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53.弓 【図解あり】

三人称視点で書き直させて頂くかもしれません。

 


1551年 9月11日(天文二十年 長月)



 岬を抜け岐波(きわ)村を過ぎた辺り。

 そこには異様な光景が広がっていた。


 波間を揺蕩(たゆた)う舟は四、五人を乗せているが、その影に動く素振りはない。

 とくと見れば、背には幾本もの矢が突き立っている。


 舟に横たわる者は様々で、民百姓の格好をした男女から高価と見られる柄の着物を召した女、公家と思しき直衣姿の者もいた。中には煤で黒くなった遺体の焼け跡が燻っているような舟まである。


 それらの舟が、見えるだけでも二十はあろうかというほどに浮かんでいた。



「なんと惨いことを…… 。(はん)した兵らの仕業であろうか?」

「この累々たる(かばね)は荒ぶった兵らの所業やもしれませぬが…… 察するに、乱暴取りをするでも無くこれだけの者を弄り殺す手口は将に命ぜられて行っているものかと」

「さであらば、もはや狂気の沙汰じゃ」


 その光景を目の当たりにした呟きに加久見が応え、眉をしかめている東小路も次いで言い捨てた。


 それらの惨状を横目に浜辺へと船を進めると、そこには百人近い民衆を十重二十重(とえはたえ)にとり囲む将兵らの姿が。波打ち際では、舟へ乗り泣き喚く者も見える。



「敵方はざっと六百は()るかと」

「皆に備えさせよ」

「お待ち下され! 某が見るに、もはや手遅れにござりましょう。事ここに至っては我らにはいかんともし難く」

「見捨てよと申すか?」

「如何にも」

「されど…… 」

「退け時を見誤らば、我らは悉く討ち取られましょうぞ」


 確かに、お父様の書でも『己の高名を焦り、家臣を死なせるは大将の器では無い』と書かれていた。どうするべきか考え込んでいる間に、東小路が法螺貝を鳴らす指示を出していた。撤退の合図である。



 フ゛オッフ゛オォォォ、フ゛オッフ゛オォォォオオ



 法螺貝が鳴った直後に、奇妙な音を発しながら鏑矢が上がった。



 ウ゛エェェェェェェェェェェェッ



「今の鏑矢は何ぞ?」

「敵方へと向かう合図にございまする。恐らく、小早に乗っている者たちでありましょう」

「何故?」

「敵を前にひと当たりもせずに退かば、いかが相成りましょうや? 」

「…… いかがなる?」

是即(これすなわ)ち、一条家の恥となり申す。ゆえに、あの者らが敵陣へと一矢を報いるのでございまする」



 加久見が答えてくれたが、少数だけで行かせれば討ち死にするだけだ。



「であらば、己の保身に走っては万民の誹りを受け、末代までの恥を晒すであろうの。…… それでは大将の器とは言えぬ」

「さに有らず、さに有らず!」

「戦場においては家臣が何よりも大切じゃ。退()くも進むも大将は共にあらねばならぬ」

「されど! 危のうございまする。万一のことあらば、いかが致しましょうや」



 東小路の意見も一理ある。

 しかし…… 。



「お父様は『義を重んじ、義によって戦う』ことを旨としておった。民百姓を見捨てることはできぬ」

「さりとて、お味方二百に対し敵軍勢は六百はおり申す。ご無念にはござりましょうが、御大将(おんたいしょう)はお命を永らえることが何よりも肝要かと心得まする」



 それはそうだが。

 ふと見れば、宗珊は黙って敵勢を眺めるだけで何も言っていない。

 宗珊も同じ考えなのだろうか。



「近江守、敵勢をいかが見る?」

「しからば、敵方の兜をご覧になられませ。…… 次いで我らの兜をば。何ぞ気づかれまするか?」

「古めかしいの。あやつらは新たな具足で揃えておるのか」



 もしかして、一条家の将は兜も買えぬほど貧しているとか。

 だとすれば、忠を尽くしてもらいたくば恩賞を与えよと言っているのか?



