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67.侍女 まつ / 天灯

 


1552年 11月(天文二十一年 霜月)



 夕日が沈んだ空には、長庚(ゆうずつ)が輝いております。

 御所で暮らす女衆(おなごしゅう)は、皆が秘色(ひそく)葉菊(はぎく)といった思い思いの(かさね)の色目をあしらった(うちぎ)を身にまとわれておられます。




 暗がりの中、神楽の行事を務める人長(にんちょう)役の若様が、神楽面を付け庭火(にわび)の前までお出でになられました。すでに御所号も請けられた今となっては『若様』などとお呼びすることは礼を失する行いではありまするが、心の内ではついお呼びしてしまうのです。



「鳴り高し、鳴り高し。ふるまう、ふるまう」



 更に口上を続けられた。



今夜(こよい)()御神態(みかみわざ)の人の長、左の近衛府(ちかいまもりづかさ)少将人(すないまつりびと)従三位(ひろいみつのくらゐ)の藤原兼定が懸けたり。男山(をとこやま)惣検校(そうけんぎょう)(なら)びて懸けたり。天下(あめのした)千寿(ちとせ)万歳(よろづよ)御坐(おわ)しますべき物聞き」



 次に、男衆に向かい言われます。



主殿寮(とのもりづかさ)、主殿寮」

(をお)

御火(おひ)白く(たてまつ)れ」

「唯」



 と、家司(いえのつかさ)である町様が答え、より明るくなるよう(まき)を庭火へと()べられています。



男共(をのこども)



 言うや、楽人たちは立ち上がり奏するための姿勢へ直り、準備が整った次第を確かめられた。



「唯。掃部寮(かにもりづかさ)、掃部寮」

「唯」

膝突(ひざつき)を給れ」

「唯」



 同じく家司である源様が若様へ膝突を差し出し、楽人らが笛や篳篥(ひちりき)の調べを確めたと思えば、歌人の加久見様が諸手を合わせ拍子をひとつ打ち、歌われました。



深山(みやま)には (あられ)降るらし 外山(とやま)なる」



 と、半ばで歌を止められた。各々の準備が整い、(そう)がひと鳴りし、いよいよ御神事が始まりを告げ、若様が神楽歌に合わせ舞われておられる。全て、前もって行なわれたお(さら)いの通りにござります。


 今宵の神楽歌は、神楽音取(かぐらねとり)から始まり庭火(にわび)を経て、阿知女法(あちめのわざ)の後には(さかき)へと移られる。


 神楽歌は広く神事や神前で、奏せられる歌でありながら、今や正しく儀を行える者は僅かであると聞き及ぶ。その儀を見ゆることが能うは、まこと有り難きことにございます。




「深山には 霰降るらし 外山なる 真折(まさき)(かずら) 色づきにけり 色づけにけり」



 本方である加久見様が歌われた後に、末方の男が応えます。



阿知女(あちめ) 於々々々(おおおお) 於介(おけ)、阿知女 於々々々 於介、取合せ 於々々々」






 お仕舞いの部である明星(あかぼし)に至るまで、なんとも見事な歌と舞であられました。かような歌舞であれば、必ずや神々の御霊も鎮まることにござりましょう。次いで、催馬楽が奏され我駒(あがこま)からの律が始まろうとしておりまする。



「いで我が駒 早く行きこせ 真土山(まつちやま) あはれ 真土山 あはれ」



 伴奏に笏拍子(しゃくびょうし)や琵琶、箏・(しょう)篳篥(ひちりき)、笛などの楽器から聞こえる音は奥ゆかしいものでありました。





 されど、それまでの調べを忘れさせるほどの大事が出来(しゅったい)いたしました。御所の女衆からは喜びとも悲鳴とも思しき声が上がっております。…… それも無理からぬこと。


 千鳥の縫い物を施した萌黄色(もえぎいろ)(ほう)をまとい、金襴の織物で拵えた別甲(べつかぶと)をお召しになられた若様が、これより青海波(せいがいは)を舞おうというのです。


『源氏物語』にもある有名な舞でありまするが、目にした者はそう多くはござりますまい。



 太刀を佩いたお姿はそれは勇ましいもので、また息をのむ美しさでもあられました。(いや)が上にも『光の君』と若様を重ねずにはいられませぬ。


 舞うお姿はこの世のものとは思えぬほどで、なんとも恐ろしいまでに輝いており、その美しさのあまり直に見ることが憚られるほどでございました。





「雅な舞いだことぉ」「なんとも美しゅうありまするぅ」「はぁぁ、惚れ惚れとするばかり。面の火照りが治まりませぬ」「まぁ! ふふふ」「まこと見目麗しいことで」「かように美しい舞を見やるのは初めてにござります」


