110.推察
1553年 10月(天文二十二年 神無月)
大津城の間近で敵勢に囲まれていた西園寺兵。
いよいよ以って攻め掛からんと、将兵らが目の色をかえていた。その気勢に合わせ備えていた宇都宮、一条、村上家からなる軍勢。
それはちょうど、合戦の砌。
源康政と小島政春が手には西園寺の首を持ちつつ宇和の地より直々に馳せ参った。付き従うは、小島政章、和井舎人佑。
逃げ失せた兵は無論のこと、西園寺領から来るかもしれない敵方の新たな手勢に備え、大岐政直、片岡茂光の面々は五百の兵と共に合戦場に残っている。
陣の中、正面には見目良き男。
「お味方、勝ちましてございまする」
康政が率いた一軍は敵大将首を討ち取った。
良からぬ報せかと案じていたが、そうではないことに兼定は安堵する。
「敵大将たる西園寺実充を生け捕りはしたものの、間もなく果て申した」
「…… 一条に及んだ害はいかほどか?」
「五十八の人死にと手負いが四百あまりかと」
「さようか…… やはり、生きて連れてはこれなんだか」
「申し訳ござりませぬ。それがしの不徳のいたすところ」
兼定は、わずかに項垂れた。
本来であれば、敵大将の首を見事に討ち取るはこの上ない誉であり褒めたたえることである。しかし、このいくさに限っては大将を討ち取ったことは素直に喜べなかった。というのも、何故いくさの幕が切って落とされたのか、その理由を推し量ってのこと。
いくさというものが思い通りにならないことは百も承知。生け捕るということが高望みであることは分かっていた。味方の受けた痛手が少ない。それが、せめてもの救いであろう。
小島の姿を見れば、兜に矢の跡が二つ、三つ。
鎧の胸板にも太刀傷、胴には槍傷。
双籠手や臑当、長刀の柄と至る所に刀痕が幾条もある。将が危険をものの数ともせず、長刀を振るう姿が容易に見て取れた。
鎧兜がこの様子にも関わらず、深手と言えるほどの傷は負っていないと見える。合戦で八面六臂の働きをしたのは聞くまでもない。かける言葉はひとつだけだった。
「大儀である」
しかし、これは不味いことになったと兼定は口に手を当てた。京から戻る道中、考えていた不安。それを憂いて、思わず声に出てしまった。
「このいくさは起こるべくして起こっている」
「…… それは、いかなる御所存にござりましょう?」
その言葉に反応したのは、すぐ傍で控えていた土井宗珊だった。そこでようやく口をついて声に出ていたことに気が付いた兼定。わずかに考えるそぶりをしたが、隠すほどのことではないと、つまびらかに話し始めた。
「麿が京を発ったのは、八月も終わりに差し掛かったころぞ。そこで帝からは御宸翰、それから女房奉書を賜った」
皆が神妙な顔で聞いている。
「領地を接しているゆえ、西園寺がいくさ支度をしていると一条家や宇都宮家であれば知るのは、さほど難しくないであろう」
「まこと、その通りでありましょう」
「じゃが、我らだけではなく帝や後宮の知るところとなっていた。御宸翰しかり、女房奉書しかり、そのことが、しっかと書かれておる」
「確かに」
言い聞かせるような兼定の言葉に宗珊が答える。
女房奉書の内容まで知っているのは宗珊を含め三人しかいない。だからこそ、宗珊は間違いないと皆に目配せして態度で示した。
「それはつまり、洛中にいる何者かの思惑が絡んでおるということ。でなければ、西園寺のことを文に仄めかすことなどない。遠く離れた地に、大名家へいくさを決心させる者がいるとは頭が痛いわ」
「そは何者でありましょうか?」
兼定がそのことに思い至ったのはいくさの前だ。まず始めに何者の策略であるかを考えた。西園寺を動かし得るのは、帝、近衛家、京の西園寺家といくつか思いつく。だが、帝は言うに及ばず、京の西園寺家、近衛家共に利が多いとは思えなかった。
この他に、いくさで得をする者がいるとすれば、大名では河野家。両虎相闘えば勢い倶に生きず、である。西園寺家よりも格下の国人ではいくさを決意させることはできないだろうが、河野家という大身であればいかにも、さもありなんと頷ける。
だが、西園寺とて愚かではない。
河野家がいくさの話を持ち掛けたとて、その思惑を推し量り腰は上げまい。それでなくとも、河野の家中が揉めていると伝え聞いている。
仮に周辺大名を警戒しての策謀であればまだよし。疎遠となって久しいが、河野当代の正室は大友家から嫁いだ姫。兼定の母の妹にあたる。
どちらにしても、母を通じて何かしらの便りはあろうから、その際にするやり取りで敵かどうか看做すべきである。
だが、おそらくはそうではないだろう。
