54.籾摺り機 【図解あり】
1551年 10月(天文二十年 神無月)
浜辺で争った後、民を連れ土佐まで戻ってきた。
囲まれていた民衆は、大内館があった城下町から逃れてきた南北合わせて百人ばかりの者たちだった。
海に浮かんでいた舟には村上水軍の者も混じっていたらしい。約定を守り民百姓を瀬戸際まで逃がしていた為に、巻き込まれたようだ。
義には応えねばならない。
通行料はいつも私鋳銭を出していたし、前金として渡した銭もそうだった。だが、後金の三百貫文は宋銭にて支払うことにする。加えて、舟の材料となる良質の木材を卸す起請文を以って、奉謝の意を示すと共に今回の顛末を伝える使いの者を出そう。
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何かある度に思う。
この時代の人は凄い。
いや、いくさ場で一条兵の強さが際立っていた。
一条方が携えるは強弓、引くは精兵。
弓を軽んじていたが、火縄銃と比しても速射であれば引けを取らないかもしれない。
火縄銃は直線の弾道だが、弓は直線だけじゃなく上からも射掛けられる。当たり前のことなのだが、目の当たりにして思いを改めさせられた。
あとは射程の問題と雨に弱いことくらいか。
弓のつなぎに使われている膠も雨に弱いが、漆や油を塗ることで対策できる。もしかすると火縄銃が必要なのは確かだが、それほど重要ではないのかもしれない。
戦の後で宗珊を称賛したところ、実はかなりの勝算があったらしい。船上は砦と同じように木楯や竹把で守られている上、弓も豊富に備えてあった。
対して敵方は空穂に入れた矢だけであり、それも民へ射掛けた分その数を減らしていた。こちらより兵の数は多かったが、戦に不慣れな兵が大半で楯も弓も少なかった。
それに加えて、宗珊は一条流軍学を学んでいた。
そもそも、陣立は武経七書である『孫子兵法・呉子・尉繚子・六韜・三略・司馬法・李衛公問対』や諸葛孔明の『軍勝図』、平安時代末期に書き綴られた日本最古の兵法書である『闘戦経』などで学ぶことができる。
だが、一条家にも兼良の著書である『鴉鷺合戦物語』という三巻からなる御伽草子が受け継がれてきた。
これは鳥が擬人化している軍記物で、カラスとサギ両家の争いが、鳥類全体を巻き込む一大合戦へと発展する物語である。よく『精進魚類物語』と並び評される作品だ。
そして、この御伽草子には特筆すべき点として八陣についての記載がある。李善の八陣について書かれた注釈を読み解くと『魚鱗・鶴翼・長蛇・彎月・雁行・鋒矢・衡軛・方円』という現代に伝わっているものに似た陣形について説明していることが分かる。
合戦において一部隊がこれら八陣の形を作り、その部隊を組み合わせることで陣形として意味を成す。それに対し、諸葛孔明の八陣は、天地十数に従った九数図や十数図が如く、幾通りもの形が作られている。陣形が千変万化と言われる所以だ。
孔明の八陣に、孫子の九天・九地・結営向背と合わせることで軍の陣立とし、さらに李善や張良の八陣を織り交ぜ日本の地形に合わせて作り変えたものこそが、お父様の残された一条流軍学なのだ。
九曜の家紋である角九曜は洛書の魔方陣に見立てていると共に、九宮八卦の陣形でもある。もし、そこから二つの部隊を欠けば六花の陣となり、三つ欠けば陰陽五行の相生相克を表す五行の陣、四つ欠けば河図の陣となる。なぜ古より、河図洛書の天地十数や軍の陣立を現すことができる囲碁が芸事に含まれているのかよく分かる。
軍鼓で鳴らされた三三七拍子を聞いて、この時代でも21世紀と同じものがあるのだと気づかされた。
川の流れや吹く風、草木の色の移ろいも絶えることなく繰り返されていく。
夜空には、三つ星と呼ばれているオリオン座が見える。
星の瞬きも、この先絶えることはないだろう。
この世の全ては諸行無常であり変わらぬものなどない。
されど、子々孫々へと受け継がれていくものもある。
