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66.式占

 


1552年 10月(天文二十一年 神無月)



 青々としていた金狗尾(きんえのころ)も、その身を黄金色(こがねいろ)へと変え秋の訪れを告げている。


 年が明けて一月が終われば閏一月となるため、現時点で太陽暦に比べてふた月近くの遅れが生じている。だから、暑さが和らいできているといっても十月の昼間は日差しが強い。



 戦国時代では、太陰太陽暦である宣明暦を使用している。だが、三年あまりでひと月ほど天体とのズレが生じるため、二十四節気(にじゅうしせっき)を用いて二・三年に一度設ける閏月(うるうづき)で補正していた。


 特に重要となる節気が八節(はっせつ)の内、春分・夏至・秋分・冬至の四つである。二十四節気が日本の気候と合っていないのは、中国大陸より伝来した日付を基としているためだ。



 すでに月の公転周期が27.3日であり、満ち欠けが29.5日だということが認知されている。(いにしえ)より暦を読むとは、これすなわち月を読むことであった。であるからこそ『月を読む』が『ツクヨミ(月読・月詠)』となり、夜を統べる月の神である月読命(つくよみ)へと通ずる言葉なのであろう。



 御所の廊下を歩けば、各部屋には蚊帳が垂らされている。このところ寝苦しい夜が続くが、寝所では欠かせないものだ。寝床を囲う程度の大きさでも一、二貫はするが、蚊に刺されることを考えれば無くてはならない。


 虫除けとして、天日干しで乾ききったミカンの皮を燃す。すると、天然の蚊取り線香となる上、ほのかに漂う柑橘系の匂いは消臭効果もあってと重宝している。


 もしも蚊に刺された場合は、応急処置として刻んだニラやヨモギを絹で包み、軽く絞ってにじんだ汁を患部へ当てることで、抗炎症作用やかゆみが抑制されたと塗り薬として使える。



 上段、中段、下段と合わせて六十畳はあろうかという謁見の間を囲う蚊帳も用意した。御殿はもちろんのこと、百貫ほど費やして政所全体にも設置している。病原の媒介ともなり得る蚊は恐ろしい。


 蚊に次いで(はえ)も多いので、蠅取り液を作った。主に油や(にかわ)・漆などを原料とし、粘着性が高い液体を和紙や木の板へ塗布する。これを鴨居(かもい)などから紐で吊るし、接触した蠅・蚊や昆虫なども粘りついて捕らえることが出来る。見た目は好ましいとは言い難いが……。


 竹製のしなる蠅叩きも作りはしたが、蠅取り紙の方が容易に捕まえられる。



 初夏に採取して陰干しした葉と茎を煮出して作るドクダミ茶と併せて、半割にした竹を使う『青竹踏み』での健康維持法を生駒殿へと伝えた。ドクダミ茶は苦くて美味ではないが、健康と美容に良い。その話が広まり、今や御殿の女衆の間ではちょっとした流行となっている。




 ■■■




 今年は『夜さり来い祭り』を催す。

 祭りを盛り上げる興行を行うため、五条家の者に下向してもらった。この五条家は一風変わっており『相撲』を家職としている。


 平安時代には宮中で行われる行事に『相撲節会(すまひのせちえ)』があった。今では行なわれておらず、相撲を家職としている者はごく僅かだ。



 五条家が仕切る場の下、相撲を行う予定である。もちろん作法があって、右方と左方へ分かれ順に取組みを行っていく。


 先ずは、立ったままの姿勢から練歩(れんぽ)と呼ばれる移動方法で、一歩づつ踏み固めるようにゆっくりと移動していく。次に「をお」と一声かけて手合いという組み合った形から始まるようだ。


 その説明に使われたのが『鳥獣(ちょうじゅう)人物戯画(じんぶつぎが)』に似ている兎と蛙が相撲を行っている二枚の絵で、そちらが気になって話に集中できなかった。



 強い陽射しを防ぐ為であろう日蓑(ひみの)を背負った大柄の者らが、御殿の近くで作業をしている。行事の場を整えているようで、近くには手水場(ちょうずば)が置かれ、湯浴み用のたらいへ湯が注がれていた。作業が終わればそこで汚れを落とすのだろう。





 今年は星の巡り合わせが良い年であり、昨年より祭りを行うことが決まっていた。


 占星術は、三九秘宿(さんくのひしゅく)という宿曜道(すくようどう)にある独自の占いを基にしており、安倍晴明より伝授されてきたとも言われる秘中の秘『三国相伝(さんごくそうでん)陰陽輨轄(いんようかんかつ)簠簋内伝(ほきないでん)金烏(きんう)玉兎集(ぎょくとしゅう)』にて記されているそうだ。


 そして、晴明が習得した御技(みわざ)の一部である北斗七星・九曜・星座を現す十二宮・二十八宿などの天体の動きや七曜の巡りによって直日を定める独自の式占を『占事略决(せんじりゃっけつ)』へ事細かに著していた。これは一条家でも保有していない書であったが、密かに土御門有尚から教わりつつ、写しをとることに了承をもらった。



 天の十二宮とは、太陽や月の通り道である空を十二等分したもので十二星座に相当する。


 四方位に七星づつある天空に連なる列宿(れっしゅく)を星宿と呼び、二十八宿とは列宿全てを指す。星宿の数である二十七宿と二十八宿の違いと言えば、公転周期の端数を切り捨てているのか、または切り上げているのかで変わるようだ。



 また、木火土金水の星を五緯(ごい)と呼び、さらに日と月を加えて七曜(しちよう)とする。これらの曜は奈良時代に空海によってもたらされた『文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)及諸仙所(きゅうしょせんしょ)(せつ)吉凶時日(きっきょうじじつ)善悪(ぜんあく)宿曜経(すくようきょう)』にて知られるようになった。



 今年は、九星において一白水星(いっぱくすいせい)だ。干支は壬子(じんし)であり、陰陽五行においては天干の(みずのえ)は陽の水に、地支の()も陽の水にあたる。また、後天定位盤の北に位置し、十一月を示している。


 陽の水が重なる比和(ひわ)であり、陽の気がますます盛んとなる。福徳を司る神である歳徳神(としとくじん)が座す方角は北北西であった。凶事を示す金神(こんじん)の巡りも問題が無く、恵方の北北西へ向かい事を成せば万事が吉事(きつじ)となる。




 ひとつ注意を要するのは時刻だ。

 日が沈み、昼と夜が入れ替わる黄昏時(たそがれどき)


 昼と夜の境目が曖昧となるは、現世(うつしよ)常世(とこよ)の境界がつながる逢魔時(おうまがとき)。常世とは永久(とわ)に変わらぬ幽世(かくりよ)であり、現世と異なる神域。一度迷い込めば二度とは戻れぬ世界。



 太陽が沈むにつれて、染まる西の空は薄紅から赤支子(あかくちなし)へと色が移ろう。燃ゆるがごとき空とは対照的に、夜の(とばり)が降り始めると辺りは一変して闇に包まれる。それでも多くの者が働き続ける御所では、ぽつぽつと蝋燭へ火が灯されていく。


 このような時刻は、避けなければならない。

 いかに穏やかに見える者であっても魔が差すことだってありえる。


 そして、皆に伝えるのだ。

 黄昏時は家へと帰り、また『夜さり来い』とな。

 

 

一説に、よさこいの語源は『夜さり(夜分に)来い(いらっしゃい)』の古語であるとも言われています。

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