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63.天性

 


1552年 8月(天文二十一年 葉月)



土居(どい)孫太郎(まごたろう)にございます」



 政務をこなしている最中(さなか)、大声で名乗りを上げる者がおり手を止めた。何事かと政所にいた皆が声の出処(でどころ)を覗き見ている。障子戸(しょうじど)を開けた先に立っていたのは、一人の童男(おぐな)だった。それを見るや否や宗珊(そうさん)が詫び言を述べる。



「これなるは、無作法(ぶさほう)な振るまいが多き者にござれば、ご無礼の段は平にご容赦を」

「よい」



 不意のことで驚いたが、どうやらこの童男は土居家の次男らしい。宗珊へ届け物があったらしく、政所まで訪れたようだ。見たところ、俺よりも年下だろうか。



「お主、歳はいくつになる?」

(とう)になりました」



 孫太郎は脇見をしながら、俺の呼びかけに答えた。



「早々に()ぬるゆえに、ご寛恕(かんじょ)下さりませ」

「気にするでない」



 これは珍しい、あの宗珊が慌てている。一点一画(いってんいっかく)もゆるがせにせず、泰然とした姿勢を崩さないあの男が。初めて見るその姿に宗珊とて親の一面もあるのだと改めて感じ入った。


 房通(ふさみち)は公家連中と一緒に御殿の庭で蹴鞠をしており、ここにいるのは土佐家中の者だけである今、特に問題無い。


 それよりも、(よわい)が十であれば俺や市正、久左衛門とも同い年だ。にしては、話し方や態度から幼い印象を受ける。今もあっちを見たりこっちを見たりと忙しない。



「何を見ておる?」

「数にございます」



 かず?

 …… ああ、数のことか。

 なるほど、ここには漢数字がたくさん記入された帳簿がある。



「勘定を好んでおりますゆえ」

「勘定とは物を数える、あれか?」

「はい」



 変わった趣味だな。

 一条家で所有している数学書を見せれば喜ぶかもしれない。



「ほう。では、麿が言うた数を勘定してみせよ。十五と二十一、足さばいくつになる?」

三十(みそち)あまり六つ」



 即答だった。

 孫太郎は言い終えると笑顔を携えながら帳簿に見入っていたが、なぜか宗珊に睨まれている。すると、付け足すように言い添えた。



「…… にございます」



 それで睨まれていたのか。

 土居家では、いつものことなのかもしれない。



「いかにも。では、一つ、二つ、三つと足していき十まで足さば?」

五十(いそち)あまり五つ」



 しばらく間が空いたかと思えば、また付け足した。



「…… にございます」

「うむ。では、(ももち)二百(ふたももち)と足していき(ちぢ)まで足さば?」

五千(いほちぢ)五百(いほももち)…… にございます」

「申す通りよ。であれば、五十と五つ五千と五百を足さばいくつになる?」

「わぁ、五が四つも()()()()()()()()!」



 孫太郎は嬉しそうに顔をほころばせた。

 しかし、厳しい表情を浮かべた宗珊が答えを促す。



「早よう、お答えせぬか」

「はい。五千五百五十と、あまり五つ!」

「孫た「にございます!」」



 今度は、叱られる前に言い添えることができた。


 なるほど、今の言葉で確信めいたものを感じた。恐らく、孫太郎は高機能自閉症のギフテッドもしくはサヴァン症候群なのではなかろうか。この時代では『五千五百五十五』といったように、桁の後には位を入れる。だが、四つ()()ということは『五五五五』とも認識している。近代的かつ合理的な考え方であるが、この時代にしては異端であろう。


 加えて、計算が早すぎる。

 転生したから暗算ができる俺とは違い、演算に対する天性の資質があるのかもしれない。であれば、孫太郎は紛れもない『天才』ということになる。この者に一条家が保有している数学書と俺の憶えている限りの公式を覚えさせれば、ほとんどの演算を電卓と同じ速さで処理して見せるやも。



「合うておる、五が四つであるの。ときに近江守、この者を麿の近習として預けてはみぬか?」

「っ! …… それは」



 宗珊は言い淀み、目を閉じてわずかに考え込んだかと思えば、ゆっくりと口を開く。



「憚りながら、その儀に尽きましては何卒ご容赦のほどを」

「ほう、何ゆえに?」

「先も申した通り、これなるは己のことも満足に出来ぬ不作法者。恐れ多きことなれど、御所様のお世話など到底出来かねる次第にござりますれば」

(いな)、身の回りの世話をせいと言うてはおらぬ。政を手伝うてもらいたいのよ。麿が見るに、この者…… 恐らくは一日で十人分の働きをするであろう。それが、十日では百人分。三十日では?」



