50.化身
兵部卿宮様 = 大内義隆の官職名です。
1551年 9月(天文二十年 長月)
八重乃から事情を聞いた翌日。
西小路家のことを、御年六十七という石見寺の和尚さまに相談してみた。
「そうさなぁ、人が生まれ出ずることに罪などありはせぬのだがのう。『己の都合で忌み嫌う』 それこそが人の業というものよなぁ」
「なんとかなりませぬか?」
「ふむ、困ったのう。…… どうしたものか」
頭を撫で、暫らくの間考え込んでいた和尚さまが、はたとひざを打った。
「吉祥天さまの化身ということにしては如何であろう?」
「吉祥天さま?」
聞き返すと、和尚さまが頷きながら教えてくれる。
「左様、五穀豊穣の神であらせられる。それにな吉祥天さまには妹御がおられての、御名を黒闇天さまというて、信ずる者の危害を除け夜の安らぎを授けて下さるのじゃ」
「ほう。五穀豊穣の神と厄払いの神とは幸先の良いことではあるの」
「左様、左様。聞き及びましたるところ一条家の御領内では次の田は実り豊かになると噂でありますな。もし、それが誠になったのならば真実味も湧こうというものかと」
「うむ、道理でありますな」
目が合うと、にっこりと微笑む。
「吉祥天さまは美玉とも言われておるし、見目麗しき八重乃様には相応しかろう。婿を迎えたならば毘沙門天さまということにすれば尚のこと良し」
吉祥天の夫と言われているのが毘沙門天らしい。
毘沙門天の化身というと坂上田村麻呂か上杉謙信しか思い浮かばないが、生存している彼の軍神を夫にするのはハードルが高すぎる。もし神の化身が三人揃うのならば、いっそのこと七人まで増やして七福神としてしまおうか。
新嘗祭や慶事で催されている五節舞は吉祥天が袖を振った仕草を舞としたものであり、宮中の行事とも浅からぬ関わりがあるとも言える。そういう意味でも吉祥天の化身というのは都合がいい。
ただ、詳しく聞けば黒闇天は俗に言う貧乏神のことだったのが問題だ。
もし八千代がそれを承知してくれたとしても、本心では腹を立てたりしないだろうか?
悩みどころではあるが、日本の昔のはなしで貧乏神のお告げに従った者が長者となった的な話があったような気もする。であれば、捉え方次第でどうとでもなるのかもしれない。
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毎年、大の月か小の月に集うことが決められ、今年は小の月である九月の月初めに家中の者が一同に会することとなっていた。
豊後から戻り二日目の朝、俺に同行していた者たちは自領には戻らずにそのまま政所に集っている。
外を見れば黒く分厚い雲に覆われたあいにくの天気で昼間だというのに薄暗い。すぐにも雨が降りそうな気配である。
まずは外交の報告からしよう。
結果は良好であり、これまでと変わらぬ付き合いをとなったことを伝えていた矢先のことだ。家臣の一人が旅装のまま政所へと報せを持ってきた。
「火急の報せに御座ります!」
「申せ」
宗珊が先を告げるよう促す。
「はっ。八月の末に陶尾張守殿は杉豊前守護代殿をはじめ内藤下野守殿らと共に謀反。大内氏館に攻め入るべく歩を進めている由に御座います」
「なんとっ!」
宗珊を含め、その場にいた皆がどよめいた。
外交の話が終わった後には、大内家の相談をしようとしていたのに。義鎮の手紙に油断していたわけではないが、こんなに早く兵を挙げるとは思っていなかった。
「兵部卿宮様はご無事か?」
「急ぎ駆けつけた故、仔細は分かりかねる次第。申し訳御座いませぬ」
「左様か…… 」
思わず聞いてしまったが、第一報で詳細が分からないのは当然か。
この後の対応を考え込んでいると、見かねた宗珊が報せを告げた家臣へ労いの言葉を口にした。
「ご苦労であったな。下がって休むが良い」
その言葉にはっとし、慌てて俺も労いの言葉をかける。せっかく急いでくれたというのに、危うく礼を言い忘れるところだった。
「ご苦労であったの」
ここは房通に頼むしかない。
「お義父様、どうか大内を助けるための兵を出すことお許し頂きたく、お頼申します」
「ならぬ。一条には関係なきこと」
「然れど、大内には『これよりも変わらぬ付き合いを』と言われておるのです。ここで助けねば義に背くが如き行いでは御座りませぬか?」
「ならぬ! 兵を出すなど断じてならん!」
頑なに拒む理由が何かあるのだろうか?
