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57.浄水器 【地図あり】

 


1552年 2月(天文二十一年 如月)



 年が明ける前に琉球と呂宋から貿易舟が戻っていた。



 呂宋への貿易は琉球から高山国(たかさんこく)を経由して陸伝いに占城(せんじょう)と呼ばれる地まで行ってきたらしい。帰路では呂宋にも寄り多様な品々を持ち帰ってきた。


 琉球の貿易品は鼈甲(べっこう)・銅銭・象牙・硫黄・櫨・棕櫚などで、占城や呂宋からはシンコン芋・ヤム芋・コルク・沈香・牛・馬や毛皮、苗木などがあった。その中でも珍しいのが毛皮と苗木らしい。



彼方(かなた)の民より、とても質の良い毛皮を手に入れ申した。数は揃えられませなんだが、果ては天竺から流れてきた貴重な品のようにございまする」

「なんと」



 天竺って本当にあるんだな。


 それより、これは…… カシミアだ。

 この独特なヌメリ感、艶やかな表面に触れれば指先が滑っていく。いつまでも撫でていたくなる触り心地。お祖母様にこそ相応しい品だ。


 良き。


 多少、目の粗いところはあるが、素材としては最高だ。

 糸として買い入れて、土佐で織れば最上の物に仕上がるに違いない。大量に欲しい。




 一条家では、日本地図と世界地図の二つを所有している。蔵書である『拾芥抄(しゅうがいしょう)』に行基(ぎょうき)図と呼ばれる日本地図の写しが添付されていた。地図には「日本扶桑(ふそう)国之図」と書かれており、蝦夷(えぞ)は描かれていないが『龍及国』の文言にて琉球が記載されている。


 全体はお団子をくっつけたような見栄えだが、日本列島を(かたど)っているのだとわかる。これを基にして、記憶にある地図に修正しても良いかもしれない。日本全体より各地方ごとに、細かく描かれた地図の方が重要ではあるが。



 貿易をする上で必要な世界地図も同じく『混一疆理(こんいつきょうり)歴代国都之図(れきだいこくとのず)』を基礎として、土佐一条家の者が加筆してきた物がある。


 色々と地名が書き込まれていても、当て字ばかりで読めない。分かるのは、高山国・呂宋・占城・摩利迦・天竺の記載くらいだ。


 続日本紀(しょくにほんぎ)のある記述には、8世紀頃に遣唐使が漂着した場所を崑崙国(こんろんこく)と名づけていたそうだが、その特徴から今日(こんにち)のベトナムじゃないかと思われる。とすれば明国の西方にある占城あたりが相当するだろう。高山国は台湾、呂宋はフィリピン、占城がベトナム、天竺は当然インドにある。



 この時代でこれほどの地図があることに感心する。

 結局、カシミアを手に入れるには天竺まで赴く必要がありそうだが、何とか手に入れる方法はないだろうか?




「こちらの苗木は、その身から甘露のごとき甘い汁を出しまする」

「ほう」



 話を聞く限りでは、苗木はサトウキビのようだが見た目は竹や笹っぽい。砂糖は貿易品として購入していたが、温暖な気候の土佐であれば上手く育てることが出来るかもしれない。


 良き良き。


 それにしても、今回は素晴らしい成果だった。貿易から戻った者たちへ褒美を渡していた折、妙な話を耳にした。


 貿易へと赴いた一行の中に布玄蕃(ぬのげんば)なる者がいた。この者、開運・開拓の守護神である天日鷲神(あめのひわしのかみ)の末裔だと称しているそうな。先祖代々、天佑を受くるがごとく運が良いらしい。


 今回の貿易でも玄葉が占城へ行くことを提案し、そこまでの航海でも首尾よくことが運んでいたため、他の者たちも反対しにくかったようだ。


 本当に末裔かは別としても、おかげで今回の成果に繋がり有難いことだと思う。




挿絵(By みてみん)




 ■■■ 




 日が暮れるのが早くなり、夕刻にはめっきり寒くなっている。これから更に気温が低くなるだろう。


 お祖母様やお母様には肌が触れる面を綿布で拵えた羊毛のマフラーと絹に綿を詰めた縕袍(どてら)を、家臣らには毛皮を首に巻いてから縫い留められたリングベルトで締めるネックウォーマーを作った。ネックウォーマーの良いところはマフラーのように余分な皮を必要としない点だ。




