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31.田園

 


1550年 2月(天文十九年 如月)



 今年から内政にも着手したい。

 内政と言っても経験があるのは米作りで、ただ祖父に教わったやり方を一通りは分かっているつもりだ。設備も計測器も無いので感覚でしか判断できないのが厳しいが。


 村一つ分くらいなら貿易の収入で米を買い入れて補填出来るので、次の年貢を免除する事を条件に新たな栽培法を試して貰う。


 その事を久左衛門と父親の安並直敏に頼むと難なく了承してくれた。こんなに直ぐ聞き入れられるのは当主になったからだろうか?


 安並家が管理する村にした理由は、中村御所の近くなので状況確認も容易に出来るためだ。




 改革の目標としては米の収穫量を今の倍にしたい。


 手っ取り早く収量を増やすには新田開発をすればいいのだが、新たな田んぼの管理は百姓にかなりの負担が掛かる。そこで、一部の田では稲と麦の二毛作が鎌倉時代より行われてきた。


 二毛作の場合、肥料を大量に撒く事が出来るのなら有効だがそれだけの肥料を補うのは難しい。田んぼに撒く肥料が少ないと土地が痩せてしまい実りが悪くなるので休耕が必要になる。翌年の米の収穫にも影響が出るため、かなり大変だ。


 同じ様に裏作を行うものに二期作がある。

 違いは一年の内に二回栽培する時の品数が一種類なら二期作、二種類なら二毛作になる。


 同じ作物を育てると連作障害が発生しやすいのだが、水田の場合は引き入れる河川の水が養分を含んでいる上に、過剰な養分や有害な成分などは洗い流してくれる。また水を張っている事で土中の有害となる生物は窒息して死滅するため育成不良にはならない。


 では二期作を行えば良いと思うが栽培には条件があった。調べた時は、一年の内に暖かい気候が長く続く土地に限られるとの事だった。比較的に温暖な土地は宮崎県・鹿児島県・沖縄県そして高知県。そう、幸いにも土佐は二期作に適した土地なのだ。


 二毛作が悪いわけではないが、米は麦や豆などの作物と比べて物価が高く、翌年以降の農作にも影響がないのでより良い。



 米の栽培は二月から七月、七月から十一月までの二回。七月は田植えと稲刈りが重なり大変になるため、千歯扱きで効率的に脱穀する。




 ◾️◾️◾️




 田植えまでにやる事が沢山ある。


 21世紀では機械で行なっていた事を手作業で、計測器を使って確認していた事を人の感覚で行わなければならない。


 始めに種籾の塩水選を行う。

 (のぎ)を除去した籾を水に浸け浮いたものを除外する。これを二、三度繰り返し中身が詰まった籾を選別して、今度は塩水で同じ事を繰り返す。それによって更に選別された籾を水で洗い種籾とする。


 塩水選の後すぐに水気を切り、ざるに広げて風呂の湯くらい温めた小屋の中で乾燥させる。1日以上放置して種子の水分量が減少してくれれば耐熱性が向上するため、やるだけやってみる。


 乾燥した籾を60度のお湯に10分浸漬させ温湯種子消毒を行う。竹で出来た少し深めの水切りざるに籾を入れ、お湯に浸けて左右に振り全体の温度が均一になる様にゆすって10分浸けておく。浸け終わったら直ぐに水で冷やす。


 室温や湯の温度は勘でしかないが、乾燥させた際に耐熱性が向上していれば多少60度を超えても大丈夫なはず。全ては試してみるしかない。


 まずは、井戸水の温度も仮定の話なのでお湯を沸かす時に小さな気泡が出始める70度前後をひとつの目安にして、それよりも低い水温であることを確認しよう。



 温湯消毒された籾を水で浸種させるが、浸す目安の日数は100を温度で割れば算出できる。水温が10度であれば10日、20度であれば5日となるので、川の水が10度から20度の間だとすれば、およそ7日以上は浸すことになる。


 次に浸種後の籾を水温30度のお湯に入れ、蓋を軽くかけて催芽を促す。30度以上に温めた小屋の中に放置すれば水温も少しは保てるだろう。


 消毒から催芽までは水温をきっちり守らなければならないので、温度計が無い以上は上手くいかない確率の方が高い。最悪、発芽率が低下することを見越して多目に籾種を準備する事で少しは補えるかもしれない。



 竹で作った育苗箱に障子紙を敷き床土と籾殻を燻したものと肥料を混ぜたものを敷く。そこに種籾を撒き覆土する。


 水が抜かれた苗代田に育苗箱を並べていき、竹の骨組みを1m間隔でアーチ状にしてトンネルを作る。その上をビニールシートの代わりに油紙をつなげたもので覆い、トンネルの骨組みの間に油紙を抑えるための竹をアーチ状にして田に刺していく。


 亜麻仁油が塗られた油紙は阿波での生産が盛んだったため買い入れた。育苗箱、薪代や油紙など出費はあるが米を買い入れるのに比べれば安上がりになる。



 肥料は馬の堆肥、人の糞尿、腐葉土を混ぜて作る。あとは草木灰と椿の実や菜種から油を搾り取った残り粕を乾燥させたもの、そしてもう一つ苦汁(にがり)がある。


 苦汁は大量のミネラルを含んでおり五百~一千倍くらいに水で薄めて葉面散布を行えば養分を吸収しやすく、即効性がある。苦汁を村から買い取れば塩田での薪代の節約にもなる。


 田植えでは一尺間隔の田植え定規を使い正条植を行う。ここまでの育成法で二倍の収穫量が見込まれる。病害など無い前提での計算上ではあるが。



 二期作が上手くいったら乾田に移行させるのもいい。水田には湿田と乾田があり、この時代の田んぼは湿田で一年の内ほとんど水が張っている。


 乾田の方が収量は多いのだが、急に色々変えすぎると不良の時に何が原因かわからなくなる。

 乾田化できた後に農耕家畜や農耕具を整備し、検地を行って土地の権利をはっきりさせる事と耕地整理を行う。


 品種改良はやりきれない。やるとしても凶作の中生き残ったものや実りの良い種籾を分けてもらったりするくらいだろう。



 昨年、祖父との作業を思い出して考えていた。間違っていないだろうか、上手く実施できるだろうか、と心配事は尽きないがやるだけやってみよう。


 あとは、村の状況を確認しつつ改善していく。




江戸時代の書物『剪花翁伝』に促成栽培について図解が載っています。


江戸時代においては、初物は縁起が良く長寿になるとして好まれました。そのため、少しでも出荷を早めようと、油紙や和紙で囲った小屋の中で炭を燃やしたり、保温のために藁をかけたりして、温暖な環境下で発育を促す栽培方法を行っていました。

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