 孫太郎を見やると、すぐに答えた。



「三百人…… でございます!」

「そうよ。それが、十とふた月では?」

「三千と六百!」

「十年続かば?」

「三万と六千!」



 さすがだな、計算が速い。

 孫太郎は、満面の笑みを浮かべている。

 その無垢なる心が、なんとも微笑ましい。



「聞こえたであろう? この者は十年もあらば、優に万を超える将の働きをするのよ。それが真となった暁には、いづれ家老に据えようとも思うておる」


「ほう」「なんと!」「おぉ」「よもや、家老とは」「これは目出度きこと」



 皆が口々に言い始め、色めき立った。

 親の名跡を継がずに家老を目されるのは、それだけの価値があると言っているのだから当然だ。



「されど、土居の血筋に連なる者が二人も家老に居ては他の者も快く思わぬ。ゆえに…… 」

「であれば、某がこの者を当主として支えましょう」



 言い終わる前に宗珊の嫡子である家通(いえみち)が意見を述べたが、その表情は少し微笑んでいるようで、同時に寂しそうでもあった。孫太郎は父と兄に愛されておるのだな。



「心得違いをするでない。新たに土居の分家を興させると言うておるのだ。であるからして、その方には早う城持ちとなってもらわねば困るぞえ」

「は…… はっ! ありがたき幸せにございます」

「うむ。されど、万を超える働きをする舎弟に負けぬというは容易きことではあるまい。相応の覚悟を要すが如何?」

「承知しており申す。こっ、これまで以上に励みまする」

「うむ」



 宗珊は、まだ承服していない。

 よほど心配と見える。



「これほどの逸材はそうはおるまい。近江守、見事な若男(わかおとこ)に育てあげたな」

「…… この者には身に余るお言葉。ありがとう存じまする」

「孫太郎が家老になるまでは、お主も死ねぬな?」

「はっ」



 俺が孫太郎を褒めると、追憶に浸っていたのだろうか(つい)には諦めとも言える面持ちをした宗珊が重い口を開き、深く頭を下げ伏した。思うに、孫太郎の子育ては波乱の連続であったのではなかろうか。同時に、我が子の行く末を案じてもいたであろう。源氏物語における若紫(わかむらさき)尼君(あまぎみ)がごとく。


『生ひ立たむ ありかも知らぬ 若草を おくらす露ぞ 消えむそらなき』


 これは、幼さ残る子の行く末が心配で死んでも死に切れないという歌だ。それを詠んでやると、子の成長を見ずに死ぬなんて言わないでという意味の返歌を曽衣が詠む。


『初草の 生ひゆく末も 知らぬまに いかでか露の 消えむとすらむ』




 宗珊は平伏したきり、顔を上げようとしない。

 よく見れば、肩が震えている。

 泣いているのか。

 曽衣が詠む声は心に響くものがあるから無理もない。



 それを見た孫太郎が、突如として詫び始めた。



「父様、申し訳ありませぬ」

「何ゆえ、詫びる?」

「またしても、某のため頭を下げておりまする」

「さにあらず。お主の父は礼を言うておるだけぞ」



 問えば、己のために詫びていると勘違いしていた。孫太郎のことで頭を下げていることには違いないが、詫びているわけではない。そのことを諭す。



「されど、泣いておられます」



 それは分かっている、が、言ってやらぬが情けというものよ。これまで、孫太郎のために数え切れぬほど宗珊は謝ってきたのかもしれん。その姿を見続けてきたであろう孫太郎を、不安にさせてはいけないな。



「喜んでおるぞえ。近江守、そうであるな?」

「…… 」

「褒めてやれ。『良うやった』と孫太郎に言うてやれ」

「…… はっ! …… う゛ぅっ、良う、やった゛」

「はい!」

「ふぅく゛う゛ぅっ」



 宗珊は皆に憚ってか、声を殺して泣いている。



「皆は、しばしの間、あちらを向いておれ」



 宗珊がいる場とは、逆側を指し示した。

 その場にいる者は皆、黙ってそちらへと体を向ける。

 孫太郎も家通に促され体の向きを変えるが、心配そうな面持ちで幾度となく宗珊へと視線を寄せていた。


 座敷のあちらこちらより、鼻を(すす)る音が聞こえてくる。庭を見れば、穏やかな日差しを浴びて鳥たちは(さえず)り、風に揺れた竹の葉がざわめく音も耳に心地よい。青く澄んだ空には八百重(やおえ)の雲が浮かび、悠々と流れていく。

 



 どれほど時が経っただろうか。うとうとし始めた矢先、涙を(ぬぐ)い落ち着いた様子の宗珊が顔を上げた。



「ご無礼、(つかまつ)りました。この宗珊、命尽きるまで御所様にお仕え致しとうございまする。土居家に()きましては子々孫々に至るまで、御当家へ忠節を尽くす所存。宜しくお取り計らいの儀、御願い申し上げ奉りまする」



 戦国では得難き人材である『天才』と『忠義者』を得た。




 ■■■ 




 今後、政務で帳面に数字を書き入れる際には、桁の間に入れる位の漢字を省こうと思う。その代わり零の字として『丸い円』を描くことと、四桁上がるごとに読点を入れるようにしたい。そうすることで桁が分かりやすくなると共に、筆算がしやすくなるという利点もある。


 アラビア数字を導入することも考えなくもなかったが、それは俺だけが分かりやすいのであって他の者は漢字での表記に馴染みがある。無理を押して新たな文字に変える必要性はないだろう。



 帳面では『一、五〇〇〇』と言う具合に記載する。もちろん、文などでは『一万五千』と記載するため、帳面だけの話。



 孫太郎の他に二人が近習として仕えることとなった。


 一人目は、仁井田五人衆における志和宗貞の二男で名は勘助。この者は童顔で、黒目がちの丸い目が印象的である。二人目が、一条殿衆がひとり佐竹義之の二男である太郎(たろう)兵衛尉(ひょうえのじょう)。こちらの者は、勘助とは逆に細い目をしており冷静沈着な印象を受ける。


 二人に共通しているのが、弓上手という点だ。近習は身の回りの世話に加え警護も兼ねている。ゆえに腕の立つ者が選ばれたのだ。




『余人が己を認めずとも憂慮に及ばず。己が他者を認めぬことこそ心配すべし』


 人を重んずることが肝要である。



 

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