55.緋連雀
1551年 11月(天文二十年 霜月)
庭の宿り木で、二匹の連雀が羽を休めている。
その冠羽は尖り、体は頭から尾に進むにつれ柑子から紫がかった淡褐色、そして薄墨へと至る階調をしている。羽と尾の縁に緋を色取った個体が多いが、時おり鮮黄色をしたものも。鷹のような凛々しい顔つきで、体躯は滑らかな曲線を描きその毛並みは艶やかである。
冬になるとやってくる、あの鳥が好きだ。
「ヒーヒー」という犬の甘えにも似た鳴き声が政所まで聞こえてくる。ともすれば、あの二匹は番なのかもしれないなどと想見すると、何とも楽しそうに囀っているように思えて心が和む。
「差し出がましいことながら…… 」
今は、周防のことで話し合っていた。
あまり良い話が出ることもなかったため、鳥にうつつを抜かしていた。見れば、仁井田五人衆の窪川宣澄と一条殿衆の押川内蔵助が揃って進み出た。
宗珊が話を促す。
「申してみよ」
「そのお役目、我らが承りたく存じまする」
「尋常ならざる仕儀に立ち至っておるやもしれぬぞ?」
「心得ておりまする」
周防へ物見を出すことになり、それに二人が名乗り出たところだった。
「…… しからば、人買いとして赴くのがよかろう」
「ふむ、いろは殿も同道して頂ければ尚のこと宜しいかと」
宗珊が商人に装うことを思い付き、康政も付け足した。
ここで言う『いろは殿』とは小松谷寺覚桜のことだ。
覚桜は謎が多い人物で、出自を明らかとしていないが公家の出らしい。和歌を得手としており、指定すれば『いろは四十七音』どれでも詠むことが出来るらしく、皆から『いろは殿』と呼ばれている。聞くところによれば、康政と血のつながりもあるようだ。
勝手な憶測だが、下向してきた公家が侍女に手を付け覚桜を産ませたのではなかろうか。その侍女が源家と縁者であったならば合点がいく。
「唐船を用意せねばの。銭は一千貫文あらば足りるであろうか?」
「万千代様、此度は大内を探らねばなりませぬゆえ、身請けに手間をかけられませぬ。見る者全てを買うことなど叶いませぬぞ?」
それはそうか、失言だった。
俺の提案は宗珊に一蹴されてしまう。
「…… さようか。ならば、有職の者と大内所縁の者で能う限りは引き取って給れ」
「「承知仕りました」」
「あ、待っ 「万千代様! いかがなされた?」」
二人が返答した後に「やはり、その他の者も」と言いかけたが、眉根を寄せた宗珊に言葉を遮られた。今一度考えれば、周防へ行く者たちの身を危うくしては元も子もないことだと分かる。
「い、いや、無事に戻って給れ」
「はっ、必ずや。今宵は上弦の月にござりますれば、あの月が三度朔を迎えるまでには戻る所存」
「能う限りの者を連れて参りますゆえ、万千代様に於かれましては心安らかにお過ごしあそばされますよう」
窪川に続き、覚桜がこちらの言いたいことを汲んで答えてくれた。人の機微に聡い、さすが公家の家柄だ。
「しからば、我らは暫時ご無礼仕りまする」
そう言い残し、窪川・押川・小松谷寺の三人は席を発っていった。
「天晴れなやつらよ。戻らば存分に褒美をもって遣わせ」
「はっ」
忘れないうちに、市正に伝えておく。
そういえば、はっきりと半濁音で発する特殊な言葉に『天晴れ』があったわ。『特殊』というのは半濁音の前に促音が入る言葉だ。
木っ端・透っ波・乱っ波など、よくよく考えれば意外とある。透っ波・乱っ波は忍びの別名だが、一条家では普通に忍びと言うし、使役している武家だけで呼ばれているのかもしれない。
半濁音の他にもこの時代特有の『わ行』のゐとゑがあり、結構な頻度で使用する。
ゐはウィ、ゑはウェの発音に似ている。
例えばバーで注文するときにでも使うといい。
男)ヘイ、ゑいたー
ゑ)ゐ、ムッシュー
男)あちらのマドモアゼルに、これと同じ物を
ゑ)ゐ
ゑ)マドモアゼル、あちらのムッシューよりこちらをお渡しするようにと
女)これは?
