20.水平器
1548年 11月(天文十七年 霜月)
兎角、人間というものは錯覚を起こしやすい生き物である。
ここにも錯覚を起こした人間がまた一人。
康政だ。
いつもいつも、事あるごとに小言を繰り返す。
公家らしく優雅にあれ、高貴な血筋なのだからと。
その後は決まって市正が頭を下げて尻拭いをしている。
「事もあろうに万千代様に向かって斯様な小言をぶつけるとは父上と言えど許せませぬ」
「そういきり立たぬともよい。麿を思ってのことであろう」
心にもない事を口にする。
それにしても、こいつも結構洗脳されてるな。
忠誠度は高いかもしれん。
そういえば、指矩を竹細工師に大量に作ってもらっても良いかも。直角だけを測る道具がある事は確認した。だがそれに加えて長さが測れるとなれば…… 役に立ちそうだ。
いつも頑張ってくれているハリキリボーイの番匠さんに、たまには良いとこ見せないとな。たぶん、思うに俺と関わり合いがある者の中で番匠の忠誠度が一番高い。あいつは単純だから、わかり易くていい。
番匠が持っている道具は、金槌も鋸もノミもカンナだってある。墨壺もある。ただ、鋸はかなり高価な物らしい。ニッパーやペンチも考えているが、まずはコンパスを作ろうと思う。
水平器も一緒に。
横の長さを一尺、縦を一寸、深さを二寸の内径で升の様に囲われた木枠を作る。木枠の上には全部で五箇所に糸を二本ずつ留める。二本の糸の間には細竹で出来た浮標を入れる。木枠内に印を木を削って付けてあり、そこまで水を入れると竹の浮標が浮く。浮標にも印が付けられており、その印の浮き沈みで水平が見れる。
たぶん作れる。
完全に同じ浮力を有する浮標を作るのが大変だし、測る物を置いた地が斜面だったりすると役には立たないけども。あとは竹細工師に頑張ってもらうだけだ。
水平見と名付けよう。
◾️◾️◾️
依頼した指矩などが出来上がり、番匠に渡した。使用してみた感想を市正に聞いてもらった。
「あ、あの、誠に言いにくい事で御座いますが、水平見なる物ですが準縄という道具がすでにあり、そちらを使用しているそうに御座います」
そんな物が有るなんて聞いてないんですけど。
「それで測れると?」
「左様に申しておりまする」
「……」
失敗だったか。
「その……あー、そちらも鉄の棒に糸を縛り反対側にも筆を縛った道具を使っておるらしく」
なに?
既にコンパスもあるのか?
…………
確かに、コンパスは片手で容易に円を描けるかもしれん。だが、それは紙の範囲内と言う前提条件があってこそだ。外では棒に縄を縛り反対の縄の端を持って人が回れば巨大な円が描ける。
設計図や図解など細かく正確に描く必要があればコンパスだろう。しかし、木加工などであれば糸と棒があれば事足りる。しかも糸を伸ばせば大きさも自由自在だ。
お蔵入りだ。
「それと」
もう、聞きたくない。
「指矩ですが、こちらは素晴らしいと言うておりました」
おおっ!
竹細工師さんに感謝だな。
「水平見も準縄よりも正確に測れるのではないかと言われているそうに御座います」
なに?
水平見にも微粒子レベルで活躍の場が残っているとな。
今回の勝負は一勝一敗一分と言ったところか。
二敗している気もするが、俺は自分を甘やかすタイプだから一分でいい。むしろ二勝でもいいくらいだ。されど、謙虚さも持ち合わせている俺はそこを一分にする事で自分の正統性を主張する。
俺にはそう言うところがある。