「兵を出しはすれど争うためではありませぬ。すでに村上水軍とも大内の者を運ぶよう約を結んでおりますれば、逃げる者達を助けるべく手を貸すだけに御座います」
「ならぬと言うておろうが!」
「然れど!」
「くどくどと申すな! 瑣末なことなど捨ておけばよかろう!」
ダメだ。房通に聞いても埒が明くことはなさそうだ。
これなら、家臣たちへ直に訴えかけたほうが早い。
「皆に問う。麿と共に大内に助力しても良いと思う者はおらぬか?」
俺の問いに対し、ざわざわと座の隣り合った者同士で話しているが応える様子がない。
やはり、形だけの当主ではダメなのだろうか。
「見やれ、皆も分こうておるのだ。一条が関わるべき事ではないとな。この話は仕舞いじゃ」
そう言うと、直衣の袖をばさっと直した。
その時、不意に声をあげる者がいた。
「恐れながら、某は万千代様の御下知に従いまする」
声の主を見れば、熊に襲われた折に鏑矢を放ってくれた一条殿衆の佐竹だった。
「某もお供致しまする」
「某も」「某も」
それに続くかのように、多くの者が名乗り出てくれた。そのほとんどは、外交の旅路を共にした者たちであった。
「汝等ぁぁあ! 何を言うておるか!!」
ダァンッ!!
バシャララァァァ
房通は手に持っていた檜扇を床に向けて強く投げつけた。その拍子に扇を纏っていた糸が途中で千切れ力なく傍らへと落ち、要は外れ檜の薄板が四散する。
「この痴れ者どもが! 然程に言うのであらば勝手にせい!!」
怒りを露わにして、この場から去っていった。
やばいな、かなりご立腹だった。せめて皆に害が及ばないようにしなければな。
一条家は合議制である。
一条家では家臣の力が大きく、物事の多くは合議により決められてきた。
しかし、ひとつだけ一条家の棟梁が強制権を発動できることがある。
ほとんどの場合は、合議により決まった内容を実施する誓いを立てる時に使われているが、一度棟梁が宣言した後には一切の反論は許されず家臣等は必ず従わねばならない。従わぬ者は討ち捨てられても文句は言えないという厳格な掟だ。
それが、甲斐武田家と同じ「御玉、御旗、御照覧あれ」の宣言だ。
武家故実にも武田家での文言が記載されている。
たぶん武家である武田の慣わしを真似たのだろう。
誓う対象は一条家に相伝される家宝。
戦の折には、帝から下賜された『勾玉』と土佐一条家の始祖である教房の代より受け継がれてきた『御旗』に必勝を誓い出陣する。常であれば蔵の中で一際立派な台座の上に備えられているそれらは、有事に当たっては誓いの為に上座に飾られるのだ。
ただ、ある時より勾玉に代わり『坂上宝剣』が誓いの言葉とされたようだ。それからは私利私欲ではなく全ては民百姓の引いては帝の御為であり、賜った御剣に恥じぬ行いをするという決意も誓いに含まれるようになった。
「御剣、御旗、御照覧あれ」
「「「御照覧あれ」」」
大内家への助力を誓ったと同時に稲光が走った。
その刹那、耳をつんざくような大きな雷鳴が轟く。
ト゛オォォン!!!
