49.蓮根 【地図あり】
1551年 9月(天文二十年 長月)
庭園を歩くと、季節外れの桜が枝先に一輪だけ咲いていた。今年は一度冷え込み、また暖かくなったからだろうか。
ふと、池のほとりに白鷺が一羽佇んでいるのが見えた。俺に気づくと一声「クワッ」と鳴き飛び去っていった。
赤や黄色に山が色づき始める秋が好きだ。
御所内の森山で耳を澄ませてみれば、様々な生き物の声が聞こえてくる。それは、言葉にならないほどの情緒溢れる秋の調べであった。何よりも、お祖母様が好きな季節というのが一番良い。
明からの貿易船が帰ってきた。
今年は銅銭・綿布・綿花の種・綿糸・絹・生糸・陶磁器・書籍・薬種・砂糖といったいつもと同じものに加えて珊瑚や蓮の球根と蓮根それに棉用の道具として棉繰り機と紡車が入っていた。
古来から食されている蓮根ではあるが、細く粘り気がある在来種と比較すると唐物は太く粘り気が少ないのでさっくりした歯応えをしており、その心地よい食感は21世紀で食べた物と同じように感じた。
これを栽培しようと思う。
蓮根は湿田での育成が必須となるが稲作をするには適していない湿田も多くある。育成する場所は中村から平田村・宿毛へと続く陸路沿いにある場所を考えている。
ちょうど平田村の手前辺りは大雨になると川が氾濫して畑を作っても収穫がままならない土地らしく放置されている湿地帯だ。
在来種は収穫量が少ないが唐物はどうだろう。
植え付け時期や収穫時期も分からないし、植えた後は特に世話をするつもりはない。
時々様子を見てもらえればいいと思っている。それで育ってくれればありがたい。
珊瑚は無加工の物と装飾品に加工された物どちらも高値で取引されているらしい。そういえば、この間カツオを買い取った返礼として土佐で獲れたという珊瑚を貰った。何気なく部屋に置いていたが、もしかしたら土佐は珊瑚が取れる土地なのか?
もしそうだとしたら、かなり良い貿易品になる。
これは漁師たちに確認する必要がありそうだ。
土佐といえば、カツオとよさこい祭。
と言うことで、祭りを行おうと考えている。
よさこい踊りには鳴子が必要だ。
鳴子の原型である引板は万葉集にも載っているし、源氏物語にも害獣を追い払う鳥威しとして和歌に詠まれている。手に持って踊り鳴らすことができる鳴子を作ろう。
雰囲気が出るように祭り専用の羽織もほしい。
羽織は縫い物師や領民に仕事として依頼する。仕上げてもらったものを貸出しするか無料で配布したりなんかして。
周防で見た舁き山も造れれば尚良い。
領民たちと一緒に担いで、皆との一体感を高める。
民心を掴んで一揆を起こそうなどという輩が居なくなってくれればいいのに。
それと鰹節を作る。
カツオの干物はあっても出汁が採れる鰹節はまだ作られていない。
まず、捌いたカツオを沸騰した湯で一、二時間ほど煮熟する。風通しが良いところで冷ましたあと骨抜きし、皮の一部を残し鱗や脂分を落として出来た物が生利節だ。まだ水分を多く含んでおり保存には適していないため、次に焙乾の工程で水抜きする。
樫・楢・櫟などの堅材で一日一回を計十回ほど繰返し燻すことで滅菌・香り付け・油分の酸化防止などに効果がある。燻しの工程を経て若節から荒節となったものを天日で干し、黒くざらざらとした表面を削る。表面が赤褐色の物が裸節と呼ばれ、更に天日干しすれば完成となる。
本来は、この後にカビ付けすることで水分と脂分を限界まで減らしつつ成熟されていく。それが枯節といわれる完成品だ。しかし、カビ付けする菌は普通のものではなく良性の菌のカビが必要で、この時代ではやれる気がしない。
昔、鰹節工場に勤めていた父さんが言っていた。
『お前はまだ生利節にもなっていない。これから努力して荒節になり裸節になっていくだろう。だが、そこで満足していてはダメだ。更に努力を重ね枯節と呼ばれるほどの男になれ!』
何を言っているんだと当時は思っていたが。
父さん、鰹節を作ることになって何が言いたいかは気づいたけど、どうやら俺は『裸節』止まりの男だったよ。
カビが怖くて俺には無理そうだ。
ごめんな。
鰹節を出汁に使うためには、削り器が必要になる。番匠も持っているカンナを上部が空いている箱に逆さにして乗せて削る。削り方は、皮は外に向け頭側をカンナに当て、尾側は浮かせ斜めの状態で削る。削りぶしは削った直後が香りも高く料理も美味しいのだ。
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西小路の当主に就いた八重乃が訪ねてきた。
「御所様、内密にご相談したき儀がございます」
「何ぞ困りごとか?」
「はっ、急なことと存じまするが…… 」
「ふむ」
まさか、縁組の話か?
「父御が居らぬ今となっては天涯孤独の身なのだと耐えてまいりました」
「うむ、そうであろうの」
そうなのだ。
お父様と共に兇手に倒れてしまっている。
あれからまだ二年と経っていない。当時は家格が釣り合う妙齢の相手が居なかったが、西小路家の者が頑張って相手を探したのだろう。もう随分と昔のことのように感じる。
「しかしながら、己にもただ一人血の繋がった者が見つかったのでございます!」
ん?
「どういうことであろうか?」
「妾が生まれ出でた後、同腹の妹も時を経ずに生まれていたのでございます」
あっ、これは縁組の話じゃないや。
詳しく聞くと、この時代で双子は忌み嫌われており妹は教行によって密かに人里離れた山奥に住んでいた老夫婦へと預けられた。
これまで親代わりとして養っていた老夫婦だったが、翁が死没したことで嫗は教行を尋ねてきたのだとか。しかし、教行が先の襲撃により命を落としていたことで文も途絶えていたため、西小路家の事情を知らずにいた。そして、全ては八重乃の知るところとなってしまったようだ。
八重乃は孤独を嘆いていた節に「八千代」を名乗る妹が現れたことを大いに喜び、すぐに妹と嫗を屋敷へ招き入れた。それ故、正式に西小路家の姫として迎えたいと必死の思いで願い出てきたということらしい。
もちろん、俺は双子に忌避感は全く無い。それどころか憧れすらあり、恰好良いとさえ思っている。男児でなければ別段問題は無いような気もするがそういう風潮だから仕方ないのか。個人的にはいいのだが、回りは反対するかもしれない。迷信や言い伝えなど吉凶に関してかなり気にする者が多い。
病や事故、天災など原因不明の出来事を何かしらにこじつける。名前も偉を避けるのは実名を知られることで呪いを掛けられないようにするためでもあるし。
それにしても、なぜ西小路家にばかり問題が起こるのだろうか。
内々に誰かと相談したいが、家中以外で相談できる者といえば手習いを受けている和尚さんくらいしかいない。もしかしたら、とんちで解決してくれるのではないだろうかと期待してしまう。
義鎮から文が届き、陶が兵を起こすのはまだ先になると連絡があった。内容をそのまま信じるわけではないが、事実であればそれだけ準備の時間もできる。
義隆には文と一緒に白絹製の足袋を、義鎮にはこちらへの助力を乞う文を送った。
何もかもが良い方向に進んでいる気がしてしまう。
このまま義隆も救えるかもしれないと根拠のない自信が宿ってくる。