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70.公卿 一条房基

教康 = 西小路 教康

兼実 = 武者小路 兼実

 


1543年 1月(天文十二年 睦月)



「異なことよ、夢現(ゆめうつつ)であろうか…… 」



 一疋(ひとひき)の馬が、池のほとりで此方(こなた)を見ゆる。

 その(まなこ)は智を宿し、(あで)やかな黄金色(こがねいろ)の身で、額からは太く勇ましき(つの)が生えておった。


 もしや、噂に聞く『麒麟(きりん)』やもしれぬ。

 生まれ()づる()が子を喜んでくれおるのか。

 されば、瑞祥の表れであろう。



 天より差し込めていた一条(ひとすじ)の光は次第に薄れ、(かすみ)となりて消ゆる。辺りを探せど、その姿は()うなった。よう見やれば、ほとりには色鮮やかな朱色のさざれ石が転がり、つい今し方に見ゆるものが真であったと告げておる。


 石を手に取れば、御殿の離れから大きな声をあげつつ(おもじ)の侍女が駆け出でた。



「御所様ぁ! 御所様ぁ!」

「ここに居る」

「あぁ、御所様。お生まれになられました! 美しくも力強き和子様にございまする!」

「おお、さようか。大義であったのう!」

「お方様へ労わりのお言葉をかけてやって下さいまし」

「そうよな。と言うても、麿は産屋(うぶや)へ近づくことはできぬゆえ、麿に代わり伝えて(たも)れ」

「お伝えいたしまする…… ご無事にお生まれになられ、ほんに良う御座いました。まつは嬉しゅうて嬉しゅうて、うぅ」



 吾れに和子が…… なんとも言えぬ思いよ。

 まつは、吾がことのように喜び目を赤うして泣きおる。



「なにを泣くことがあろうか。(はよ)う、奥のそばへ戻りやれ」

「うぅ、はいぃ」

「ふっ」


 目からこぼれる(なみだ)を袖でぬぐい、またも駆けていった。それを見やると、なにやら可笑(おか)しゅうてわろうてしまう。


 吾が子には、苦労をさせとうない。

 なれば、土佐を統べることが肝要であろうな。




 ■■■




1549年 4月12日(天文十八年 卯月)



 少し肌寒いが、(ほお)を撫でるそよ風からは仄かに花の香りが漂う。篝火(かがりび)に照らされた早咲きの藤花がそよぎ、それを見やる万千代丸。


 かように堂々たる装いで、護摩祈祷(ごまきとう)へ望む日が来ようとはな。まこと、心に()みいるとはこのことよ。



 …… いつの間にやら、大きゅうなったのう。


 思えば、おぬしが生まれ出でてからというもの、一条は大騒ぎであった。都からは祝いに駆けつけた公家衆であふれ、ついには帝より大層な賜り物を授かった。餅を口にして気を失うたと聞き及んだ折は肝を冷やしたが、それを最後に病を患うことものうなった。


 ひと頃、何やら拵えたい物がある言うて許しはしたものの、仕上がった品は確かな良い出来であった。すぐさま、京の叔父御へと遣わしたが、進物を大層気に入られた様子であった。兼良様の生まれ変わりなどと(したた)められた文には驚いたものよ。


 母様も、おぬしは賢いとしきりに言うておる。それらは喜ばしいことなれど、子や孫の可愛さに目が曇るということもありえよう。しばしの間は、様子を見るべきであろうの。



 されど、物を造る度に家中の者や民でさえも喜び礼を言うておると聞く。中でも、釜で容易く塩が作られた折は、国人衆の喜びはいかばかりであったか。よもや、加久見衆が万千代丸の後ろ楯となろうとは露ほども思わなんだが、なんとも心強い。


 奥が手習いを早めると言い、強き思いは子を潰すことにもなりかねぬゆえ控えるよう言うたが、杞憂であったのう。京より来たる公家衆が指南のもとで遅るることなく、こなしおる。



