4.病
1547年 7月 (天文十六年 文月)
万千代丸は優しく穏やかな性格の祖母を慕っている。
一条家へ嫁いだ当時は、三国一の姫君と謳われていたほど見目麗しく淑やかであった。柔肌はきめ細やかで、今もってその美しさは健在である。歳を感じさせないその姿を見れば、家中の男も女も惚れ惚れとしてしまう。
しかし、ここ最近の祖母は体調を崩し血色も悪くなっていた。
医師の話では、あらゆる薬でも改善の兆しが見えず、加持祈祷に頼る他なしと言われていた。全身の倦怠感、食欲不振、手足の痺れや痛みなど日を追うごとに新たな症状を発している。
その様は、在りし日のお姿とは程遠く、弱々しい。皆の願いをよそに、当人は最期を迎える備えとして、剃髪する覚悟を決めていた。
「お祖母さま、お加減はいかがでしょう?」
「今日は、良さそうや」
祖母の部屋に入って話が出来るのも、それほど長くはないかもしれない。大丈夫と口では言うものの無理をしているのが明らかだ。
今日も、固形物は食べられず水しか飲んでいない。顔色は土気色となり、このまま何も食べずにいれば更に体力が落ちていくだけであろう。
「今日は一緒に夕餉を頂きたく思いますが、如何ですか?」
「あんまり食べれやしませんけど、一緒に頂きましょうか」
「何や、食べたいものはありませぬか?」
「柔らこうしたものが食べたいなぁ」
要望を聞き、炊事場には取れたての新鮮な野菜や魚が料理番たちの手で見事に調理されて碗へ盛られていく。
雑穀米を混ぜたお粥や海藻のお浸し、蕪のあつもの、ナスの漬物、味噌汁、椎茸と豆の煮物、焼き鳥、焼き魚と滋養に良さそうなものを中心とした食材は、柔らかく料理されている。
これらを食せば、たちまち体力が回復しそうな品々が配された御膳を侍女が部屋まで運ぶと、それを揃って食べ始めた。
「お祖母様、それでは頂きましょう」
「はい。一緒に夕餉を頂くのんは初めてやなぁ」
「さようにございますな」
話をしながらも、一口、また一口と食べていた。万千代丸が全ての品を平らげた頃、一通りの料理に手をつけたが、その殆どが膳にのこされたままだった。最近の食事量からすれば、これでも食べた方であろう。
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次の日も、祖母の部屋へと通い食事を共にしていた。
「今日のお加減はいかがですか?」
「今日も悪うない」
「では、夕餉をご一緒しましょう」
「ふふふ、良いですなぁ。こなたと共にすると御膳も美味しゅう感じます」
毎日、夕餉を共にすることが常となっていた。それが当たり前となった頃には、顔に血色が戻りつつあった。
「今日は、お顔の色も良さそうです」
「何や、不思議な事に体が軽うなって、御膳も美味しゅう食べられますぅ。少し足が痺れておるくらいで、前よりか楽になったわ。大事なさそうや」
食欲も戻り、少量とは言え完食する碗も増えてきた。病を患った際には、滋養を取ることが先ず第一であり、体力がない者は例え軽い風邪であろうとも命を落とすこともこの時代では珍しくない。
そこで、いや待てよと思う。
食事で体力が付いたはいいが病状まで改善するだろうかと。免疫機能が働いて病が癒えることはあるだろう。しかし、手足の痺れや痛みまでもが軽くなっているのは何故かと考えて、これまでは栄養バランスが偏っていたのではなかろうかと、ひとつの結論に達した。
食事は栄養の均整が取れていなければ、いくらひとつの栄養素を多く摂取したとしても必要な量以外は排出されてしまう。しかし、不足した栄養素はそのままとなり、その状態が慢性化すれば体調も崩れる。
例えば、鉄欠乏性貧血やビタミン欠乏症。
そこまでの考えに至り、閃くものをかんじた。『脚気』ということはあるまいかと。
江戸時代に脚気が流行ったのは庶民の食卓にも白米が並ぶようになったことが原因だと言われていたのを思い出す。
一条家の御膳にはいつも白米が置かれ、それを不思議に思うこともなかったが、もしやビタミン欠乏症であるのなら食生活で病を完全に癒すこともできるだろう。となると、あとは脚気の証さえあれば良い。
「お祖母さま、お願いがございます」
「何やの?」
「一度、お祖母さまの脚を見せて頂けませぬか?」
「おかしな子やなぁ。脚を見てどないするん?」
「未だ、脚の痺れている様子ゆえ、手で摩ってさし上げたく思います」
「まぁ、お優しいこと。ふふふ、なれば、少しだけ、お頼みしまひょか」
一通り摩ったあとに、ひざにある皿骨の下辺りを叩いて足の腱反射を、恐る恐る確認してみる。
「痛とうありませぬか?」
「はい、痛うありませぬ」
心の中で祈りながら、何度と繰り返してみるが脚の反射がない。足に力が入っている訳でもなく、これは脚気である証となり得よう。
そう思うと同時に、涙が溢れそうになるのをぐっと堪えていたが、目尻に溜まったものが大粒の涙となって頬を伝っていった。
「急に泣きはって、どないしたん?」
「お祖母さまの病気は、麿がきっと治して差し上げます」
「泣かんでもええのに。ほんに、優しい男の子やなぁ」
脚気の対策も見た覚えがある気もするが、記憶はおぼろげだ。健康に良さそうな豆類やあまり膳に並ばない肉類から摂取してみることから始めた。
だが、肉類の中には豚肉など禁忌とされているものが多くある。特に親王家に生まれている者にとっては、人肉を食すのとさほど変わらないほどに嫌悪感があってもおかしくはない。
この時代では猿や犬の肉も食べてはいるが。
黙って料理に混ぜてしまっても良いが、料理番を務める者も同じく嫌悪感があるだろうから、まずは豆類や根菜などで様子を見ることにした。
その日から、豆類と根菜を中心とした御膳を要望して、鳥肉もしっかりと並べられた。あとは良くなることを願うばかり。
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それから徐々に症状は改善していき、二十日も経ったころには症状はほとんど無くなっていた。それは、当初から考えれば劇的と言っていいほどの回復ぶりであった。
痩せこけた頬には赤みがさしてふっくらとし、肌艶も以前のように元へ戻っている。
「ほんに、体が楽になりました。万千代丸のおかげやなぁ」
「それは、良うございました。病もすっかり治りましたな」
ここ幾日は、祖母の部屋で話をした後、そのまま寝てしまうことが多くなっている。それは祖母が元気になった嬉しさゆえであり、周りからは微笑ましく見られていた。
いつ誰が病気になるかは分からない。その備えとして、名医と名高い者を探して欲しいと父へ願い出た。この時代の名医の筆頭として曲直瀬道三が挙げられるが、未だ無名かもしれない。
祖母のことがあったばかりで、否も無しに承認された。居場所の見当があるとは言えないため、まずは京と関東の二方面から探すことになるだろう。