「さよう。なればこそ、あの者共と一戦を交えようと打ち勝つに相違ありますまい」



 ちょっと何言ってるか分からないんですけど。



「…… 何故に?」

「されば、将というものは新たな装いの兜は着けませぬ。已む無く着けるのであらば、兜を汚さねば敵に侮られますからな。光る兜を着けたるは合戦に不慣れな者の証であり、汚れておらぬ兜は売るに都合が良い。詰まるところ、与し易い者が銭になる具足を着けておれば敵兵は群がるのが道理」

「ほ、ほう」



 そんな事、誰も教えてくれなかった。

 出陣前に知っていれば、泥で汚したのに。

 俺は兜どころか身に付けている物すべてが新調されてピッカピカなんですけど。



「しかるに、あのような戦を知らぬ者共では我らにとっては取るに足らぬ相手かと存知まする。加えて、楯を持ちたる兵は五十とおりませぬ故、崩すこと容易にござりましょう」



 言うのが宗珊だと驕っているようには見えないな。一条の将兵はそれほどに強いのだろうか?



「待たれよ。近江守殿は万千代様を戦場に召し出すおつもりか?」

「万千代様の御下知とあらば」



 と、東小路が宗珊に不服を申し立てている。

 これ以上、逡巡している(いとま)はない。

 宗珊が大丈夫というのであれば、それを信じよう。



「埒もない、道義に反しては示しがつかぬ」

「お待ち下され! 何卒、ご短慮無きよう」

「もう良い、心して聞け。斯くなる上は、あの者らだけでも助けねばならん! 近江守に命ず、民を逃がすがため敵勢を退けよ」

「はっ。万難を配し、何としてでも助けまする」



 憂いている東小路には悪いが、あとは宗珊に任せることにした。




 ■■■ 




 ドドドン、ドドドン、ドドドドドドドン

 ドドドン、ドドドン、ドドドドドドドン



 宗珊が小早へ使い番を送り、寄せ太鼓を鳴らさせる。三・三・七拍子だった。

 この時代でも変わらぬ律動に、懐かしさとも切なさとも言える思いが胸中に拡がっていく。

 合戦を前に少し緊張が和らいだ心地がする。



 ポォーーーーーーーーーーッ



 小早から汽笛に似た音を発する鏑矢が上がった。

 承知を示す合図である。


 それを聞き届け、今度は戦の開始を告げる甲高い音の鏑矢が飛ぶ。

 関船と安宅船に続き小早五艇は、風上である敵左翼側へと進む。敵勢も地の利を与えないため、互いが同条件になる風上へ移動した。その間に民衆は船の進路とは逆側へと逃れていった。




 民が逃げたことを確認し、矢合わせと言われる弓矢での応酬から戦が始まる。


 (つる)が鳴き、矢が叫ぶ。


 敵方より放たれた矢が『バキッ、バキッ』と束にした竹を割る音が幾度となく聞こえてくる。

 帖楯(たたみたて)竹把(たけたば)に矢が突き刺さるが、こちらも応戦し矢を放っていた。しばらくすると、敵方からの矢が散発的になってくる。矢が尽き始めたのか、もしくは残り少ないために無駄射ちを避けているのか。



「早射ち、構えい!」



 宗珊が差矢懸かりを止めさせ、早射ちを指示すると軍鼓が響く。兵らは甲矢(はや)乙矢(おとや)を合わせた一手を持ち、弓を引く。



「放て!」



 続く合図にて一斉に弦を弾くと『ヒュン』と風を切り、旋転しながら飛んだ矢が敵兵に降りかかっていく。しかし、矢に射られる兵は思ったよりも多くはない。楯を持たない兵らは槍や刀で迫る矢を切り落としているためだ。


 だが、宗珊も次なる手を打った。



鉤懸(かぎがか)り、構えい!!」



 ドンドオォォォン、ドンドオォォォン

 カンカーン、カンカーン


 宗珊がひと声発すると、少し間延びした軍鼓が鳴った後に鐘の音が響いた。楯を押さえていた兵は楯同士を連結している金具を外していく。



「一の矢、放て!」



 甲矢を放った後、直ぐに乙矢を番えると同時に楯兵は弓の軌道にある楯を倒していく。

 と、間を置かず宗珊が叫ぶ。



「二の矢、放て!」



 一の矢はやや上へ向け弧を描く軌道で放たれ、すぐさま二の矢を敵兵に向け真っ直ぐ射抜く。

 矢が敵兵へ届き、次の矢が突き刺さる。

 敵方にしてみれば、瞬刻ほどの時間差であろう。

 木楯で上からの矢を受けた兵は二の矢で倒れていく。



 風が止み、垂れ下がった吹流しを確認した入交(いりまじり)助六左衛門(すけろくざえもん)が、風向きが変わることを皆に伝える。直後に、安宅船から(くど)で焚かれた狼煙が上がった。