合戦を終えた今、初めてこの時代で生きる覚悟が出来たような気がした。
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これまで、完成するのに時間がかかる物は圧搾機の他は手をつけてこなかった。
だから失敗しても大きな負担となることなかったが、これから作ろうとしている農機具は試行錯誤を繰り返すことになりそうだ。とりあえず、記憶を辿って構造を書き起こしてみた。
造る物は、籾すり機だ。
21世紀で祖父が籾摺り機を買った時は、製造メーカーの人が脱稃の違いを資料で説明してくれた。
脱稃には、ロール式と衝撃式がある。
ロール式は、回転速度の異なる二つのゴム製ロール間を籾が通り抜ける際に、ゴムの摩擦とロールの回転運動によって籾殻が剥かれる。玄米に対して負担が少なくて良いが、ゴムの摩擦係数と弾性があって初めて成立する構造である上に、籾の水分量が多いと上手くいかないらしい。水分測定器で検定できるのであれば全く問題にはならないことではあるが。
残るは、衝撃式となる。
籾を木板に当て、その衝撃で籾殻を取り除く。
籾は二枚の籾殻が合わさって出来ており、柔らかい素材の板表面を粗く削った木に当てる衝撃で殻を開き中から玄米が飛び出す。ただ、一度の脱皮作業で全てを玄米に仕上げようとすると胴割米や砕け米が多く発生し保管時に劣化することになってしまうので、衝撃を調整したりするのに少し苦労するかもしれない。
籾摺りを行った後は玄米と籾を選別し籾殻の除去を行う。
籾は再び籾摺り機にかけるのを繰り返すことで玄米となる。
選別作業では、乾田化の農具として作らせてあった揺り板と竹製のふるいを使用する。揺り板は四隅を家屋の梁にかけた紐で吊るしており、揺するのにそれほど力を必要としない。板には多くの窪みや溝が彫られ、緩やかな勾配が水平方向と前後方向に対してつけられている。
板を水平方向に揺すると比重や摩擦係数・粒径の差から徐々に玄米は沈んでいき籾は浮き上がる。更に続けていくとそれぞれの層ができ、浮き上がった籾は前後方向の傾斜の低い側へと集ってくる仕組みだ。
玄米と籾と混在部の層に揺り分けられた後、玄米は藁で編まれた米俵へ、籾は籾摺り機へ、混在部はそのままに籾摺りが済んでいる米を追加して同じように選別を行う。この方法であれば道具を作るにも作業をするにも易しい。各村へ支給した後すぐ使うことができるのも利点だ。
選別作業には万石通しも考えられるが、網目の大きさやふるいの傾斜角度の調整がかなり難しいだろう。
今は乾田化によって玄米の粒径が大きくなっており、気候や温度によっても変動が大きいため一律で大きさの目安が決められない。であれば、様々な大きさの網目を用意しなければならないし、傾斜の調整も細分化することになる。
ただ、ふるいにかける前の段階で粒経の大きさを選別すれば機能するかもしれないが、その選別作業をするくらいなら揺り板で少量づつ選別した方が断然早くて正確だし、目で見える異物や劣化した玄米を除去することもできる。
その選別作業を唐箕で行うことが可能ではあるものの、唐箕も人の力加減によってムラがあるし完璧に選別できる訳ではない。繰り返し唐箕にかけても小石などの異物は除去はできないため、最後には人の目で確認して選別を行わなければならない。
それに、唐箕と万石通しは両方揃って初めて効果があり、どちらか一方では半分以下の作業効率でしかない。両方を作ったとしても、それらの調整や保全と作業する人材の育成を慮ると確立するまでには十年の時を費やすことになるだろう。
それよりも収穫ごとに変わる籾の状態にも対応できる揺り板と竹製のふるいで作業した方が余程いい。
唐箕と万石通しは構造も複雑ではないので模造品くらいは作れそうだが、今は必要としていない。いつか作るとしても太平楽を並べられるくらい平和になってからと思っている。