最も疑わしい存在が…… いるのだ。
幕府である。
一条家は大内家の騒動もさることながら、一万貫を超える銭を献上したことで朝廷でも一目置かれるようになっていた。もともと、琉球との貿易を許した島津からも訴えがあったであろうが、幕府に属さない、近しい家柄でない一条家は、幕府側より何を言われようとも強気な態度で聞き入れてこなかった経緯がある。
それらを思えば、上洛したことで更に兼定が多くの公卿と親交が深まり、肩をもつ者が増えるのを黙って見ているとは思えなかった。
西園寺は西園寺で、大友家と一条家にたびたび領地へ攻め込まれてきたのだ。そこに宇都宮家が加われば、さらに状況は悪化するのは目に見えている。だからこそ、幕府が役職を餌にして伊予の西園寺を動かしたとしても得心がいく。
双方の利害は一致しているのだ。
「幕府が裏で糸を引いた…… と、麿は疑っておる」
「幕府…… !?」
「得をする者がいるとすれば幕府しかなかろう」
「しかし、なにゆえ…… ?」
「先に献上した一万二千貫かも知れん。幕府は朝廷から費えの望みに応えてこなかった。いや、応えられなかったというべきか。そこに一条家が多くの銭を献上したとあっては立場がない。元より、幕府の許しなど要らぬと、気ままに交易を行なってきた一条家が煩わしかったのであろうな。琉球を始めとした交易では多くの利が出るからの」
「………… 」
「動く動かざるにかかわらず、一条家は損をする。つまり、敵方は西園寺と宇都宮の合戦の勝ち負けなど、どうでもよいのだ。このいくさに一条家を駆けつけさせる、それこそが狙いなのであろう。宇都宮家を見捨てることを選べば、京でうるさく言われることはない、が、宇都宮からは信用されぬ。やはり、一条家としては援けずにはいかぬわな。次、京へ上ったときにはここぞとばかりにいくさのことを責め立てられよう。ともすれば、官職を取り上げるなどと言い始めるやも。その口実を与えてしまった。つまり、一条家は初めから負けていたということよ」
「なれば、幕府の思惑通りにことが運んだと?」
「うむ…… 幕府にはかなりの知恵者がおるようだな」
そう、幕府は何の害も被らない。
合戦となった時点で一条家の負けが決まっていた。自らは動くことなく目的を達する。幕府には恐ろしく知恵の回る者がいると、兼定は深刻に受け止めた。
西園寺が負けたとて、使える手駒が減った程度にしか考えないだろう。この策謀にはそういった冷たさがある。
誰も口を開かなかった。
兼定が言ったことが正しいのか考えているのだろう。しばらくして静まり返った場に和井舎人佑の声がいやに響いた。
「そは、誰ぞに聞いたことでありましょうや?」
「いや、麿の思いなしたこと。だからこそ、生け捕りにせよと申し付けていたのだ。捕らえれば内情を探れるとな…… 今思えば、合戦を前にして、要らぬ気掛かりをさせまいと黙っていたことが良くなかったのやもしれぬ」
それらのことも伝えていればこうはならなかったのでは、と兼定は悔いた。だが、こうなっては仕方がない。この状況における最善を尽くさねばなるまいと、気を取り直す。
「じゃがな、証人はなくとも証であれば西園寺の館に証文が残っておるはず。何としてでも、それを早々に押さえねばなるまい」
口約束だけでいくさを起こす者などいはしない。
必ず、約定を記した証文があるはずといいう考えからである。
ここまでの僉議を耳にして、皆が納得する。その中で二人、土井宗珊と和井舎人佑だけが全身をぶるりと震わせていた。
和井は、ややもすれば先代を超える頼もしい主になっていくと感じて。
宗珊は、文ひとつからここまで推測し、おそらくはそれが間違いないと感じて。
いくら策を弄しても兼定には通じないのではないかという畏れと敬い。この御方が自らの主であることの僥倖と敵にしたくないという多くの感情が混ざり合って、宗珊は息を荒くした。
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深く考えを巡らし先のことまで見通し、黒幕であろう幕府の謀を明らかとせねばならない。
そもそも、いくさを起こせば後々に立場が危うくなると西園寺は考えなかったのだろうか。そのとき兼定に天啓にも似た、あっとひらめくものがあった。
大赦である。
今年は譲位があり、そこでは兼定が進言した通り多くの大赦が下されることとなっていた。大小遠近を問わず、あらゆる者に下される。それを期待しての行動であれば、この時期にというのも頷けた。
兼定はそれらの推察も含め、ひとまず考えをまとめていった。




