35.偉人
1550年 12月(天文十九年 師走)
十一月にザビエルが大内義隆に会って衆道のことを指摘して激怒させたらしい。何て言ったかは知らないが、伝え方にも原因はあるように感じる。
その噂を聞いた直後に、大内から文が届いてそれらのこと以外にも文句が書かれてた。というのも、謁見した時に、一条家の当主にも挨拶したって言ったみたいだから俺に文が届いたんだろう。
一条家を諍いに巻き込まないで欲しい。大内から文が届くのは、お祖父様の代から変わらず続いている。
大内家の養嗣子になった晴持が叔父にあたるからなのだが、叔父は若くして合戦で亡くなっている。俺が当主になってからの文には何度も『一度会って話がしたい』と書かれていたが、今回はかなりご立腹のようで奴等との付き合いを考え直した方がいいとも文にあった。
義隆といえば幕府職では六カ国の守護に任命された上、官位は従二位の兵部卿である。これは現時点での武家としては最高位に当たり、それよりも上に叙任されている者は神を除けば摂家の人間のみ。武家と公家それぞれにおいて位は高く領土も発言力もある。
そんな凄い人なのだが衆道を好んでいるようだ。だからといって女性に興味が無いわけではなく、シスジェンダーなのだ。
性的指向は両刀であってジェンダーアイデンティティは男性という状況を皆が受け入れており、ある意味で現代社会以上に理解された時代とも言える。そう考えると己のアイデンティティを否定するような事を言われて激昂するのも頷ける。
やはり他人の性的嗜好に口出しすると碌なことにならない。
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二期目の稲を収穫した。
大きな病害はなかったが、虫や鳥獣を追い払うのは大変だったらしい。
ビニールシートの代替品である油紙は補修をしても一年で使い物にならなくなってしまった。一度風雨にさらされて弱くなっているというのもあると思うが、二回目の保温折衷苗代を行った時期の風が強く損耗を早めたのかも。一度買えば二年目も使えると考えていただけに見通しが甘かった。
そうなると各村々で毎年油紙を購入することになって出費が増えてしまう。今までは必要の無かった経費を掛けることに反感を抱く者が出そうだ。うーん、もしかしたら忠実には実施してくれないかもしれない。その結果、米作りが上手くいかず収穫量が前年比の倍に達するのは難しいかも……。こればかりは説得するしかないが、監視したりすると反発を招く事になりかねないので気をつけようと思う。
でも悪いことばかりじゃない。
六月に稲を刈るので、二期目の稲を植え終わる頃に台風の季節になるため稲穂に影響が出ない。小氷河期と言われている戦国時代では、地域によっては刈り入れが台風の季節と重なってしまうだろう。そうなると風雨で稲穂が落下して少なくない被害がでる。凶作の上に災難続きだ。
貿易船も戻ってきた。
明からは絹と綿布、それから役人に賄賂を渡し綿花の種と大型兵器の中古品を譲り受けた。船にそのまま乗せることは出来ないのでバラしているが大型の投石器と床弩だ。投石器と床弩はもっと以前に伝わってきているだろうし、これから鉄砲が主流となる時代に貰ったところでという感も無くはないが持っていて損はないと思う。
琉球からは相変わらず、象牙・硫黄・櫨・棕櫚。呂宋からも同様にシンコン芋、ヤム芋・コルク・馬・羊あとは沈香という香木と牛が追加されたくらいか。
前回の貿易で手に入れたシンコン芋、ヤム芋に加えて土佐で採れたタロ芋も栽培して問題なく収穫できたので次の貿易では少なめでいいかもしれない。土佐は気候も温暖で雨量も充分にあるから作物が良く育ってくれるのかも。
ただ、前々回の貿易で手に入れた種と作物はほとんどが枯れてしまった。残っているのは名前も分からない苗木となった木だけだ。育ってくれるのはいいが何か実をつけてくれるだろうか?
手習いをしていて思うのだが、一条兼良が凄すぎる。
土佐一条家の祖である教房の父にあたる人物なのだが、かつては菅原道真と並ぶほどの日本無双の才人と言われていただけあって著書を多く残している。
著作物は多岐にわたり、有職故実に包括されている公事根源と御代始鈔・源氏物語や日本書記などの注釈書・尺素往来という初等教育の教科書・神楽歌や催馬楽といった歌舞の注釈書に、果ては軍記物の御伽草子なんかも書いていたりする。
その傑物の著作内容を取り入れている有職故実は細部に渡って詳しく書かれている。そんな中で房通が持ってきた古今和歌集の解釈書に問題があった。
和歌を家職としている公家が代々継承してきた古今和歌集の解釈書を子や弟子に伝える古今伝授という風習ができ始めている。なぜ和歌の解釈を継承することが大事かというとそれは公家だからに他ならない。
和歌は基本的に掛詞か比喩的表現を含んでいる。その時の歴史的背景と和歌の内容から詠み人の心情を考慮する、ある種の精神分析的な側面がある。また、過去に読まれた和歌を知らなければ和歌を詠んでも恥をかく可能性もあるので知識と教養に加えセンスも試される。和歌の得手不得手で官位も決まることがある程に重要なのだ。
そんな公家にとって大事な和歌であるから、その解釈や注釈は秘伝として親から子に代々受け継がれる。お家の興亡にも影響を及ぼすかもしれないことなので当然秘伝であるはずなのだが、その古今和歌集の解釈書の写しが十を超える数がここにある。
場合によっては一子相伝ともなる他家の極秘資料が揃っているのだ。つまり、古今伝授前に当主が急逝したとしても一条家に頼めば伝承していけるということになる。勿論、他家が所有を許すわけが無いので一条が保有していることは知らないのだろう。
だからこそ、問題なのだ。
どうやって入手して、なぜ保有しているのか……という事は怖くて聞けないので、家中の者にも知られないようにするしかない。
資料を渡すときに、一条家に連なる者以外に見せてはならないとやたらと念を押された理由が理解できた。
まあ、隠しておけばいい訳だから問題はないか。そして、これらを理解しいつしか歌人も驚くほどの和歌を詠んでみたい。




