39.面会
兵部卿宮 = 大内義隆のことです。就任している官職がある場合は官職名で呼ばれます。
1551年 4月下旬(天文二十年 卯月)
公家の装束には礼服・束帯・衣冠・布袴などの儀礼用と直衣・狩衣といった私邸用の装束があり、時と場合に依っても変わってくる。礼服は朝廷の儀式に着るもので、束帯以下略装となっていき布袴は私用時の正装のようなものだ。狩衣は狩猟のように動くことが多い時に着る。
今回は布袴を着用し、無冠の身であるのだが黒色の冠には遠文の四菱が文羅という織り方で少し立体的に作られている。四菱は武田家の家紋として有名だが、実は一条家でも昔から使われてきている。これなら布袴にも合うので問題はないと思う。
大内義隆はこの時代としては大柄な170~175cm位でガチムチ系だった。束帯姿でお歯黒を塗っているが、体つきが武将のそれであり似合ってない。プロレスラーの女装に近いくらいに、いっそウケ狙いでやってるのかと思うほどに違和感がある。
俺の勝手な思い込みでしかないが、そっち系で人気がありそうに見える。事前に衆道を好んでいると聞いているからそう感じるだけかもしれないけど。
大広間にて対面に座り、軽く頭を下げる。
室町時代よりも前からではあるが、挨拶の時にも正座をすることはなく胡坐にて頭を下げるため完全に平伏することはない。
これは帝との謁見においても同様で笏を前に掲げて頭を下げる程度だ。土下座はいつからされるようになったのか…… 江戸時代かもしれない。分からないと何でも江戸時代のせいにしてしまいがち。
「ご尊顔を拝し恐悦至極に存じます。お目にかかるは初めての事なれど、身共が土佐一条家を継ぎましたる万千代と申しまする。御前に候う物は土佐にて作りし道具に御座いますゆえ、お納め頂きとう存じます」
献上品は今まで造ってきた物の他に、水晶の数珠と藤の花を添えた。数珠と藤の花は清少納言抄に『貴なるもの』として記されている。清少納言抄とは言うものの、『春はあけぼの……』の一節があったので、たぶん枕草子だろう。
「……似ておるの」
「は?」
「新介に似ておる」
「左様で御座いますか」
新介とは叔父のことかな?
「あやつも藤の花を好いておった。土佐の御所に咲いていたと言うてな」
「貴なるもので御座いますゆえ」
「おおおぉぉ、新介も同じ事を言うたものよ。あやつは詠も楽も蹴鞠も得意でな。それは雅な子であったのよ」
おっ、好感度を上げる好機かも。
「身共も詠、笛や琴、蹴鞠は嗜んでおりまする」
「何と、何と。そういえば、同じ年の頃の面影があるのう。よもや、新介の生まれ変わりではないか?」
「いや、まさかそのような事は無いかと」
「いやいやいや、そう考えてもみれば此処に居るのも頷ける。……うむ、そうとしか思えぬのう」
ドカドカと近寄ってきたかと思えば、顔を近づけてきた。
「その方、誠は新介でありゃるのか?」
「……いや、滅相「そうなのだな?」」
否定の言葉を口にしようにも、目の前の迫力ある顔が近すぎて声が出てこない。
「…… おお、帰ってきおった。儂の可愛い新介が帰ってきおったわ!儂の下に帰ってきおったー!!」
そう叫びながら、わんわん泣いて抱きついてきた。
だが、違う。
叔父が死没する半年前には生まれていた。
確かに生まれ変わってはいるが、残念ながら違う人間の生まれ変わりなのだ。
ひとしきりに泣いた後、義隆はおもむろに両肩を掴んできた。
「儂の事は御父と呼んでたもれ」
「有難きお心遣いに御礼申し上げまする」
「うん、うん」
見た目だけではあきたらず、言葉遣いも武家と公家が混ざってるぞ。だが、不思議と訛りは無い。公家が多く下向しているからだろうか?
戦国大名が苦労するのが言葉使いだと何かの書に記載があった。地方の大名と話をするにも通事が必要なことも少なくなかったとか。一条家中では京言葉っぽい話し方をしているので、比較的に違和感は感じない。
まだ涙を流しながら笑顔で頷いている。
近すぎるけど仕方ない。
このまま話をするか。
「時に、こちらへ参ったのは身共へ会いにおぢやった御仁に同道した次第。その者に如何様な用向きかと問えば、兵部卿宮様に謝りたき儀ありと言うて口合いを願い給もうておりゃれたので御座いまする。その者は何やら心得違いをしていた様子にて、常々お会いしたいと思うておりましたところ斯様に乞われ、これも良き機会かと参上致しました」
「ふむ、そうかそうか。して、その御仁とは?」
「南蛮より参ったザビエルと申す者。先年の謁見にて無作法があったとか」
「……彼奴か。ふん、まあよい。これ、異国の者をこれへ呼んで参れ」
少し眉をしかめたが、小姓に命じてザビエルを呼びに行かせた。
しばらくすると、やっと俺から離れ上段に居直る。その後に通訳とザビエルが大広間にやってきた。
「ご尊顔を拝し、恐悦に存じ上げまする」
通訳の男とザビエルが頭を下げている。
「本日は先年の無礼をお詫びに参りました。お詫びに際し御前の品々を献上致しまする」
献上する品は俺が返品した物も含まれている。
「……此度は、新介の顔に免じて許してつかわそう」
おい、新介じゃないって。
義隆の中で完全に生まれ変わりになってる。
「有難う存じまする」
「アリガトジョンジマル」
出たー、ジョンジマル!
ザビエルの一言で吹き出すところだった。
ジョンジ丸。
いつもであれば、他国の人間が日本語で挨拶してくれる時はホッコリするし嬉しい。
でも今はヤバイ、笑いそう。
拳を強く握って、何とか耐えるのだ。
心頭滅却すれば火もまた涼し。
心頭滅却すれば火もまた涼し。
心頭滅却すればジョンジマル。
ああぁ、ダメだー。
檜扇で口元を隠して誤魔化そう。
肩よ、頼むから震えてくれるな。
◾️◾️◾️
謁見の日より十日ほど、詠い演奏し蹴鞠などをして過ごした。
五色の糸を垂らした薬玉を柱に吊るし、根合で菖蒲の根の長さを競ったり、騎射で競ったりと端午節会にて健康と長寿を祈ったりもした。
出立の日、泣いて引き止める義隆を宥め挨拶を済ませると館門にて反閇を行うと有尚が言い出した。何でも俺の旅路における災厄を払うためのものだとか。
「禹歩という特殊な歩き方で地を踏み呪を施しまする」
そう言うと、一歩進める度に何やら呟いている。
「朱雀。玄武。白虎。勾陳。帝久。文王。三台。玉女。青龍」
…… お母様の希望もあり、土佐への道すがら豊後国の大友家に寄っていくことにする。
【反閇】は辞書では【へんばい】と濁音が正しいのですが、ここでは【へんぱい】と半濁音でルビをふっています。理由は『52.舟』をご参照願います。