ゑ)木彫りのゑびす様でございます
また、埒もないことを考えてしまった。
『まるで成長していない…… 』
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今から大内の者たちへ、聞き及んだことを伝えに行かなければならない。と、思えば自然と足取りは重くなってしまう。
しかし、いつまでも伝えない訳にもいかず、意を決して御殿の座敷へ向かった。
「伝え聞くところによりますれば、兵部卿宮様はご自害あそばされたようにございます。その折、珠光姫と亀童丸殿も同じくご自害とのこと」
その報せを聞いた者からは押しつぶされたような悲鳴が聞こえた。先のことを憂いたのか、すすり泣く者やさめざめと泣き袖を濡らす者がいる中、真如院だけは気丈にしていた。
「さようで…… 覚悟は致しておりました」
「妾たちはいかがなりましょうや?」
顔が土気色に変わった生駒殿が問うてきた。
「ご案じ召されるな。ご領内が落ち着くまでの間は、この御所に居られませ。大内の血が絶えたわけでは御座りませぬ故、いずれお戻りあそばされるときが訪れましょう。問田殿と亀鶴丸殿がご無事であらば跡を継ぐことにもなりますゆえ、それまでのご辛抱でありますれば」
本当はその二人も危ういかもしれないが。
これ以上、心労を重ねさせることもない。
何を言っても哀しみは増すばかりで癒えないだろうし。
悲しむ姿を見ると、鬱々としてしまう。
もう一度、時間が巻き戻ればもっと上手くやれた筈なのにと悔いる。しかし、それは叶わぬ夢であり、ただただ時は過ぎゆくのみ。
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浜辺での小競り合いから戻った折、房通に上機嫌で出迎えられた。どうやら周防に下向していた公家連中を救えたことが、存外お気に召したらしい。
それと同時に義兄である兼冬から文が届いたようだ。
房通に事の顛末を報告すれば快く許され、文をこちらに差し出しながら口を開いた。
「明くる月に、そこもとは兼冬の一字を拝し兼定と名乗るが良かろう」
分かってはいたのだが、やはり俺は一条兼定で間違いないようだ。
それにしても、これはどういうことだろうか?
鎌倉時代から室町時代の初め頃までは偏諱を下字につけることもあったようだが、すでに戦国時代ともなれば偏諱の儀礼が固まっており、授ける側は下字を与えるのが通例となっている。
授かった側は授与する者に対して憚られるため上字になるのが常識だ。これ以外の形はほとんど無いと言っていい。代々の通字がある家は、主君もしくは時の将軍などから偏諱を賜った者がほとんどだろう。その様な場合には高位の者が新たな一字を授ける他は変わることがない。
土佐一条家でも初代様である教房の『房』を通字として、房家・房冬・房基と諱をつけてきたように通字も下字につけることはない。主君の諱と同じ文字を使っていれば改名するほど、大事とされている。
しかし、今回の偏諱では兼冬の上字を頂いた。
これは下心なく、最上の礼を尽くされたと言える。
できれば兼定以外が良かったが、いずれ『関白になる傑物』と都で評判の男にここまでされては断れるものではない。
「一字拝領するは有難いことなれど、上字を賜るは恐れ多きことかと」
「良い。あれが奥の姉らはな、そこもとが助けた東の御殿なのだ。胎違いの姉とはいえ、それは仲睦まじく幾度となしに文を交わしておった。兼冬もそこもとに、感謝の意を示したのよ」
直衣の袖を直しつつ、次なる言葉を紡ぐ。
「一字を拝すのであらば、土佐一条家の通字である『房』をつけること能わぬ。されど、『兼』の一字は始祖であられる『九条兼実様』や高祖である『兼良様』に肖るもの。これも、そこもとに嘱して授けるのだ」
兼は『かねる、あわせもつ』、定は『さだまる、きまり』の意味を持つ。字の成り立ちも縁起が良く、諱に使用される文字としては両方とも頻度が高い。
一字拝領をすれば房通はもちろんのこと次期当主である兼冬の後ろ楯も得られるということ。それは、今後相当な強みとなっていくだろう。単に史実の印象が悪いのであって、その実『兼定』という諱を受けることは土佐一条家へかなりの好影響をもたらしてくれるはずだ。
であれば、受けるより他はない。
「謹んでお受けいたしまする」




