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64.石鹸 【図解あり】

 


1552年 9月(天文二十一年 長月)



 誰しもが小学校にて体験するであろう石鹸作りではあるが、そのときは材料が揃った状態で混ぜただけだ。原材料から作るのは初めてであり、やり方はネット小説を見ただけという…… もはや不安しかない。



 ともあれ、先ずは灰から成分を抽出する。

 どの材料で上手くいくかわからないため、多種多様の海藻灰と草木灰を用意した。


 灰は水に混ぜ入れた後、しばらくすると燃え残りの炭が表面に浮くので掬いとる。沈殿している灰を攪拌させないように注意しながら、静かに溶液を別の器に移す。使いたいのは移された溶液で、それを淡水化装置へ入れ水分が全て蒸発するまで晴天下に放置すれば、象牙色の粉が残留する。



 もうひとつの材料として生石灰を必要とするが、古くから漆喰にも使われている物で、すでに生成された物を手に入れることが可能だ。


 生石灰は石鹸作り以外の用途として、水を加えることで消石灰が作れる。これは土壌の酸度調整にも使えるし、水の浄化や消臭の効果もある。使用時には目に入らないように注意が必要となるが、作物を作るのに必要なものなので、実りが低下している畑に撒いてみるのもいい。



 材料が用意できれば、いよいよ混ぜ合わせる。

 精製水かエタノールに少しづつ灰から抽出した粉と生石灰を溶かしていく。触れて温かいと感じる温度に油脂を温め、水溶液をゆっくりかき混ぜながら注ぎ、粘りが出てきたら型へ流し込む。固まる時間は油に依って異なるが、十日ほど経ったら食塩水を混ぜ加えて塩析を行い、さらに十日放置すれば完成する予定だ。


 油は、椿油・菜種油・馬油・米油などを使用する。分量は何度も作って適量を導き出すしかないが、固まりづらい油は蜜蠟を混ぜることで固形化させようと思う。



 香料としての精油はクロモジの木からとれる物が良さそうだ。土佐の山や斜面に自生しているこの木の枝や葉からは、微かな芳香が放たれ爪楊枝の材料や薬用にも使われている。


 色付けは『炭・紅花(べにばな)・茜・藍・黄櫨(こうろ)紫草(むらさきそう)丁子(ちょうじ)』など反物を染める自然素材が数多くあるため、もしかしたら虹色の石鹸を作ることも出来るかもしれない。



 固まった石鹸は白銀率を用いた寸法で切りそろえた。黄金率は1:1.6180(いむいちやは)339(さんさんくど)、白銀率は1:1+1.4142(ひとよひとよに)1356(ひとみごろ)の語呂合せで憶えている。今後、黄金率は街造りに白銀率は製品作りに応用したいと思う。



 また、出来上がった石鹸はカービングと呼ばれる彫刻を施して美しく仕上げる。そうすることで、例え類似品が出回っても他を圧倒する製品となり、求める者は後を絶たないだろう。量産型は陶器の型で作り込んで花の形を成型すればいい。


 四季の花を題材として、春は桜、夏は朝顔、秋は竜胆(りんどう)、冬は椿といった柄を刃物で彫って形作る。作る度に花の柄を変えれば飽きられることもない。もうひとつの加工方法は、出来上がった石鹸を任意の形にくり抜いて、くり抜かれた部分には着色した別の石鹸を押し込んで固着させる。図柄は金烏(きんう)玉兎(ぎょくと)にした。


 これは『日本書記』『日本書紀纂疏(にほんしょきさんそ)』や『古事記』『今昔物語集』などといった文献にも出てくる太陽と月に住むと言い伝えられる動物のことだ。



 古来より鳥は信仰の対象とされてきた。

 三本足の八咫烏(やたがらす)は神の使い・日輪の化身とも言われ、太陽を象徴している。日本神話にも登場しているが、足が三本なのは『三』という数字が陽数であるからだ。



 対して、兎も『稲羽(いなば)素兎(しろうさぎ)』など神の使いとされている。


 仏教における護法善神である十二天がひとり日天子(にってんし)月天子(がってんし)の仏画や、古いものでは『天寿国(てんじゅこく)繍帳(しゅうちょう)』の曼荼羅(まんだら)にも描かれていたりするようだ。今昔物語集には、老人を助けるために自らの命を捧げた兎、その自己犠牲の行いを後世へ伝えるため帝釈天(たいしゃくてん)が月へ昇らせたとしている。兎の足は四本で『四』は陰数である。