 九曜や宿直をする者たち用の防寒具も作った。


 鍋つかみのような形の手袋で、毛皮を反転させて内側に毛が当たるようにした物と五本指の革手袋。それと、手袋をしたままでもボタンを留められる毛皮のフード付きダッフルコートを。


 ダッフルボタンは基本的に木材を加工した物へ漆を塗ってあるが、高級品として琉球より輸入した象牙や牛・鹿といった動物の牙や角で出来た物もある。


 ニット帽子も作った。

 長尺の手ぬぐいを頭部に巻くのも良いが、羊毛から紡いだ糸で編んだ物は温かい。


 次に面具。

 狐と(からす)天狗の二つだ。

 面を着けて動けば息が苦しいため、口元に呼吸穴が必要になる。通常の面に穴を開けてしまうと防護にならないが、突出している口元の下部であれば機能を失うことなく穴を開けやすい。だから狐と鴉天狗の面となった。



 革製のライダースーツもジャケットとボトムに分けて作ってみたのだが、存外に不評だった。革が硬くて動きの妨げになるらしい。革を柔らかくする改良が必要なようだ。


 露出部分が少なくなるようにと、保温用の双籠手と脚絆に加え、靴も内側に毛皮を張ったから温かいと思う。


 冬場に行う夜間の巡回や警備は寒さが堪える。

 少しでも冷えを和らげ、その上で九曜や家臣らに忠節の気持ちが養われれば理想的だ。




 ■■■ 




 乾燥済みの材木をあるだけ建築資材に回した。

 周防から避難してきた者の協力もあり、日に日に家が建てられている。


 しかし、避難民には不平不満が溜まり治安を乱し始めていた。主に、水争いの争論などによる揉め事が多い。



 船では水を調達するのに、一度陸に上がり川で水を汲まなければならない。淡水化装置を何個か積載しても乗員分は賄えない。普段は気がつかなかったが、生活をする上でも同じことが言える。井戸や沢から水を汲み桶に溜めて、無くなればまた汲んでと結構な労力が必要となる。水場が近くになければ尚更だ。


 そこで、雨水を利用すれば負担を軽減できるのではないだろうかと考えた。まぁ、古来より雨水は利用されているが、効率よく集めて浄化することで飲料水としても利用できるようにしたい。



 まず、家屋に雨どいを取り付ける。

 平安時代の書物には(とい)を作っていたという記載があり、鎌倉時代ころから一部の寺社へ雨どいが付けられ始めた。だが、一般の家屋には全く普及していない。


 軒先(のきさき)垂木(たるき)に少し水平方向に傾斜をつけて『雨どい受け』を和釘で固定し、長竹を二つに割り半円状にした雨どいを受け板の上へと設置する。傾斜によって一番低くなった端には、中の節をくり抜いた円筒の竹を立て付けて、屋根から家屋の土間に置いた桶までの水路を作る。


 桶は人が入れるほどの大きさであり、小石、竹炭、砂、貝殻と消石灰を混合した物の順に下から層を作りその上部には麻布を敷いてろ過装置とする。雨どいから集めた雨水が桶に注がれ、ろ過された水が桶の下部に付けられた管より排出される。



 長雨が続いた際には、桶から水が溢れる前に雨どいからの供給を遮断すれば問題ない。使用しないときは貿易品のコルクや麻を巻いた木片で排出口に蓋をすればいい。コルクの蓋は原材料を重ねて貼り合わせたものを上面が平らな円錐型に貫いて作った。


 使いやすいよう排出口を高い位置にするためには、桶を置く専用の台を設けなければならないが、こうして桶から排出された水は飲めるほどに浄化されている…… はず。



 これらを一つの家屋に三つ常備することができれば、水争いも治まるだろう。水汲みの手間も減る上に旱魃(かんばつ)時の水撒きや飲み水としても有効に活用できるだろう。



 地上に設けられた水を引くための樋は懸樋(かけひ)と呼ばれており、すでに造れる者がいる。外観的にはコの字やV字型の樋を作るのもいいが、竹が製造も加工も楽だし取り替えることを考えればやはり一番だと思う。


 さすがに景観を損なうとうるさい連中が多いから、御所に設置する雨どいは木で造ってもらうけど。造るのは、やはり例の番匠に主導してもらうことになる。あの者であれば言いやすくて気が楽だ。




 兼定に過ぎたるものが二つあり。

 土居宗珊に土佐の名匠。


 

 

 

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