ゴロゴロゴロ……
屋敷に落ちたのではないかという程の音だった。
皆が頭を下げつつ天井や庭の様子を伺っており、まだ雷鳴の余韻が残る耳にいつの間にか降り出していた雨のざあざあという音が聞こえてきた。
キィンッ
雨音だけがこだましていた部屋に、突如として澄んだ金属音が響く。
振り返り音の出所を探れば、剣が鞘から抜け出て刀身が薄く光を反射していた。
何…… これ、怖っ。
待て待て、心配ない、大丈夫。絶対に霊的な現象じゃないって。
たぶん今の雷鳴によって空気がかなり振動していたんだ。
きっとそう。
それに加えて剣を置いた棚が斜めになっていて抜けやすかったとかだろう。
ただ、それだけのこと。
心配ご無用。
落ち着いたところで、少し深めに息を吐いた。
プフゥゥ。
「御剣が…… 」「斯様なことは初めてであろう 」
「自ずと抜け出たんか?」「凶事の前触れではあるまいか?」
不味い。
皆が不安を抱きざわつき始めた。
すると、おもむろに有尚が立ち上がり声を上げた。
「落ち着かれよ。古来よりこの御剣は雷により自ら鞘を脱ぐと言い伝えられてきておる。これは我らに御剣が霊威を示されたのだ!」
「「おおぉっ」」「御剣が!」「良き兆しであったか!」
俺、今日初めてこの陰陽師(自称)が土佐に来てくれて良かったと思ったよ。
だから『なぜお前はこの場に居るのだ』ということは追求しないでおこう。
ともあれ、期せずして良い空気になった。
「皆の者、よく聞けぃ!」
ゆっくりと一人一人の顔を見回す。
「これより一条は義によって大内を助ける者なり!! 皆、立てぃ」
ザァザッ
声を大にすると、皆が一斉に立ち上がる。
「天は霊威をお示しになられた。我らの行く道は正道なり! 天に代わりて大逆の陶を退けるは今!」
「「「おう!」」」
坂上宝剣を手に取り、一気に抜き放った。
剣を天に掲げる。
「運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり、義は我らにあり! 皆の者、我に続けぃ!!」
「「「おおぉ!!」」」
宗珊が扇子をかざし、広い御所内の隅々まで届くが如き大声を張り上げると皆が続いて哮りたつ。
「えぇぇぇい! 」
「「「えい、えい、おおぉぉぉお!! 」」」
お父様が残された『戦に際しての心構え』を記した未完の書が役に立った。何よりも先んじてすべきは戦に出る前に皆の士気を高めねばならぬということ。生前のお父様がお話になっていた時のことを参考に、軍神の言葉も付け加えて何とか形になったと思う。
お父様、ありがとうございます。
何にせよ皆の士気は高まったようで一安心だ。勢いでごまかしたが俺の手の長さでは剣を抜くのはギリギリで、腕がもう少し短いか剣が長ければ抜けずに場が白けたことだろう。
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「早々に、兵を集めよ」
「急ぎ集め、十日後には揃えまする」
はっ?
宗珊、それじゃ遅すぎるでしょ。
「時は一刻を争う。もっと早うならぬのか?」
「難しゅう御座います。この地より馬で二日かかる離れた地に館を構えておる者も多く、戻るだけでも刻を要しましょう。兵を集めて参陣するには十日でも足りぬ程で。常であらば兵を集めるにはひと月からふた月は要りまする」
知らなかった。
それなら十日は早いほうなのか。
「兵は如何ほど集まりそうなのだ?」
「二百は下らぬとは思いまするが、三百には届かぬかと」
えっ、それだけなの?
戦なんてするつもりはなかったけど、相手は数千はいるだろうに。
もしかしたら一万を超すかも。
小競り合いだとしても到底勝てん。
様子を探りつつ出来るだけ大内の者を逃がすほかない。
「筆と硯を持ってきてたもれ」
自分の檜扇にさらさらと謝罪の短歌を書いた。
扇いで乾かした後に侍女に頼んで房通へ渡してもらう。
戻るまでに少しでも機嫌が直っていてくれればいいのだが。
今は逸る気持ちを抑え、大内の者たちの無事を祈ることしかできない。
早く兵が集まって来て欲しい。