 太極図の両儀を一日に見立てれば、白い勾玉は陽とされ昼にあたり黒点は太陽を表す。黒い勾玉は陰とされ夜にあたり、白点は月を表している。ゆえに、太陽は陽の精であり黒い鳥は陽の獣とし、月は陰の精であり白い兎は陰の獣となる。太陽と月は両儀に、四季は四象それぞれに相当しており易経とも通ず。




挿絵(By みてみん)




 ■■■




 二条ら公家衆が来てからと言うものの、房通は彼らと共に過ごすことが多いため、俺も本格的に政務を執ることとなった。


 一条家の組織構成は律令制時代の中央官制の八省に習っている。


 朝廷で新たな官が設けられた際には令外官を八省『中務省・式部省・治部省・民部省・刑部省・大蔵省・兵部省・宮内省』のいずれかに属する形で設置してきたため、朝廷の官制とは異なる点が多い。


 例えば、一条家にて牛馬や武具・兵器などの管理を司る兵部省であるが、朝廷では実権をほとんど伴っていない。兵や軍馬に対する実権は幕府が有しているからだ。


 実権を伴わないからこそ、大内義隆は兵部卿に就くことができた。公家ではない者へ送られる官職は朝廷へ影響を及ぼすことがないよう実権が伴わない、もしくは幕府が有する権力に依存する職に任命されてきたのだから。



 典薬寮(てんやくりょう)は、医療や薬の調合・後世の育成などの仕事を主としている。


 そこへ属し、調合や薬生を手がけている一条家の薬園師である入江左近。この者は一門連枝衆でありながら公家という立場にいる。常に軽く笑みを浮かべ、その洗練された所作は一つ一つが美しい。囁きかけるような、ゆったりとした口調の声を聞けば誰しもが心和らぐ、地蔵菩薩がごとき御仁。



 身ごもっている生駒殿のために滋養強壮に効く材料がないかと左近へ問えば、奈良時代より伝わっている朝鮮人参などがあるとのこと。輸入するか商家から買い取ろうかなどと考えていた物だが、強壮薬として調合も済んでいるらしい。だが、母体に及ぼす影響が懸念されるため、妊娠中は下手に摂取せず産後にするべきだと忠告を受けた。


 朝鮮人参以外にも、滋養薬を始めとしたあらゆる薬が保管されているようで、その中から刺激が少なく母体でも摂取可能な漢方薬をもらった。



 俺も一応ではあるが、典薬寮で調合される薬とは別に一条家秘伝の生薬があることは知っている。それは一条兼良が残した『尺素往来(せきそおうらい)』に記されている調合薬だ。


 朝鮮人参や甘草(かんぞう)など十七種にも及ぶ舶来の材料に加え山薬(さんやく)厚朴(こうぼく)茯苓(ぶくりょう)といった十八種、全三十五種あまりを調合した滋養強壮薬。他に牛黄円(ごおうえん)麝香丸(じゃこうがん)蘇合円(そごうえん)などの常備薬や救急薬の記載もある。


 薬学の精製にも通じていたのだろう。

 何よりも恐ろしいのは、その絶大な効果が証明されていることだ。



 若くから独自に調合した生薬を服用していた兼良。その著作の多くが七十を超えてからのもので、齢七十五を過ぎてなお女児二人を設けるほどに精力的だった。八十で薨去(こうきょ)するまでに教房(のりふさ)含め二十六人も子が産まれており、ともすれば『洗冤集録(せんえんしゅうろく)』の記述にある腹上死が死因ということも。


 死するときには『五百年来この才学無し』と惜しまれたようだが、その持て余した精力でも『五百年来この絶倫無し』と陰で言われていたはず。俺なら言う。



 そして、俺の官歴は兼良を前例としていることに気づいた。賜った官位も同じであれば右左の違いはあれど官職も同じ近衛少将である。兼良は半年と経たず従三位になっており、それも同じようなものだ。


 これは、才学を期待されてのことなのか、はたまた精力を期待しているのか。喜ぶべきか、喜ばざるべきか……


 兼良の評価は非常に難しい。



 

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