 埒もない、なにを懐古の念を抱くことがあろう。

 一年(ひととせ)二年(ふたとせ)と重ねてゆく様を、ゆるりと見て往けばよい。




 祈祷が始まっておるというに、にわかに騒がしい。

 宿直(とのい)の者たちが蔵へと駆けて行くと、すぐさま兼実(かねみつ)が側まで寄った。



「賊が押し入ったようにございます」



 賊か。

 蔵には帝より貸し与えられた『坂上(さかのうえの)宝剣(たからのつるぎ)』と『勾玉(まがたま)』が備えられておる。よもやとは思うが、万一のことあらば大事となろう。



「兼実、蔵の様子を見て参れ」

「はっ」



 兼実が走り去った。

 大事を取るならば、万千代丸は逃がすのが良かろうな。



「御所様!!」



 それを伝えようと振り返るが、突如として教康(のりやす)が声を上げた。急ぎ向きなおるも、そこには刃を手に切りかかろうとする山伏たちの姿があった。小刀を抜き構えようとすれど、衆寡敵(しゅうかてき)せず。


 教康が(かぼ)うてくれたが、幾度となく斬られ突かれて、吾れもろ共に地へと伏す。其は、瞬きする間ほどの早業であった。






 息をする度、血が(あふ)るる。

 流れ出づる血と共に、この身より力が抜けていく。

 これは…… いかぬな。




「お守りすること…… (あた)わず、申し訳御座いませぬ」

「よい…… た、大義」



 口を動かす度にひゅうひゅうと音が漏れおる。

 (のど)を押さえ、そう教康へ応えるが精々であった。



「お父様ぁ!!」



 声が聞こえし方を見やれば、(なみだ)を流す童の姿が。


 兼実が間に合うてくれたか。

 あやつに守られておるならば、万千代丸に害が及ぶこともあるまいな。



 安堵と共に、この身に宿る命が尽きようとしておるのを感ずる。もはや動く力は無く、見えるは(よい)に浮かぶ朧月(おぼろづき)。死するには美しき夜やもしれぬな。


 なれど、幼き子を残して逝くは、あまりに偲びぬ…… 偲びぬのう。その行く末を案じ、吾が目は雫を落としよる。






 すまぬな、お藤

 先に逝くことを許せ

 万千代丸と姫らのことを頼む



「お父様ぁ!!」



 あぁ、万千代丸

 愛しき、吾が子

 泣かないでおくれ


 この世の幸せとは、子が(わろ)うた顔を見ゆること

 末期に、その顔を見ておきたい

 どうか、泣かないでおくれ



 この期に及びて尚、思わずにはいられぬ

 そなたに、より多くを指南してやるべきであった

 そなたと、より多くを語り共に(とき)を過ごすべきであった



 今際(いまわ)にて気づこうとは、なんたる愚か

 もはや、おぬしを守うてやることも能わぬというに


 吾れが書き記した軍学書

 そなたへ残す末期の言葉となろう



 父と慕うてくれる、おぬしが愛おしかった

 この慈しむ想いは伝わっていたであろうか

 これよりは家臣らが、おぬしの力となってくれよう


 吾れが居らずとも、心配は無用ぞ

 心配は無用ぞ…… 万千代丸



「あぁぁ血がこんなにも…… 」



 あぁ、(てん)

 八百万(やおよろず)の神々よ



「うぅ…… お気を張って下されませ」



 どうか

 一条家を、吾が子を



「お父様、直ぐに手当てをいたしまする! …… えっ、いま何と!?」



 吾が室、吾が臣、吾が土佐の民らを



「みな……… ま…… も… 」

「お父様? お父様!? …… うぅぅ、お父様ぁぁぁあああああ!!」






 ────── 皆を、(まも)(たま)




 

 

このあとに大内義隆の閑話を投稿したかったのですが、呼び名についてのご指摘が多かった為、保留とさせて頂きます。次話より第二章の上洛編へ入りたいと思います。

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― 新着の感想 ―
[一言] 史実と違い暗殺?
[良い点] 父親の視点も読みたかったから嬉しい [一言] 何故にこの位置?
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