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44.蝗害 【地図あり】

 


1551年 6月(天文二十年 水無月)



「ふぁぁぁぁ」



 昨夜は、夜更けまで考えごとをしていて全然寝付けなかった。あくびをしながら、口に手を当てては離すを繰り返す。



「何を品のない声を出しておるのです? まるで(いぬ)のようではありませぬか」



 そうだった?

 お母様にそう言われ、ふと思い返すとそう聞こえなくもないかと思う。どちらかというと俺はインディアンという印象を受けるが。


 今では気丈に振舞っているお母様だが、侍女から話を聞いた日は悲痛な面持ちだった。目も赤くして泣いた後であろうことも見てとれた。それは義鎮の襲撃に父と共に居た幼子たちも巻き込まれたことを知ったばかりであったからだ。


 そこで気がついたが、廃嫡されることを恐れた義鎮によって二階崩れの変が前年に起きていた。親子二代に渡って骨肉の争いを繰り広げ、義鎮の胸中は複雑だったのかもしれない。義鎮が不機嫌になったのは、そんな気持ちを知らずに発した俺の一言が原因だったんじゃないかと思う。



 大内家の先代である義興には七人の子がおり、義隆を含む二人は男子で、あとは姫。皆んな仲良く暮らしてたが、年頃となった姫が順に嫁いでいった。


 また、その嫁ぎ先もすごい。

 平島公方であった足利義維(よしつな)の正室、阿波守護であった細川持隆の正室、左大将であった一条房冬の側室、他に大友義鑑(よしあき)の正室などがいる。四国・九州を拠点としている勢力・官位の高い者を押さえており、政略結婚により閨閥(けいばつ)を形成していることが分かる。


 そして、この錚々(そうそう)たる面々の正室となっている中で、一条家にのみ側室として嫁いだ姫がいる。これは、正室に親王家の玉姫を迎え入れているからであり、たとえ側室でもいいから一条家と結びつきを得たいという大内家の姿勢が伺える。その親王家の姫というのが、我らがお祖母様なのだ。

 


 なぜ、俺の叔父に当たる晴持が養嗣子になったり、お母様の舎弟である晴英が大内家に迎えられようとしているのか?


 それは大内の血筋を引いているからに他ならない。まあ、少し血は薄くなるが俺にもお母様経由で大内の血が流れている。義隆に気に入られた要因のひとつにそれもあったのかもしれない。


 俺には一条・大内・大友それに親王家の血も流れている。よくよく考えてみると、凄いのではないだろうか。



 だが、問題はそこではなく義隆に子息がいるということだ。跡継ぎとなる者がいるにも関わらず、大友家の人間を当主に迎えようとしている。


 それは義隆もろとも血筋の者を尽く弑するつもりだからではないだろうか。そして、猶子を解消されている晴英は大内家臣より心底から認められることはなく、ただのお飾り的な存在となり権力を奮うことは出来ない。それも傀儡とするのに好都合なのかもしれない。


 傀儡とするならば反りが合わない文官や大内の血を引く者たちを撫で斬りにする必要がある。室はもちろん侍女や下向している公家の身も危ういやも。




 ◾️◾️◾️




 大友家の助力が無かったらどうしようかと思っていた時に、船匠の源次郎から良いことを聞いた。



「わしらは土佐から船を使こうちゅうが、逃げゆうもんは船がなきゃいかんちや。そうでなきゃ(だんれ)も土佐に行きゃーせん」

「船か……」



 大きい船だと見つかる可能性も高いし、見つかれば当然怪しむだろう。豊後水道の内海は波が穏やかで小舟でも移動できるが、準備するならば多くの舟を必要とする。一条家ですぐに用意するのはさすがに難しい。


 だが、海賊衆に仕事として依頼出来れば舟の問題は解決するかもしれない。しかし伝手もない一条家に協力してくれるのだろうか?


