109.夕立
1553年 10月(天文二十二年 神無月)
「物見が戻ってまいりました。敵兵は八百から九百とのこと」
小島政春は、家臣の言葉を聞くともなく聞いていた。
首尾よく事が運んでいる。それが喜ばしくもあり、また目論見が外れなかったことで大将の命には背かねばならぬという苦々しい思いもあり、その心中は複雑であった。
「追い討つ軍勢は居たか?」
「我が方の指物は見てはおりませぬ」
「…… むぅ」
敵大将をおびき寄せたのだ。
ここで逃がす道理はなかった。
「逃がすでないぞ。手向かう将兵は残らず斬り伏せるのだ」
つっと敵勢がやって来る先へ強いまなざしを向けた政春。これから始まるであろう合戦に思いを巡らせた。
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合戦の前。
この地に着いてすぐ、和井舎人佑が兵を二百ほど引き連れ発った。
兼定の武略には目を見張るものがある。
しかし、やはりというか急ごしらえで立てた策は粗いものであり、西園寺の軍勢をここ宇和まで戻らせるだけの余程の何かが足りなかった。和井はその何かを成そうと密かに動く。
西園寺の軍勢が驚くほどの早さで大津城へと攻めおおせたのは、荷駄を後から追いかけさせたからだと和井は見抜いていた。そこから考え付くのは、大津城までの道へ所々に兵を置いているであろうこと。
それらの兵は当然のこと、物見も兼ねている。
ゆえに二百の兵でことごとく追い払い、本陣へ報せを向かわせることで誘い込む算段であった。
二百。
多すぎても少なすぎても上手くはない。
どちらであっても不信を抱き、敵大将はここまで来ないであろう。この二百という数こそ、和井が見極めた兵の数であった。
これが中ると中らざるとは別である。
ともすれば、西園寺の大将はここ宇和まで兵を下げたかもしれない。
だが、追いやる兵の姿が見えなくとも敵大将と八百の兵が思惑通りやってきたところを見るに、これは、やはり和井の後押しがあってのことと言える。
さらに、もうひと押しとばかりに一計を案じ向かいの山へ兵二十ほどを潜ませた。
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一条兵が伏せる地まで、一里ほどのところへ西園寺の軍勢がやってきた。
「どこぞに敵兵が潜んでおるとも限らぬ。草の根分けて探すのだ」
西園寺の将、今城能定と東多田宣綱は用心しつつ陣頭で馬を歩ませていた。山肌はいっそう切り立ち、谷はますます深くなっていく。
「むっ、居たぞ。敵兵が居るわ」
「見たところ三百はおるまい。二百か多くて二百五十といったところであろう」
互いに頷くと、すぐさま後方にいた大将たる実充の下命を待った。
「しゃつばらいちいち射殺せ。疾く城攻めに戻らねばなるまい」
実充が命じると八百の兵が次々と矢を射る。
一条の兵二百がそれに気付き、あわてふためいて逃げ始めた。
「とって返せ!」
「返せや、返せ!」
西園寺の兵が罵りながら追い立てていく。
その差は一町ばかりとなった。
緩やかに左へ曲がった道に差し掛かり、追う背が木陰に隠れたのは、ほんのわずかの間。
だが、西園寺の一団が峡間に差し掛かると、追っていた兵の姿がこつぜんと消えてしまっていた。
陣頭で馬を駆けさせていた今城と東多田は手綱を引いて、見失うはずがないと兵に隈なく探させた。が、どこかに隠れている様子もない。
しばらく辺りを探っていると、二町ばかり先からひょっこりと一条兵が姿を現した。奇妙だと思う東多田であったが、他の兵らも馳せ来たって押し並ぶ。
互いに睨み合い、やがて戦雲が立ち込め始めた。
「すわ掛かれ!」
西園寺大将が采配を振るう。
そのかけ声と共に敵勢へ向かい、兵らが駆け出し始めた。
まさにその時。
谷を囲む山から鬨の声が一斉に上がる。
その数は、数百どころではない。
数千はいるかというほどの大音声。
しかし、一条方が率いるは千の兵。
それを知らない西園寺兵には、あたかも谷の周りを多くの兵が囲んでいるかに聞こえた。これは山彦が応えたためであり、向かいの山にニ十の兵を配して、矢を打ち込ませたこともそう信ずることにつながっている。
姿を現した兵も、追われていた兵とは別の兵であり敵をおびき寄せる囮だった。それと知らずに駆け寄った西園寺勢の前後を塞ぎ取り囲む。
兵法三十六計を用いてこの差配をした和井は、稀にみる才器の持ち主であると言えた。
幾多の矢が降り注ぐ中、西園寺兵も負けじと残る矢を射る。だが、不用意な陣備えで弓矢を受けることとなり次々と倒れていく。
