75.笑い
1552年 12月下旬(天文二十一年 師走)
貴重な書を読むことを夢想して、顔が綻んでいたようだ。気づけば、壮年の男がこちらをじっと見つめていた。
すぐさま顔を引き締めたが、時すでに失していることは明らかで、四十前後と見えるその男が口を開いた。
「そちは、さほどに書物を好んでおりやるんか?」
「はい。古来より『書を読めば万倍の利あり』と申しますれば」
そう言い繕ったが、今度は別の男が話しかけてきた。先の男から年はわずかに下がり三十半ばといったところか。
「虎将さんは、十二の子の字を並べたらば何と読む?」
「其は、古の野宰相の逸話にごじゃりましょう。答えずとも誰もが分こうておりやるかと」
『子子子子子子子子子子子子』
野宰相とは小野篁のことで、嵯峨天皇から数えて四代の帝に仕えた公家だ。
政務や和歌・書などに秀でた才人で『今昔物語集』や『十訓抄』『宇治拾遺物語』といった多くの書に逸話が残っている。中でも有名なのは、閻魔大王の下で裁判の補佐をしていたという話が実しやかに囁かれていた。
壮年の二人は、逸話や戯書といったものを好んでいるのか。もしそうであるならば、聞いたこともない問いを出せば喜んでくれるのではないだろうか。
そんなさりげない交流が互いの仲を深める切っ掛けとなり、後々に大きく実を結ぶこともあるかもしれない。
「なんや、貴兄さんらは戯言を好んでおりましゃるようで。さようであらば、身共から問うても宜しゅうあらしゃります?」
「これ…… 僭越ぞ」
「房通、良い良い。気にせんと申せ、兼定」
房通に咎められたかと思えば、何故かよく分からないけれども帝が肩入れしてくれた。
「ありがとう存じまする。では、申しょう…… 『にはのうらにわにはにはにわにはにはにわとりがおりまする』足さばいくつになりましょうや?」
「…… いま一度、聞かせて給れ」
「にはのうらにわにはにはにわにはにはにわとりがおりまする、如何に?」
口頭で聞いただけでは、分かりづらいか。解けないようであれば、手がかりを教えてあげた方がいいかもな。
「誰ぞ、分こうた者はおるんか?」
しばらくして、帝が皆に問えば軽く肩のあたりまで手を挙げた者が四人いた。その四人とは、皇太子たる東宮様と関白を務めている二条晴良、俺に諱を授けてくれた一条兼冬、あともう一人。
あれは誰だ?
あの位置にいるということは摂家の者なんだろうが、兼冬と同じくらいの歳付きだ。
「なれば、各々は紙へ認めよ」
「筆と硯を持って給れ」
帝の言を受けて、東宮が蔵人に用意させ、各人はすらすらと筆を走らせていた。皆が書き終えるのを確かめると帝が見せるように言った。
「其方らの答えを見せやれ」
おぉ、四人が四人とも『四』という数字を書いていた。
「皆、同じであるんか。それも合うていよう…… なれど、いま一つ答えがありゃるの」
「其れは、いかなる答えでありましょう?」
「うむ、其は『三十二』ぞ」
東宮が素直に疑問を口にすると、帝がお答えになられた。が、一体どういうことだ?
『丹羽の裏庭には二羽、庭には二羽、鶏がいる』のだから、足した答えは四羽となるはず。
三十二羽…… 半分で十六?
………… あっ!
そういうことか。
万葉集の戯書と同じで、二羽を九九の読みである二八へ当てはめれば、二掛け八が十六となり、裏と表を合わせて三十二羽になる。
帝はそれに気づいて答えがふたつあると言われたのか。普通、文章を解読して出した答えが間違えていないか確かめはしても、そこから更に他の解を探るという行為は、容易いことではない。
うーん、これには全く気がつかなかったな。
出題者の上を行く答えを導き出すのはやめて欲しい。なんだかこっちが恥をかいた気がする。既に、他の四人も答えに行き着いていることだろう。
「主上のお言の葉を賜るまで、身共も九九には気ぃがつかんと、ほんに驚がるばかりにござります」
「ほほ、さようか。これなる問いはなんとも楽しきものよな」
「お慶びの段、ほんに畏れ多きこと」
「されば、余からも問うが如何?」
「は、はい」
驚いたことに帝も戯言を言われるのか。
もしかして、その類の話が宮中で流行っているのではないだろうか。戦国の世で威厳と慈愛と高潔さを兼ね備えた『帝』であり続けるのは、それ相応の重苦を背負うていることだろう。この様な戯れが唯一の心安らぐことだったとしたら、誰が責めることなど出来ようか。
「申しょう、『母には二度あひたれども父には一度もあはず』これなるは、なんぞか?」
聞き逃すところだった。
…… 母には会えて父には会えず、か。
父が出掛けていた?