 と、疑問に思うのと同時に曽衣が源次郎に問うていた。



「我ら一条の依頼を受けやるんか?」

「海賊衆は銭さえ渡しゃあ手伝うてくれるにかあらん」



 もし周防にいる者が土佐へ避難するとしたら海賊衆の協力があれば心強い。今回の航行では遭遇することはなかったが、本来であれば艘別銭(そうべつせん)と言われている津料を払って安全を保障してもらう。


 津料の他、物品や食料を現地で購入するためにと一千五百貫文を持ってきている。これだけの人数がいれば色々と費用がかさむのは分かるが多い気がしないでもない。今回はそれが功を奏したが、いや万が一というのはこういった不測の事態も含めてであって備えとしては正しいのか。さすがは顕古だ。



 その場で皆に図ると顕古と曽衣も海賊衆に協力を仰ぐことに賛成してくれた。二人も大内家の者たちと交流していたため俺と同じように助けたいと考えているんだと思う。



「源次郎、海賊衆がおる場所は分かるんか?」

「村上水軍がおる場所は一日(ひーとい)んとこにあるなぁ分かっちゅうが、行ーたことはないっちや」



 は?

 海賊衆って、あの有名な村上水軍なの?

 それは…… まずいのでは。


 誰が交渉に行くかという話になっていたが、おれは「やばくない?」と顕古に目で問いかけた。顕古はただ黙って頷く。



「麿が行きまする」



 俺の気持ちが全く通じてなかった。

 行ってくれっていう意味じゃなかったのに。 



「なんちやあないき。おらんくにも命じておーせ」



 顕古に続き、源次郎も使いとして行く気のようだ。頼もしいが、身の危険は無いのか?



「ほんに大丈夫であろうか?」

「はい。必ずや約定を結んで参りまする」



 いや、命の危険はないかってことなんだけど。いくらなんでも一条家の使者をいきなり殺すなんてことは無いと思いたい。ここは無理しない程度に頑張ってもらうという事でどうだろうか?



「では、二人にはすまぬが頼まれてくれるか?」

「お任せくだされ」

「かまんが。おまさんのために行ーてくるきぃ」



 土佐弁で話されると龍馬感がすごいな。

 



 ◾️◾️◾️




 早速、顕古と源次郎には俺の朱印が押印された文を持って交渉へ(おもむ)いてもらうこととなった。もちろん、土佐一条家にも海賊衆の件を文に書き使いの者に託した。



 その間は、義鎮と茶道や蹴鞠をして交流していた。


 当然、飛鳥井先生は『鞠道(きくどう)八足の図』と秘技をお持ちであるので、その御技に感動しあれやこれやと聞いていた。飛鳥井先生にべったりで、俺には何ひとつ聞いてこない。一応、俺も名足と呼ばれ先生直伝の妙技を使えるんですけど?


 義隆と同じく義鎮も多くの芸事が好きなようで、書画や能について語り合ったり俺の横笛に合わせて踊ったりといい感じに打ち解けてきた。そろそろ、大内家への協力要請をしようかと思っていた矢先のことだった。



 肥後で蝗害(こうがい)が発生し、人身売買が横行しているとの報せが府内へ届いた。


 蝗害を受けた農民や兵らが豊後に押し寄せ近隣の村々を襲い始める恐れもあり、慌ただしくも義鎮自ら出兵していった。虫が大量発生すると作物が食べ尽くされ、その虫を食べに小動物が、またその小動物を食べに肉食動物が山から下りてくることもあると言っていた。


 虫と動物によって田畑が荒れ果て、売るものが無い農民は子や孫ときには嫁を身売りして明日から食べる物を買う銭を確保したり、年貢分の銭を用意したりする。


 以前に調べた時は、日本で蝗害が発生したという記録はほとんど無かったが、記録に残ってないだけで実際は何度か起こっていたかもしれない。それにしても、身売りするほど貧するとは居たたまれない。


 それでも、生きてるだけまだ良いと言えなくもない。戦国の世は、常に死と隣り合わせなのだから。


 人手を必要としている土佐に来てもらうのはどうだろうか。曽衣に相談してみよう。





挿絵(By みてみん)



 

1551年 6月に肥後で虫害が発生し、人身売買が横行しました。

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