敵勢の多くは空穂にあった矢が尽きたと見るや、土佐の武者ぶりを見せつけてくれん、と、それぞれ家臣を従えて一条の将兵がひとかたまりに真っ黒となって押し出した。
西園寺側もこれに応え押し出すが、勢いはない。多少の数の差であれば勝負にもなろうが、こうも囲まれてはひと揉みの内に潰されるだけと、兵の多くは逃げ始めていた。
陣容が崩れる中、ざぁっと馬に乗った一団が駆け出でる。
「前を塞ぐ者あらば踏み潰してでも進むまでじゃ!」
先導する南方親安は、張り上げた声と共に血路を開かんと一条兵がひしめく中へ駆け入り、手痛く戦う。
南方は今年十八、九。
目覚ましいほどの働き。
ここは堪えどころと、続いた清家郷右衛門尉、有馬十介もこれに見劣りすることがないほど見事な戦いぶりである。
三騎が行く手をふさぐ兵へと寄せると、槍をしきりに突き入れ見る見る兵を薙ぎ倒す。後を追う主君を逃がさんと、まさに死に物狂いだった。
しかし、一条方の勢いに乗った恐ろしいまでの弓矢と長槍はやすやすと将兵の胆を奪っていく。
立ちはだかるは悪七兵衛政春が率いる軍勢。
そうはさせじと云う間もなく、西園寺兵を斬り伏せ首を取る。
ひとり、またひとりと射倒され、馬がどうっと倒れる。十五騎が十騎、五騎と数を減らし、いつの間にか十五騎いた兵がついには三騎となる。
若き将である南方、清家、有馬もすでに首を落とされた。
いかな伊予に長く君臨せしめた西園寺とて、味方少なくては敵うまじ、と、落ち延びようとすれどもそれを許す一条兵ではなかった。
小島三郎左衛門政章が、白柄の大長刀を弓手に取り絞ってくわと睨む。
政章は悪七兵衛政春が息男。
目結の直垂に黒革縅の鎧。兜を猪首にかぶり、大長刀の鞘をからりと投げ捨てると、いくさ場をさらさらと走り渡る。
危うし、と敵将が弓矢で射かけるが、飛んでくる矢を大長刀で切って落とす。その、あまりの見事さに敵も味方も近くにいる者すべてが息を呑んだ。
政章が大長刀を振るうたび、長槍はへし折られ柄の竹はばらりとささらに割れる。刀は弾き飛ばされ、敵兵は血の華を咲かせていく。一人当千のその姿は、いっそ美しいほどであった。
「者ども、一歩も退くな。西園寺に弱きを見せるな」
一条兵は政章の勢いに乗じ、息つく暇もないほどに攻め寄せた。誰しもが命がけであり、西園寺勢も一生懸命に戦ったが、決着のときはあっけないほどすぐに訪れる。
ぐいぐいと押し立てて囲みを狭めていき、目の前にあった最後の敵勢をひと呑みにした。
敵大将実充と将兵らは囲む兵を相手に刀を振り多くを討つ。敵将を討ち取るも、深い傷が増えていき遂には力尽きた。
「もはや、これまでか」
実充は兜を脱いだ。
白髪まじりの頭。
男が長く生きてきたことを教えている。
腹を切ろうと、山肌にすがって地べたに腰を下ろす。
武士の最期は見苦しくてはならぬという思いからである。
しかし、敵は待ってくれなかった。
自害しようとするも、生け捕られてしまう。
殺すより他はない。
政春が実充を見る目は、底冷えするほどの目つきだった。しかし、もはや敵大将は生け捕られている。この上で殺すことなど武士の矜持にもとるだけではない。一条家の沽券にかかわる。
その思いとは裏腹に、やがて実充は傷口から流れ出る血が止まらず、一刻と経たずに命を落とした。政春が手を下すまでもなかったのである。
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一条兵の討ち死にや手負いも少なくない。
逃がした兵を追っている暇はなかった。
寡兵で敵軍に対峙している本陣へ、ことの次第を急ぎ報せなければならない。
「逃げる兵は捨て置き、まつろわぬ者は斬り捨てよ!」
合戦は終わった。
いつのまにか落ち始めた雨粒は、だんだんと雨足を強める。
在々所々に横たわる骸。
合戦あとの血を夕立が洗っていく。
よくSNSで、槍は突くのではなく叩くものという意見を目にすることがあります。これは、手槍と長槍を混同しているために起こることではないかと思われます。
手槍は芯が一本木で出来ているため突くのが主な役割で、長槍は数本の木を繋いだ芯を竹で覆うためしなりが生まれ穂先の重さによりしなだれ、突くことよりも叩く、薙ぐなどで効果を発揮する武器となります。
馬に乗っていれば手槍が多いし、足軽であれば長槍が多いイメージではありますが、槍と言っても一概に、突くだとか叩くだとかは判断できないかと。作中では、手槍と長槍それぞれ明記していきたいと思います。
一条家では手槍は少なく薙刀が多いです。
舟で移動することも多いので、長槍を持つ足軽もそれほどいないと想定してます。山と海に囲まれた四国では特にですが、三間槍なんかは持ち運びが大変なので出番は籠城する時以外はほぼないです。




