32.つわもの
1550年 4月(天文十九年 卯月)
今のところ米作りは順調に進んでいる。
懸念していた出芽も問題ない。
ここまで順調に行くのなら、同時に乾田化を検討しておけば良かった。
領内を調べてみると、土佐は初代の教房から房家・房冬の三代にかけて用水設備を整えてきていた。灌漑工事もされており田には常に沢や川の水が注がれている。乾田にするための工事が少し必要になるがそれ程に苦労せず出来そうだ。
整備された灌漑などを思うと、この時代では得難い知識と教養を身につけていた公家だったということだろう。だからこそ国人衆たちが支持し一条家の庇護下に置かれることを望んだのだと理解できる。
もし、知識を得るのであれば喝食となって禅寺か関東の足利学校で学ぶことも出来るが、やはり公家の特に摂関家に集約する知には敵わないだろう。それこそ国内外から日の本の中心である京に情報が伝わっていく。逆にそうでなければ政を行えないし、だからこそ中心たり得る。
それと、ひとつ忘れていた。
二期作をやるのはいいが人手が足りない。
というか、農作業に忙しくなり過ぎて兵として動員できない。動員してしまうと年貢の免除を行なった上、田植えまでに掛けた費用も無駄となり二重の痛手だ。
織田信長のように常備兵を大量に雇う必要がありそうだ。敵方の間者も混ざってくるかもしれないが、そこは諦めるしかないのか。
そもそも本当に忍びらしい忍びはいるのだろうか?
昨年の襲撃者も忍術的なことは使わなかったと思う。もし、他の大名家にマンガの如く忍術が使える忍びが居るとしたら…… 敗戦濃厚じゃないだろうか?
とにかく兵を集めるのと同時に将としての人材も必要になる。雇うことと育てることで更に金が掛かりはするが土佐全域で二期作を行なって収穫が倍になれば元は取れる筈…… 取れていてほしい。凶作だったらなんて事を考えると怖すぎるが。
しかし、その為の備えは必要だろう。
やはりここは『ゴショ・ナカムラ計画』を実施して、新たなる産業・工業を生み出さねば。
当面は人材が不足するようなことはないと思うが、将来を見据えると早めに対応した方がいい。家臣たちの子息や他にも見込みがある者が居れば、手習いはもちろんのこと芸事も一緒に受けさせたい。その為なら大勢が住める様に寺とかを改築してもいい。
そして、今後の一条家は守備重視で戦国の世を生き抜いて行きたい。いずれは、火縄銃でも貫通しない位に頑強な鉄製の盾を作らせよう。
戦場では中世ヨーロッパにおける盾隊を参考にして部隊の前列に据え、将兵一丸となって移動して敵を攻撃する。鉄盾の下部にスパイクを付けて地面へ打ち込んで倒れづらくするとかもいいし、とにかく被害を少なくして負けないことを第一とすれば、一条家は強者として歩めるかもしれない。
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搾油機が完成した。
雄ネジ部分は物差しで一定間隔になるように測り、斜めに巻いた糸の上に墨を垂らして印を付けてから地道に削ったらしい。
木製の見本品とは違って雌ネジ部分は削ることが難しかったようだ。最終的には熱した鉄板の穴に雄ネジを差し入れてネジ山へと這わるように鉄板を叩いて造られた。
雄雌のネジには互換性がなさそうなので、どちらかが破損したら使えなくなるだろう。量産する場合は、タップダイスとハンドルを造ってから加工しないと難しいかもね。どうやって造るんだと疑問には思うが。
まぁ、これで効率的に油を圧搾できる。
油を商品として売るのもいいかもしれない。
「万千代様。ご覧下され!」
顔を向けるとそこには若武者がいた。
赤糸縅で綴られた甲冑姿で、廊下の欄干に脚を乗せていた。
一瞬、幻かとも思ったが、悲しいことに現実だった。
それは心の安定を求めるあまりに幻であって欲しいと願っただけなのか、無意識下の防衛機能が働いているためだったのか。それだけストレスを感じているものの、これでも恵まれた環境で有難いと思ってもいる。
以前にテレビで見たが、運動することで脳の中の前頭前野と海馬の神経系が活発に働くようになって鬱屈とした気分は解消し心が晴れやかになるらしい。運動と言っても館の周りを走る御所ランはできない。
九曜の頭に頼んで、剣術でも始めてみようか?
久左衛門がなんか色々とポーズを決めたり刀を振る仕草をしている。あまりに激しく動くから、その拍子に高欄を乗り越え庭へ落ちていった。




