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69.祭り

 


1552年 11月(天文二十一年 霜月)



 ガーゴの話によると、ザビエルはゴアへ戻った後に明へと旅立ってしまったらしい。またいつの日か会える時がくるだろうか。


 今日、行なわれる祭りを見ていくようにガーゴへ勧めた。雑談の中で、通事の男へ名を問うが最後まで明かそうとはしなかったが、変わりに今は松五郎と名乗っていると言っていた。


 隠すほどの大物なのか、それとも何やら大層な事情があるのか。余計に気になってしまった。



 祭りは舞楽を踊るところから始まり、次に相撲と茶会を催す。それを終えて太陽が中天を過ぎた頃に、各人が思い思いの装束へ扮して練り歩く。中には、女子(おなご)(うちぎ)(わらべ)が着るような水干(すいかん)半尻(はんじり)などをまとい、皆の笑いを誘う者も少なくない。


 まだ夏の名残りがあるというのに、俺が着る装束は秋用の直衣(のうし)が用意されていた。


 (ほう)は、一条家の家紋があしらわれた白絹を、地紋に幸菱(さいわいびし)と上紋には白く鳥襷(とりだすき)が映えている薄き紫の指貫(さしぬき)。どちらも二陪織物(ふたえおりもの)であり、裏地にも表地を使う無双仕立ての高級品だ。頭には、一条家の羅文である四菱が施された立烏帽子を被っている。



 さらに、装束の上から着る祭り用の羽織を準備していた。女性が着物の上から羽織っても見栄えが良いようにと、膝下まである長羽織だ。羽織の色は草木染めで深緑から濃紺や藍色と少しまばらではあるが、それほど問題にはならない。


 ひとたび外へ出れば容赦なく照りつける太陽に肌は焼かれ、たまらず流れる汗が顎を伝いぽたりと落ちる。とりあえず、羽織は脱いだ。




 ■■■




 ドンドンカッカと太鼓が鳴り、ピーヒャラリと笛が音色を奏でる。


 ドォン、ドォン、ドンカッカッ

 ドンドン、カッカッドンカッカッ

 ピーヒャラ、ピーヒャラ、ピーヒャララ

 ヒャラリルヒャラリロピーヒャララ

 ドォン、ドォン、ドンヒャララ

 ドンドン、ヒャララドンヒャララ


 先導衆が案内し、掛け声と共に山車(だし)を引いていく。周防で見せてもらった舁き山の飾りを取り入れた山車には、俺や音楽を奏でる者が乗っている。


 神輿(しんよ)は有職故実に記載されていた鳳輦(ほうれん)に似せて作られた。これは、帝が行幸される際にというの乗り物であり、それより派手にならないように黒漆地に金と蒔絵で飾られ、同じ神輿を二基用意した。




「やれやれやれよ」「もっと引ーけ、もっと引ーけ」

「やれやれやれよ」「もっとやーれ、もっとやーれ」



 そんな祭りの喧騒を聞き、次第に人が集りだす。神輿供奉(しんよぐぶ)が前を通れば、その煌びやかな金の装飾に手を合わせ有難がる者や、一緒になって山車を引く者、大勢の子らが笑いながら神輿を追いかけている。


 建屋の外れにある開けた場所にて、山車を止めた。


 まずは幼き子らを集め炒った大豆が包まれた『おひねり』を、投げる。落ちてくるものを掴まえたり拾ったりして、きゃっきゃと喜びながら集める童たち。


 親もとへ戻り包みを開けた者からは、わあっと大きな歓声が上がった。一部のおひねりには宋銭を入れていたから、当たりだったのだろう。


 次の大人衆へと順番が巡れば、目の色を変えた者らがより多くを集めようと必死に舞い落ちるおひねりを追い、押し合いへし合いの大騒ぎ。盛り上がりはしたが、軽いけがを負う者や喧嘩をする者なども出てしまい、いささか浅慮であったと反省した。



 その後は、舞人が曲舞(くせまい)舞舞(まいまい)を披露したあと、夜さり来い音頭を踊った。これは、持明院と考えた新しい振り付けとなるものだ。元々、寺社の興隆や勧進として、風流踊りや田楽などに慣れ親しんでいた民らは、皆が見よう見まねで踊りだし、次第にその数を増やしていった。



「よいしょこーい、よいしょこい」

「よっさり、よっさり、よっさりこい」

「そうらぁ、そうらぁ」



 家中の者は、鳴子や鈴を付けた和傘を手にして踊っている。鳴子やうちわ・羽織など民へ配る分は間に合わなかったが、いずれは皆に渡せるようにしたいと思う。



 それと、瓢箪(ひょうたん)に植物の種子を入れたマラカスを作ってみたが、振り鳴らしている者は楽しそうだ。しかし、残念ながら鈴の音色との相性が良くない。別の機会に使えればいいのだが…… 。






 日も沈み辺りはすっかり暗くなった。

 篝火(かがりび)が焚かれ始める。


 道々におかれているのは、竹筒の側面に多くの穴や切り込みを入れた灯篭だ。滔々と照る灯火は、細工の狭間より漏れ出でて、琥珀色の紋様を幾重にも織り成し、人々の歩みを助けてくれる。


 そんな美しい光景の中、ついに西小路家の双子をお披露目することとなった。この時代の化粧様式とは異なった現代風の化粧を施された二人が神輿から出てきた。


 五穀豊穣と厄払いの神の化身であることを告げると、集った民らは誰からともなく跪いていき、あれよあれよという間に皆が地べたに座って一様に手を合わせ拝んでいた。



 竹灯篭の照らす(あか)りは、やさしくも力強い。古来より神聖なものとして崇められてきた火は、浄化の力を宿し眺めていると心に安らぎを与えてくれる。灯火と神輿が二人の神秘性を更に強調していた。


 少しときが経ち、気がつけば俺を含めた家中の者も思わず信じてしまいたくなるほど、その場の雰囲気が厳かなものへと様変わりしていた。




 京の都を懐かしむと共に祖先の御霊を鎮めるため、古くは房家より四代に渡って毎年続けられてきた『大文字の送り火』によって祭りは締めくくられた。




 ■■■




 皆が寝静まる頃、まだ祭りの掛け声が耳に残り眠れない。見るともなく庭を眺めるが、不思議と祭り後の淋しさや感傷といったものはなく、心は穏やかそのものだった。



 いざさらば。

 これにて、土佐の地は見納めとなろう。

 明日よりは、帝の御前へと馳せ参ずべく、欲望と怨嗟が渦巻く魔都『京』へと向かおうぞ!




 お祖母さまと一緒に。




 

鎌倉時代には、日吉大社に七基の神輿が奉献されていたようです。神輿を作れる宮大工は少なくなかったと考えています。


指貫の色は若い者から壮年に至るに連れて濃くなっていきますので、基本的には万千代は薄い色を着ることになっています。

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