60.花押
1552年 5月(天文二十一年 皐月)
二月の末に、京の町衆が勧進猿楽を行ったらしい。
本来は銭を集めるために行われるのだが、京の実状を聞き及ぶに催しを開く余裕など無さそうだ。であれば、資金は朝廷から出ていると考えていい。朝廷における歳費は最盛期の1割にまで落ち込んでいたそうだが、一条家の献金により当面の資金が確保できた。
ここで、権威を内外に示す催しを行い、中興を願うことはあり得る。たとえ一時であっても、猿楽が盛況の内に終えることが出来たのならば、民らの表情は和み町の雰囲気が明るくなる。やがて、その噂は大名の耳にも及んで、朝廷の復興を望む者や見込む者たちの献上品が増えるかもしれない。
年明けに土佐を訪問してきた三条西実澄は、京へ戻るなり大名へ資金を募るため、早々に東国へ下向したと聞く。これで朝廷の歳費が潤えば、それは良いことだと思う。
三月には毛利家が安芸を攻略した。
これから急速に勢力圏を広げていく。
同月、大友晴英が大内家督として迎えられた。それに対する文が一条家にも届いている。中には、多々良浜より上陸した旨も記されており、大内家伝承の故事に倣うことで当主としての正当性を示しているのだろう。むしろ、そのようなことでしか己を示すことが出来ないとは…… 何とも愚かしいことだ。
認められた花押と印でも同じことが言える。大内家の花押は『内』の字を主体としたものであるのに対し、晴英のものは『英』の字を主体としている。似ても似つかないし、そこは大内家としての花押を踏襲していない。
また、義隆は『大宰大弐・日本国王之印・多々良朝臣』の三種ある印章を使い分けていた。一方で晴英は『多々良晴英』と、ここでも自らの名を用いている。
大内家の内乱を知った明国も、これでは貿易なんぞ続けないだろう。勘合貿易はこうして途絶えるのかもしれない。それは同時に、一条家の大きな財源が失われることを意味する。今後は、密貿易か他国を介して明国の品を入手するのか、皆と討議しなければならない。
晴英から偏諱を受け陶隆房が晴賢と改名した。本来であれば授ける側は下字を与えるのが通例だ。しかし、晴英は上字である『晴』の字を与えている。
これは、兼冬より偏諱を受けた俺と同じように見えて意図は全く異なる。兼冬から最上の礼を尽くされた俺とは違い、陶は晴英を奉じているかに見せて、その実ただの主従関係ではないということを内外へと知らしめているのだ。
暗に、晴英はただの神輿に過ぎないと言っているに等しい。それゆえか、晴英は花押や印に己を出しているのかもしれない。まぁ、どちらにせよ浅はかには変わりなく、愚かさもここに極まれりといったところだ。
ちなみに、俺の花押と印は兼良に倣っている。一条家の花押は皆が条の字を主体としたもので、兼良の代より基本的には変わらない。印は『桃花』と役職の『左近衛少将』を使用する。
だが『桃花』の印には問題がある。
元来、魔除けや子孫繁栄の象徴として神聖視されてきた桃花。と、同時に桃源郷や春の麗らかなる日和としての意味もある。それにもうひとつ、万葉集にある表現として、美しい娘の頬は桃の花が咲いたようだとしている。
しかも、『桃花』では印として短すぎる。
あえて付け加えるならば『柳葉』になるだろう。これも女性の眉が柳葉のように美しいということを表す言葉でもある。しかし『柳葉』を付けてしまえば、単なる女好きになってしまう懼れもあるが、逆に短くすることで様々なことを思い起こさせるとも言えるか。
結局のところ、知人に向けた戯言として『俺は女が大好き!』と言っているだけなのだ。あれだけの著書があっても女好きとは…… 全く、呆れを通り越してグッと親近感が沸いたわ。他に良いものはないし、仕様がない桃花の印章を使用しよう。
一月に六角定頼が、三月には織田信秀が死没した。六角家は義賢が、織田家は信長が家督を継ぐだろう。
これより、時世は激動へと移りゆく。
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いま、俺は薄めのお茶を点てている。
本来であれば、これの三倍は抹茶を入れて点てるのが正しい。
だから当然のこと、色も薄い。
そもそも、お茶は泡を点て過ぎないように半分くらい泡立てた状態が良いとされる。泡はうっすらと残る程度で、深碧の部分が三日月になるようにするのが通だ。
対して、俺のは茶の表面がきめ細かい泡で覆われ若葉色のムース状となっている。隠し味も入れているその味は、まろやかでありながら口当たりも軽くやわらかいのが特徴だ。もちろん、良い茶葉を良い量で良い温度になるように準備している。それが『丁度良い』というものである。
沸騰する湯釜へ水を継ぎ足す作業も、実は抹茶の香気を長く保ち最後の一口まで香らせるための温度調整であり、それが美味さへとつながっていく。
それにお茶を点てるには技量が必要だ。
一口飲めば、相手の手並みがすぐに分かってしまうほど欺きようがない。だが、薄いお茶は用法用量を守って正しく使い、隠し味を入れれば誰でも美味しい茶を点てることが可能なのだ。茶筅の振り方で多少は違うが、細かい泡を点てるように心掛ければ大抵は失敗しない。
「御所様が点てた茶ぁは、頬が落ちんばかりに何とも甘うて、かような茶ぁを服したは初めてにござりますなぁ」
そう言って口縁を拭うと、東向殿が茶器をこちらへ返してきた。まぁ、隠し味に砂糖を入れてあるから甘いのは当然だけどね。
先日、周防を探っていた窪川らが戻った。自害と聞いていた義隆の御子である亀童丸は、どうやら捕らえられ、その折に助命を約束されていたらしい。だが、陶の命で投降した翌日に殺害されたというのが真実のようだ。幼き子に対して何とも惨い。
周防での報せを伝えてからというもの、おさいの方は悲嘆に暮れている。追い討ちが如く、心に影を落とすだけであろうこの事実は報せない方がいい。
それと気がかりなのが、大友晴英が大内家の跡継ぎとして受け入れられたことだ。問田殿と一緒に居る亀鶴丸を当主へ迎えるつもりがないらしい。ということは、正統なる血を受け継いでいる亀鶴丸は邪魔な存在でしかない。
シャカシャカシャカシャカシャカ
次の茶を点てていると、同席していた東の御殿から話しがあった。
「生駒殿が懐妊いたしました」
「ほう、それはもしや?」
「無論、先の兵部卿宮様の御子に決まっておりまする」
もし無事に生まれれば、大内家のためになろう。万万が一、亀鶴丸の身に何かあれば跡継ぎともなりうる。点て終えた茶を召し上がるよう勧めた。
「良き報せは聞くに久しい。喜ばしきは、大内の血を継ぐ者が増えることかと」
「ほんに。それはそうと、ほんに美味しい茶にございますなぁ」
一口飲んだ東の御殿は、うっとりしたように感想を述べるとほんの少しだけ微笑んだ。
『人は幸運ならざれば非常の立身は至難と知るべし。運はすなわち天佑なり、天佑は常に道を正して待つべし』
誰の言葉だったか。
花押か顔を見ればわかりそうだが、失念してしまって思い出せない。斯くも素晴らしき言の葉を残すとは、余ほどの偉人であることは間違いない。
天は自ら助くる者を助くと聞く。
つまり、天佑を享受したいのであれば、怠ることなく努力をし続けろということだ。
義隆の忘れ形見のためにも、石鹸が必要になった。それと同時に、領内へ『生類憐みの令』を発布しようと思う。




