじ!

 絶対、絶対、絶っ対に許さぬでおじゃーーー!!



 

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― 新着の感想 ―
[一言] 公家言葉のフ○ーザって結構似合ってる気がする今日この頃
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