74.昇殿
1552年 12月下旬(天文二十一年 師走)
京に着いて、仮住まいの邸宅へ荷物を運び入れたり街並みを案内してもらうなどして、二日ほど過ぎ年明けも間近に迫った今日、帝へ謁見するために御所へ参内した。
内裏の御殿に足を踏み入れることができるのは昇殿が聴されている者のみで、従三位より下の位階の者が数人いる。以前に昇殿の聴しを賜ってはいたが、昇叙により無効となった。しかし、公卿に補任された者は、聴しが無くても殿上の間へ昇ることができる。
房通と同道し、輿へ乗って宜秋門より参内した。ここ里内裏の周辺は陣中とされていて、大抵の公家は徒歩で、摂家の者らは輿で、高齢や病身であれば牛車で参内する。だが、牛車に乗るには牛車宣旨を必要とするため、親王や高僧・公卿といった限られた者だけが車を使える。
門より入り輿から降りつ、建物などの説明を受けた。まず案内されたのが紫宸殿だ。相対している月華門は閉じられていたので中を伺い見ることはできなかったが、南庭には桜と橘が対で植えられているそうだ。
それから宜陽殿・陣座と案内され、今は殿上間にて待機している。
内裏に着いて、まず驚いたのが広々とした空間だということ。建物が少ないから…… というよりは、庭園の作りがそう感じさせているように思う。背後の山々を借景とすることで、建屋が尚のこと壮大に見えているのだ。これが臨時の内裏でしかないというのだから驚くしかない。
殿上間には公卿以外の殿上人や蔵人が常に詰めて帝の奉仕に務めている。それ以外に公卿が僉議をする場にもなっていて、清涼殿へ立ち入る前の支度や作業をするような、いわゆる控えの間としても機能していた。
清涼殿へと向かう大抵の者はこちらに立ち寄るので、房通からあれは誰であちらは誰それでと教わっていた。
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清涼殿へ入ると、円筒形の物がたくさん並んでいる。
どうやら、草墪と呼ばれる腰掛けらしい。よく見ると、上座へ近づくに連れて豪奢になっていく。装束と同じで身分差によって使える色や生地が決まっているのだろう。
兼良は装束にも精通しており『桃花藻葉奥書』を残している。
そこには、一条家流の装束着用の法式が挿絵付きで細かく記されているだけでなく、不文律にも言及していた。それによれば『禁色を聴された当家の者は聴許を待たずして直衣で参内するのが代々のならい』とあった。
昇殿する時の装束は直衣でいいらしい。黒い装束を着るのは朝廷行事の時だけで、他の者は官位に応じた色の袍を身に纏っている。
若年の者は、袍の色が薄く小さな有職文様が多く密集している繁文を、高齢になるほどに色は濃く文様は大きくなり数を減らしていく。
使用できる色と文様も位階によって決められているので、その人物を見るときは何よりも先んじて袍を確かめれば、ある程度どこのだれかを推察出来る。人となりを確かめるのは二の次だ。
しかし、初めての参内になるからと黒の衣冠にしたが、まぁ目立つこと目立つこと。冬の直衣は皆が同じ白色であるため、黒では悪目立ちしかしない。やはり、ここは合わせるべきだった。
公卿に列せられた三十人にも満たない者らが草墪へ腰を掛けると、常御所より帝と東宮が揃って参られた。
「ご機嫌よう」
帝が言の葉を掛け、皆が頭を下げる。それに合わせていたが、早くも見咎められた。衣冠で目立っているから仕方がない。
「そなたが土佐の一条さんかえ?」
「はい。御顔を拝し奉り、恐悦でありましゃる。主上にあそばされましては、ご機嫌さんのこと、ほんに御目出度くあらましゃりまする。かかる身で、御前へおじやるは恐れ多きことなれど、従三位を賜り御礼を申し上げるべく、兼定がまかり越してござりまする」
「うむ、遠きところを良うおじやった」
「労わうお言の葉、ありがたく存じ奉ります」
持っている慶賀笏の裏には紙が貼り付けられており、一通りの儀礼的な挨拶が記してある。それに従って御礼を申し上げ終わると、次に大内家の騒動へと話が及んで行った。
「先にあった大内さんのお家騒ぎでは、多くの命を救うた由のこと、ありがとう」
「勿体なきお言の葉。恐れ多いことにありましゃる」
朝儀ではないにしても、公卿が居並ぶ前で礼を言われるとは思わなかった。どこか嬉しいような怖いような気持ちになる。
「なんや、こたびは多くの進上物を貰うたとか」
「主上に尽くすは当然のことでござりますれば」
「さほどに多くを寄越すは、何ぞ望みでもあるんかえ?」
「身共には余るほどの官位を賜っておりゃりますれば、これよりも望むことなどあろうはずがありませぬ」
すると、もっとも帝に近い位置にいた若い男が口を開いた。あれは確か、関白を務めている晴良か。
「そうは申せども、あれほど多くの進上物とあってはの。これより上の職であれば、尚のこと軽々には与えられぬは分こうていよう」
「無論、その儀には及びませぬ」
「されどのう…… 」
何か望むものを与えないと禁裏としての体面が損なわれてしまうのかもな。これ以上の官職を賜っても敵視されるだけで良いことはない…… 望むものか。
「…… なれば、御所に溜め置かれておりましゃる書物を拝したく、そのお許しを賜れませぬか?」
「ほう…… 書物をのう」
「はい」
晴良が帝へと立ち直った。
「さであらば、麿は宜しいかとあらしゃります」
「かの者に其れを許さば、ご満足さんのことにあらしゃいましょう」
「…… さようか。なれば兼定へ聴しの宣旨を与えよ」
「「はっ」」
兼冬も続いて賛同の意を示してくれた。さすがは、偏諱を与えてくれた男、頼りになる。帝は少し考えるそぶりを見せたが、まさか宣旨まで賜われるとは思ってもみなかった。
宣旨があれば、それ相応の職に就く限られた者しか立ち入れない書庫へも行けるのかもな。きっとそこには、世に出回っていない貴重な書が沢山あるに違いない。
これは嬉しい誤算だ。
草墪 = マコモを束ねて錦や絹で覆った円筒形の腰掛け。宮中で使用されていました。
慶賀笏 = 官職を賜った者が帝へ御礼を申し上げる時に用いる笏。通常の笏と違い、上辺が四角く下辺が丸い形をしている。