「「「ほんに」」」


「物語から出でた『光る源氏の君』そのままにござりますぅ」「待ちやれ。御所様は藤氏にあらせられますれば『光る藤氏の君』にござりましょう」「御台となられる御方が(ねたま)しや!」


「「「ほんに!」」」



 舞が終わるや否や、女衆が騒ぎ立てておりました。ところが、東向き殿に御付きの年老いた女房が口にした言の葉へ、東向き殿が同意を示されたことで皆が落ち着くこととなります。



「妾がいま少し年若ければ嫁ぐことも出来たでありましょうに。なんとも口惜しや」

「ほんにのう」


((((((それだけは、ありませぬ)))))))



 しばしの静寂のあとに、皆が引きつったように笑われました。



「「「「「おほほほほほ」」」」」」



 思いも寄らぬことでありましたが、この場にいる女衆がひとつになられたような心地がしたのです。かようなことは初めてにござりました。




 ふと見れば、若様を褒める声を聞き、したり顔でおられた慈瑤院様。そこへ真照院様がお声をかけられました。


 話を聞くに従い慈瑤院様は口が大きく開いていき眉根は落ち、さもこの世の終わりとでもいうべき悲しそうなお顔をなさっておいでであられます。



 これほどまでに、心の内が(おもて)に表れる姫君も稀でありましょうが、良くも悪くも心根が正直な様を真照院様は気に入られている御様子。


 真照院様を崇めておられる慈瑤院様に至っては逆らうなどということは出来ようはずもなく、少しためらわれてはおられましたが、最後には(だく)されておいででございました。




 ■■■




 すでに失われつつある神楽歌と催馬楽。

 神楽を家職としている持明院(じみょういん)基規(もとのり)と共に、兼良の著書『梁塵(りょうじん)愚案抄(ぐあんしょう)』を参考にしながら古来の作法で舞った。


 神楽歌においては『阿知女(あちめ)』と『(さかき)』にある『 阿知女 於介』が神語といわれている。これらの歌は祭壇を設えた神籬(ひもろぎ)へと捧げるための言の葉だ。



 阿知女法の最後に『ひと・ふた・み・よ・いつ・む・なな・や・ここの・たり、や』と唱えるのは『天璽(あまつしるし)瑞宝(みずたから)十種(とくさ)』の呪法である布瑠(ふる)(こと)と通じている。


 これは、初代天皇である神武天皇と皇后の心身の安鎮を行う宮中行事『鎮魂祭(みたましずめのまつり)』で祈りを捧げるための法である。


 秘蔵の技として、日陰鬘(ひかげのかずら)をたすきに掛け、蔓柾(つるまさき)を頭に被り榊の枝を手に持つとあった。これは天照大御神(あまてらすおおみかみ)の天の岩戸(こも)りに由来しているのだろう。



 なんとか、つつがなく行事を終えることができた。御霊を鎮めるための行事ということで、最後に天灯(てんとう)を空へ飛ばし、灯篭(とうろう)を川へと流した。海へ向かって弱い風が吹いているが近くの山で火事が起こらぬように注意し、流した灯篭は途中で回収するための柵を設けてある。


 これらは、(おの)が先祖や亡くなった近しき者らの御霊として供養するのだと伝えれば、大内家に所縁ある方々は故人を偲びそっと涙を零す。


 空や川に何百と灯りが浮かぶ光景は、言葉に表すことが出来ないほどあまりに幻想的で、そこはかとなく淋しくなり、知らぬまに涙が頬を伝っていた。





 皆、必死に思えるほど笑い・語らい・騒いでいたのは、過去の悲しみを忘れようとしていたのかもしれない。それらの喧騒に取って代わり、いまや聞こえてくるのは虫たちの鳴き声だけ。



 御所の池へ目を向ければ、淡く映る水底(みなそこ)の月。美しいその様を見て、今宵は(かさ)をまとう十六夜月(いざよいづき)であったことを思い出した。やがて、月が雲に隠れて辺りを闇が包みこむと、あれだけ賑やかだった虫の()もいつの間にか止み、しん、と静まり返っていた。



若御所様(わかごっさん)



 そんな夜のしじまを破って、不意に声が掛けられた。雲がゆるりと流れ月明かりがやさしく照らし出すのは、楚々とした佇まいのお祖母様。



 ── ピシャッ



 跳ねた魚が水面(みなも)へ映る姿をかき消していくと、愚かにも欠けゆく月と過ぎ去りし日の夢幻泡影(むげんほうよう)に思いを馳せてしまう。そうすることで、近づく旅立ちの感傷と相まって、なお一層の淋しさに囚われてしまうと知っているにも(かかわ)らず。

 

 

長庚 :宵の明星

袿  :透けるほど薄い上着。戦国時代は経済的理由から小袖と単、袿を一枚だけ羽織るのが普通となりつつありました。袿を重ねることが出来るのは、絹織物を多く所持している証拠であり、お家が物資や経済的に豊かであることを表しています。

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