いや、これは戯言なのだから、まともに考えてはいけない。『なんぞ』と問うているのは、文自体の意味というより比喩で父と母の違いを言っているのかも。
だとすれば言葉か…… 二度会う、ふたたび会う…… はは、ハハ、ちち、チチ…… 二文字…………
うーん、そうか。なるほど、これは難しい。
実際に口に出してみることでいち早く正解へとたどり着ける。
この時代では『は』を『ふぁ』と発音する。『わ』と発音するのは『母』のように二文字続くか特殊な場合のみ。
先の問いも『にふぁのうらにわにふぁにふぁ、にわにふぁにふぁにわとりがいる』と発音しており、『わ』とは聞き分けることができる。
とは言うものの、二十を超える人の中から直ぐに解けたのは四人だけであって、それは聴力が良いのはもちろんのこと、思考力や直感力に優れていることは言うまでもない。
要するに、母は『ふぁわ』と読むときに上唇と下唇が二度触れ、逆に父は上下の唇は触れることなく『ちち』と発音できる。
答えは『唇』だろうな…… しかし、もうひとつの答えを見つけられたほどのお方。さらに捻った答えなのかもしれない。が、この他には思いつかない。そろそろ、お答えせねばならぬが…… よし。
「あるいは『爺にも一度とあはず、婆には二度あひける』のであらば…… 粥を啜るがごとく味わうが宜しゅうござりましょう」
「ぶふぅっっふぁあ」「ぷっくくく」「ふっふふっふっふ」「ぷっ」
答えを口にした瞬間、堪えきれずに吹き出した人らが…… 笑われた方の中には帝がおられ、楽しんで頂けたようで嬉しい限りだ。
だが、その様を見るや、居並ぶ上達部の多くが帝を見つめたまま言葉を失っていた。
そうか。
帝ほど高貴なお方が、思わず吹き出すなんてことは、これまで一度も無かったのかもしれない。もしかするともしかして、恥をかかせた罪で罰せられるなんてことが…… あり得るのか?
いや、まだ遅く無い。
今なら挽回できるはず。
「あっはっはっは」
わざとらしいが、なるべく大きな笑い声をあげて見せた。思惑通り、皆がこちらへと振り向いたが、誰も理解していない…… かに思われたとき、兼冬が声を上げて笑い、それに乗じてぽつりぽつりと笑う者が出始めた。
「ほっほっほ」
「ははは」「ほほほ」「はっはっは」
まだ、足りない。
目を見開き、全身全霊で房通らへ『笑え』と伝える。ようやく我に返った者も釣られて笑い、その思いが伝播していった。
かくして、微妙な雰囲気であった清涼殿は、先の出来事を忘れさせようとする一体感に包まれた…… ような気がする。
これが精一杯だ。
どうにか無かったことにして頂けないだろうか。房通の呆けた顔を見たときは、ほんの少しだけ苛立ったが…… まぁ、良しとしよう。
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笑いとは思い込みや意外性から生まれるものだ。
上から盥なんて落ちてこないだろう、押すなよって言ってるのに押したりしないだろうといったものがそれに当たる。
ここでは、無垢なる子供が下ネタを言うわけがない、初めての昇殿でふざけるわけがないという思い込みが覆ったために、それが生じたのだろう。
結局、俺が言ったのは兼良流の少し下品な戯言だ。その意味は『口吸いのときは、食べちゃうくらいの勢いで唇を啜り、むしゃぶりついて味わうのが良い』である。
『猫の子仔猫、獅子の子仔獅子』
『丹羽の裏庭には二羽、庭には二羽鶏がいる』
◾️「子」は「こ・ね・し・じ」とも読める漢字であり『の』は書かれていなくとも良いために、十二文字の「子」は読み方を変えることで初めて解ける文となります。
◾️本来、単位である「羽」は「は」と読まれていました。時代が下るに連れて「わ」と読まれていますが、今でも十羽を「じゅっぱ」と読むのは昔の名残のようです。
◾️後奈良天皇は『後奈良天皇御撰何曾』という書を編纂できるほど、謎かけを好んでいたようです。