 すると、迂回していた寡兵の四十名余りが一陣の風と共に現れ、舟に気を取られていた敵右翼へと横矢を射掛け始めた。どうやら、矢合わせが始まる前に宗珊が分進合撃での奇襲を指示していたらしい。


 横合いからの奇襲に対応できず敵陣が乱れる。

 この機を逃すまいと、宗珊は攻める手を休めない。



「黒雨射ち、構えい!」



 軍鼓の音で即座に兵らが弓手(ゆんで)馬手(めて)それぞれに二本づつ矢を持った。

 宗珊の合図で太鼓が鳴り、一斉に矢が放たれていく。


 繰り返されること、四度。


 これだけ揃って矢が降ると、敵勢は空が黒くなったように感じるかもしれない。楯を有していない兵らは全てを切り落すこと叶わず、その身に矢が突き立っていく。



『退くな! 退かば斬り伏せる!!』



 どよめく戦場の中、敵勢から怒声が聞こえてくる。

 だが、次第に逃げだす兵が出始め、やがて裏崩れを起こした。


 ひと度崩れたが最後。兵らは我先にと逃げだし始め、瞬く間に百に届かぬ兵を残すのみとなっていた。その中には周防で見かけた陶の姿が。



「ぐぎぃぃぃ…… お゛の゛れ゛ぇぇぇ! 許さぬ、許さぬ、許さぬ!!」



 『フゥーッ、フゥーッ』と聞こえて来そうなほど鼻息荒く、鬼の形相で()めつけながらこちらに向け矢を射掛けている。俺に気が付くと、急にがなり立てた。



「覚えておれぇ!! いづれ必ずや、うぬの息の根を止めてくれるわ!」



 最後に大声を張り上げ、降りそそぐ矢を切り払いながら退いていった。退却した敵勢を確かめた後、残された手負いの兵で死を望む者へ止めを刺し、生きることを望む者には当座の手当てを施すと武具を打ち捨て帰っていく。



 敵勢は崩れた際に、積まれていた藁束へ火を点け逃げていた。その光景が、どこか現実感がなく戦場となった浜辺を呆然と眺めることしかできなかった。



 煙焔(えんえん)天に(みなぎ)り、雑兵が横たわる砂は朱に染められていく。




 ■■■ 




 喧騒が止み浜辺の無事が確かめられた後に、主だった将を集めた。



「生き残うた者より聞き出しましたる所、兵部卿宮様は御子のお方々と共に御自害あそばされたようにございまする」

「相違ないか?」

「その者は亡骸も目にしたとのこと。偽りを申しているようには見えませなんだ」



 一条殿衆の片岡が聞きだしてくれたらしい。

 僅かな可能性に賭けたが、助けられなかったか。



「敵勢を追い払うたのは一時のこと。ここは引くべきかと」

「次は倍の数にて押し込むつもりにござりましょう。有り体に申さば、矢も少のうなっておる今は一条に勝ち目はございませぬぞ」

「致し方なし。民らを船へ乗せ退くべきであろうの」



 宗珊と東小路の進言に他の者たちも賛同したため、直ちに退くこととなった。

 矢を拾っていた兵らも舟へと急がせる。



 あっという間だった。


 豊後で熊に襲われた経験からか、それほど狼狽することもなかった。その一方で、退けるよう指示したことで多くの命を奪ってしまった結果に、罪悪感を強く感じていないことに気がついた。


 それは自分で采を振るわなかったからなのか、民衆を逃がすという名分があったからなのか。それとも、その両方か。

 


 いずれにせよ、矢が尽きる前に何とか敵方を退かせることが出来たが、少なからず一条方に傷を負った者が出たことには気が咎めている。




挿絵(By みてみん)

 

  


陶家がお好きな方には申し訳ありません。小説の都合上、敵役かたきやくにさせて頂いております。

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